ドナティスト、キルクムケリオーネス略年表
311年 カルタゴ司教カエキリアヌスの選出に際する、穏健派と厳格派の紛争。
312年 厳格派による独自のカルタゴ司教の選出。
313年 カルタゴ司教にドナートゥス選出される。
(同時期、コンスタンティヌス帝によってカエキリアヌスの選出は有効とされる。)
314年 アルル公会議(カエキリアヌスを選出した司教に、背教の事実がないとされる)
340年 キルクムケリオーネスと呼ばれる暴徒の反乱に対し、ローマ軍が派遣される。
347年 コンスタンティウス二世の使者に対し反抗したドナティスト聖職者と糾合された暴徒、使者によって鎮圧。
同年 両教会統一令、ドナティスト派聖職者への弾圧。
361年 ユリアヌス帝の即位、ドナティスト派への恩赦。(同時期、ドナティスト聖職者に率いられた暴徒の、カトリック教会、有力者への襲撃おこる。)
363年 アフリカ総督にロマーヌス就任。アウストリアーニ族の反乱。
363年 ウァレンティニアーヌス一世、ウァレンス帝の即位。アフリカ総督ロマーヌス、ドナティストの弾圧開始。
368年 イサウリア族の反乱。
372年 ムーア人首長フィルムスの反乱。ドナティスト、自派の内部分派ロガートゥス派への弾圧と引き替えに彼らを援助。
373年 ドナティスト弾圧勅令、ロマーヌスの総督罷免、拘禁。
376年 ドナティスト弾圧勅令(ドナティストの集会禁止、財産没収)
377年 ドナティスト弾圧勅令(ドナティスト教会財産はカトリック教会へ。ドナティストを庇護した者への財産没収。)
385年頃ムーア人首長ギルド、アフリカ総督に。
388年 マクシムスの反乱。オプタートゥス、タムガディの司教に。ギルドと共同して南ヌミディアに勢力を広げ、暴徒を利用した恐怖政治を展開。
391年 ギルド、帝室に娘を嫁す。"Comes et magister utriusque militiae
per Africam"に。
392年 エウゲニウスの反乱、ギルドはエウゲニウスを援助。
397年 ギルド、西帝国に対し反旗を翻す。タムガディのドナティスト司教オプタートゥス、彼を援助。
398年 ギルドの敗北、死。オプタートゥスの処刑。
同年 カトリック教会への襲撃に対する禁令。
405年 両教会統一令
411年 カルタゴ公会議(カトリックの正当性の再確認。キルクムケリオーネスの運動は押さえられるべきとの言及)
412年 対ドナティスト勅令(ドナティストであることが罪とされ、身分別に罰金が課される。またこの身分の中に、キルクムケリオーネスが一身分として扱われている。)