魔法少女と戯れる日々 01-02
2000-01-19


 酒を飲むとがらりと人格が変わってしまい、翌朝なにも覚えていないという人がいる。しかし、鈴木の場合はひどく変わっていた。彼は怒りでカッとなると、その間のことを何もかも忘れてしまうのだった。たいていの場合、相手を完膚なきまでにたたきのめし、気がつくとそのまま地面に転がってしまっているか、どこか他の場所で目を覚ますのだった。子供の頃からそんなことをたびたび繰り返していた。親に連れられて病院に行ったこともあったが、極度なヒステリー状態がなんらかの肉体的・心理的作用をおよぼすのだろう、ということくらいしか医者は結論付けることができなかった。

 カッとなって気を失ったとき前後の状況を彼は今でもよく覚えていた。最初は彼が小学校4年生の時だった。幼なじみの女の子が数人の悪ガキにいじめられていて、止めに入ったところ、顔に石を投げつけられ右眉のあたりがパックリと割れてしまった。今でもその傷は彼の顔に残っている。気がつくと彼は地面に転がっていて、近くで悪ガキどもの泣き叫ぶ声が聞こえていた。彼は全員を子供の背丈でアゴまでぎりぎりにつかるようなヘドロまみれの用水路にたたき落とし、うまいぐあいに鉄の柵をかぶせてそこから這い上がれないようにしていた。

 中学校2年生の時、体育の授業の後、更衣室でクラスのいじめられっ子が不良グループにパンツを脱がされて自慰を強要されていた。彼が止めに入ると、不良たちは彼の周りを取り囲んで蹴りを浴びせてきた。気がつくと彼は保健室に寝ていた。彼に襲いかかった連中は、彼に鼻や前歯を折られて全員救急車で運ばれていた。数日後、先日のお返しとばかりに放課後彼は校舎裏に呼び出され、彼は大勢の男たちに囲まれた。その中の数人は手にナイフを持っていた。気がつくと今度は自分の部屋のベッドに寝ていた。翌朝学校は大変な騒ぎになった。体育倉庫の中で血だらけになった全裸の男たち発見された。男たちの顔は張れあがり爪は全て剥がされていた。当然のことながら、それ以後不良グループは彼に二度と近づくことはなかった。

 いずれの場合も、両親や先生に厳重に注意をされたが、彼から積極的に攻撃をしかけたわけではないので、特に大きな処罰はなされなかった。日常生活において、彼の行動に特に問題はなく、完全に品行方正とまではいかなかったが、成績も良いほうで、先生や生徒の間でのウケは良かった。実際、彼はもともと他人に対して面倒を起こす人間ではなかったし、力を誇示してむやみに暴力をふるう人間でもなかった。正義感が強すぎるために、俺はカッなってああいった行動をしたのだ、と彼は自分を納得させた。しかし、実際はそうではないことに彼は後で気がついた。

 中学を卒業した後、学園生活を楽しみつつも大学受験のことを日々考えなければいけないというようなレベルの高校に彼は進学した。校風は非常に良く、彼を不快にさせる連中は誰もいなかった。彼はそこで、恋をしたりふられたり、テストの成績に一喜一憂したり、クラブ活動に全力を尽くしたり、アルバイトに精を出したり、とごく普通の高校生活を送っていた。

 受験を3ヶ月後に控えた高校3年生の時、模擬試験の帰りに友人たちと喫茶店に入ると、アルバイトの店員が2人組みの人相の悪い男たちにからまれていた。店員は細いスプーンの反対側を鼻に突っ込まれて、大量に出血しながら床にのたうちまわった。男たちが店を出ると、彼は急用を思いだしたといってすぐに店を飛びだし、その男たちの後をつけ始めた。そして、気がつくと彼は最寄の駅のベンチで目を覚ました。次の日、彼はテレビを見て驚いた。街角のゴミ捨て場で半狂乱になった男たちが発見されたという。男たちはアゴや手足の関節を何者かに砕かれ、全身を何重にもテープで巻かれてダンボール箱の中に閉じ込められていた。異常に気がついた係員が中を調べたからよかったものの、ヘタをすれば回収されたゴミと一緒に埋めたてられるところだったという。

