2005-12-17 by Manuke

 それは少し肌寒くなってきた秋の日のことでした。
 風子はその日の三時ごろ、おねぇちゃんと喧嘩して家を飛び出したのです。
 ちなみに喧嘩の理由は、おねぇちゃんが『ふぅちゃんが宿題をやらないから』と言っておやつを風子から取り上げようとしたのが原因でした。
 宿題というものは、やらなければやらないでも意外となんとかなるものです。そう言ったらなぜか叱られました。とても理不尽です。
 まあ、そんなことはどうでもいいです。
 お財布も持たずに飛び出したので、風子はお金のかかるところへは行けません。夏休みに渚さんたちと一緒に水族館へ遊びに行きましたが、あれはとても楽しいできごとでした。今はお金がないから無理ですけど。
 でも、風子は今月無駄遣いをしてしまったので、そもそもお小遣いが残り少ないです。CD屋さんで『ヒトデ』というタイトルを見かけたのですぐに買ったのですが、家に帰ってよく見たら『ひとでなしの恋』でした。そんな恐ろしいCDは聞きたくないので、今は押し入れの奥の見えないところにしまってあります。
 話が脱線しました。
 とにかく、風子はあてのないままさまよっていたのです。世間の風は冷たく、風子はただ一人孤独に耐えながら放浪を続けていました。そこに、
「おや、風子ちゃん。お散歩かね」
 と一人のおばあちゃんが声をかけてきました。風子の家の近所に住むおばあちゃんです。
「風子、おねぇちゃんに叱られて家を出てきました。今は家なき子です」
「おやおや、それは可哀想にねぇ。ここに飴玉があるから、よかったらお食べ」
 そう言っておばあちゃんは包み紙にくるまれた飴を風子に差し出しました。
「風子、飴は大好きですっ」
 風子はおばあちゃんから飴を受け取りました。
「そうかい、そうかい」
 おばあちゃんはにこにこ笑っていました。このおばあちゃんはよく風子にお菓子をくれます。きっと風子の魅力にまいっているのに違いありません。
「でも、早く公子ちゃんと仲直りしなきゃあ駄目だよ」
「風子、しばらく時間を置いた後に帰ろうと思ってます。そのころにはおねぇちゃんもケロッと忘れてると思いますから」
「うんうん、兄弟仲良くね」
 おばあちゃんに手を振って別れを告げ、風子はまた孤独な一人旅へと戻ったのでした。
 もらった飴をなめながらさまよい続けた風子は、しばらくして人気のない公園にたどりついたんです。そこに足を踏み入れてブランコの方に近づいたとき、ベンチの上に何かが置いてあるのに風子は気づきました。
 それはローズピンクのフェルト生地でできた、二十センチメートルくらいの丸っこい何かに見えました。風子は正体を確かめようと、ベンチのそばに寄りました。
 なんということでしょうか。風子、そんなものが存在するなんて今まで知らなかったのです。人生を半分ぐらい損した気分でした。
 それは、ヒトデの形をしたベレー帽だったのです。
 思わず抱きしめようとして、けれど風子は思いとどまりました。この帽子はきっと誰かが忘れていったものです。その人は今ごろヒトデ帽をなくしたことに気がついて、嘆き悲しんでいるに違いないからです。
 でも、交番に落とし物として持って行く間だけなら構わないかもしれないと、風子は思い直しました。もしかしたら、お礼に一割もらえるかもしれません。
 風子が手を伸ばそうとした矢先、ふとどこかから女の子の声が聞こえてきました。
《あの、すみません》
 風子はまわりを見回してみましたが、近くに人影はありません。
「誰ですか?」
《私はここです。あなたの目の前にいます》
 声はベンチの上から聞こえてきていたのです。風子はそれに話しかけてみました。
「もしかして、このヒトデ型帽子がしゃべっているんですか?」
《あなたの目には帽子に見えるかもしれませんが、実は違うんです。
 私はヒトデ星人、M91星雲からやってきました――地球は狙われています》

20億のヒトデ

「ヒ……ヒトデ星人ですか」
 風子はびっくりして繰り返しました。
《はい。M91にある惑星ヒトデカンダルが私の故郷なんです。にわかには信じられないかもしれませんけど》
 その言葉に、風子はぷるぷると首を左右に振って答えました。
「いえ、風子は信じますっ」
 ヒトデカンダル――なんて素敵な響きでしょうか。名前の通り、そこはきっと素敵な場所なのでしょう。風子は想像してみました。
 きらきら光る大気の中、たくさんのヒトデたちが舞い踊り、笑いさざめき、歌を歌っています。あたりは一面の花畑で、赤・青・黄色の花びらは全部ヒトデの形をしているに違いないです。
 空気はいい匂いときれいな音楽に満ちあふれ、じっとしてなんかいられません。
《風子ちゃーん》
《一緒に踊ろうよ、風子ちゃん》
 かわいいヒトデたちが風子を誘いに来ます。風子はハミングしながら、ヒトデと一緒にくるくると踊り始めました。
「〜♪♪〜〜♪」
 するとそこに、白ヒトデにまたがった王子様が通りかかるんです。王子様は言いました。
「おお、なんと美しいヒトデ踊りだろう。このように素敵な踊りは見たことがない」
 そこで風子は――えっ? もういい、ですか?
