copyright (C)2000 chilli |
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■Sun 01, October 2000
正午、渋谷。『無印』などで旅行に必要なものを買い求める。食事をして用賀に寄り帰宅。
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■Mon 02, October 2000
早朝出勤。タクシーで上野へ向かい、京成スカイライナーで成田へ。
『ROYAL』でお茶して、NW0012にて米国大使館主催のツアーでアメリカへ。
エージェントにリクエストしておいたにもかかわらず、ミドルシートの最悪の位置。アジア系女性アテンダントのホスピタリティの無さに愕然とし、ミールもパスしひたすら12時間弱の苦行に耐える。
昼過ぎにデトロイト着。国内線搭乗口へ恐ろしくワイルドなドライブのバスで移動。スモーキング・ブースも無く、空港外へ出て喫煙。
夕刻のNW0430、ミールのピザはイケてた。夜オーランド着。現地ガイドKさんは、勤務先のY嬢にどことなく似ていて、彼女の5年後という感じ。バスで『Windham Garden Resort』へ。部屋は意外に出来がよく満足できそう。ローミングを使ってのネットアクセスでメールチェック後、同僚たちと『Denny's』でステーキなど夜食。
オーランド泊。
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■Tue 03, October 2000
朝食後“Electronic Commerce World”へ。終日出展企業をまわる。終了後、同僚らと合流しシーフードレストランで夕食。
オーランド泊。
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■Wed 04, October 2000
朝食後、コマースの現場を見るという名目で、アメリカ一広いといわれるアウトレット『BELZ』へ。タオルやシャツなど、どちらかというと日用品ばかりを購入し、ハンバーガーの昼食。やはりアメリカは日用品や食品を含めてインフラが本当に安い。最低限のコストで人が生活できることは、健全な社会の基礎条件だろう。振り返って日本を考えると、いったい何に金が出て行くのかというくらい、基礎コストが高い。このオーランドでは家賃がワンベッドルームで5、6万円程度だそうだ。グリーンカードが欲しくなった。
COACHの店にいた日本人女性ふたり組みを、夕食に誘おうと企むも、いつのまにかいなくなってしまった。
いったんホテルに戻りシャワー後、食事をしに行くがどこの店も閉店の時刻。散々歩いたにもかかわらず食事ができる店が見つからず、やむを得ずホテルのバーでビール。
オーランド泊。
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■Thu 05, October 2000
朝食。この3日間のメニューは、シリアル+バナナ、スクランブルエッグ+ソーセージ、パン、フルーツ盛りだくさん。う〜ん、何を食べてもおいしい。幸せ。
1440発のNW0961でメンフィスへ。
1705発のNW0261でサンフランシスコへ。ところが、タキシング中にストップ。エアコン故障で2時間以上機内に閉じ込められる。狭いA320の機内は騒々しいチャイニーズのせいもあり、最悪。ミールはBBQ。
サンフランシスコ着後、バスで『HILTON SAN FRANCISCO & TOWERS』へ。とりあえずホテル裏手のダイナーで食事。
サンフランシスコ泊。
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■Fri 06, October 2000
朝食も摂れずにバスにてシリコンバレーへ企業訪問。途中、サンノゼで昼食。待ちをブラブラしていると、3人の米国人に道を尋ねられる。スーツを着ているアジア人は、ここで働いている人に見えるのだろうか。
夜、ケーブルカーでフィッシャーマンズ・ワーフへ。向こうに見えるピアと“SFPD”のパトロールカーが『ナッシュ・ブリッジス』の世界。もっと別のところで食事をしたかったのだが、あまりの寒さに挫折しベイサイドのレストランに入る。しかし、クラムチャウダーは絶品。ミュニ・メトロでホテルへ。TVをつけるとその『ナッシュ・ブリッジス』。
サンフランシスコ泊。
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■Sat 07, October 2000
朝食後、空港へ。
