かえるさんレイクサイド (16)



川上から猛烈な臭いが漂ってきた。犬上川がこんな風にすっぱく臭うのは初めてだった。不吉な臭いだった。川沿いのあちこちでかえるたちが立ち止まって話し合っていた。計画とか殺人とか死体とか痴情とか陰謀とか毒とかいう声が聞こえた。


橋の上で赤ランプが回っている。かえるさんが橋のたもとに着くと、ショベルカーが到着したところだった。たくさんのかえるが欄干の上に集まっていた。そのあたりがいちばん臭いがきついのだった。なぜか将棋をさしているかえるもいた。ずいぶん早くから来ているらしかった。昨日の夜からですって、と誰かが言った。


ショベルが川底をさらい始めた。泥が撹拌されて、いっそう臭いが強まった。あちこちから咳が起こった。かえるさんも咳をしながら、急に何かを思い出したような気がした。マスターの顔だ。喫茶かえるだ。マスターが皿をこすっているところだ。「これどっかで嗅いだことないか?」声があがった。かえるさんの顔に寒イボが立った。なぜマスターを思い出すんだろう。マスターのしわざなのか。だとしたらマスターをかばわなければいけない。でもどうやって。「誰やねん、こんなむちゃくちゃしよんのんは」別の声はもっと荒々しかった。かえるさんの寒イボはトゲのようになった。


「あった」ショベルの中を探していた職員が高々と手を挙げた。臭いで涙がにじんだ。目をこすって見上げると、職員が持っていたのは折り包みだった。「ふなずしです」ああっ、というどよめきが起こった。「まだあります。五箱です。腐ってるみたいです」いっせいに議論が始まった。「なんか嗅いだことある思うた」「よそもんやな」「ふなずし知らへんでいっぺんにもろたか買うたかしたんや」「ふなずし腐らすやて」「腐ってるもん、さらに腐らすやて」「あれは腐ってるんやないて」「この土地のもんやったらよ、死んでも食べきる」「もったいないことしよる」「王手や」


かえるさんが喫茶かえるを思い出したのは、ふなずし定食の匂いを思い出したからに違いない。マスターならふなずしは定食に使うに違いない。まだ橋の上の興奮は続いていたが、かえるさんはヘルロードを進んだ。喫茶かえるで何か食べようと思った。マスターにあらぬ疑いをいだいてしまった、せめてものおわびのつもりだった。でも今日はふなずし定食はやめとこう、と思った。





第十七話 | 目次

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