魔法少女と戯れる日々 02-05
2000-05-28
夜だというのに気温はいっこうに下がらなかった。鈴木は蒸せかえるような暑さの中を不機嫌そうに歩いていた。背中は汗でびっしょりと濡れていた。
「いったい、あれはなんだったんたんだ……」
鈴木は何度も何度も先ほどの幻覚に考えをめぐらせた。怪物が出ましたといって警察に通報するのがいいのだろうか。いや、仮に連絡したとしても狂人と思われるのがオチだろう。オフィスにはおそらく何も異常がないのだから。
だが、鈴木にはオフィスで起こった出来事がただの幻覚ではない確信があった。その証拠に、血も流れていないし痛みも感じないが、鎧姿の男に握りつぶされた左肩を動かすことはできなかった。その部分は肉と骨が飛び出てひどい状態のはずだ。ただちに医者に行くべきなのかもしれない。しかし、服をぬいで左肩を確かめる気にはなれなかった。なによりもまず、一杯飲まないことには気が収まらなかった。
ちょうどそのとき、日本酒の自動販売機が鈴木の目に入った。ビールではなにか物足りない気がする。日本酒はこの状況にうってつけだった。
左手が全く動かせないので、もたつきながらポケットから財布を取り出し、鈴木は自動販売機に次々と金を入れた。
「いっそ死んでやる!」
そう叫ぶと、彼は日本酒のカップを5本一気に飲みを始めた。途中、何度も苦しそうにむせかえったが、ものの数分で空のカップが5つ歩道に転がった。
「クソッ…… まだ足りねえ……」
酒に強いほうとはいえ、これだけ日本酒を一気に飲んでしまうと、自分の命にかかわることくらい百も承知だった。しかし、今の彼はそんなことをかまってはいなかった。
もう一度自動販売機に金を入れようとした時、学生服を着た4〜5人の少年たちが、バカにしたように笑いながら、自分を指さしているのに鈴木は気づいた。
「なに見てやがる!」
彼が怒鳴り声をあげると、わざとらしいひやかすような奇声をあげながら少年たちはすぐにその場を走り去った。
少年たちの後姿を見ながら、ふと彼は、子供の頃、真っ昼間に日本酒の自動販売機の前で一気飲みをしているヨレヨレのスーツ姿の男を見かけたことを思い出した。どういう理由があったのかはわからないが、その男はおそらくアルコール中毒だったのだろう。子供心にあんな大人に俺はなりたくないと、自分自身が思ったことを鈴木は覚えていた。ひょっとしたら、彼はその時、そんなアルコール中毒の男を笑いながら指さしていたのかもしれない。
しかし、今その立場は逆転しまっていた。彼自身があざけるように笑われ、指をさされていたのだ。
「俺はいったいどうしたんだ。酒に逃げている場合じゃないぞ……」
酔いが回り全身がフワフワとし始めていたが、鈴木はなんともやりきれない気分になった。彼は心の中でしばらく冷静になるように努め、そして、歩道に転がっているカップの一つを、道路の溝に向けて蹴り飛ばした。
「よ〜し! オフィスに戻ってやるか! 怪物がなんだっていうんだ!」
鈴木は決心した。酒の勢いもあってか、一度オフィスに戻ることを決心してしまえば、今までどうして自分はヤケ酒をあおっていたのかひどく不思議に感じるくらい、身体の中に勇気がわいてきた。また、怪物であろうと鎧姿の戦士であろうと、彼は正面から戦いを挑むつもりだった。
「なにわけのわからねえこといってやがる!」
オフィスに足を向けようとした瞬間、何者かが彼の後頭部をつかみ、彼の顔面を自動販売機にたたきつけた。販売機の透明なプラスティック部分には、バリッという音とともにひびがはいった。
「ウウッ……」
突然食らった不意打ちに、鈴木はひざから崩れ落ちた。
「オラ! おねんねすんのは、まだ早いぞ!」
奇襲の相手は間髪を入れずに、歩道にくずれた鈴木の側頭部に情け容赦のないひざ蹴りをくらわせた。鈴木の身体は激しく背中から地面に転がった。
すると、一斉に数人の男が鈴木につかみかかり、彼を人通りのほとんどない薄暗く狭い路地裏に連れ込んだ。
「オイ! 誰もこないようにちゃんと見張っていろよ!」
「ちゃんと見張っているよ。だ〜れも気づいていないぜ」
用意のいいことに路地裏への曲がり角にはすでに見張りが立っていた。
「それじゃたっぷりといたぶってやるか。お前らしっかりとつかまえておけよ」
男はニヤリと残虐な笑いを浮かべた。鈴木にひざ蹴りをくらわせたのは大柄なデブで、ボールペンで書いたような細い目をしていた。鈴木には身に覚えのない顔だった。
「オイ、そこのデブ! お前いったい誰だ! 覚悟しやがれよ!」
二人の男に両方から挟まれて身動きがとれないまま鈴木はじたばたともがいた。
「さあて、誰が一番始めにこのウザイ野郎をぶっとばす?」
「最初は俺にやらせろ!」
一人の男が名乗りでた。その男は金曜日の夜に鈴木がたたきのめした鼻ピアスの男だった。鈴木にちぎられた鼻には、ピアスではなく、その代わりにバンソウコウが貼られていた。
見張りをあわせて、男たちは全員で五人、金曜日に居酒屋にいたメンバーに、腕っぷしの強い大柄なデブが加わったようだった。