 この一件があってから、彼は自分の暴力的衝動をはっきりと認識し始めた。暴力を純粋に求めている悪魔のような自分が、彼の心の中に存在していることに彼は気づいた。そうでなければわざわざ男たちをつけまわしたりはしない。子供の頃から常に彼は獲物を探し求めていたのである。ズタボロにしてもいいような連中を。もちろん彼に正義感が全くないというわけではない。しかし、正義感はそれを自分の心の中で倫理的に正当化する大義名分にすぎなかった。力の弱いものが強いものにいたぶられていたり、圧倒的に力の差のあるものが彼に襲いかかったりするとき、彼の体内に異様な快感が満ち溢れて全身に鳥肌がたっていたことを、彼はじっくりと思い起こした。それこそがまさに、彼の心の中の何かを開放する鍵だった。悪意ある暴力が彼の悪意ある何かを解き放ち、そして彼は思う存分暴れまわって気を失ってしまうのだった。

 ゴミ捨て場の一件があったその日を境に、彼の行動は今までよりも明らかにエスカレートした。受験勉強で精神的に不安定な時期だったのかもしれない。彼はムシャクシャしてくると気分を晴らすために夜の街を意味もなく徘徊するようになった。思わぬところで翌朝目覚めたりすることは度々あったが、誰が彼の犠牲者になったのか彼には全くわからなかった。おそらく永久にわかることはないだろう。記憶は完全に失われていた。そんなことを続けているうちに、いつか近い将来俺は本当に気が狂ってしまうのではないか、と彼は恐怖を感じた。しかし、それを止めることはできなかった。邪悪な快楽にはまりこみ、そこから徐々に彼は抜け出せないようになってしまっていた。

「イテテテ……」
 
 鈍い痛みを感じ鈴木はうめき声をあげた。彼の隣で寝ている和美が寝返りをうって、彼女の肘がわき腹にある大きな痣を押しつけたのだった。彼の全身は昨夜の乱闘で痣だらけであり、ところどころがひどく痛んだ。

「ゴメン、痛かった?」

 和美は鈴木の耳元でそう囁きながらその部分をやさしく指でなぜ始めた。痛みはすぐに収まって、変わりにくすぐったいような感覚が彼の全身に広がった。彼女はもう少しお互いが楽な体勢になるように、少し身体をずらして彼に寄りかかった。彼の部屋のシングルベッドは2人で寝るにはいつも狭すぎた。

「今何時だ?」
 
 鈴木は眠そうにつぶやいた。

「え〜と…… あら大変、もうこんな時間じゃない!」

 和美は鈴木の机の上にある時計に目を凝らすと少し大きな声をあげた。時計の針は11時を過ぎていた。

「飛行機何時だった?」

「確か3時だったと思うけど……」

「まだ時間はあるじゃないか……」
 
 鈴木は和美を抱き寄せようとした。

「ちょ、ちょっと…… 私もう起きなきゃ」

 和美は鈴木を優しく拒むと、ベッドの上で起きあがった。

「なんだよ…… 別にまだそんなに急ぐことないじゃないか。海外旅行をするわけでもないし……」

「けっこう私そういうことに神経質なの」

 和美はそういうと、鈴木の額に軽くキスをして、裸のままで浴室に向かった。彼の目には彼女の白い背中が映った。

 高校3年生の時、自分の心の中に潜む暴力性に歯止めが利かなくなっていた鈴木だったが、彼が恐れた最悪の事態は訪れなかった。幸いなことに、彼は志望していた大学に一発で合格し、それまで彼を押し潰していた受験というストレスから解放されたからか、獲物を探す狩人のごとく街をうろつくことは次第におさまった。もっとも、浪人生活の苦渋を味わっていたら状況はどうなっていたか彼にはわからなかったが。

