5月26日(水) 6:30 JR山崎駅集合 7:25 新大阪駅着 出発式 8:00 新大阪駅発(ひかり181 号) 11:15 博多着 11:25 博多発 14:02 浦上着 14:30 平和公園着 記念写真・ 集会 15:15 平和資料館へ 16:30 平和資料館出発 17:00 ホテル着 18:00 夕食・入浴 21:00 聞き取り打ち合わせ 22:30 消灯・就寝 |
5月27日(木) 7:00 起床 7:30 朝食 8:20 ホテル出発 (聞き取りグループ別) 9:00 クラス別ミニ集会と聞き 取り 11:15 班別行動開始 (チェックポイント 出島) 班ごとに昼食 15:30 16番館集合 16:00 クラスごとに写真 17:00 ホテル着 18:00 夕食・入浴 20:30 レクレーションタイム 22:30 消灯・就寝 |
5月28日(金) 6:00 起床 6:30 朝食 7:30 ホテル出発 9:00 ハウステンボス着 (昼食は各自ミールクーポ ンを使用) 12:30 集合 12:50 ハウステンボス発 14:50 博多着 15:27 博多発(のぞみ24号) 17:52 新大阪駅着 18:00 解散式 18:56 新大阪駅発 18:56 JR山崎着 |
(本文と写真は関係ありません)
平和と命の尊さ
A組 T.I.
修学旅行のメインでもある聞き取り学習では、被爆者の方から54年前の、決して忘れてはいけない出来事の話を聞き、あらためて平和の大事さを考えさせられた。講師の方は、私達に一生懸命に、辛くて憎むべき戦争や原爆のこと、平和や命の尊さを話してくれた。私は、一日目に見た資料館の展示や写真と、講師の方の話を重ねると、原爆はとても愚かなものだと思った。長崎のきれいな街並みが、たった一つの原爆でたった一瞬にして廃虚と化し、人々は苦しみながら死んでいったことが、たった54年前に起こったとは、私達が修学旅行で見た長崎の街からは想像がつかなかった。でも、長崎に原爆が投下されたのは事実なのだから、私達はこれからいろんな人に語り継がなければならない。そして、世界中で戦争をしようという国があったら、長崎や広島のことを考えて、54年前の過ちを繰り返さないでほしいと思った。
やっぱり行ってよかった
私は修学旅行に行く前、本当は行きたくないと思っていました。なぜかというと、戦争のことを勉強するばっかりだと思っていたからです。でも、行ってみたらとても楽しかったです。一日目はホテルに着くまではしんどいし、帰りたいと思っていました。ホテルに着いてからは、食事の仕事とかあって忙しかったけど、それなりにおもしろかったです。二日目は、食事係でみんなより少し早く起きました。そして、被爆された人のお話を聞きに、小学校までバスで行きました。お話を聞いていて、あまりリアルじゃなかったので、怖くありませんでした。そのまま班学習に行きました。いろんな場所を歩いたけど、ここに原爆が落ちて、人がいっぱい死んでいたんだなと思うと、信じられませんでした。ホテルに帰ってごはんを食べた後、レクリエーションがありました。私とひろたさんで、音楽を担当しました。30分くらい前からホテルの人と打ち合わせをして、自分の好きな音楽をかけれるので、すごくうれしかったし、楽しかったです。三日目は、ハウステンボスに行きました。すごく広くて、外国の街にいるみたいで楽しかったです。すっごく疲れたけど、普段あまり話さない人と少ししゃべれたし、いい思い出になったと思います。
カゼにも負けず
B組 N.S.
ぼくは修学旅行の前日、カゼをひいて熱を出してしまった。でも修学旅行には行きたかったので、近所の病院で点滴をうってもらって、薬をもらって当日に備えた。そして当日の朝、少ししんどかったが熱はなかったので、迷うことなく山崎駅に向かった。
旅行中は原爆のことについて学んだ。資料館で『黒コゲになった少年』という写真を見て、『一瞬で目の前の人がみんなこんな風になったら、どうするだろう』と思った。二日目のスカイホテルでの下平さんの話では、原爆投下直後の長崎の恐ろしさやひどさなどが感じられ、つい背中に鳥肌が立ってしまった。また、下平さんの『平和を理解するということは、被爆した人の気持ちを理解する』という言葉が、今でも心に残っている。
そんな悲しさとは逆に、三日目のハウステンボスは、かなり楽しかった。友達といろんな土産屋を回って、結局僕はルアーのキーホルダーを買ってしまった。時間が短かったのが残念だが、楽しめたのでよかった。
カゼでのどさえつぶれなかったら、最高の修学旅行になっていたと思う。
印象に残った班行動
B組 A.T.
