魔法少女と戯れる日々 02-01
2000-01-27
次の日は晴れわたっていて、朝だというのにとてつもなく暑苦しかった。いったい毎日どこから人がわいてくるのか、鈴木は朝の通勤電車の中で窒息しそうになりながら、都心にある会社に向かった。もう3年間もこの列車を利用しているが、この毎朝約2時間の通勤だけは慣れることができなかった。
鈴木がオフィスに入るとネクタイを外して無償髭を生やした山形の巨体が目に入った。昨夜はどうやら会社に泊まりこんだようだ。
「よお、鈴木。昨日は最悪だったぜ。日曜日の終電直前に大きなバグが発見されてな。結局ついさっきなんとか終わらせたよ」
「それは大変だったな。じゃあ今日はもう帰ったほうがいいんじゃないのか? いいだろうそれくらい。かなり長い間そんな状態が続いているんだからな」
「いや、今日担当営業がお客さんに見せにいくから、なにはともあれオフィスに待機していてくれと、岩崎部長に頼まれているんだ。寿主任はさっき帰宅したから、今回のシステムに関してかなり詳しくテクニカルなことを説明できるのは今俺しかいない」
「かといって、山形がオフィスにいたって、何か直接できるということはないだろう? 主任みたいに帰ったほうがいいと俺は思うぜ」
「社運をかけたプロジェクトだから、上のほうは神経質になっているのさ。何はともあれ会社はお客さん第一だからな。お前だって担当営業だったら俺か主任にオフィスにいてほしいと思うはずだぜ」
「まあ、確かにそうだが……」
「とりあえず、今日は何事もなくオフィスでゆったりさせてもらいたいもんだ。おっと、そろそろ月曜の朝礼が始まるぜ」
時計を見るとそろそろ月曜の朝礼が始まる時間だった。鈴木は早足で自分のデスクに向かった。
朝礼はいつものしらけたムードだった。上役連中が最近の時事問題を交えながら結局最後は精神論に終始するというおきまりのスピーチに鈴木を含め一般社員はうんざりしていた。
「それでは今週の当番に何か一言いってもらおうか。今週の当番は開発の田中くんだな。田中くん、前に出るように」
上役のくだらないスピーチの後に一般社員の中で一人当番がスピーチを行うというのが月曜の朝礼の決まりになっていた。今週の当番は田中らしかったが上役の一人に名前を呼ばれても田中は前に現れなかった。そういえば駅や電車の中で田中の姿は見当たらなかったなと鈴木は思い起こした。
「田中くん! なんだいないのかね? 欠席の連絡もないのか?」
どうやら欠席の連絡はなかったようだった。上役連中はいらだちオフィスの中に雰囲気の悪い沈黙が流れた。
「だったら田中くんの代わりに誰か他のものにやってもらおうか……」
上役の一人がそういったとき、小柄な青年が前に飛び出してきた。
「すっ、すいません! 田中です! 遅れました!」
田中の顔色はいつもより悪かった。おそらく二日酔いで寝過ごしたのだろう。
上役連中のネチネチとしたお説教を田中がくらったので朝礼は普段より長びいた。
月曜の朝から無駄な時間をとりやがってといらだたしく思いながら、鈴木は朝礼が終わるとすぐに自分の仕事を始めた。メールをチェック、スケジュールの再確認、得意先への電話…… 今日は昼過ぎに客先に訪問する予定になっていたので、鈴木は昼休みの間に会社をでて客先に向かった。
ここまではたいして変わりばえしないごく普通の一日だった。しかし、鈴木が会社に帰ってくるとオフィスの様子は一転していた。オフィス内はひどくいらだった声に満ち、開発部の連中があわただしく動き回っていた。
その中で田中はポツンととり残されたように自分のデスクで一人シクシクと涙を流していた。
「どうした? 何かあったのか?」
気になったので鈴木は田中に話しかけた。
「いや…… も、申し訳ありません……」
「オイ、申し訳ありませんって…… 俺は何もわからんぞ」
「ウイルスです…… 僕が社内中に感染させてしまいました」
「なんだと! メールで誰かから送られてきたのか? それとも、変なソフトでも実行したのか?」
「昨日コミケで友達からもらったソフトを会社のパソコンで実行してしまいまして……」
「まったく、よくやってくれたもんだぜ……」
鈴木が大急ぎで営業のセクションに向かった。そこで開発部スタッフの一人がパソコンを一つ一つチェックしていた。
「いったいどんなウイルスなんだ?」
「魔法少女ウイルスとでもいうのかなあ…… 僕が口で説明するよりも実物を見たほうが早いよ」
そういいながら開発部スタッフはパソコンの画面を指さした。
「魔法少女って? 別に問題なさそうじゃないか」
鈴木はコンピューターの画面に注目したが別に異常は見うけられなかった。
「まあちょっと待ってみてよ、しばらくするとね……」
