そんな風に、ずっと思ってた・・・
あなたの声を聞いて、あなたの姿を焼き付けて、
そんな毎日がずっと続くと思ってた・・・
「そんな!シンジさん!!嘘よ!」
「シンジ!!シンジ!」
二人の可憐な少女が眼を腫らしながら叫んでいた。
その悲痛そうな声は枯れ始めていて、顔は涙で汚れていた。
「・・・レイ、アスカ・・・」
ゆっくりと振り向くと、そこには悲しそうな顔の女性が立っていた。
泣いてこそいないものの、その赤い眼と消えない涙の筋が全てを物語っていた。「ミサト・・・」
「ミサト先生・・・」
その女性、葛城ミサトは辛そうに顔を背けた。
「ごめんなさい。シンジ君はもう、帰って・・・」
そこまで言うと、涙で後が言えなくなってしまった。
その場に倒れ込むミサト。
「イヤァァァァァァ!!!」
悲しい叫びが無機質な廊下にこだました。
悲劇の始まりは、突然訪れた。
シンジが解析し続けてきた物体(D32)が、ある日異常変化した。
その速度はすさまじく、高圧エネルギーもってしても細胞は死ななかった。
「マヤさん、エントリープラグを開けて下さい。」
プラグスーツに身を包んだシンジがそう言った。
「シンジ君、本当に良いの?MAGIの計算によると、成功確率は二五パーセントよ。危険すぎるわ!」
マヤの説得もむなしく、シンジは着実に準備を進めていく。
「マヤさん。僕は、この物体を解析するためにここへきたんです。それに、今これを消さないと大変なことになる。そのためには、エヴァの力を借りるのが一番いいんです。」
そう言って、シンジは紫の巨人を見上げた。
「エヴァンゲリオンか・・・」
エヴァンゲリオンとは、セカンドインパクト時にネルフが開発した戦闘兵器のことである。しかし、それはついには使われることが無く、ネルフの一番深いところに眠っていた。
「シンジ君、今一度、作戦を説明するわ。エヴァ起動後、D32を浄化してみて。もしそれでダメなら、撲滅。良いわね?」
口調はいつもと同じだが、その瞳は幾分心配そうな憂いを讃えていた。
「はい、リツコさん。分かってます。」
そんな彼女に笑いかけるシンジ。彼は、危険を十分承知していた。
「シンジ君・・・」
ミサトも心配そうにシンジを見ている。
「ミサトさん、大丈夫です。じゃあ、行きます!!」
そう言って、シンジの姿はエントリープラグの中に消えていった。
ビービービー
危険信号がけたたましく鳴り響く。
「ダメです!!この細胞、予想以上に繁殖度が高い!一気に焼き尽くします!」
そう言って、手に力を集中させるシンジ。赤い光りが物体を覆う。
ガガガガガガガガ
光りが輝きを増す。しかし、物体も負けずとエヴァに浸食しようとする。
「クッ!ガァァァァァ!!」
僅かずつだが、シンジの力が物体の力を上回る。
「いけるわ!」
ミサトが感嘆の声を漏らす。
その時だった。
「・・・!?・・・」
一瞬、物体の動きが止まった。
「・・・しまった!」
その直後、物体が限りなく分裂し、エヴァに張り付く。
急激に上がるエネルギーを感じ取って、全てを悟った。
「自爆する!?そんな、意志が有ったなんて!!」
モニターを眺めていたリツコが信じられないといった表情で叫ぶ。
キーン
膨れ上がる物体。
「・・・」
その瞬間、エヴァからの緊急通信が入る。
「シ、シンジ君、大丈夫!?」
「・・・ミ、ミサトさん・・・これは僕が殺します・・・レイを、レイをお願い・・・」
「シンジ君?シンジ君!!!」
ババン
もの凄い音がした。あまりの爆音に、しばらくの間、耳鳴りがする。
爆発によって生みだされた衝撃波が、波動となって辺りに飛ぶ。
目の前が真っ黒になり、そして赤く光った。
<センサー、繋がりません。映像、繋がりません>
機械音が、研究室に響く。
「マヤ、シンジ君の生命反応は?」
リツコが叫ぶ。
めまぐるしく指を動かすマヤ。そして沈黙する。
「マヤ!!」
ミサトが駆け寄る。
ゆっくりと首を横に振るマヤ。その眼から、透明の涙がこぼれ落ちる。
慌ててモニターを覗き込むミサト。そこには・・・