昼過ぎのNW0027にて成田へ。カウンターで非常口座席を確保できたので、快適。ジェームズ・ボンド似、チャーリー・シーン似、むかし一回だけデートしたRちゃん似などのアテンダントのサービスもは悪くなく、ミールもまあまあ。映画を3本観て、隣席の韓国駐在の米国アーミーと話して眠らずにすごす。しかし、航空機でアイスクリームが出たのははじめて。
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■Sun 08, October 2000
夕刻成田着。トランジットする隣席の兵士君を見送り入国。成田エクスプレスで横浜へ。バスで帰宅。
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■Mon 09, October 2000
正午、桜木町。ランドマークとワールドポーターズなどをまわり、横浜で…。その後、懲りもせずチリなどアメリカン・テイストの食事。
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■Tue 10, October 2000
終日、勤務先で忙しく仕事をする。
営団〜東急経由で桜木町、タクシーで帰宅。
洗濯をして、荷造り。
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■Wed 11, October 2000
1時間ほどの睡眠で、タクシーで羽田へ。高速湾岸線を降りてからの経路が工事で変更されており予想外に時間がかかる。搭乗手続き締切時刻は過ぎていたが、なんとか発券してもらいNH000で福岡へ。非常口座席は確保できなかったが、スクリーン前5席が空席で真ん中を占領。『ROYAL』で朝食後、高速バスで出張先へ。
夜、ウェイクアップ・コールを23時にセットして仮眠のつもりが爆睡。Hへのアメリカ土産は渡せなかった。
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■Thu 12, October 2000
終日出張先で仕事のあと、高速バスで福岡、NH266で羽田へ。いつもの非常口座席。YCATまでリムジンバス、さらに終バスで帰宅。
荷をほどき、そしてまた荷造り。
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■Fri 13, October 2000
1時間ほどの睡眠で、タクシーでYCAT、リムジンバスで成田へ。CITI BANKに手持ちの日本円を入金し、ツアーチェックイン。ボーディングパスを持って一般カウンターに行き、AMCの登録をしてもらう。そして実はこちらが目的のシートアサインのチェンジをお願いする。もちろん非常口座席。
1000発NH909。ほんとうに久しぶりの香港だ。勤務先の会社グループのツアーなのでスケジュールが自由にならないが、私の旅行体験の原点である香港は懐かしい。
ジャンプシート前が確保できて4時間ぐらいならば、エコノミークラスでのフライトも苦行とはならないのかもしれない。
貸切の船で南Y(ラマ)島へ。波が荒くスリリングな航行でテンションが高まる。海鮮料理の席では意図的に隣を空けておくと、願いがかなってエージェント社員で添乗のYさんが…。彼女に遠慮を感じさせぬよう、ホストに徹するためにおおいに飲みかつ食らう。少し酔ったか、帰路の船では雨の中をデッキではしゃぎびしょ濡れに。
昼間外出の約束をしておいた同僚のOちゃん達を誘うため部屋に電話、しかし何度かけてもつながらず、無念にも寝てしまう。
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■Sat 14, October 2000
朝食後、九龍公園で太極拳のレクチャーを受ける。いいかも。11時ころから昨夜コンタクトに失敗したOちゃんを含む総勢10名でディムサム。部屋番号を間違えていたことが判明。午後は地下鉄でセントラルに向かい、同僚ふたりと『Mandarin Oriental』でハイティー。あの頃には感じなかったのに、今はじめてその贅沢さを思い知る。
鯉魚門で前半日程と後半日程に分かれているツアーの合流夕食会。先週アメリカに一緒に行った旅好きの同僚のKちゃんは「ANAはいい」とAMCの会員になったらしい。
バスでピークに。レストランやショッピングセンターなどができ様変わりしたピークだったが、雨上がりでもあり、はじめてピークからの夜景に感激。夜景を背景に添乗のYさんとの写真を撮ってもらう。肩に手をまわすと彼女は抱きついてくれた。夜、飲みに行く約束。
部屋に戻りYさんの部屋に電話。夜景のきれいな高層ホテルのラウンジで飲もうと提案するも、仕事が残っていると丁重に断られる。う〜ん、あれはやっぱり社交辞令なの?