 わかりました。ヒトデカンダル物語はここまでにしておきましょう。
 話を戻します。
 風子が想像を終えたとき、ベンチに置かれたヒトデ星人の人はなぜかぐったりとしているように見えました。風子が知らない間に運動でもしていたのでしょうか。
「どうかしましたか?」
 風子が問いかけると、ヒトデ星人の人は我に返りました。
《あ、やっと戻ってきてくれましたか》
「不思議なことを言いますね。風子、どこにも行ってません。ずっとここにいました」
 やはり宇宙人だから風子とは考え方が違うのかもしれないです。
《い、いえ、なんでもありません……。
 ところで、あなたのお名前は風子さんとおっしゃるのですね》
「はい、伊吹風子と言います。好きな怪獣は油獣ペスターです」
《私は先ほども言いましたようにヒトデ星人です。私たちには固有の名前はありませんが、仮に“ホシ”と呼んでください》
「“ホシ”さんですか。わかりました」
 風子は頷きました。
《実は私、凶悪窃盗犯の“捕り手”を追ってこの惑星へとやってきたのです。地球に降りる際に双方の宇宙船は動かなくなってしまいましたが、私はなんとか脱出してこの場所までたどりつきました。おそらく奴も近くにいるはずです。
 なんとしても“捕り手”を捕らえなければなりません。どうか捜査に協力してはもらえないでしょうか?》
「協力って、どんなことをするんですか?」
 風子が聞き返すと、“ホシ”さんは答えてくれました。
《まずひとつに、私にとって地球の重力は大きすぎて、自力で動くことが困難なのです。ですから、風子さんに私の体を運んでいただけると助か……》
「それは風子が“ホシ”さんを頭に被ってもいいってことですかっ?」
 “ホシ”さんの言葉をさえぎって風子は尋ねます。
《そ、それは風子さんがそうしたければ。手に持っていただいても、頭に載せてくださっても構いませんけど……》
「風子、協力しますっ」
 こんなにすばらしい申し出を断るはずありません。風子は即答しました。
《そうですか。ご協力感謝します……って、あの、どうかしましたか? 目が据わってるみたいですけど》
「風子、さっそく“ホシ”さんを頭に載せようと思っているだけです」
《うっ、なんか怖い……》
「大丈夫、痛くしませんから」
 気のせいか、“ホシ”さんはちょっと震えているようでした。たぶん、風子の頭に載ることを喜んでいるのに違いありません。
 風子はピンクのヒトデ星人に手を伸ばしました。そっと触れると、“ホシ”さんはふわふわの感触で、少し温かいです。傷つけないように注意して持ち上げ、風子は“ホシ”さんを頭の上に置きました。
 そして――風子は変化したのです。
 それまでの風子は、単なる伊吹風子でしかありませんでした。でも、この瞬間から風子は新たな存在へと生まれ変わったのです。これはすでに伊吹風子DXと言っても過言ではないでしょう。
 この公園に鏡になるようなものがないことが悔やまれました。あれば風子、一時間でも二時間でも見入ってしまったに違いないです。
《……さん。風子さん》
 風子が感激の余韻を味わっていると、ふいに“ホシ”さんの声が聞こえました。
「はい? 呼びましたか?」
《ううっ、人選誤ったかなぁ……。とにかく、私たちはまず“捕り手”の居場所を突き止めなければいけません》
「はい」
 風子は周囲を見回しました。公園に人影はなく、近くにヒトデ星人が落ちている様子もありません。
《おそらくですが、敵もまた私と同じように誰か地球人の協力を仰いでいるものと思われます。口の達者な奴のことですから、相手を言いくるめて私のことを悪人だと吹き込んでいるのでしょう。奴に近づくのは慎重にする必要があります》
「わかりました」
 風子は“ホシ”さんを載せたまま公園を後にしました。
 空は抜けるように青く、雲ひとつ見あたりません。今朝はまるで台風のような風と雨が吹き荒れて風子はわくわくしたのですが、それも午前中で止んでしまいました。その風のせいで雲が押し流されてしまったのでしょう。
 そう言えば、天気予報でもその嵐のことは何も言っていませんでした。風子、天気予報は予想確率だけじゃなく的中しなかった率も同時に報告するべきだと思います。
 道を行く人は、お休みの日だというのにまばらです。風子は目を皿のようにして、その人たちに怪しいところがないか監視しました。そして……
「見つけましたっ。あの人が犯人です!」
 風子はだるそうに歩いている一人のヘンな人を指差して叫びました。
「いっ?」
 その人は狼狽したようにきょろきょろと周囲を見回すと、風子を認めてひきつったような笑みを浮かべます。
「や、やあ、風子ちゃん。なんか用?」
「風子、あなたが凶悪窃盗犯に違いないと思いました。理由は風子の直感……もが」
 その人――春原さんは、慌てて近づいてくると風子の口を手で塞ぎました。
「や、やだなあ。いきなり何を言い出すんだよ?」
 風子は腕を振りほどいてその悪の手から逃れると、後ろに後ずさりしました。
「ふーっ……!」
 風子の威嚇に恐れをなしたのでしょう、春原さんはいきなりそこで土下座をしてきます。
「た、頼む! 岡崎には黙っててくれっ。あいつの財布から無断で金借りたのがバレたら、僕は半殺しにされちまうっ」
「……風子、何のことかわからないですっ」
 風子が言い返すと、春原さんはきょとんとした表情になり、そしてごまかすように笑いました。
「ははっ、もしかして勘違い? なんだ」
 そして立ち上がると、ズボンの膝を手で払おうとしました。でも、午前中の雨のせいで地面は濡れていて、春原さんのズボンは泥だらけになっていましたが。
「いや、別に僕は岡崎なんかちっとも怖くないぜ。単にあいつがかわいそうだから黙っててやるだけさ」
 春原さんは一人でぶつぶつわけのわからないことを言っています。いつものことなので風子は気にしませんが。
「そんなどうでもいいことはどうでもいいです。
 それより、風子は前から春原さんが凶悪宇宙人ではないかと疑っていたんです。今その疑問は確信に変わりました。さあ、さくさく白状してくださいっ」
「はあっ? 宇宙人って何のことだよっ」
 春原さんはあくまでしらを切ろうとします。けれども、そこで“ホシ”さんが言葉を発しました。
《風子さん、この方は以前からのお知り合いなのですよね? でしたら“捕り手”とは関係ないはずですよ。私と奴が地球にやってきたのは数時間前のことですから》
「そうですか……」
 風子はとても残念でした。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ……。風子ちゃん、誰と話してんの?」
 春原さんが混乱した表情で尋ねてきます。
「風子の頭の上に載っている“ホシ”さんとです。宇宙から来た、ヒトデ星人だそうです」
 風子が紹介すると、“ホシ”さんは春原さんに話しかけました。
