日本18世紀学会発表レジメ 於)立命館大学 2000年6月17日(土)
パリ王立科学アカデミーの終身書記による「有用な科学」イメージの変遷
隠岐さや香 東京大学大学院 日本学術振興会特別研究員
自然科学の存在意義が誰によりどう主張されてきたのか、我々の現代を相対化して捉え直す意味も込めて、そのレトリック及び内実を探る
1.王立科学アカデミーの概観と終身書記の役割について
パリ王立科学アカデミー
1666年創設(コルベールの指揮下)
1699年会則制定
終身書記(secrétaire perpétuel)
ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル(1697-1740在職)
ドルトゥ・ド・メラン(1740-43)
グランジャン・ド・フシー(1743-76)
マリ・ジャン・アントワヌ・ニコラ・ド・カリタ・コンドルセ(1776-94)
『王立科学アカデミー年誌及び論文集』 編集
亡くなった会員についてのエロージュを執筆・公開集会で朗読
『年誌』に掲載された科学学術論文の一般向け解説・評
アカデミーの内政および外交に関する情報を一手に掌握・管理する役割
アカデミーおよびそこで行われている諸科学の営みについてのスポークスマン的存在
2.終身書記による「科学」の表象---「有用性」と「公共の福祉」
科学アカデミー終身書記による科学の表象は当時のフランス社会における科学の言説の中心的な役割を担う
フォントネルにおける「有用な科学」
「数学と自然学(physique)への興味が何の役に立つというのだろうか?〔科学〕アカデミーの仕事はいかなる有用性に由来するものであろうか?これはよくある疑問である…」 (『年誌』(1699),1702、p.iv)
「精神的、哲学的なと表現される有用性」
「幾何学的精神」
→この種の「有用性」では主張として弱い
応用された科学の実利的、機能的な成果を強調
例)天体観測が航海術と地図作製術の発展に果たした重要な役割
優れた測量による水門や運河の設計、砲弾の軌跡の計算
直接有用ではない主題〔例えば曲線や図形についての数学的探求〕についてであっても、常に潜在的に有用性につながりうるので、数学や自然学の探究は奨励されるべき
例)振り子時計に対するサイクロイド曲線の応用
強調の優先順位
航海術、軍事技術、インフラ整備に貢献する直接的な知識
それらに転換しうる可能性を持つ間接的な数学・自然学理論の成果
フォントネルにおける「科学の有用性」
直接有用ではない精神的な価値を持つものへの信用が、実体化されたテクノロジーへの貢献により保証されるという構造
レオミュルの嘆願(1726年頃)
諸科学や技芸、文芸を栄えさせている国家から王国が得られるこのような一般的な有用性の他に、より直接的に王国固有の利益を目的とする諸科学や技芸がある。そのようなものこそが、〔パリ王立科学〕アカデミーの対象となる諸科学である。〔…〕天文学についていえば、商業においてそれがどれだけ有用なものかということが知られている。その天体観測が無ければ、信頼に足る地図は存在しなかったであろう。
会員の半分近くが数学教師や外科医、薬剤師などと兼職状態にあり、十分な時間を研究にさけない。それどころか、赤貧のために死ぬ者もいるくらいなので、働きが報いられることのない科学を志す者は減る一方である。→保証のない身分、予算の不十分、危機的状況の訴え
科学アカデミー及び科学という知の立場の弱さ
(アカデミー・フランセーズに比較しても低い地位、1775年までアカデミシアンの収入を固定、保証する法令は出ず)
(1)諸科学の成果で重要なものは、地図や振り子時計、方位磁針、機械などという人工的な物質そのものとして結実するか、もしくは外科的な解剖の知識や食料となる植物の知識など、自然界の物質についての知識として結実
(2)国家の対外貿易や軍事に物的側面で直接貢献する。ゆえに科学アカデミーは国家から保護を受ける価値のある有用な科学を探究している
コンドルセにおける「有用な科学」
背景
科学の地位向上(→反アカデミーの潮流)
数学における解析の発展
テュルゴーの自由主義的な政治改革とそれへのコミットメント、そして挫折
強調されること
「公共の福祉」(bien public)
「公共の有用性」(utilité publique)
デュアメル・デュ・モンソーへのエロージュ(1782)