バンソウコウ男は鈴木に向けて拳をふりあげた。
さっさと殴りやがれ…… ギタギタにしてやる……
鈴木はそう心の中でつぶやいた。男のパンチが鈴木の顔面をまさにとらえようとした瞬間、彼の意識は遠のいた。いつもの暴力的衝動が覚醒してしまったのだ。
バンソウコウ男は全体重をのせて鈴木の顔面に拳をたたきつけたが、ベシャリというやわらかい違和感を拳に感じた。
「何だこりゃ? ギャッ!」
拳にある赤いものを見て男は大声をあげた。そこには血にまみれた鈴木の鼻がこびりついていたのである。鈴木の顔の中央はズルリとむけて血と肉片がしたたり落ちていた。
「ワワワ…… こっ、これはいったい…… こいつ変な病気でも持っているのか? オッ、オイッ、冗談じゃないぜ!」
「グオオオオオオオ!」
鈴木は人間とは思えぬ唸り声をあげて突然猛烈に暴れ始めた。彼を捕まえていた二人のうちの一人が振り飛ばされた。
「ヒッ……!」
地面に振り飛ばされた男は恐怖のあまり絶句した。彼の腕の中には鈴木の左腕が握られていたのである。鈴木の左腕は肩からスッポリと抜け落ち、破れたシャツの肩口からは噴水のように血しぶきがあがっていた。
「逃げろ! 逃げるんだ!」
バンソウコウ男と鈴木を捕らえていたもう一人の男は鈴木に背を向け一目散に逃げ出した。
「まっ、待ってくれ! ウワァ! たっ、助けてくれぇ!」
逃げ遅れた一人は後から鈴木に頭をつかまえられた。鈴木の指は頭蓋骨にめりこみ、男は地面から20センチほど持ち上げられた。男の手から鈴木の左腕が地面にこぼれ落ちた。
「ヒャッヒャッヒャッヒャッ……」
その光景を見て気が動転したのか、デブ男は奇妙な声をあげて笑っていた。
「なにヘラヘラ笑っているんだ! さっさと逃げるんだ!」
バンソウコウ男は笑いながら突っ立っているデブ男の横をすりぬけようとした。
「お前らなんで逃げるんだよ!」
デブ男は急に両手を広げ、逃げようとする二人をさえぎった。
「だっ、だってこのままじゃヤバイよ! あれを見ろよ!」
バンソウコウ男は背後を指さした。彼らの背後では、血まみれの鈴木がつかまえた男の顔面をビルの壁面に何度もたたきつけていた。男の頭部は今やもう熟したトマトのように割れ、肉片があたり一面に飛び散っていた。
「ヒャッヒャッヒャッヒャッ…… 徹底的にやらんとな! 徹底的にな! みい〜つけた! みい〜つけた! ついにみい〜つけた!」
デブ男はまたも奇妙な笑い声をあげた。
「オイッ! お前今の状況わかってんのか? 逃げなきゃ殺されるぞ!」
「ウガア!」
デブ男は突然大声をあげてその場から立ち去ろうとする二人を突き飛ばした。
「イテッ、イテテテ…… 何しやがるんだ……」
背中から地面にたたきつけられたのでバンソウコウ男は苦痛に顔をゆがめた。なんとか起きあがろうとすると、固い丸いものにつまづいて、もういちど地面に転がった。
「いったいなんだよ…… へ?」
先ほど自分がつまづいたものを見てバンソウコウ男は絶句した。それは一緒に突き飛ばされた男の首だった。彼の隣には首のない死体が転がり、血の水たまりができていた。
「ヒャッヒャッヒャッヒャッ……」
デブ男の右手には血のりがベッタリとついていた。もはやデブ男の両手は人間の手ではなかった。そこには鋭いトゲのついた灰色のカニの鋏のようなものが出現していた。バンソウコウ男にはなにがいったいどうなったのか全くわからなかったが、仲間の首を切断したのはデブ男に間違いなかった。
「ヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
そして次の瞬間、デブ男が踊りあがった。
「もうやめてくれ!」
バンソウコウ男は目をつぶって死を覚悟した。しかし、デブ男はバンソウコウ男を攻撃したのではなかった。彼が目を開けると、路地裏の奥のほうで、恐ろしいパワーを秘めた鼻のない血と肉片まみれの片腕の男と、人間の首を一瞬で切断することができる鋏を持ったデブ男との、恐ろしい怪物同士の争いが始まっていた。
戦いは終始鋏を持ったデブ男が鈴木を圧倒した。鈴木はまだ使える右腕を振りまわして果敢に応戦したが、デブ男の鋏の鋭いトゲに全身を切り刻まれ、そのたびに鮮血が周囲にほとばしった。
「ギャオオオオ!」
鈴木は絶叫をあげた。デブ男の鋏が彼の腹部から背中に貫通したのだ。それはデブ男の必殺の一撃だった。鈴木はガックリとうなだれるとそのまま動かなくなった。
「ヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
デブ男は薄笑いをうかべながらゆっくりと腹に突き刺さった鋏を引き抜き、とどめとばかりにそれを鈴木の首に向けて振り落とした。
バシュッという音を立てて鈴木の首はいともあっさりと切断された。
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