<生命反応:ネガティブ。目標:消滅。パイロット:死亡。>
「そ、そんな・・・」
ミサトが放心したように座り込む。
リツコが口を手で押さえる。しかし、押さえても押さえても、嗚咽がこみ上げてくる。
碇シンジの生命は、この日消えた。
爆煙がはれた中、装甲具がはがれ落ちた一体のエヴァが哀れに立っていた。
その瞳からは、何も読みとれなかった。
<二年A組の綾波レイさん。同じく惣流アスカさん。至急、職員室までお越し下さい。繰り返します。二年・・・>
そんな、当たり前の放送が聞こえたのはお昼休みのことだった。
「あれ?アスカ、呼んでるわよ。」
お弁当を食べ始めようとしていたアスカに、ヒカリが声をかける。
「ったく。なんなのよ!もう。」
ブツブツ言いながら立ち上がるアスカ。先に食べてて、とヒカリに伝えて教室を出る。レイも一緒だ。
廊下を渡る間もアスカが不平を言っていた。そんな彼女を、レイが静かに見ている。
ガラガラガラ
「失礼しまぁーす。」
扉を開けた向こうには、休みのはずの担任のミサトが立っていた。
「あれ、ミサト。今日ネルフじゃなかったの?」
「・・・」
ミサトは何も答えない。
そのやつれた顔で、アスカが何かを知る。
「・・・何かあったの?」
俯いていたミサトが、ゆっくりと顔を上げる。
「シンジ君が・・・」
シンジという台詞に敏感に反応する二人。目を見開く。
「シンジがどうしたのよ!!」
「シンジさんが!?」
「シンジ君が死んだわ・・・」
それだけ言うと、再び顔を背けるミサト。涙がこぼれる。
「うそ・・・でしょ?」
「嘘!」
「本当よ・・・」
じんわりとこみ上げてくる涙に視界がぼやけた。
「嘘よ!シンジが、そんな!イヤァァァァァ!!!!」
驚くぐらい大きな声で、アスカは叫んだ。
レイは人形のように表情を止め、呆然と座り込んでいる。
その瞳からは、幾筋もの涙がこぼれ落ちてくる。
「シンジさん・・・そんな・・・約束したのに・・・」
`大丈夫、僕は何処にも行かない。ずっと君の側にいるよ。’
シンジのその言葉が、何度もレフレインした。
「イヤァァァァァ!!!」
レイは、気を失った。
シンジが死んでから、一週間が過ぎようとしていた。
あれっきり、心を閉ざしたレイは、シンジの部屋でじっと座ったまま動かなかった。
ミサトがどんなに話しかけても、眉一つ動かさずに、シンジの服を抱いていた。
無理矢理食べさせようとしては吐き、シンジの服を取り上げようと試みると泣き叫んだ。
レイは、生きた人形になった。
アスカはアスカで部屋に閉じこもったきりだった。
こちらは、ミサトが何か言えば反応した。聞いているかどうかは別として。
彼女も毎日を泣きながら過ごした。
シンジという存在がいかに大きなものだったかを今更になって知ったアスカの頭は、シンジとの記憶で一杯になっていた。シンジの笑顔、シンジの姿、シンジの声・・・
アスカは声を殺して泣いた。
「シンジ君が生きてる!?本当、リツコ!?」
ミサトは連日ネルフに通い通しだった。彼女は、自分を限界にまで追いつめることによって、現実を忘れようとしていた。
シンジがまだ生きていると聞き、リツコに詰め寄るミサト。
「・・・まだ分からないわ。このサルベージ計画は成功したことがないし。MAGIも成功確率は1パーセント以下だと言ってるわ・・・」
リツコもまた、連日、過去の書類をとりつかれたようにあさっていた。
「で、どうすればいいの?どうすればシンジ君が生き返るの!!?」
「彼の意志とエヴァ。私達に出来ることは何もないわ・・・」
「・・・シンちゃん・・・返ってきて!」
ミサトは切に願った。
MAGIが働く中、皆は無言で待った。
リツコとマヤが不眠不休で組み上げたプログラムが作動していく。
スタッフの全員がその様子を見守っていた。
アスカ、そして動かなかったレイもいた。
シンジが生き返るかもしれない、との言葉に反応した二人は、一目散に起きあがった。それからミサトにネルフに連れていってくれるようにせがみ倒した。
`ミサト、連れていってくれないなら私、死ぬから!’
