序
現代科学に学問としての基礎付けを与えているのは数字による知の体系--すなわち数学であり、数学は科学の言語といわれている。もちろん、科学と言っても様々な分野があり、理論物理学のように数学が主要な役割を果たすものもあれば、動物生態学のように数学とは直接的関係の薄い分野もある。しかし、数学により生み出された様々な知的ツールが、様々な式や数値を通じて、科学的成果を「実証的である」「信頼するに足る物である」と人々に感じさせるための重要な役割を演じていることも間違いない。
私の関心は「数字」というものを社会の中で人々がどのように捉え、意味付けしてきたかということにある。すなわち、数字を扱う知の体系としての算術なり数学なりが、人々の社会生活に何時から、どのように介入していたのかを問うことにある。すなわち、様々な数学を駆使して、計量(Quantification)--外界の事象、存在を数値化の対象にしようとする多くの試み--が、どのように行われてきたか、ということにある。
たとえば、日常生活で難しい数学に関わる機会を特に持たないような普通の人々でも、確率や統計に類するものには、たとえその理論を知らなくとも、常に接しているといって過言はないだろう。新聞を見れば、温室効果ガス削減の会議場で1パーセントを巡って諸国が紛糾し、テレビ局の番組製作者は視聴率に一喜一憂している。多くの親は子供の体躯や発達が「平均値」より下だと不安に思うだろう。
このように数字は、自然科学の領域に限らず、日常の社会生活にまで入り込んでいる。それは時として、数値の物象化(r司fication)を引き起こし、迷信的な信念を作り上げるまでになってしまう恐ろしさをはらんでいるが、それを充分補うほどの利便性を社会生活にもたらしてもいる。中でもとりわけ、数学の分野の中でも「縁の下の力持ち」的な存在である確率論・統計学の恩恵は大きく、その浸透度は高いといえよう。自然科学の分野のみならず、世界中を覆う経済システムや、政治的な管理に関わる全てが、確率論・統計学といった計量的な思考が無くては成り立たないものになっているのである。
だが、社会現象を記述するために確率論や統計学という数学の理論が用いられること自体は決して自明のことではない。自然科学の分野においてさえも、その前史には自然を数学的に記述することへの懐疑が存在した。ましてや、対象は人間とそれから成る社会である。
こういった、自然現象のみならず、社会現象、更には人間をも数学的、計量的な手段で把握しようとする思想はどこから生まれてきたのか、何故それは可能だったのか。おそらくのその誕生の源は一つではないだろう。しかし、その源流のうちの一つに迫り、それがどのような内実を持っていたのか、どういう条件でそれが誕生したのかを分析する事で答えの一つを導き出すことは出来るだろう。本稿の主題はまさにそうしたところに由来している。
科学史をひもといてみると、「社会や人間を対象にした科学」という壮大な概念が最初に本格的に論じられたのは18世紀後半の西洋ヨーロッパ、とりわけフランスであった。当時は確率・統計の理論もまだまだ発展を途上であったが、途上であるがゆえに人々は新しい理論の発展に希望を託し、社会現象や人間の精神を数学的に記述できる新しい科学を模索したのである。そして、その中心となった人物が、本稿の題目にもなっているコンドルセ(Condorcet)であった。
何故彼はそのような関心を抱いていたのか。一体そこにはどうした時代背景があったのか。彼はどのような科学を夢見たのか。コンドルセの科学思想と新しい科学を作り出そうという彼の試みとは、今でこそ半ば忘れられ、歴史的遺物となってしまったが、今日の我々の時代はそうやって埋もれていった過去の知的遺産の上に成り立っているのである。本稿では、我々が今日当たり前のように抱いている計量化の概念の源流を探る意味で、コンドルセの科学思想について論じていきたいと思う。