《初めまして。春原さんとおっしゃるのですね? 私は逃亡した凶悪犯罪者を追って地球へやってきた“ホシ”と申します》
 もぞもぞと頭の上で動きが感じられます。きっと“ホシ”さんが手を振っているのでしょう。風子も見たかったです。
「ひ……ひいっ! ヒトデがしゃべったっ?」
 春原さんは猛スピードで後ずさると、道の反対側の塀にへばりつきました。後頭部を打ったらしいゴンッという音が聞こえましたけど、本人は気にした様子もありません。
《そんなに驚くことですか? あなたもアルデバランからの来訪者でしょうに》
 “ホシ”さんがそう言います。
「やっぱりそうでしたか。風子そうだと思ってました」
「ちげえよっ」
 春原さんが目を剥いて風子たちの言葉を否定しました。ちょっと怖いです。
《おや、そうなんですか。私はてっきり、アルデバランに棲むアオテナガフクロオオスノハラモドキの方かと勘違いしてしまいました。申し訳ありません》
「本当にいるのかよ、それ!」
 “ホシ”さんの言葉に春原さんはさらに叫び返してきました。
「それはどんな生き物なんですか?」
 風子は“ホシ”さんに尋ねました。
《ええとですね、青くて手が長くて袋を持っていて大きいスノハラのモドキなんです》
「なるほど、それなら間違えても仕方ないです」
「仕方なくねえって!」
 いちいち叫ぶのでうるさいです。驚きが薄れてきたのか、春原さんは塀から離れて風子たちの方へ近づいてきました。
「だいたい僕は青くねえし、手も長くないし、袋……は持ってるな」
 なぜかそこで春原さんが赤くなりました。
《なるほど、アカドウナガフクロコスノハラモドキの方でしたか》
「だから違うって! 僕はれっきとした地球人だっ」
 春原さんの言葉に、“ホシ”さんは謝罪します。
《失礼しました。どうも早とちりをしてしまったようで。
 それはともかくとして、春原さんにも“捕り手”を探すのを手伝ってはいただけませんでしょうか。もちろん、それなりのお礼はいたします》
 お礼、と聞いて春原さんの形相が変わりました。すごく怖いです。
「マジっすか? 僕でよければいくらでもこき使ってくださいっ」
「でも風子、春原さんはあんまり役に立たないと思います」
 純粋かつピュアな風子の感想に、春原さんはがっくりと肩を落としました。
「それ、風子ちゃんに言われるとヘコむんだけど……」
「風子、そこはかとなく失礼なことを言われた気がします。最悪ですっ」
 言い合う風子と春原さんを、“ホシ”さんが止めました。
《まあまあ、お二人とも。そうムキにならずに……。今はとにかく人手が欲しいところなんですから》
「……わかりました。風子、許してあげましょう」
「そ、そうっスか」
 風子は大人なので、自分から矛を収めます。決して『ヒトデがホシい』という言葉が面白かったからではありません。
「それはともかく、ただ無目的にうろつき回っていては“捕り手”さんを捕まえることはできないと思います。風子の試算では、同じような帽子を持っている人は地球上に20億人はいるはずです」
 風子は冴え渡る推理で状況を整理しました。
《に、20億? そんなにいるんですか!》
「はい、おそらく。それをどうやって絞り込むかが課題です」
 しかし、そこで春原さんが風子の意見に難癖をつけました。
「20億もいるはずないだろっ? こんなヒトデ型帽子を欲しがる奴なんかほとんどいねえって」
「そんなことないですっ。ヒトデ帽子があればみんながほわわーんってなります。世界平和間違いなしです」
 また言い争いを始めた二人に、今度はちょっと慌てた様子で“ホシ”さんが口を挟みました。
《ちょ、ちょっと待ってください。私、“捕り手”がヒトデ星人だなんて一言も言ってませんよ?》
「えっ? もしかして、風子の勘違いですか?」
 びっくりして風子は尋ねます。
《いえ、ごめんなさい。ちゃんと最初に説明しなかった私が悪いんですから。
 かの窃盗犯である“捕り手”はヒトデ星人ではありません。ヒトデカンダルの隣にある惑星ダンゴラスで生まれただんご型知的生命体、だんご大星人なんです》
「……!」
 風子はその言葉で、犯人の居場所にピンと来ました。隣を見ると、春原さんも気づいたようでした。風子たちは頷くと、いっせーので声を合わせて叫びました。
「渚ちゃんだっ」
「和菓子屋さんですっ」
 ……風子と春原さんはぜんぜん違うことを考えていたようです。
「なんでだよ! 宇宙人が和菓子屋に用なんかあるわけないだろっ」
「そんなことないです。だんご大星人はきっと、和菓子屋さんで串刺しになってるだんごたちを見て心を痛めるはずです。日本中のだんごを解放するべく和菓子屋さんを襲うに決まってます。
 それより、渚さんが怪しいと考える方がよっぽどおかしいですっ」
「ええっ? だって、ほら。渚ちゃん、だんご好きだしさ」
「じゃあ、たい焼き好きの子のところには、たい焼き星人が宇宙の果てからやってきますか? 肉まんが好きな子は肉まん星人ですか?
 春原さんの考えはヘンですっ。元からですけどっ」
「うっ、言われてみれば……。僕はおっぱい好きなのに、おっぱい星人はちっとも僕の前に現れねえよ……」
 風子の説得力ある言葉に、春原さんはがっくりと膝をつきました。そして、だくだく涙を流しながら、
「おっぱい、カムバーーーック!!!」
 と空に向かって絶叫します。
 道行く通行人が、慌てて目をそらしながら足早に去っていくのが見えました。
《……あー。その、ですね。私はだんご大星人ではありませんけど、たぶん奴が和菓子屋を襲うことはないと思いますよ》
 “ホシ”さんが風子にそう話しかけてきました。
「どうしてですか?」
 風子は聞き返します。
《なぜなら、だんごたちにとっては買った人においしく食べていただくことこそが幸せだからです。盗っ人ではあれど、“捕り手”もそんなだんごたちの努力を無にするようなことはしないでしょう》
「なるほど……。風子はまだ、だんご道を語るには早すぎたかもしれません」
 風子は大人なので、素直に自分の過ちを認めることにしました。
《それと、春原さんの言ったことも、あながち間違いとも言い切れません。私と風子さんが出会ったのって、単なる偶然じゃないと私は信じてますから》
「……風子も、そう思います」
 風子と“ホシ”さんの間に、ほわーっとした暖かいものを感じました。
「じゃ、じゃあ! 僕の前にもいつかきっと、運命のおっぱい星人が現れるよねっ?」
 その雰囲気に、涙と鼻水とよだれで顔をぐちゃぐちゃにした春原さんが割り込んできました。きたないです。
《いえその、私にはちょっとわかりかねます。そうした星の方は存じ上げないもので》
「うああぁぁぁーーーっ! く、苦しい。おっぱいが、おっぱいが切れた……。誰か、僕におっぱいを補給してくれ……。
 もうこうなったら、僕的おっぱいランキング最下位の風子ちゃんでもいい。おっぱ」
 ガスッ!
