そんなわたくし、私大の理工学部を出て、幾年かの勤め人生活の後、現在はフリーで働きながら医学部合格をめざし、受験勉強をする者であります。
このように自己紹介いたしますと、大概の人はなんでや? と、多少怪訝な、不思議そうな顔をいたしますが、世の中にはサラリーマンを退職をして田舎で農業をはじめたり、コンビニやラーメン屋を起こす人もいるのですから、退職して医師になろうと企てる者がいたとして、どれほどの不思議もございません。
ただ、強いて言うならば、ひとたび社会に出でて、人の世の無常(定まりのないこと。はかないこと。人の死)をしみじみに知るようになったことが一つの理由であるとは申せましょう。生活の為に、あるいはその誠実さのために、自らを省みず身を粉にして働き、やがてはぼろぼろになって退職してゆく…しかもそれがありふれたことであるような有り様を、身近にまざまざと見るようになり、人の世の幸福とはなんであろう、我が身を損ね、人生までを損ねる人々があまた居ることのなんとあはれなことよ…と、切に切に感じ入るようになっただけのことでございます。
概して医学部志望者は、人に語るほどの言葉を持たぬのか、美しい言葉を空々しく感じる故か、それは定かではございませんが、訳を問うても言葉を濁して多くを語らぬことも多いようです。しかし、憐憫の情とは人が人たる所以のものではありますまいか。まいて、19世紀の社会学者の言う通り、人の情が行動のエネルギーとなるのならば、医師の道を目指すのも至極道理の通ったことでございます。