「スターフェリーピア」 ’00年10月3日
「それじゃ、スターフェリーに乗りに行こうか」と、私は言いました。
「えっ、船で向こうまで行ってどうするの?」と、娘の久美子は少し驚いたようでした。
私たちはDFSギャラリアで買い物を済ませて、チムサーチョイの海岸沿いにあるカルチュラルセンター(文化中心)まで歩いて来たところでした。
日本時間の7時半、香港では6時半ですでに陽は海に落ちてすっかり暗くなり、対岸の香港島に林立するビル群にはまばゆいほどの明りが輝いていました。
スターフェリーは九龍半島の突端にあるこのチムサーチョイと香港島のセントラルを結んでいる連絡船でした。
香港島までは泳いでも行けそうなくらいに近かったのですが橋がかかっていませんでしたから、地下鉄を利用するかスターフェリーに乗らなければ行けないのです。
私たちはこのカルチュラルセンターにあるレストランで夕飯を食べて帰ることに決めていました。
ところが、私も久美子も夕飯を食べるような気分にはなれないでいました。
久美子が作ったかんたんな朝食と機内食しか食べていなかった私たちは空腹だったので、重慶マンションでお金を作るとすぐにご飯を食べに糖朝に行ったのです。
午後4時という中途半端な時間でしたが、私たちは点心を思いきり食べてしまいました。
点心は一つ一つは小さくて種類もたくさんありますから、日本語メニューを見ながらあれもこれもともの珍しさにまかせて注文したためにテーブルの上いっぱいにせいろや皿が並んだのでした。
そのために、こうして久美子の後についてあちらこちらと歩き回って来た後なのにいっこうに腹がすかないのでした。
だからと言って、ホテルのしんと静まりかえった小さな部屋にいったん戻るのも嫌でした。
今しばらくはこの心地よいにぎやかさの中にひたっていたかったからです。
カルチュラルセンターを通り過ぎると、そこはもうスターフェリーの乗り場でたくさんの人が思い思いに動き回っていました。
赤いハチマキをした男たちのグループがいたので労働争議でもしているのかと思ったら、男たちはやって来た子供たちと一緒に楽しそうにどこかに行ってしまいました。
中秋節の祭に行ったようでした。
けれども、日本の盆踊りや花火大会とは違って何の音も聞こえなければそれらしいも明りも見えませんでした。
スターフェリーの船には下のデッキと上のデッキがあり、料金が下は1.7ドルなのに上は2.2ドルと少し割高になっているとガイドブックには書いてありました。
ですが、駅の改札口のような入口にまっすぐ行ってみると、そこは2.2ドル専用の入口でした。
下のデッキに行く入口はどこか別の所にあるようでした。
船はごつくてずんぐりとしていました。
けっして遊覧船ではないのです。
地下鉄よりもずっと安く乗れますから、りっぱな通勤船なのです。
上のデッキに乗ったのは私たちのような観光客ばかり20人ほどでした。
当然のことですが、デッキに並んでいる長イスはガラガラに空いていました。
桟橋に停泊している間は多少横揺れしていた船も動き始めてビクトリアハーバーに出ると揺れも無くなりました。
香港島の中央付近にそそり立ち、尖塔を持つ建物はネオンサインのように眼を惑わす照明も無く、きわだって美しい建物でした。
それはまるで神秘的にライトアップされた荘厳な教会のようでした。
後でガイドブックを見ると、ワンチャイにある香港コンベンションセンターということでした。
かん高い警笛が鳴り響いたので急いで周囲を見回すと、小型漁船らしい船が明りをまったくつけずに暗い海面を影のように突っ走って行きました。
どうやら香港の暴走族のようでした。
振り返ると、チムサーチョイのホテル群も香港島に負けないくらいに光り輝いていました。
そして、そこでふと気づいたのは、香港で最も有名な「百万ドルの夜景」鑑賞スポットであるピーク山から見えるのは山のふもとにあるセントラルやワンチャイのビル街の明りではなくて、実はチムサーチョイの街の明りなのだろうということでした。
8分間のナイトクルーズでした。
セントラルの桟橋に船が横付けされると乗客たちはあわただしく船を降りて行きました。
それで私たちもとりあえず列の最後について連絡通路を歩いて行きました。
考えてみれば、これこそが厳密な意味での私たちの香港島への最初の1歩なのでした。
外に出ると、そこはバス乗り場でした。
そこから島のあちらこちらにバスが出ているようでした。
バス停の行き先を読んでみたり、フェリーの改札口付近にある本屋やケーキ屋のショーウインドを眺めたりしました。
その後でまた私たちはチムサーチョイ行きの改札口を通ったのです。
ほんの5分間ほどの香港島滞在でした。
連絡通路を歩きながら、「さあ、スターフェリーに乗って夕飯を食べに行こうか」と、私は久美子に言いました。