 身の危険と、生まれて初めて感じたドス黒いものに促されて、風子は懐にしまってあった護身用ヒトデを春原さんの頭に振り下ろしました。
「ふーっ、ふーっ」
《す、すごい……》
 肩で息をする風子に、“ホシ”さんが驚きの声を上げました。
《その彫刻、もしかして風子さんが彫ったんですか?》
「ふーっ……。はい、風子の作品です。風子、ヒトデの彫刻を彫るのが趣味なんです」
《それはすばらしいですっ。こんな見事なもの、私の故郷のヒトデカンダルですら見たことがありませんっ》
 珍しく“ホシ”さんが興奮しています。
「風子、よかったら“ホシ”さんにプレゼントします。事件が終わったら、ですけど」
《本当ですかっ? でも、よろしいのでしょうか、そんな素敵なものをいただいてしまって》
「構わないです。家に戻ればたくさんありますから」
《ありがとうございますっ。大事にしますね》
 そんなふうに風子と“ホシ”さんは談笑したのでした――足下でピクピクけいれんするヘンなものを視界に入れないようにしながら。

 そのままほったらかしておいてもよかったのですけど、三十秒もたたないうちに春原さんは復活してきました。空に向かって叫んだ後のことは覚えていなかったので、面倒なことにならずにすみましたが。
 とりあえず風子と“ホシ”さん、そして春原さんは、渚さんがだんご大星人の人と出会ってないか確かめることにしました。
「ん? 渚なら確か、ついさっき小僧と一緒に出てったぞ」
 古河パンに出向くと、レジの奥で退屈そうにしていた秋生さんが教えてくれました。
「昼過ぎに二人でどこかへ遊びに出て、戻ってきたから店番代わらせようと思ったら、『今忙しいから後にしてくれ』だと。くそっ、てめぇばっかりいい思いしやがって、あのエロ小僧がっ。俺も渚とデートしてえぞっ!」
 なにやら怪しい行動です。
「うわ、なんだこのチューイングパンって……。こんなパン誰も買わねえよ」
 春原さんは真面目に聞き込みせず、店内をきょろきょろ見ながら小声で何かつぶやいています。それは放っておいて、風子はさらに尋ねました。
「渚さんはそのとき、何か帽子を被ってたりとかしませんでしたか?」
「帽子? いや、それはねえ。ウチの女どもは帽子が苦手でな、被るとなぜか平衡感覚が鈍っちまうらしい。
 ……待てよ? そういや、ちらっとしか見てないからよく覚えてねえが、渚が薄緑色の丸っこい何かを抱えてたような気はするな。あれはもしかして帽子だったか……?」
 まずます怪しいです。
「わかりました。風子、渚さんに用があるのでもう行きます」
 風子は秋生さんにぺこりとおじぎをしました。
「ああ、気をつけて行けよ――と、そこのてめぇは待て」
 秋生さんは風子にそう言った後、春原さんに低い声で話しかけました。
「な、なんでしょうか?」
 びくびくした様子で春原さんが返事をします。
「人の店に来といて、何も買わずに帰るたぁいい度胸だな」
 秋生さんが春原さんをにらみます。
「……で、でも風子ちゃんだって」
「風子はいいんだ。こいつは家族みたいなもんだから」
「はい。風子、ここん家の子も同然です」
 秋生さんの言葉に、風子も頷きました。
「でも、てめぇは違うよな。わかったらさっさと出すもんを出せ」
「ひぃっ……。わ、わかりましたっ」
 春原さんはガクガク震えながらポケットに手を入れ、小銭をつかみ出すと秋生さんの方へ全部差し出しました。
「なんだよ、それじゃ俺がカツアゲしてるみたいじゃねぇか。てめぇはウチのパンを買うんだ。百円でいい――ただし、買うのはそのパンだ」
 秋生さんの指差した先は、パンで山盛りのトレイでした。『今、売れてほしいです!』のタグがつけられているそのパンの名前は……春原さんがさっき感想を述べていたチューイングパンです。
 春原さんは百円玉を秋生さんに渡すと、恐る恐るそのパンに手を伸ばします。
「包むの面倒だから、この場で食ってけ」
「は、はい」
 秋生さんの命令に従って、春原さんはチューイングパンを口に運びました。
 ――グニュッ。ギュム、ギュム。
 とてもパンとは思えない咀嚼音が聞こえてきます。春原さんはすでに泣きそうです。
「……もう気づいてるとは思うが、パンの中身はチューインガムだ。パンがなくなるまでちゃんと噛めよ。それから、これはサービスだ。噛み終わったらくるんでゴミ箱に捨てろ」
 秋生さんはそう言ってティッシュを一枚春原さんにあげました。
「ふぁぃふぁほーほひゃぃひゃふ」
 口の中がガムでいっぱいの春原さんは、何を言っているのかわかりません。
「わかったら行ってよし!」
「ふぁいっ」
 春原さんは逃げるように古河パンを飛び出して行きます。風子はもう一度秋生さんにおじぎしてから、その後を追いかけました。
《どうやら、その渚さんという方が“捕り手”と接触した可能性が高いですね》
