4月 29日(木)

 帰ってきたぜ、「黄色い電車」。


・・・・ふ。

ふっふっふ。


ポチ、大はしゃぎ。 わんわん!


人並みにどきどきなんかしてみて。 みゃあ〜


ベットを占領して、呼吸を部屋にシンクロさせる。


ほら、もう馴染めた。


ココガ トテモ スキ。



ああ、なんで明日は仕事なのよさ。とほほほ・・・。


でも今日は これで良かったのかも。 貴方、少し戸惑ってた。


どうか どうか


“私の居るココ”に、貴方が少しでも早く慣れてくれますように


祈るように

そーっと、そーっと。



・・・そういえば、初めて会った時から1年経ったんだね。
 4月 27日(火)

 その黄色い電車に、初めて乗った。


本来なら 何度も乗っていても不思議ではない路線だったのだけど


知らない風景や駅名を、キョロキョロと

そこから彼の面影を少しでも汲もうとしていたら

ちょっと情けなく、カナシクなってしまったので

その街に着くことは諦めて、途中下車


暫く泣いた



・・・恋の終わりかけた、週末の話


 4月 21日(水)

 ♪ 男の子って、なんで出来てる?
 男の子ってぇ、なんで出来てるっ?

 子犬にカタツムリに子犬のシッポー♪ 


 ♪ 女の子って、なんで出来てる? 
  女の子ってぇ、なんで出来てるっ?

  お砂糖にスパイスに子猫のシッポー♪


・・・って唄、確かマザーグースだったよなあ?


えへへ。

酔っぱらってまーすっ(#^。^#)

ウオッカ、半瓶でーすっ♪ ♪

ぎゃおう。 
 4月 20日(火)

 物ゴコロついたら、独りぼっちだった様な気がする。

母は生まれつき自閉症を病んだ弟の治療に必死で、都内の専門病院・研究所を
駆けずり廻って、いつも疲労しきっていて。
父はそんな現実が嫌だったのか何なのか、次から次へと外に女性を作って
めったに帰宅することはなかった。

帰宅すれば激しい口論と泣く母。
2人の怒鳴り声が怖くて悲しくて。
「ケンカやめて」 と泣いて訴えたけど 「おまえはひっこんでいなさい」と
自室に籠もることを命令された。

今でも男の人の大声や怒鳴り声に、異様に恐怖反応を起こしてしまうのはそのせいか。

小さな子供に与えられた部屋は、贅沢な企画でも何もなく
目の離せない弟を両親の寝室で看たため、単に私一人、家族と離れて夜を
過ごすための部屋になったに過ぎないものだった。

北向きで、いつも空気が乾いていた気がする。
しょっちゅう喉を痛めた。

郊外のマンモス・マンション。
近所付き合いどころの騒ぎでは無かった母の娘が、同じ歳頃の友達など
出来るはずはなくて、字の読み書きをを主体とした一人遊びが年齢の割に
早かったのは、そのせいだったのかもしれない。

何処かなんて覚えていない。
何かの研究所か病院だったのだと、思う。
母と弟と私と3人で遠くの白い建物。

いつも通り母と弟は別室へ。私は待合室。
リノリウム張りの長い長い、誰もいない廊下。
何時間も一人でそこで待つのは、小さな子供の私にはつらいことだったけれど。

「スイミー」という、外国の絵本がそこにあった。
話自体はあまり覚えていないけれど、独特の寂しげな水彩画の魚の群。

その絵本を何回も何回も読み返していたら、ふと。

ワタシハ キット ズット コウイウ ジンセイ ニ チガイナイ

・・・と、確信めいた気持ちになったのをよく覚えている。

小さな子供が、どうして「人生」なんて言葉を知っていたのかは分からない。
ただ、怒りや悲しみとは少し違った・・・体中からスッと力が抜けるような
それでいて妙に冴え冴えと感じたあの瞬間を、今でも鮮明に覚えている。

