かえるさんレイクサイド (43)



 冬が来た。冬はかえるのものだった。ただし地下では。地上のとんでもないマイナス世界で生きて行けない動物たちの英知は、今年も地下に一大ワールドを作りあげていた。ワールドには散歩道があり、喫茶があり、散歩道があった。世界のほとんどは散歩道なので、かえるさんは今日も散歩をしていた。


 向こうからはたはたと音がした。何かがはためいている音だった。はためいているということは風が動いているということだった。それもかなり激しく動いているということだった。ワールドには入念にシールドがほどこしてあるはずだが、そのワールドに風が吹いているということなら、一大ワールド事件だといえる。前方にはそれらしきものは見えない。はたはたは角を曲がったあたりから来るらしかった。  


 角を曲がると、はたはたはばふばふになった。巨大な布がはためいていた。旗でもなければカーテンでもない。巨大な布としか言いようがなかった。その布の下で、端をぐっとつかんで押さえているのがいた。気配に気づいてこちらを見たその顔は、マスターだった。「あ」とマスターは言ってから、こちらを見たままになった。他に何か言ったのかもしれないが、それはばふばふとしか聞こえなかった。


 かえるさんはもう一方の端を押さえた。布の裏側でぐっとふくらんだ風は四方からごおという音を立てて出て行く。この風はどこから来るのだろう。そもそもなぜこの布が張ってあるのだろう。「ご存じでしたか」とマスターが言ったらしかった。答えを思いつく前にそう言われてかえるさんは驚いた。「あちらにも」とマスターが顔を向けるのでそちらを見ると、布はここだけではなく、通りのあちこちに張ってあった。そしてそのたもとでは、ここと同じように、かえるが布を押さえていた。


 それきりマスターは黙った。風はいっそう強くなった。全身の力を出さなければ押さえきれなかった。かえるさんは全身の力を出した。風は止まなかった。全身の力はいつまで出していられるだろう。手がしびれてきた。しびれた手で出している力は全身の力だろうか。ごおごお言うのはごおごお池のごおごおがえるだろうか。風は止まなかった。


 ふと押さえていた手もとが明るくなった。明るくなったので見上げてみると、布一面が明るくなっていた。マスターがまた「あ」と言った。そこで通りを見ると、通り一面が明るくなっていた。この灯りはどこから来るのだろう。そもそもなぜこの布が張ってあるのだろう。「ご存じでしたか」とマスターが言った。もう誰も布をおさえていなかった。





第四十四話 | 目次





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