 店を出ると、“ホシ”さんが話しかけてきました。
「そうなんですか?」
《はい。奴の体色はライトグリーンですから、先ほどの男性が目撃したものがおそらく》
「それならあとは渚さんを探して、“捕り手”さんを捕まえるだけです」
《ええ。ですが以前も行った通り、渚さんは“捕り手”に丸め込まれて私が犯人だと思い込まされているでしょう。それをなんとかしなければ……》
 そこで、風子たちは春原さんに追いつきました。春原さんはまだ完全に食べ終わってなさそうなのに、もうチューイングパンを吐き出そうとしています。
「風子、食べ物を粗末にするのはよくないと思いますっ」
「ほへぁ、ふぉうはへほんはふぁいっ!」
 何を言ってるのかさっぱりわかりません。とりあえず、じーっと見つめてみます。
「うっ……」
 じーーーっ。
「は、はんふぁお……?」
 じーーーーーっ。
「……ふぁ、ふぁはっふぁっ。ひゃんほふーはふぁ!」
 春原さんは肩を落としました。よくわかりませんが、風子が勝ったようです。風子の眼力は秋生さんに引けを取らないと言っても過言ではないでしょう。
 春原さんは、結局噛み終えるまでに三十分ぐらいかかりました。吐き出したガムをくるんだティッシュが拳ぐらいの大きさだったのには風子もびっくりしましたが。
「くそっ、顎がだるい……。あのオッサン、とんでもねえもの食わせやがって」
 春原さんが頬をさすりながら悪態をつきます。
「現代人は顎の力が弱くなってるって言いますから、それを鍛えるためのパンだったのかもしれないです。春原さんは毎日食べてみるといいです」
 風子のすばらしい見識に、春原さんは同意してくれませんでした。
「こんなもん毎日食ってたら、顎がこーんなに発達しちまうって。僕の顔はチープさが売りなんだから、そんなんじゃ女の子にモテなくなっちゃうね」
 大げさに顎が張ったジェスチャーをしながら、春原さんはそう言いました。
「そうですね。風子も春原さんは今のままの方がチープだと思います」
「だろ?」
 風子が同意すると、春原さんはうれしそうでした。やっぱりヘンな人です。
 もちろん、ずっとそんな意味のないことだけをしていたわけじゃありません。風子たちはちゃんと渚さんも探していました。けれど、渚さんはどこにも見あたりませんでした。
「風子、ちょっと疲れました……」
 そこは町からやや離れた場所、木々が生い茂る中で少し開けた空き地になっているところでした。
「これだけ探していないってことは、渚ちゃんはもしかしてこっちを避けてるのかな?」
《どうでしょうか。たぶん、それはないと思うのですが……》
 春原さんの疑問に、“ホシ”さんが自信なさげに答えます。
 と、そのときでした。
《見つけたぞ、“ホシ”よ》
 突然、背後から声が聞こえたのです。風子が振り向くと、そこには二人の人間――渚さんと岡崎さんが立っていました。
 そして渚さんの腕の中には、ライトグリーンの丸っこいものが抱かれています。
《とうとう姿を現したわね、“捕り手”》
 “ホシ”さんも今までとはうって変わって厳しい口調で答えます。
《お互いに相手を捜し回っていたというわけだな。なんとも間が悪いと言うか……。
 まあいい、それより――お前の宇宙スクーターはどこにある?》
 “捕り手”さんはローティーンの男の子みたいな声で“ホシ”さんに尋ねました。
《そんなこと、私が簡単に教えると思う?》
 正義の味方と凶悪犯の対決――思わず緊迫する場面です。
 そこで、ふいに“捕り手”さんを抱えていた渚さんが風子に話しかけてきました。
「……ふぅちゃんは騙されているんですよ。その“ホシ”さんは、本当は悪い人なんです。だからふぅちゃんは、その人を“捕り手”さんに引き渡すべきです。その方が、“ホシ”さんのためでもあるんですから」
 やっぱり“ホシ”さんの言った通りでした。
「いえ、渚さんは間違ってます。悪人は“捕り手”さんの方です。一見かわいらしい外見ですが、邪悪な気配がただよってくるのが風子にはわかりますから」
 風子はそう言い返します。
「そんなことありません。だんごたちはみんな仲良く暮らしています。悪い人なんか一人もいない、平和な種族なんです」
 渚さんは“捕り手”さんを悪く言われたのが気に入らないみたいでした。でも、風子も引き下がるわけにはいきません。
「ヒトデは宇宙共通の平和のシンボルです。ヒトデを見たら、誰でもほわわーんってなります。だから、ヒトデ星人もみんないい人です」
「だんご大星人は『大』がつくから、そのぶんヒトデ星人よりも立派です」
「風子、どっちかというと小さな島国に『グレート』と付けるのと同じぐらい格好悪いと思います」
 お互い一歩も譲れないようです。
 渚さんの隣に立っていた岡崎さんが、風子たちのやり取りを見てため息をつきました。
「お前ら、思い込みだけで代理戦争してるだろ?