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両親の離婚自体は、あまりショックなものではなかった。
それよりも、父が弟を引き取ったことによって、やっと母が私だけ見てくれる、かまって
もらえる、という喜びの方が大きかったから。

ところが、そうは問屋が卸さなかった。
生活と子供をいっぺんに抱えることになった母の、苦しみと苛立ちは並ではなかったのだ。

自棄酒から始まる、飲酒からの罵倒と暴力
週末に連絡がつかなくなる外泊
ヒステリーな言動

保護者に保護してもらって安心という精神状態は、ついぞなかった気がする。

そんな生活を5年も続ければ、「歳の割にしっかりしたコ」なんて
簡単に出来上がり、というものだ。
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16歳で、恋をして。

口元についたケチャップから注目してもらえるのは、ただただ幸せだった。

世間の行事ごと(イベント)に私が関われるなんて思いもつかなかった。
出不精な私を連れだしてくれた数々の旅行。

そういう普通な家庭で、親が施してくれるような愛情と視線。
私が唯一願ったのはそれだけだったのだ。

自分が家庭に恵まれなかった分、いつか私自身が家庭を築く時こそは。
信念に近い気持ちで、私は21歳で彼の奥さんになった。


数年の後、夫婦で交わされる夜毎の言い争いと無視の日々。

結局あれほど嫌悪した両親と同じ事を繰り返すことになってしまった私は
自分自身を呪った。
私は本当に恥ずかしい人間で、何の能力も価値もない馬鹿者なのだ。


睡眠薬や各種精神安定剤、医者、カウンセリングの一年はそこから始まった。

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・・・・そんな日々から、ちょうど1年経った。

正直言って、まだ自身の離婚について述べられるほどには、考えも気持ちも
整理されていない。 

まだまだ、振り返って当時の反省も何も出来ない状態なのだ。 残念だけれど。


“シアワセニナリタイ”

“ドンナフウニ?”

“ホゴ シテクレルヒト ニ マモラレタイ”

“アナタハ モウ オトナナンダカラ ソレハ ムリヨ”

“オトナニナンカ ナレナイ。 
ナニモ イチニンマエ デキナイ デキソコナイ ダモノ ワタシハ”

“ジシン ガ ナイノ?”

“ソウ。 ダカラ ダレカニ ノゾマレテ アイサレナケレバ ドコニモ
イバショ ガ ナイ・・・”

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来年の私は、どんな回想をするんだろう?

実のところ、あまり楽観はしていない。


 4月 19日(月)

  微熱のあるアタマで、ぼんやりと思った。


自分や相手の気持ちに自信がないとね

その言葉尻や仕草ひとつひとつが気になって 拘ってしまうけど


結局、大事なのは相手が何を言おうと何をしようと

揺さぶられずに 「私はこう思う。こうしたい」 と

意志をきちんと持つ強さ、なのかなあ?


弱ってると、すぐグラグラしちゃうんだけどね。
 4月 17日(土)

 それにしても

「なんで ママだけ おうちが ちがうの?」には全面降伏だ。


前々から元・主人に頼んでいた子供との面会がイキナリ今日決まって。
尤も、色々事情があって子供と2人きりでは過ごせないし、時間も半日程度が
限界なのだけど。

つまり子供との面会は“元主人と3人で(!)”外出となるわけである。
これでデパートなんて行ったら、誰が離婚した夫婦とその子供なんて思えるか(笑)


2ヶ月ぶりに会えたあの子は、相変わらず小柄で食が細いのが気になるけれど
私の伸びた前髪をすくい上げながら
「おめめ に はいっちゃうねえ。 はーい、これで いいよお」 とか
帰りしな寂しがる私をフォローしつつ慰めてくれるところなんて、すっかり“男の子”だ。 

私の記憶では離れた頃の、赤ちゃんのイメージが強かったんだけど。

生みっぱなし状態で、たまに会う時だけ母親ヅラする私はなんて情けない人間だ、と
いつだって申し訳ない気持ち一杯だけれど、こんなにイイ子に育ててくれている
元・主人とその家族に感謝しなくてはいけないだろう。

