目が覚めたとき、太陽は既に顔を出していて、朝の日差しがカーテンの隙間から部屋へと差し込んでいた。
どうやら昨日夜更かしをしたせいで、少しばかり寝坊してしまったらしい。
カーテンを引くと、雪に覆われた景色が視界に飛び込んできた。子供の頃、日光を受けて輝くそれを砂糖細工で作られたお城に見立てて空想に耽ったことを、ふと思い出す。
何気ない日常の中にも、本当はたくさんのきらきらしたものがあるんだってことに、私は改めて気づかされた。
階段を降りてみて、お母さんの姿がないのに気づく。冷蔵庫の横にぶら下げられたホワイトボードに、『買い物に行きます(母)』と書かれているのが見えた。
起き抜けで食欲がなかったので、朝食代わりに冷蔵庫の中にあったオレンジジュースで水分補給。甘酸っぱいジュースを飲みながら少し思案した後、私も外出することにした。
部屋に戻って支度をし、チェックのストールを羽織る。それからまたキッチンへ行って、ホワイトボードに『ちょっと出かけます(栞)』と書き足す。
玄関でローファーを履いてドアを押し開くと、そこには肌を刺すような冷気とともに白銀色のお菓子の世界があった。
家の屋根や木々の上に降り積もった真っ白な雪は、マジパン製の土台へたっぷりとふるったシュガーパウダー。軒先からぶら下がる透き通ったつららは飴細工。お向かいさんの車のリアバンパーに付着した氷は、ちょっと安易かもしれないけど砂糖のアイシング。
ずっと昔、病室で退屈していた私のためにお姉ちゃんが考えてくれた、ガラス窓の向こうの世界。シュガーペースト製の雪だるまがないのは少し残念だった。
戸締まりをしてから、私は家を離れた。朝の光の中で、吐息が白く凍る。
――もちろん、それはただの空想だ。実際に生活していく以上、奇麗なだけでは済まされない。寒いし冷たいし、場合によっては危険だし、溶ければ泥だらけになってしまう。
だけど、だからといってその空想を否定してしまうのは寂しいことだと私は思った。たとえおとぎ話にすぎないとしても、それが私の心を暖かくしてくれたのは事実なんだから。
まだあまり踏み固められていない雪を、ぎゅっぎゅっと踏みしめながら歩いていく。ただそれだけでなんだか楽しい気分になってくるのは、私が単純だからかもしれない。
視線を上げると、雪が微かに舞っているのが見えた。日の光を受けて、まるで空気が輝いているかのようだ。どこからか風で飛ばされてきた風花だろうか。
……それよりも、空の上からお菓子職人が粉砂糖を振りまいているのだと考えたほうが面白い。私を含めたこの街全体がデコレーションされているさまを思い浮かべて、思わず頬が緩んだ。
きらきらした朝。かつて私が夢見た、ガラス窓の向こうの世界。
そのままてくてく歩いていくと、向こうから子犬を引き連れたお爺さんが現れた。
もこもこの冬毛に覆われた柴犬らしき子犬は、ぱたぱたと元気に尻尾を振っている。毛糸の帽子を被ったお爺さんは、とても寒そうな様子だった。
「おはようございます。いい朝ですね」
顔見知りではなかったけれど、私はそう挨拶した。
長いこと病院で暮らしていると、お年寄りに接する機会が多くなる。だからなのか、私はお年寄りと会話することにあまり抵抗がない。
「ああ、おはようさん。ワシには少々寒さが堪えるがの」
相好を崩したお爺さんは、そう応えてくれた。そして、
「お嬢さんはそんな格好で寒くないのかね?」
と尋ねてきた。
「ちょっと寒いけど、たぶん平気です」
ミニスカートだから余計に寒そうに見えるのかもしれないけれど、膝上まであるソックスのおかげでそれほどでもない。
それに、私にはお姉ちゃんにもらったこのストールがあるから……。
「そうかい。まあ、風邪を引かないようにの」
「はい。気をつけます」
ぺこりとお辞儀をして、私はまた歩き出した。お爺さんも子犬に引っ張られるように、私の来た道のほうへと去っていく。
そう、お爺さんの言う通り、今日はかなり寒い朝だ。あまり外をうろつくのには適さないほどに。
でも、結局は気の持ちようなのだと思う。人は得てして、冬にあっては寒さを厭い、夏にあっては暑さにうんざりしてしまいがちだけど、それはあまりにもったいないことだ。
だって、この寒さがなければ、雪に覆われたシュガークラフトの朝をこうして味わうことなどできないのだから。
それから、二度と体感することのないだろう真夏の輝きもまた――。
川沿いの傾斜のついた雪道を、私は転ばないよう慎重に歩を進める。そうしながら、遊歩道で転んでしまったときのことを思い出す。
あのときの私の目には、雪景色は美しくも冷たいもの、私を拒絶する世界の象徴のように映っていた。
ガラス窓の内側から憧れていた外の風景。見納めになるはずの銀世界には、やっぱり私の居場所はなく、いつの間にか私は目を伏せて歩いていたのだった。
そして、頭上の枝から雪が落ちてきて――私はあの二人と出会った。
それが今、同じ光景を暖かい気持ちで眺めている。気の持ちようでこうも変わるものかと、我ながら驚いてしまう。
たぶん、人生で一番愚かなことをしてしまったから、吹っ切れてしまったのだろう。開き直りとも言うかもしれないけど。
誰もいない通学路を私は歩いていく。そう、こんな時間、この場所に生徒がいるはずはない。いるとしたら、すっかり遅刻してしまった人か、あるいは……。
……あるいは、病気で休んでいるはずなのにこっそり家を抜け出してくる、馬鹿な女の子ぐらいだろう。
やがて私は目的地へと辿り着く。
一日しか通うことのできなかった学校。ずっと憧れていた場所。
「……」
ぎゅっと胸元でストールを握りしめる。セーターの袖に隠された手首に痛みが走った。それは昨晩の行為の名残、私の愚かしさの証だった。
本当は何も変わってなんかいない。私がもうすぐ消えてしまうのだという事実は。答えが見つかったわけでもない。
お姉ちゃんはもう、私を見てはくれない。
だけど、私は……。
グラウンドに人影はなかった。たまたま体育の授業がないからだろうか、それともこんな寒い日には体育館で授業を行うのだろうか。私はそれを知らない。だって、私は学校に通ったことがないのだから。
でも、こっそり忍び込もうとしている私にとっては好都合だった。
お砂糖を固めて作られたみたいな真っ白い校舎を見上げ、私は微笑む。
分からない答えがここで見つかるのかなんて、それこそ分からないけれど……。
それでも私は、笑っていようと思う。最後まで、ずっと。
そして私は校内へ足を踏み入れる――その先に待つものを、まだ知らずに。
Fin.