「香港のお金」 ’00年9月28日
もう少し香港について書きます。
初めはバリとかプーケットとか色々な場所を検討していたのですが、長い休みが取れなくて近い所に少しだけ行って来ようということで香港にしました。
今までに香港なんて考えたことも無かったので、香港が島であるということも知らなかったくらいなのです。
調べてみると、台湾よりももっと南にあって、ひどく暑くて雨の多い所だということでした。
でも、飲茶ができるということで、それを楽しみにして12日から14日まで行って来たのです。
行く前は台風14号が来ていて、行った後は16日17日とひどい雨と雷だったので、「その点では非常に運が良かった」と思っています。
香港に行って初めて経験したことの一つは換金レートについてでした。
これまでのことを考えますと、セブ島ではリゾートホテルの敷地の中ばかりにいて、専用桟橋から海に出てまたリゾートに戻って来るという生活でした。
モルディブでは歩いて7分で一周できる小さなボリフシ島にいましたし、ケアンズではクルーザーで寝泊りしていました。
そんなふうでしたから、これらの国では換金レートについて考えることなどまったく無かったのです。
ですから今回も日本で換金してから行こうと思っていました。
ところが、インターネットで香港の旅行記などをさがして読んでいるうちに、「どうも香港の場合はそんなに単純ではなさそうだ」と考え始めました。
このことに私は非常に興味を持ちましたので、日本ではいっさい換金をしないで香港に行くことにしました。
インターネットで見つけた旅行記のいくつかが、「香港のチムサーチョイ地下鉄駅そばの重慶マンションの奥にある両替商の換金レートが最高に良い」と書いていたからです。
日本では銀行に行くと、香港ドル札を1ドル16円ほどで売ってくれるということでした。
つまり、日本では1万円で625香港ドルにしかならないのです。
けれども、香港空港にある銀行の両替所では686ドルでした。
ここで換金している人もたくさんいました。
そして、その人たちの何人かはすぐに後悔することになったのです。
と言うのも、空港からホテルまでの送迎をしてくれた旅行会社スタッフのリリーがバスの中で換金してくれたレートが703ドルだったからです。
12万円とか13万円をいっぺんに換金している人たちもいました。
ホテルに着くまでの40分ほどの間、バスの中では1万円札と香港ドル札が飛びかっていたのです。
リリーはそれでよほどもうかるらしくて、喜々として両替をしていました。
その理由は重慶マンションに行ってみるとすぐにわかりました。
ごちゃごちゃしたマンション内に幾つもある両替商を見て行くと、その中で一番レートの良い店では731ドルだったからです。
つまり、リリーはバスで換金した1万円札をここに持って来るだけで差額を1400ドルくらい手にすることができたのです。
私たちもこの店で換金して、香港の初日は順調にスタートしたのでした。
けれども、換金レートについての話はこれだけでは終わらないのです。
重慶マンションの入口には、驚くことに568ドルのレートで商売をしている店があったのです。
もちろんこのレートでは誰も換金しませんから、欲に眼がくらんだ間抜けな日本人(私のことです)をペテンにかけてお金を巻き上げるのです。
インチキの方法は実に簡単で、電光掲示板のBUYとSELLの位置が入れ替えてあるだけなのです。
そうすると、SELLの金額がBUYよりも高いのはあたりまえですから、ほかの店よりもレートが良く見えるのです。
2日目の夕方になってから、「念のためにあと1万円だけ両替しておこう」と思い、もう一度重慶マンションに行きました。
ところが、中秋節とかで昨日の店はお休みでした。
それでまたほかの店も見直してみると、マンションの入口に749ドルと驚くほどレートの良い店があったのです。
749の隣で568という数字がふくみ笑いをしながら光っていたことなど私の目には入って来ませんでした。
1万円札を出すと、ガラス窓の向こうにいた若い女はそれをすばやく取って換金証明書の用紙をよこしました。
用紙にサインすると、若い女は小さな額の古い札ばかりを集めてこちらによこすと、すばやく背を向けて電話をしているふりをしたのです。
それでやっとおかしいことに気づきました。
数えてみると札は568ドルしかありませんでした。
考えてみれば、マンションの中にあるほかの店ではレートの数字を電卓で打って見せてくれたものでした。
でも、このインチキな店では若い女は電光掲示板を指さすだけで具体的な数字についてはいっさい見せませんでした。
つまり事実の上では、私が電光掲示板をかってに見誤ったということになるのです。
私が困惑している少しの時間、女は受話器をにぎりしめて背を向けたままでいました。
事の次第が分かってみると、私は苦笑するよりほかありませんでした。
「さあ、お金もできたし、糖朝で夕飯を食べよう」と娘に言うと、私はチムサーチョイの雑踏の中に歩き出しました。