ありがとうございます。
こんなに素直なイイ子に育ててくださって。
やはり私一人ではこうは出来なかった。


心から、そうは思っても やはり。


夕方、去っていく車の窓から身じろぎもせず いつまでもいつまでも
私を見ていたあの子の表情が心に焼き付いて。痛くて痛くて。

泣き疲れて眠って、起きたら夜中だった。

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おもむろに、真夜中のカレーを作った。


最近、私にとって「真夜中のカレー」は、悲しいことがあった時の
デフォルトになりつつある。

 4月 16日(金)

(バカだなぁ)と

腕組みして首を傾げたままの姿勢で この想いと戦っている


「ダメだよ、そんな隠れ方じゃ」と

一人ごちてみるものの 声が震えるのは
 

確信があるからだ



折り返してかけた電話の向こう

留守電のアナウンスに隠れている よく知った気配



月の夜 星の朝

電話のベルで 夢から現へ

静かな心で目が覚めた


“もしもし?” と繰り返す私の声を

4度も 5度も 

聞き漏らすまいと


そうして静かに切れた電話


言うべき言葉が見つからない、とばかりに声を殺しても


私を求める あなたの魂を

感じないはずがないのに

 4月 13日(火)

 今日、生まれたての赤ちゃんを抱く機会があって

他人の子は、なんて責任がなく「可愛い」だけで済むことか。

ちょっと感動。


あの子の時は、プレッシャーに押しつぶされそうで 毎日生きた心地

しなかったんだけどな。 残念だったよね。


でも、ちゃーんと腕が覚えてるの。

首から迎えにいって心臓の辺りが耳に来る。

そうそ、この位置。


「イイコ、イイコ。おりこうさんね」

そう抱きユラユラしていたら、気持ちよさそうに寝てしまった。


ほうら

イイコと抱かれれば、赤ちゃんだって大人だって安心して眠れる。


 4月 12日(月)

 ねえねえ。

今日、仕事中に素敵なカップルを見たの。

老夫婦で、旦那さんは車椅子に座っていた。
奥さんはその背を守るように寄り添っていてね。


病気のせいで、旦那さんの方は言葉は理解できない様子だったけれど

奥さんはそんな事何でも無いことのように微笑みながら

ずっと

ずっーと

楽しそうに空模様の話を話しかけていた。



あのねえ、私。


そんな風に貴方と歳をとっていきたかったよ。


 4月 8日(木)

 慣れない職場で四苦八苦したり、バイトを辞めたり、殿とケンカしたり、

アウターズのオフ会に行って失礼な輩をひっぱたいたり、会いたくないって

言ったくせに携帯にまで所在を追いかけてきた意地っ張りな殿が愛しかったり、

会社サボってみたり、1日1食は豆腐だったり、宇田多ヒカルを聴いてMisiaって

唄ヘタだったんだと知ったり、焼酎のお湯割(梅干し入)が妙にお気に入りに

なっていたり・・・・・ 


ああ、なんか疲れたけど(笑)、そんな1週間程だった。

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そう言えばこの一年で私のセックスって、すごい変化を遂げた気がする。


毎日が生き苦しくて、すがるように夢中になれる様な快楽は、痛みを伴うと
一層分かりやすかった。

それは、SMなんて大層なモノじゃなく、痛み→危険本能→私が生きて“居る”現実感を
なんとか味わうための分かりやすい動物的なラインの感覚。

それにセックスに於いての“痛めつける・嬲る”て行為は、ある種とても手間のかかった
“構ってくれている行為”なワケで。

それが単純に嬉しかったり安心に感じられたり。

気力と体力が限界になるまでイケないと、自分の存在自体が危ぶまれるような不安が
いつまでもまとわりついていたし、快楽のカタチは女性特有のゆるいカーブの
ものではなく、とても短時的で鋭利な訪れだった。

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・・・と、ここまで打ち込んで

自分の性について考えを書き出すって、結構大変なのに気が付いた。

疲労著しいので、続きは また明日にでも。


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