突然コンピューターの画面が青くなり魔法少女が浮かび上がった。それは昨日田中の部屋で見た魔法少女ミモだった。ミモは口をパクパクと動かしながら画面を前後左右上下にチョコチョコと動き回った。
「なんだこれ? スクリーンセイバーじゃないのか?」
「いや、スクリーンセイバーじゃないんだよ。これが起動している間、何も手だしができなくなるんだ。強制終了のキーもきかない」
開発部スタッフはそういいながらキーボードを打ちこんだりマウスを左右に軽く移動させてみた。
「何か喋っているのか? もっともこのマシーンにスピーカーはついていないけどな」
「さっき別のマシーンで調べてみたけど、特に音は出していないみたいだったよ」
そういっている間に30秒ほどたつと画面は元に戻った。
「えっ? 魔法少女ウイルスってこれだけなのか? スクリーンセイバーみたいに画面を動き回っている間、ハードディスク内のデータを消去したりとか……」
「いや、運のいいことに、そんな大きなトラブルは今のところ発生していないみたいなんだ。嘘みたいな話だけど、本当にただこれだけだよ。かわいい魔法使いの女の子が、数分おきに30秒くらい仕事をじゃまするだけで、他はこれといって特に害はなし。確かにうっとおしいけど……」
「それを聞いて少し安心したぜ。最悪のケースだけはまぬがれたようだな」
鈴木はわざとらしくホッと一息ついた。
「でも伝染性が超強力なんだよ。恐ろしいスピードでネットワーク経由で感染していくんだ。こんなウイルス聞いたことないよ。それに、ここだけの話だけど、どうやら客先でも発生しているらしいんだ。実際何がどうなっているのかは、今みんなで調査しているところだけど……」
「客先でも発生しているって! オイッ、それって……?」
鈴木の顔はひきつった。
「メチャメチャまずいよ。ここからどんどん外部に広がっていったってことだからね。ウチみたいな小規模な会社ならまだいいけど、24時間重要な業務を行っているところには確実に大きな問題が発生するよ。このままいったら世界中が大騒ぎになって、確実に警察沙汰か裁判沙汰になるね。僕としては人命にかかわる何か大きなトラブルが発生しないことを祈るだけだよ。まったく……」
開発部スタッフは肩を落した。鈴木も彼同様に今後のことを考えると気分が暗くなった。
「ところで、いつ頃からこのウイルス騒ぎは始まったんだ?」
「さあ、4時くらいかなあ? まず田中がこれを自分のマシーンで実行して、すぐにオフィス全体が大騒ぎになって…… 確か第一発見者は鬼塚課長だったと思う……」
鬼塚課長というのは鈴木の上司であり、コワモテで押しが強いことで知られていた。
「ウイルスの出所が田中だとわかると課長は怒り狂ってねえ…… 課長に田中が袋叩きにされるところをなんとか山形がなだめたんだよ」
「さっき見たけど、田中まだ泣いていたぜ」
鈴木は横目で鬼塚課長を見てみたが、課長は憮然とした表情で画面の魔法少女に向かってブツクサといっていた。
「朝遅刻でガツンとやられて午後もこれだもんね。おまけに気も弱いし…… でも、田中のおかげでこの状態なんだから、なんともいえないよ。泣いて済む問題じゃないし、無事にこのトラブルを乗りきったとしても、田中はウチにいられなくなるだろうね」
「確かにお前のいう通り、フォローのしようがないな。とはいっても、辞める前に田中には責任を持ってこの騒ぎをなんとかしてもらわんといけないな。俺たちの生活だってかかっているんだ……」
「でも、このウイルスの一件に関して、未熟な田中に何かをやらせると状況がどんどんややこしくなるかもしれないから、田中はこの騒ぎが落ちつくまで何もせずデスクに座っておけ、といわれているんだ」
「ヤレヤレ、もうどうしようもないな……」
「まったくだよ…… しかし鈴木くん、君はラッキーだったね。自分のノートパソコンを持って客先に出向いていたんだから
「何がどうラッキーなんだよ。感染を免れたのは確かだが、社内すべてがウイルスに感染しているんだったら、どっちみち俺は仕事にならないぜ」
鈴木は少し口をとがらせた。
「それもそうだね…… そうそうそれから、感染するからくれぐれもネットワークには接続しないようにね」
「そんなことはいわれなくてもわかっているよ……」
「じゃっ、そろそろ僕は別のセクションのマシーンをチェックするよ……」
開発部スタッフが別のセクションに行ってしまうと、鈴木は自分のデスクに腰を下ろした。そして、何もできないことはわかっていたが、とりあえず自分のノートパソコンを起動させた。
「おっ、おい! ウソだろ!」
パソコンが起動すると鈴木は息をのんだ。魔法少女ミモが画面から彼に向かってほほえみかけていたのである。
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