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パリ王立科学アカデミーにおける「有用な」科学と国家(1750-89)

 現代社会に住む我々は、諸科学(sciences)の有用性を自明のことと捉え、国家予算が投資されることに違和感を覚えない。だが例えば、ヨーロッパ文化の中心地を自負していた18世紀初頭のフランスにおいても、未だ一般的な科学の知名度は低く、王権による経済的な支援も一貫していなかったという。他方、その一世紀後に目を転じると、近代的な科学の専門家養成機関から教育機関までが一気に整備されてくる。一世紀の内に一体いかなる変化が生じたのであろうか?従来の科学史では、フランス革命後の急激な変化に関心が集中する余り、このような問いはあまり重要視されてこなかった。しかし、近年18世紀が概念・認識論革命の世紀、すなわち「科学的知識」と「科学の対象」の定義をめぐる枠組み全体を再編成した時代であったことが見直されつつあり、改めてもう一度科学の辿ってきた系譜を問い直す必要が生じている。
 申請者の目的は、以上の認識を前提に、当時、近代科学の中心的研究機関であったパリ王立科学アカデミーを事例として、文芸保護の一環としての知であった諸科学が、国家の戦略的なパートナーたりうる対象へと変化していく過程を1750年から革命直前の1789年までにわたって考察・検討することである。
 具体的な研究アプローチとしては以下の3点があげられる。
 まず第一に、当時の学者達が体験出来た境遇のうち最高の部類に入る制度的現実の分析として、王立科学アカデミーにおける諸科学の位置づけとその研究待遇、彼らが築いていた人的ネットワークを分析する。特に、1740年代に成立した砲兵学校、土木学校など各種技術者養成学校との人材交流には着目したい。また、近年、科学アカデミーの制度史的研究が進んではいるが、その多くは17世紀と革命直前期に集中し、1750年〜1780年の時期に関しては多くデータが欠落しているのが事実である。申請者は先行研究を踏まえつつ、諸会員の身分や専門分化の度合い(研究内容の分野的な一貫性など)、外部の諸機関との交流、国家より投入されていた予算の分野別推移などを時系列で比較・検討したいと考えている。
 次に、18世紀後半の科学アカデミーにより行われていた諸科学を当時の社会的文脈に位置付けるため、アカデミーでの科学研究をめぐる言説が当時の知識人階級から成る世論においてどのように受容されていたかを検討する。具体的には、科学アカデミーのスポークスマンであったフシー、コンドルセ、またはダランベールなど影響力を持った学者による科学の有用性や存在意義についてに言説と、彼らの科学観に対抗する批判的なスタンスを取っていたことで著名なルソー、ディドロの言説、そしてマラーなど革命前夜の反アカデミー論などとを比較検討したい。
 上記二つの準備作業を経た上で最後に、王政府の側から諸科学の具体的な研究内容に対してどのような働きかけがあったかを1750年から革命期まで考察する。これを知るための指標として申請者は政府高官や大臣からアカデミーもしくは個々の会員にあてられた書簡を網羅的に調査する予定である。何故なら、科学アカデミーにおける研究活動には、アカデミーを監督する義務のあった国務大臣やその他の政府高官などから直々の推薦書簡を受けた研究論文、各種機械などの審査も含まれていたからである。また委託研究のために委員会を組んだ事例も数多く存在している。申請者が現在手にしているのは大臣からアカデミーにあてた書簡の題名だけを1750年から89年まで大分類した大まかなデータであるが、推薦を受けた諸研究や委託研究のテーマは緯度・経度測定事業、潜水術など軍事・航海技術に関わるものから、上質な毛織物の作成法など産業技術、または公衆衛生や政治経済など社会工学的なものまで多岐にわたり、推薦書簡の数や分野ごとの分布は時代につれ有意のばらつきがある。今後は、これらの書簡や推薦されている具体的な研究内容、その審査結果の傾向などを具体的に読み込み、分析・分類する予定である。その際に、単純な政治決定論にも、政治を無害化するような進歩史観にも陥らないように注意した分析を心がけたい。すなわち、国家の側からの働きかけに対し、相対的ながら自律性を持った諸科学の場がどのように対応し、両者の相互影響のもとで何が生まれたていったかを分析することがここでの目的である。王権と科学アカデミーとの直接の交渉を知る上で貴重な、これらの一時資料を系統的に用いた調査は、申請者により史上初めてなされるものである。全体的にこの部分は非常に膨大な作業となるため、今回の研究プロジェクトの核をなす調査となろう。
 これら3点のアプローチにより、国家の側からの科学、とりわけ数理諸科学に対する期待により、知と権力の布置に関する国家の戦略に本質的な変化が生じていく様子が立体的に浮き彫りにされるはずである。

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