芸文の復興以来、医学者を別として、多くの学者達は科学が無用でないことを証明する必要があるときの他は、公共の使用(usage commun)のための科学の応用に従事してこなかった。それに、人々は全ての学者達を、国家の本当の利益の為というよりも栄光の為に役立っているものとして認識していた。この偏見は、科学がより公共のものとなり、よりよく知られることで解消していった。そして、科学が続けて幾世代もの業績で豊かになり、新たな真実の発見は日毎に困難になる一方で、より容易に既に打ち立てられた真実の好ましい応用を行えるようになったとき、我々は科学を実践(pratique)に呼び戻すことに努めなければならなかった。デュアメル氏はその様な時代に生き、〔…〕公共の有用性(utilité publique)に専心することにいささかのためらいも覚えなかった 。
農学者デュアメルは「穀物における通商の自由の根拠について、敢えて主張しさえした」
公共-----市場
E.M.ド・モンティニィ へのエロージュ(1782)
政府が、文化や工業、手工業、商業、公共事業、交通路を設置する手段、税金の形態や配分が生み出しうる効果、法〔…〕などにたずさわる度に、これら操作のための基盤を見いだし得るのは、自然諸科学においてである他ない。だが、これらの科学の原理しか知らない者や、同様に応用しか知らない者は政府に不完全な理性の光しか授けることが出来ない 。
科学の「理性」そのものが行政府の政策に根拠を与えるものとして非常に積極的な役割を帯びる
国家統治それ自体に寄り添うべきものとして科学的知を措定
科学アカデミーにおける分野
「幾何学(数学)、天文学、機械学、化学、解剖学、植物学」(1699)
「幾何学(数学)、天文学、機械学、一般物理、解剖学、化学と冶金学、植物学と農学、自然誌と鉱物学」(1785)
18世紀後半:「化学、冶金学、鉱物学的な知識とスキル」に対する関心の増大(R.Hahn)
しかしそれだけでは見落とされる側面
「人類の幸福を直接の目的にする」知である道徳諸科学(sciences morales)(1782)
道徳諸科学の性質をよく考えてみると、たしかに、自然科学のように事実の観察に基づいているので、以下のことを認めずにはおれないのである。すなわち、道徳諸科学も〔自然科学と〕同じ方法に従い、同様に正確で厳密な言語を獲得し、同程度の確実性に達するに違いないということを。
自然科学と同じ方法論と解析により整備された確率論を応用
法廷の構成や証拠の形式と性質、行方不明者に関する法、公債・保険・対不正所得課税の為の金融操作、人口や富の増減に対する評価等々に関わる諸問題に対応
1780年代の科学アカデミー
不衛生な大病院オテル・デューの移転問題、小麦の公定価格決定問題、人口調査、屠畜場の移転に際する衛生と経済効果の問題、度量衡制定問題など従来にない社会的な問題群へのコミットが激増
政治経済、公衆衛生という社会科学的な問題への関心
3.比較と検討
フォントネル
ルイ14世の宮廷に代表されるような絶対主義体制、及びコルベール的な重商主義政策の理念が政治的言説を形作っていた時代には、科学が「有用である」とは国家の栄光に寄与し、かつ国家に富=貨幣を蓄積させるための対外貿易に役立つことと強く関わっていた。科学の「有用性」の主張とはすなわち、国家により保護されるに足る存在であることの主張でもあった。
コンドルセ
科学の「有用性」を説くレトリックが、「国家の意思決定を逆に保証する知であるものとしての科学」という形式に変質していく。また、統治において「公共の福祉」を達成するには法と伝統の遵守だけではなく、国家から相対的に自律した「社会」=「人口」=「市場」に対する様々な介入、調整が必要になる(生-政治学的な統治へ:フーコー)。そのために特殊な専門的知、体系を為す諸科学、とりわけ道徳政治諸科学が必要。
4.結論
「科学には重商主義と軍事に有用な分野が存在するがゆえに国家に保護されるに相応しい」から「科学は国家経営・社会経済や公衆衛生に有用でありかつ国家の行為に保証を与えうるものである」へ
現実の科学アカデミーでの活動:現代の我々が「社会科学」と呼んでいる領域、具体的には、公衆衛生や財政問題という、それまでのアカデミーになかった政治・経済・社会的問題への積極的な関与
背景:
(1)生-政治学的な統治への指向という政治的文脈の変化
(2)経済発展、自立的な市場と市民社会の成立という社会的文脈の変化
(3)科学的知の地位自体の変化
解析を用いた確率論などで、技術や、道徳政治諸科学など従来からすれば「周辺」の領域を数量的に科学化することが正当とみなされ始める
科学自体が他を保証する権威そのものになり、外部の権威による保証を必要としなくなっていった
歴史的文脈により自然科学の存在を意義づけるものとしての「科学の有用性」の意味が異なってくる
今までの科学技術史において、政治経済思想と科学との文化的な影響関係がまだ十分には取り扱われていない
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