 鈴木の大学は超一流とはいえなかったが全国的にそれなりに名の通った私立大学だった。一般的な大学生と同様に、彼も本業である勉学を完全におろそかにして、アルバイトと遊びに全力を尽くした。彼は学内でも最も軟派と噂されるテニスサークルに所属した。彼は中高とテニス部に所属して全国的な大会で優秀な成績を残すほどだったので、テニスに関してはかなりの自身があったし、また、もともと長身で端正な顔立ちをしていたので、彼はサークル内ですぐに目立つ存在になった。当然のことながら、サークルの仲間たちと精力的に合コンを主催したり参加して、学内外を問わず様々な女の子と刹那的に楽しんだ。大学生生活はおおむね平安なものだった。大学生活を通して記憶を失うほどに大暴れしたのは、大学2年生の頃、タチの悪い連中にクラブでからまれた時のただ一度だけだった。

 二人が最初に会ったのは、学生生活も終りに差しかかった大学4年目の秋だった。テーブルの隅でキョロキョロしている彼女を見て彼は一目で気に入った。彼は彼女に積極的に話しかけた。彼女は地方から上京してきた大学1年生で合コンに来たのは始めてだという。鈴木は一度怒らせればメチャクチャに暴れる男という噂がたっていたためか、彼女の彼にたいする態度は最初固かったが、話しを続けるうちに徐々に彼女は彼に笑顔を見せるようになった。就職活動を経験し終えたということもあったのかもしれない、彼の見かけはまだまだ若々しかったが、その時の彼には落ちついた大人っぽい雰囲気が備わっていた。彼女はもともと穏やかな人柄で、落ちついた雰囲気の男性が好きだった。お互いちょうどいいタイミングだったのかもしれない。彼らはお互いに引かれ合うようになった。

 鈴木と和美はそれからもうかれこれ3年くらいのつきあいになっていた。飽きやすい鈴木にしては、和美は今までで一番長く関係が続いている女性だった。

「来年の夏こそは絶対ウチにおいでよ。浩ちゃんだったらいつでも大歓迎よ。なにか特別ワクワクするってことはないけれど、海と山があって夏はとってもいい感じなんだから」

 和美はバスタオルで髪の毛をふいていた。シャワーを浴びて彼女の肌は健康的に赤く上気していた。鈴木の名前は浩一なので、彼はいつも彼女に浩ちゃんと呼ばれていた。また、和美には今本という姓があったが、彼はいつも彼女のことを和美と呼び捨てにしていた。

「ああ…… 来年こそはな……」

鈴木はぼんやりと答えたが、同じ言葉を去年の夏にもいったことを思い出した。和美はまだ大学生で、休みを利用して実家に帰る頃になると、いつも彼を実家に来るように誘うのだった。

 2人は2年以上もこの部屋で一緒に生活を続けていた。付き合い始めて3ヶ月くらいたった頃から、和美は大学に近いからといって彼の部屋に四六時中寝止まりするようになり、それから一年後くらいに、とうとう彼女は自分のアパートを引き払ってしまっのだ。彼女の親はそのことをとっくに知っていたし、それでも彼にたいしても非常に好意的なようなので、彼女の実家に顔を出すことは何も問題なかったのだが、なんとなく去年も今年もふんぎりがつかなかったのだった。

「毎年毎年、来年こそっていうけど、いつになったら本当に来るのよ…… 別にウチで浩ちゃんを煮て焼いて食べちゃおうってわけじゃないんだから……」

 和美はベッドに寝転んだままの鈴木に冗談っぽく少し口をとがらせた。

「来年こそは絶対に行くって……」

「ほんとに?」

「ああ……」

「絶対に?」

「約束する」

「なんかそんなこと去年もいったような気がするけど……」

 和美はちょっとあきらめたような顔をした。
 
 来年こそは行ってあいさつしなければならないだろうな、と鈴木は心の中でじっと考えた。この3年間彼は和美と毎日のように顔を合わせているが、彼女との生活は穏やかそのものであり、彼は非常に満足していた。和美が実際にどう思っているのか彼にはよくわからなかったが、この先一緒に生活を続けてお互いが後悔することになるという可能性は全くなさそうだった。男としてそろそろ決断しなければならないだろう、と彼は最近考えていた。あとはその決断をいつどのようにするかということが問題だった。


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