私が、三日間の中で一番印象に残っているのは、二日目の班行動です。私の班は、初めに浦上天主堂へ行きました。中に入ったら、ステンドグラスがとてもきれいでした。次に行った片足鳥居は、本当に片足で立っていて、原爆は怖いものだと思いました。でも、なんであんなにきれいに半分になったのか不思議でした。出島では、中華街で『びーどろ』を買いました。とてもきれいで、気に入っています。その後、めがね橋、大浦天主堂を回って、グラバー園へ行きました。グラバー邸から見た景色はとてもきれいでした。グラバー園の中には、外にもたくさん建物があったけど、時間が足りなくて、少ししか見学できなくて残念でした。
私は、この一日で長崎の街
を見て、この街がとても気に入りました。五十年以上も前に原爆が落とされたとは思えないくらい、きれいになっていたけど、片足鳥居や平和祈念像は、原爆の恐ろしさをみんなに訴えていると思います。聞き取り学習の時、永野さんは、「平和になるためには、まずみんなが仲良くすることだ」と言っていたし、私は自分ができることで、平和につながるようなことができたらなぁと思いました。私は平和な時代に生まれてきたけど、永野さんが言っていた「この平和はたくさんの犠牲者の上にある」ということを、忘れてはいけないと思いました。
戦争の写真を見て
C組 M.K.
修学旅行で一番印象に残っているのは、やっぱり三日目のハウステンボスです。ハウステンボスでは、時間が足りないくらいでした。時間が少ないのを知っていたから、安心して奥の方まで行けませんでした。だから、手前の方でちょっと遊んで、あとは買い物をしてました。お土産を選んでいたら、自分のがあまり買えなくて、残り1時間で自分のを買いました。それから、中であった友達としゃべっていたら、なんと残り30分、私達は話をやめて、ごはんを食べに行きました。10分ぐらいで食べて、まわりをみながらバスに戻りました。時間が少なかったです。もう少し遊びたかった。
次に印象に残っているのは、二日目の班別学習で行った、
『岡まさはる記念館』でした。そこにあった写真は、日本人が朝鮮人、中国人にしたことが写されていました。私は、ずっと見ていられないくらいヒドかったです。日本兵が朝鮮人の首をのこぎりで切ってる写真がありました。日本人が朝鮮人、中国人にしたことは、本当にヒドイと思いました。もう二度とあんな事が地球上、世界でおきないためにも、全世界の一番えらい人が、みんな仲良しになればいいのにと思いました。そしたら戦争とかしなくてすむのに…。
人の命の大切さを知った
C組 R.K.
修学旅行は、私にとって中学校生活で一番楽しみにしていた行事だった。特に二日目の班行動は、自由行動ができたので楽しく過ごせた。
とてもきれいで印象に残っている浦上天主堂は、ステンドガラスが外からの太陽の光を浴び、天主堂の中はさまざまな色に照らされていた。しかも、その天主堂は、静かでとても落ちつく所で、こんな所で結婚式を挙げたら最高だろうなと思った。
あと一つ心に残った所は、片足鳥居だった。テレビや写真では見たことはあったが、本物を間近で見たのは初めてだった。本当に鳥居は一つの足で、とてもさみしそうで何か訴えるようだった。片足鳥居を離れ、近くにある古い写真屋があった。そこの窓には、原子爆弾が落ちた後の片足鳥居の写真が飾ってあった。その写真は、さっき見た片足鳥居ではなく、しっかりと二本の足で立っていた。その写真の下には、十年後の鳥居の写真も飾ってあり、それは今と同じ片足で立っていた。私は、それをなぜか今も不思議に思う。鳥居は人間と同じで、その爆弾の落ちたときは大丈夫でも、その後からだんだん悪くなっていくのだと私は思った。でも、両足ではなく、片足だけなくしたのは、人々に原子爆弾のおそろしさを知ってもらうためだからだと思う。
修学旅行はとても楽しく、人の命の大切さを考えさせられる旅行だった
もっとゆっくりしたかった
D組 N.I.