 そんなことより先に、はっきりさせときたいんだが……。おい“捕り手”、お前はあっちが破壊活動を行うテロリストだって言ってたな」
《ああ、言った》
 “捕り手”さんが岡崎さんの問いに同意します。
「んで、“ホシ”だっけ? そっちはこいつの罪状をどう言ってるんだ?」
《凶悪窃盗犯、です》
 “ホシ”さんは岡崎さんに明かします。
「じゃあさ、具体的にどんな悪事を働いたっていうのか、教えてくれよ」
 岡崎さんの言葉に、“捕り手”さんが身を震わせました。
《こいつは……こいつはな、よりによってオレが丹精込めて作った宇宙プラモデルを壊しやがったんだよっ》
 風子の頭上の“ホシ”さんがそれに反論します。
《なによっ。元はと言えばあんたが私のおやつを勝手に食べるのが悪いんでしょ!》
《だからって何も壊すことはねえだろ!》
《そんなもの、また作ればいいじゃない。こっちは楽しみにしてた宇宙プリンだったのに》
《だから、食った感想を教えてやったじゃないか》
《説明されればされるほど、よけい切なくなるわよっ》
 今まで傍観者を決め込んでいた春原さんがぽつりと言いました。
「なんつーか、ガキの喧嘩?」
《う……》
 二人は言い合いをそこで止めました。
「しかも、なあ……。どっちが悪人ってこともなくて、この場合どっちも悪いんじゃないか?」
《……》
 岡崎さんがたたみかけると、“捕り手”さんは小さくなってしまいました。風子には見えませんが、たぶん頭の上の“ホシ”さんも。
「風子、今日おねぇちゃんにおやつを取り上げられたので、“ホシ”さんのつらい気持ちはわかります」
《そ、そうですよね。風子さんはわかってくれますよね》
《いや、だけどさ……》
 同意を求めてくる“ホシ”さんと、不服そうな“捕り手”さん。風子は続けました。
「でも、もし風子ががんばって作ったヒトデの彫刻を壊されたら、やっぱり悲しいです」
《あ……》
 一瞬、言葉を失う“ホシ”さんでした。
《……ごめん、“捕り手”。私、ひどいことしちゃったんだね》
 そして“ホシ”さんは“捕り手”さんに向かって素直に謝ります。
《あー、いや。その……。こっちこそ悪かった》
 “捕り手”さんも、それを受けて“ホシ”さんに謝罪しました。
「よかったです。これで仲直りですね」
 渚さんがほっとした表情で二人の和解を喜んでいます。
《すみません。変ないさかいに巻き込んでしまって》
「いえ、ぜんぜん構わないです。だって、“捕り手”さんとお散歩できて、わたしはとっても楽しかったですから」
「風子も“ホシ”さんと一緒で楽しかったです」
 “ホシ”さんがすまなそうに言ったことに、渚さんと風子はそう答えました。
「僕はちっとも楽しくなかったけどね」
 春原さんは一人ひねくれていましたが。
「で、お前らはこれからどうするんだ?」
 その声を華麗にスルーして、岡崎さんが“ホシ”さんたちに尋ねます。
《それなんだけど……。実はオレの乗ってきた宇宙スクーター、ガス欠になっちまってさ。燃料が残り少なくて大気圏を脱出できそうにないんだ。“ホシ”の宇宙スクーターに余りがあったら拝借しようかと思ってたんだが》
 “捕り手”さんがそう答えました。
《あ、私も同じこと考えてた》
 と“ホシ”さん。
「それだと一人しか帰れないと思います」
 風子がそう指摘すると、“捕り手”さんが頷きました。
《だな。でも、その方法でどっちかが宇宙スタンドに燃料を買いに行くしかなさそうだ》
 そのとき、突然巻き起こった突風が風子たちを襲いました。
「うぉ、なんだ、この風……」
「ひゃっ」
《と、飛ばされる〜っ》
 荒れ狂う風に風子はスカートを押さえながら、“ホシ”さんが飛んでいかないようにその腕をつかみました。風はゴウゴウとすごい音を立てて、油断すると風子自身が飛ばされてしまいそうです。
 しばらくすると、また始まったときと同じように前触れなく風が止みました。けれども、みんな何もしゃべらず無言のままです。風子が閉じていた目を開いてまわりを見回すと、渚さんも岡崎さんも上を見上げて呆然としています。風子も同じように視線を上に向けました。
「……!」
 そこには金属製の円盤が浮いていたのです。
 空飛ぶ円盤と言っても、そんなに大きいものではありません。だいたい二メートルぐらいでしょうか。それはゆっくりと舞い降りてくると、細い足を三本伸ばし、風子たちの目の前の空き地に着陸しました。
 そして円盤の上側がぱくっと開き、中からタイヤのないスクーターみたいな形のものが浮上してきたのです――その上に、“ホシ”さんによく似たヒトデの人を乗せて。
《“ホシ”の母でございます。このたびはウチの娘とその友人がこのような騒ぎを起こしてしまい、皆さんには大変ご迷惑をおかけいたしました。深くお詫び申し上げます》
 その人はそう風子たちに謝罪した後、今度は“ホシ”さんたちに話しかけました。
《まったく、あなたたちときたら……。よその星の方を自分たちの喧嘩に巻き込むなんて、立派な宇宙人のすることではありません。あなたたちが大気圏内でドッグファイトしたせいで、このあたりの天候まで狂わせてしまったのよ》
《でも……》
 反論しかけた“ホシ”さんを、お母さんはぴしゃりとさえぎりました。
《でも、じゃないです。罰として、今月の宇宙お小遣いは抜きですから。
 “捕り手”君も、ちゃんとあなたのお母さんに報告しておきますからね。わかった?》
《ええっ、そんなぁ》
《……うっす。わかりました》
 がっくりする“ホシ”さんと、神妙に頷く“捕り手”さんでした。
《それはともかくとして、特に皆さんには多大なご迷惑をおかけしましたね。お詫びと言ってはなんですが、何か私どもにできることがあれば何なりと……》
 また“ホシ”さんのお母さんが風子たちに向かってそう言います。岡崎さんは渚さんと顔を見合わせた後、首を横に振りました。
「いや、俺たちは別に迷惑とは思ってないっすから。な、渚?」
「はい。むしろ楽しいひとときでした」
 渚さんが頷きます。
「風子も同じです。お詫びなんていりません」
 風子も同意しました。
 このとき、風子の隣に立っていた春原さんが手を挙げて叫びました。
