厭世ジジイ
カート・ボネガット・ジュニア
Kurt Vonnegut, Jr.
(著者紹介)
1922年、インディアナ州インディアナポリスに生まれる。アメリカを代表するSF作家であるが本人は「SF作家」というレッテルを貼られるのを嫌っているらしい。
「スローターハウス5」 1969
「猫のゆりかご」 1963 |
「スラップスティック」 1976
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「スローターハウス5」 SLAUGHTERHOUTH-FIVE 1969
伊藤典夫訳 ハヤカワSF302
そういうものだ……
(あらすじ―本書背表紙より)
時の流れの呪縛から解き放たれたビリー・ビルグリムは、自己の生涯を過去から未来へと往来する奇妙な時間旅行者となっていた。大富豪の娘との幸福な結婚生活を送るビリー……UFOに誘拐され、さる肉体は有名女優とトラルファマドール星の動物園に入れられるビリー……そして、第二次世界大戦に従軍した彼はドイツ軍の捕虜となり、連合軍によるドレスデン無差別爆撃を受ける。そして、人生のすべてを一望のもとに眺めるビリーは、その徹底的な無意味さを知りつくすのだった。現代アメリカ文学において、もっともユニークな活躍をつづける作家による不条理な世界の鳥瞰図!(書評:1998-07-05読了)
なんとも不思議な味わいの小説。無我の境地に達してしまっている。「そういうものだ……」といってもなあ本当 に人生は無意味なんだろうか? でも、仮に一生懸命歯をくいしばって生きていたとしても戦争がひとたび始まれば無差別になにもかもが一瞬にして吹き飛ばされてしまう。この本を読み終えた後ディックの「フロリクス8からの友人」をもう一度読みたくなった。達観したボネガットが正しいのか、それともひたすらジタバタあがき続けるディックが正しいのか? ウ〜ム…… やっぱりなんだかんだいいながら結局生きていかなきゃいけないのかな、とディックびいきの私は思う。
「猫のゆりかご」 CAT'S CRADLE 1963
伊藤典夫訳 カバー・和田 誠 ハヤカワSF353
本書には真実はいっさいない
(あらすじ―本書背表紙より)
私の名はジョーナ。いまプエルト・リコ沖のサン・ロレンゾ島にいる。“パパ”モンザーノの専制政治に支配されるこの島で、『世界が終末をむかえた日』の著者となるべき私は、禁断のボコノン教徒となったのだ。“目がまわる、目がまわる”世の中は複雑すぎる。愛するサン・ロレンゾ一の美女モノが、世界中のありとあらゆる水を凍りに変えてしまう<アイス・ナイン>が、柔和な黒人教祖ボコノンが、カリブソを口ずさむわたしのまわりをめぐりはじめる――独自のシニカルなユーモアにみちた文章で定評のある著者が、奇妙な登場人物たちを操り不思議な世界の終末を描いたSF長編。(書評:1998-08-05読了)
ユーモア小説といわれているがどうしようもなく悲しいストーリー。あんまりこういう小説は好きじゃなかったけれどなんとなく心の琴線に触れてしまうところが、「私も年をとったかな?」と感じてしまう。かといって完全に筆者であるボネガットに同意したというわけではない。こういう本を読んで共感するのはそれなりに安定した裕福な社会にいる人間のみではないのか? ハインラインとは別の形だけど良くも悪くもアメリカ的だと思う。
「スラップスティック」 SLAPSTICK 1976
浅倉久志訳 カバー・和田 誠 ハヤカワSF528
イマイチ
(あらすじ―本書背表紙より)
ある日突然どういうわけか地球の重力が強くなり、そこへまた緑死病なる奇病まで現れ出でて世界は無秩序、大混乱! アメリカ合衆国も今や群雄割拠の観を呈し、ミシガン国王やオクラホマ公爵が勝手放題にいばり返っている始末。そしてジャングルと化したマンハッタンのエンパイア・ステート・ビルの廃墟では、史上最後にして最も長身の合衆国大統領が手記を書きつづっている――愚かしくもけなげな人間たちが演ずるドタバタ喜劇、スラップスティックの顛末を……。現代アメリカで最も人気の高い作家カート・ヴォネガットが、鮮やかに描き出す涙と笑いに満ちた傑作長篇。(書評:1999-12-10読了)
かなりSFっぽく、それでいてヴォネガットらしい内容。正直いってイマイチ。「拡大家族」のアイデアが私には全然ピンとこない。「もう孤独じゃない!」っていわれてもねえ…… 嫌いになるほどヴォネガットには悪い印象はないんだけどどうも毎回なんかが引っかかってイマイチしっくりこない。ところで、出版当時(今でも?)ボネガットはアメリカで最も人気のある作家らしいが、それはそれで結構と思いつつ本当にそれでいいのかとも思う。良くも悪くもアメリカ的。