同僚と『Regent』でシャンペンを。マッチを見るといつのまにか“The Four Seasons Hotel”の文字が。しかし、昔と何も変わらぬエレガントさ、優雅ななざわめきと音楽は心を解き放つ。願わくばお互いにエスコートをするお相手が欲しかったが…。
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■Sun 15, October 2000
朝食後チェックアウト。さらに同僚ふたりとPeking Roadのお粥屋さんでブランチ。バスで香港国際空港へ。カウンターで非常口座席をリクエスト。グランドオペレーションはCXか、制服が同じようだったが…。
添乗のYさんに午前中DFSの『Origins』で購入しておいた、“Thumb-ease”とリフレッシュメント・ローションをプレゼントしてバイバイ。この“Thum-ease”は手の親指にはめて肩などのツボをマッサージするスグレもの。
チェク・ラプ・コック空港は非常にきれいで機能的だががらんとしている。ハイブリット版のKIOSKのような公衆電話は14インチの液晶ディスプレイがタッチパネルになっており、EメイルやWEBにも対応するうえにファクス用のスキャナまでついている。ためしに自分宛てにメイルを送信してみる。
1510発NH910、B747-400。妙にハイテンションのアテンダントが何かと気を使ってくれて、快適なジャンプシート前。N宮さん、K良さんありがとう。
横浜からタクシー。文字情報ニュースで康夫ちゃん当選の速報。ナガノは変わる。日本の中で明確に突出した民主主義を実現するだろる。希望に鳥肌が立つ。パラダイムが「カチッ」と音を立ててシフトした。地方銀行も会議所もみんな真剣だった。オリンピックで蹂躙されたナガノの雪辱にひとびとは甘んじることを拒否した。素晴らしい!
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■Mon 16, October 2000
0100時、発信者不明でピッチが鳴る。
勤務先のデスクにはあるひとにプレゼントされたミッキーさんのブックエンドがある。そこには国語辞典、英和辞書、和英辞書、英英辞書と“HI LIFE HI STYLE”がある。いまや長野県知事となった康夫ちゃんの名著だ。ずっと私が自身の考え方の拠り所としてきた著書である。あらためて、当選おめでとう。
深夜、TVKを観ていると『Bloomberg TELEVISION』なる番組をオンエア中。画面を分割しNYダウやNASDAQポイント、為替や債券、スポットニュースなどを表示し、左上部400×300pixくらいでニュース映像を流している。確実にTVは変わっていく。
先週の『BH90210』。最後にデビット君がドナにプロポーズを。高校生の頃からの彼らを想い、もらい泣き。
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■Tue 17, October 2000
さすがに疲れたし部屋もあまりにも汚くなったので休暇。
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■Wed 18, October 2000
帰宅後『BH90210』。あと2回ですべて終わる。自分が体験できなかったいわゆる“青春”ってやつを、必死になって追体験しようとしていたこのドラマともお別れだ。
結局、私の世界の“ケリー・テイラー”は幸せな結婚を得た後、些細なことから私とは音信不通となってしまった。ケリーのようにわがままで、あでやかで、ナイーブで、気の強い彼女は、いまもこのドラマを観つづけているのだろうか。
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■Thu 19, October 2000
勤務先近くの『スタバ』でお茶しながら打合せ。神楽坂の焼肉屋で打合せなど、今日は今後の展開に関する同僚との打合せでアイディアがたくさん出た日だった。
帰宅途中の東海道線で、10年数年前に私が会社をやっていたときに、大変お世話になった方にばったり会ってしまった。随分と不義理をしたので気後れしてしまったが、人とのつながりはやはり一生ものだと痛感。
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