「はいはい! 僕は欲しいッス、お詫び。つか、前に“ホシ”ちゃんはお礼をくれるって約束したよね?」
 しかも、なれなれしくも“ホシ”さんを『ちゃん付け』です。
「人間はこうも欲望を剥き出しで生きていけるのかと、風子、いつも春原さんには驚かされます」
 風子が素直な感想を述べると、春原さんは変な笑みを浮かべました。
「そんなにほめられると照れるって。僕に惚れるなよ、風子ちゃん」
「いや、今のこれっぽっちもほめてないから」
「風子が春原さんに惚れるなんてありえないですっ。春原さんとお付き合いするぐらいなら、フリソデエビと結婚した方がマシですっ」
 岡崎さんと風子が突っ込みますが、春原さんは気にした様子もありません。
《そうですね……。それなら、この地球にはまだ存在しない超光速エンジンの設計図なんかはいかがでしょうか?》
 お母さんが春原さんに申し出ましたが、春原さんはそれを拒否しました。
「そんなわけのわかんないものはいらないって。僕が欲しいのはただひとつ――宇宙おっぱいさっ」
 なぜか歯がきらりんと光ります。ちっともさわやかじゃないですけど。
《宇宙……おっぱいですか?》
 “ホシ”さんのお母さんは困惑ぎみです。
「そう! 僕って男には地球は狭すぎるんだ。未だ見果てぬおっぱいを求めて、僕は無限に広がる大宇宙へと旅立つのさ」
「それ以前に、お前は地球人の誰からも相手にされてないけどな」
 ぽつりと言った岡崎さんの言葉に、春原さんの頬がちょっとだけひきつりました。少しは効いているようです。
《えっと、おっぱいを持つ宇宙人を紹介するということでよろしいでしょうか?》
「はいっ、それで構わないッス!」
 “ホシ”さんのお母さんが尋ねると、春原さんがテンション高く答えます。
《それなら、アークトゥルスに棲息する方はどうでしょう? 映像がありますのでご覧ください――キイロクビナガオッパイヒメスノハラモドキです》
 スクーターから空中に、立体映像が投影されました。その姿を一目見て、風子は思わず視線をそらしました。
 沈黙が周囲を支配します。森の傍らだというのに、鳥の鳴き声ひとつ、虫の音ひとつ聞こえてきません。
《いかがですか?》
「……おえっぷ。あー、いやその、紹介してくれなくていいです……」
《そうですか》
 “ホシ”さんのお母さんが残念そうに言い、映像を消します。ようやく世界へ次第に音が戻ってきました。
 岡崎さんが春原さんに近づき、同情のまなざしで春原さんの肩に手を置きます。
「よかったな春原。お前、女じゃなくてさ」
「どういう意味だよっ!」
「そのまんまの意味だぞ。そっくりじゃん、今の映像とお前」
「似てねえよっ。僕はあんなに目ぇ剥いてないし、牙は持ってないし、首もにょろにょろっとしてない!」
 岡崎さんの腕を振りほどいて、春原さんは叫びました。
「いえ、風子もそっくりだと思いました――特に首が」
「首かよっ」
「あの、ごめんなさいです。わたしも似てるって思っちゃいました」
「渚ちゃんまで……」
 風子と渚さんのダメ押しに、春原さんはがっくりと膝をつきます。
「……でもさ、僕に似てる似てないはともかく、スタイル的にもアレだよね。もうちょっとこう、ボン・ボン・キュッて感じがいいって言うか。80以下なんて微妙すぎるしさ」
 独り言っぽくつぶやいたその言葉が、ビキッと空気を凍らせました。
《あ、あの……風子さん?》
 “ホシ”さんが風子の頭の上で震えているのが感じられます。けど、今はそのお相手をする余裕はありません。
 ふと気づくと、渚さんが静かに微笑んでいました。とても優しそうな笑顔です。そして風子は理解しました――自分もよく似た微笑みを浮かべているんだってことに。
「……岡崎さん」
 風子が声をかけると、岡崎さんの肩がビクッと震えました。
「……朋也くん」
 渚さんも同じく岡崎さんを呼びます、そして風子たちは見事なハーモニーを二人で奏でました。
「やっちゃってください」
 岡崎さんは長いため息をつくと、春原さんの前に立ちました。
「お前が悪いんだからな。言わんでもいいことを言うから」
「えっ、何?」
 この期に及んで、まだ自分の立場をわかってないようです。
「お前……半殺し確定」
「えええっ!」
 春原さんはようやく状況を理解したようでした。
「もしかして、今日って僕の厄年? 昼からパチンコ屋で大損するし、急に意識がなくなってから頭がズキズキ痛んだし、変なパンをむりやり食わされるし、怖い宇宙人を見せられたし……」
 その愚痴を聞いて岡崎さんが眉を寄せます。
「……お前さ、確か昨日は『金がないからパチンコ屋に行けない』って言ってたよな? その金、どこから調達したんだ?」
「うっ……。た、たまたまいつもより早めに仕送りが来たんだ」
 あからさまに嘘くさい釈明をする春原さんに、岡崎さんはさらに詰め寄りました。
「この騒ぎですっかり忘れてたんだが……。実は俺、昨日財布をどこかに置き忘れたみたいなんだ。まさか、俺がお前の部屋に忘れてった財布の中身をネコババしたってことは……ないよな?」
「はは……は。そんなことあるはずないじゃん。僕たちって親友だろ?」
 そこで風子は岡崎さんに言いました。
「風子、春原さんが『財布から無断で金借りた』って言ったのをちゃんと覚えてます。あと、『岡崎なんかちっとも怖くないぜ』とか、『あのエロ小僧が』とかも」
「ふ、風子ちゃ……。エロ小僧は僕じゃないぞっ」
 あせって叫んだ春原さん。
「ほぉ。つまり、前の二つはお前の台詞だってことだよな」
「あ……」
 慌てて春原さんは口を押さえますが、時すでに遅し、です。
「こっちはただでさえ居候で肩身が狭いってのに……。春原、お前――四分の三殺し確定」
 岡崎さんはにらみを効かせながら春原さんに告げました。秋生さんの直弟子だけあって、さすがに迫力があります。
「それって、僕の命三分の一しか残らないよね? ま、待てっ、僕が悪いんじゃないんだよっ。全部貧乏が悪いんだっ!」
 言いながら春原さんは後ずさり、そして足をもつれさせて尻餅をつきました。岡崎さんは素早くその背後に回り込むと、下から春原さんの腕を抱えるように折り曲げます。そして――