聞き取り学習では、たくさんの事を学べたと思います。まず、原爆の事です。森口貢先生の話によると、長崎に投下された原子爆弾は、プルトニウムの爆弾で、熱線、爆風、放射能という三つの被害を出したそうです。誰がこんな物を作ったんだろうと思いました。そしてもう一つは、日本は戦争の被害者でもあり、加害者でもあったという事です。確かに、日本は原爆で多大な被害を受けました。しかし、朝鮮や中国にしたことも忘れてはいけないと思います。日本人が朝鮮人を殺している写真を見て、どうしてこんな事ができたのだろうと思いました。
また、班の自由行動では、時間が足りなく、予定通り行けませんでしたが、楽しかったです。出島では、ちゃんぽんを食べました。思ったよりおいしかったです。それから、出島のおみやげ店では、外国の物がいろいろ売っていました。珍しい物があると思いました。それから、ハウステンボスでも時間が足りなく、一つしか見れませんでした。もう少しゆっくり行きたかったです。
この修学旅行でたくさんの事を学びました。しかし、もっとゆっくりしたかったと思います。
うれしかった出会い
D組 A.S.
私の修学旅行の一番の思い出は、三日目のハウステンボスです。時間は三時間しかなくて、とても短かったけど、ピースメッセージを渡した人と写真を撮ったり、いろんなことを話したり、言葉がわからなくても、身振り手振りで話せば、お互いに少しでもわかりあえることがわかって、うれしかったです。でも、やっぱり時間が短かすぎて、入りたい所に入れなかったのが残念でした。
もう一つ楽しかったことがあります。それは、電車移動やバス移動の時です。普段、あまり話さない人とも話せるようになったし、違う学校の修学旅行生と手を振りあって、振り返してくれた時は、とてもうれしかったし、楽しかったです。
そして、一番印象に残ったのが、原爆資料館と、グループでの聞き取り学習です。小学校の時に行った広島の原爆資料館とは違って、まじめに取り組めたし、見ただけで、原爆の恐ろしさが伝わってきたような気がしました。でも、私的には、グループでの聞き取り学習をしてから資料館に行った方が、もっともっと勉強になっていたかと思います。グループ学習の先生の話を聞いているだけで、色々と想像をして、どんなに恐ろしいことか分かって、その後に本当の写真を見たりした方が、実感がわくし、いいと思います。
色々と大変なこともあったけど、楽しい三日間でした。
戦争の恐ろしさを知った
E組 A.M.
初めの日は雨が降ってちょっと残念だったけど、爆心地や原爆資料館で、戦争のことを少しでも知れてよかった。
二日目、私は中村由一さんに戦争の話を聞きました。その人の話で、私が想っていた以上に、戦争はもっともっと恐ろしいものだということを知らされた。中村さんは、「私が死ぬまでは絶対に戦争はやらせません。」と言いました。私もそうやなと思った。戦争は二度とくりかえしてはいけない。まだまだ戦争のことを知らない人がいっぱいいると思う。だから、一人でも多くの人に戦争の恐ろしさというものを知ってほしい。
班別行動は、全然予定どおりにはいかなかったけど、すごく楽しかった。
三日目のハウステンボスは、ちょっと時間が少なかったと思った。もうちょっと時間がほしかったなぁ―。
私は、修学旅行で実行委員をしてよかったなと思った。修学旅行は、みんなそれぞれ責任をもって行動できたと思う。すごくいい修学旅行でした。
今幸せに生きている事がありがたい
E組 M.Y.
初日の平和集会は雨で、私もみんなも落ちつかないで進行していった。この爆心地周辺では、54年前に、私には想像もできないような恐ろしいことが起こったのだと考えると、すごく恐ろしくなった。自分が今幸せに生きていることが、とてもありがたいことだし、一生懸命生きないといけないと思った。
二日目の聞き取り学習は、12時間も心臓が止まったという中村さんの話を聞いた。中村さんは、部落出身で被爆もした人だった。部落差別のことについても色々話してくれた。人というのは、何で差別をするんだろう。差別の「差」自体があってはいけない、つくってはいけないと思った。
班行動は楽しかった。如己堂に行けなかったのはすごく残念だったけど、それ以外はほとんど回れた。何より、最後まで班全員でいられた事が良かったと思う。グラバー園は海が見えてきれいだったから、もう少しゆっくり見たかった。
実行委員としての感想は、思ったよりもみんながまとまれたと思う。ざわついている時も多かったけど、けが人も、おいていかれる人もなく、けっこう学年全体がんばれたと思ってます。
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