`・・・’
そう、刃物を持った少女二人を拒否できるほど、ミサトは大人ではなかった。
ピーーー
作業が終わった。
皆が一斉にモニターを凝視する。
<生還者:0>
目の前が真っ暗になった。
皆が苦しそうに顔をゆがめる。
レイは微動をだにしない。
アスカも、もう叫ぶ気力がなかった。
そんな彼女らにかけてあげられる言葉は、「何一つ」無かった。
それから五時間が経過した。
スタッフも、一人、また一人去り、最後に残ったのはミサト、リツコ、マヤ、そしてアスカとレイだけだった。
「アスカ・・・」
座っているアスカにミサトが声をかける。
「ミサト・・・私・・・死にたい・・・」
もの凄い勢いで、アスカが机の上のペーパーナイフをつかむ。
それを喉に突き立てようとする。
「アスカ!止めなさい!」
「イヤァ!死なせて!!お願い!!」
パン
大きな音だった。
無力化したみんなの視線の全てが集結する。
赤くなった頬を押さえて座り込むアスカ。
そして、叩いた手を押さえながらアスカを見るレイ。
「レイ・・・」
ミサトが驚き半分、声をかける。
「あなたなんて・・・」
レイの声がうわずる。
「そんな事してシンジさんが喜ぶとでも思うの、あなた・・・」
「・・・」
皆が無言だった。
「シンジィ・・・」
頬を押さえながらアスカが泣き出す。
レイも静かに泣いていた。
「涙は尽きることがないのね・・・」
ピカッ
突然、エヴァの瞳が光った。
「・・・???・・・」
リツコがデータをチェックしようとモニターを付ける。そこには異常なデータが次々と打ち出されていた。
「こ、これは・・・マヤ!グラフを出して!!」
「ハ、ハイ!?」
泣き崩れていたマヤが、咄嗟に言われて驚いたものの、すぐさま行動にでる。
MAGIに何かを打ち込むマヤ。そして、その先には・・・
「まさか、こんな事が・・・先輩!?」
力強く頷くリツコ。
「リツコ!?」
ミサトが不審がって起きてくる。アスカとレイも一緒だ。
「グラフを見なさい。」
「こ、これは・・・!!」
それは確かにシンジのものだった。データによると、プラグの中から有機生命体反応が検出されている。
「まさか!どうやって!!」
「分からないわ。たぶんエヴァが・・・それどころじゃないわ。すぐにエントリープラグを回収して!この様子だと、相当衰弱しているみたいだから。」
アスカとレイには何が何だか分からなかった。一つ確かなのは、シンジが生き返ったと言うこと。
「シンジ、シンジが生き返ったのね!?ホントね!?」
「シンジさん!!」
再び、涙が流れた。
しかし、それはとても暖かい涙だった。
プラグを排出してから十五時間後、シンジの身体は収容された。
「ミサト!シンジに会わせて!!お願い!」
「シンジさんの様子はどうなんですか!お願いします。会わせて下さい!」
そう頼み込むアスカとレイに、ミサトは首を横に振った。
「まだ意識が戻らないそうよ。私も未だ会えないの。エヴァの影響力のうんたらが有って。今、リツコが検査してるわ。」
硬い表情のミサト。意識が戻らない限りは蘇生したとは言えない。
三人は、暗い廊下の前にあるベンチに無言で座った。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
たくさんの言葉が生まれては、すぐ消えた。口からでるのは、ため息ばかり。
マヤを含む、スタッフのメンバーも集まってくる。
「・・・」
誰も何もいない。
柱の時計の秒針が、やけに目についた。
プシュー
研究室の重いドアが開いた。
疲れたような顔をしているリツコが出てくる。
「リツコ!!」
「・・・」
「シンジは!シンジはどうなったの!」
みんなボロボロだった。
服はしわくちゃ、髪は乱れ、眼の下にはくまができていた。
「・・・命の心配は無いわ・・・」
それを聞いて、みんなの口から安堵のため息が流れる。
「良かった・・・本当に良かった・・・」
リツコは依然として、厳しい表情を保っている。
「・・・」
ミサトがそんな彼女を見上げる。
「・・・リツコ・・・?」
「・・・一つ、困った事が起きたわ・・・」
「えっ!」
皆の視線が注目する。
「何なの!?」
ミサトがリツコに詰め寄る。
「・・・自分で確かめたらいいわ。」
ギィィィ
そう言って、リツコは部屋のドアを開けた。
白い部屋に入ってみると、そこには安らかに眠るシンジの姿があった。
「良かった・・・」
静かな寝息が聞こえ、安心するのも束の間、その声は驚きに変わった。
「シンジ・・・!?えっ!」
「シンジさん!?」
「し、シンちゃん!?これって・・・」
そこに寝ていたのは、紛れもなくシンジ。
その髪、その整った顔立ち、そしてその白い皮膚。
しかし、何かが決定的に違った。
「リツコ!これは?」
「見ての通りよ・・・原因不明、打つ手なし。」
お手上げと言ったようにリツコが手を振った。
「シンちゃん・・・」
そう言って、ミサトはベットで眠るシンジを見た。
あどけない顔、そしてレイくらいの身長。
その容姿は、どう見ても二十二とは思えなかった
そう、碇シンジは、若くなっていた。
[continued to SIDE B]