「いっ!?」
 ――岡崎さんはその体勢からジャンプしました。岡崎さんの足が弧を描くように前へ回転し、春原さんの前方に着地します。ちょうど岡崎さんはブリッジをしているような体勢になり、春原さんは前のめりにしゃがみ込んだ格好で完全に押さえつけられています。
「いだだだだっ! ギブ、ギブギブっ!!」
 たまらず春原さんが悲鳴を上げました。
 その格好を見て、渚さんが頷きながらつぶやきました。
「あの技は――キャトル・ミューティレーションですね」
《知っているのか、渚?》
 渚さんの腕に抱えられた“捕り手”さんが尋ねます。
「はい。あの腕が牛の角で、朋也くんの体が牛の体にあたるそうです。この間プロレスの試合を見た後に、お父さんが朋也くんに試してました」
 岡崎さんもいろいろ苦労しているようです。
 しばらくすると、春原さんがぐったりとしてきました。岡崎さんはようやくその関節技を解きます。春原さんは息も絶え絶えで、目を剥いたままピクピクしていました。
 カンカンカンと、どこからともなくゴングの音が聞こえてきました。そして空から小さな光の粒がゆっくりと舞い降りてきます。岡崎さんは呆然とした様子でその光を手で受け止めました。
「ちょ……おま……。こんな光景を望んでいるのかよっ?」
『うん』
 岡崎さんが宙に向かって叫ぶと、かわいらしい声が返ってきました。
「うん、じゃないっ。こんなアホな光景は望んじゃ駄目だ。今のはノーカウント!」
『えー』
「いいから、ちょっとそこに座りなさい」
 岡崎さんは見えない相手に向かってお説教を始めました。渚さんがその様子を見て苦笑を浮かべています。
 それはとりあえず放っておいて、風子は“ホシ”さんに話しかけました。
「“ホシ”さんはもう、宇宙に帰ってしまうんですね……」
《はい。短い間でしたが、風子さんと過ごした時間は決して忘れません。お名残惜しいです》
「風子も“ホシ”さんとお別れするのは寂しいです……」
 でも、“ホシ”さんを引きとめることなんてできません。風子は“ホシ”さんを抱えると、お母さんの乗ったスクーターの上にそっと下ろしました。そして、約束通りその腕にヒトデの彫刻を渡します。
「“捕り手”さんとお散歩できて楽しかったです。またいつか、ご家族を連れて遊びに来てください」
《ああ。きっとな》
 渚さんも同じく“捕り手”さんに別れを告げ、スクーターにその体を乗せます。
《それでは皆さん、お世話になりました》
 “ホシ”さんのお母さんがそう言い、スクーターを動かしました。その姿が円盤の中に消えて、ハッチがぱたりと閉じます。
 風子はその円盤に向かって思わず叫びました。
「待ってくださいっ。風子も、風子もヒトデカンダルに行きたいですっ」
《そうですか、それではこの宇宙ミニバンの上にお乗りください》
 円盤の中から声が聞こえてきました。風子は指示に従って、円盤の上によじ登ります。
「ふぅちゃん、どうかお元気で」
「気をつけて行けよ、風子」
『さようなら』
 渚さんと岡崎さん、そして見えない人が風子に別れの挨拶をしてくれました。春原さんはまだ地面でピクピクしていましたが。
「はい。風子、いつの日かきっと地球へと帰ってきますから、その日までお別れです」
 風子はそう答えました。円盤の足が折りたたまれ、ゆっくりと上昇を始めます。
 こうして風子は見果てぬ宇宙へと旅立ったのでした。

「――やがて風子は約束の地ヒトデカンダルへとたどりつくのですが、それはまた別の話です」
 ふぅちゃんはそう締めくくった。
「……」
「どうかしましたか、おねぇちゃん?」
 私がこめかみを揉んでいるのに気づいたのだろう。ふぅちゃんが尋ねてくる。
「ふぅちゃん、あのね……。どうして宇宙に旅立ったふぅちゃんが今ここにいるの?」
 ふぅちゃんはきょとんとした表情でそれに答えた。
「不思議なことを言いますね。風子、ぴゅーっと飛んでいって、またぴゅーっと戻ってきただけです」
「ふぅちゃんが出てったのって三時ごろだったよね? 今は五時だよ? ちょっと無理があると思うんだけど……。それにお姉ちゃん、他にも突っ込みたいところがいっぱいあるし」
 私がそう言っても、ふぅちゃんはどこへ吹く風だ。
「おねぇちゃんは細かいことを気にしすぎです。そんなんじゃ立派な大人になれないと風子は思います」
「お姉ちゃん、もうとっくに大人なんだけど……」
 ため息をついてから、私は続けた。
「あのね、ふぅちゃん。ごまかしても宿題はなくならないよ?
 この間ふぅちゃんの担任の先生が家庭訪問に来たとき、お姉ちゃん泣きつかれちゃったんだから。『先輩、私もう教師を続けていく自信がありません』って」
「あれには風子もびっくりしました」
 人ごとのように言うふぅちゃん。
「おやつを取り上げたのはお姉ちゃん謝ります。お詫びに夕飯はふぅちゃんの大好きなヒトデオムライスにするから、ふぅちゃんも宿題がんばろう、ね?」
「わかりましたっ。風子、今から宿題しますっ」
 私の提案にふぅちゃんが即答した。最初からこうしておけばよかったのかもしれない。あんまり物で釣るのはよくないんだろうけど。
 ふぅちゃんはソファーから立ち上がると、宿題をやるために居間を出て行った。そして、
『なぜかうまくごまかせませんでした。不思議です』
《やっぱり最後の部分を脚色したのがよくなかったのではないかと》
《それより、ご厄介になってすみません。まさか宇宙ミニバンもガス欠だったなんて》
『いえ。風子、“ホシ”さんとお母さんを部屋に泊めることは大歓迎ですから』
 なにやら廊下から声が聞こえてきた。
「ふぅちゃん? 誰かいるの?」
 私はふぅちゃんに呼びかけたけれど、返事はなかった。
「気のせい、よね……」
 一人つぶやいてから、私は食材を確認するためにキッチンへと向かった。

 ――同日同時刻。北国のとある街。
《HAHAHAHA! ヘイ・ユー、ミーはM102星雲から来たタイヤキ星人デース! 地球は狙われてマース!》
「〜〜!!!」
 世はすべて事もなし――

おしまい

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