「放蕩息子」 ’01年10月29日
今日は風が強くて、紅葉した葉がひっきりなしに舞い落ちる1日でした。
6時頃、私が家に帰ったときに妻はまだ帰っていませんでした。
久美子もどこかに出かけているようでした。
でも、猫たちはすでに夕飯をもらっているみたいですっかり落ちつきはらっていました。
それで、私は人間用の夕飯を作り始めたのです。
豚のバラ肉を使った鍋料理です。
白菜を切っているときに玄関のドアが「バタン!」と鳴りました。
妻が帰って来たのだと私は思いました。
ところが、ドアが開く音はしたのですが、靴を脱ぐ音も「ただいま」という声も聞こえては来ませんでした。
不思議に思ってのぞいてみましたが、やはり誰もそこにはいません。
どうやら、風のせいでドアが開いただけのことのようでした。
玄関のドアは壊れていて2階から強い風が吹き込んだりすると風の力に押されて開いてしまうことがあるのです。
私はそのまま夕飯のしたくを続けました。
したくがひととおり終ると、私はメールの返事を書き始めました。
そのメールは来月にバリ島に旅行に行くという友人からもらったものでした。
メールに書かれた言葉のひとつひとつから楽しさが読みとれて、読むたびに気持ちがはずんで来るメールでした。
メールを書いていると、車が止まる音が聞こえて来ました。
やっと、妻が帰って来たのです。
ところが、妻はなかなか家に入って来ませんでした。
その代わりに、「あらっ!」とか「まあ、どうしたの!」と妻が叫ぶ声が聞こえて来たのです。
そして、ドアが勢い良く開いて、私を呼ぶ妻の声が響きました。
見ると、妻がしっかりと抱えているのはモコでした。
「ドアを開けようとしたら、モコちゃんが大喜びでかけて来たのよ。モコちゃん、外にいたのよ」と、妻は興奮して言いました。
モコが外にいたというのです。
いつ、どこからモコが外に出たのでしょう?
私は急いで2階に上がりました。
2階のガラス戸は閉まったままだし、どこにも外に出た様子はありませんでした。
メリーがびっくりした顔で私を見ていました。
ユキとココは1階にいました。
でも、しし丸がいません。
「しし丸がいない!」と言って、私は外に飛び出しました。
どこから出たのかは分かりませんが、しし丸がモコをまねて外に出たかも知れないのです。
外には出てみましたが、どの方角を見ても猫らしい姿は見えません。
「モコは家の横の方から来たのよ」と言って、妻は家の横手にある月極駐車場を指さしました。
私はしし丸の名をやさしく呼びながら駐車場に入って行きました。
ジャリを踏みながらゆっくりと歩いて行きました。
この駐車場は鋪装されていなくて、地面にジャリがまいてあるだけなのであちらこちらに雑草が生えていました。
でも、駐車場のどこにもしし丸の姿は見えません。
「このまましし丸が見つからなかったら・・・・どうしよう」と、不安な思いが私の胸をよぎりました。
あちこちの電信柱や壁にしし丸の捜索願いのポスターを貼っている私の姿が脳裏に浮かびました。
その時、かすかな鳴き声が聞こえました。
かすかな細い鳴き声でした。
その鳴き声は「ニャアー、ニャアー」とは聞こえなくて、「フニー、フニー」と聞こえました。
かすかな声をたよりにさがして行くと駐車場のフェンスの向こう側、私の家の裏手から聞こえていました。
薄暗闇に眼をこらして見まわすと、家とフェンスの狭い露地のすみで雑草の中に沈んでいる白いかたまりがありました。
そっと持ち上げるとずっしりと重くて暖かくて、それはイノコズチがいっぱいくっついたしし丸でした。
抱きしめるまで、心細くてたまらなくて震えているのがしし丸だとは信じられませんでした。
モコのシッポにくっついて外に出てはみたものの、モコがふいにいなくなってしまったので、おきざりにされたしし丸は途方に暮れて淋しく鳴き続けていたようなのです。
モコは何度も散歩に来ているから平気だったのでしょうが、しし丸は一度も散歩には出たことがありませんから不安で動けなかったようでした。
それにしても、こんな世間知らずのしし丸をほったらかしてさっさと自分だけ帰って来てしまったモコはひどい父親だと思います。
家に入ると、それまで私にしがみついていたしし丸も気持ちがだんだん落ちついて来たようでした。
妻が広げている新聞紙の上にしし丸はわざわざ上がり込み、妻の顔色をうかがいながらゴロンと横になりました。
「こらっ!しし丸、どきなさい。新聞が読めないでしょ」と、妻は叱るのですが、しし丸は聞こえないふりで寝たまま顔を洗い始めたりするのです。
こんなことではしし丸はまともな放蕩息子にはとてもなれそうもありません。
ところで、この画像はデジタルカメラで撮ったものです。
それでこんなに早く画像をUPできたのです。