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							BY MORIVER





  昼下がりの上野駅は、相も変わらず大勢の人々で賑わっていた。東京駅に新幹線

 が乗り入れたことなどまるで嘘ようだ。

  学校帰りの女子高生達が、互いに勝手なおしゃべりをしながら歩いて行く。旅行

  鞄を下げた女性は、自動改札に切符を吸い込ませ、移動途中のサラリーマンも、定

 期券を片手に足早に改札に向かった。

  突如、柱の影から一人の男が息咳切って駆け込んで来た。鼻の上に乗っかった眼

 鏡がずるするとおちてくるのを懸命押さえながらも、彼は走るのを止めない。

  ジャイアントパンダの像の傍を抜けると、広いホールが男の目の前に広がった。

 そのとたん、彼は半ズボン姿のゲルマン民族の末裔らしき人物とぶつかった。外人

 は早口で何かをしゃべりだす。しかし、彼にはその言語を解するだけの暇も知識も

 無い様子だ。

  その外人の激昂ぶりに、辺りの目が引きつけられ始めた。なおも走り続けようと

 する男の背中を、半ズボンの外人は捕らえて放さない。男の表情にこの上も無い困

 惑の色が浮かんだ。

  何とか状況を説明しようと、片言の英語をつぶやきながら彼は必死に辺りを見回

 す。諦めて、溜息を半分はきかけた時、彼の視線がある一点で硬直した。

  男は、両肩を激しく振って外人の手から逃れると、改札に向かって突進する。慣

 れない運動に膝が突然ガクリと落ちる。転びかけた男の手は、自動改札の縁を辛う

 じて掴んでいた。

  再び視線を上げた男の両眼が、人混みに消えかかってゆく一人の女性の後ろ姿を

 捕らえた。

  「直子ぉ!!」

  男の叫びは、辺りの人々の目を再び集めさせた。その中には勿論、その彼女も含

 まれている。旅行鞄を掴む彼女の手に、少し力が加えられた。口もとの開きが、彼

 女の驚き具合を表わしている。だが、それもすぐに閉じられ、その両眉は少し眉間

 に寄せられた。

  「直子!!」

  男はもう一度そう叫んだ。そして、ほんの一瞬その表情にためらいが生じる。だ

 が、男は喉の奥から必死に声を絞りだし、その次の句を続けた。

  「好きだ!愛しているんだ!……最後の最後だけど、言うよ!……愛してる。も

 う一度、もう一度だけ僕の所に戻って来てくれ!!」

  男の必死の表情は、彼女には届かなかったようだ。そればかりか、その様子を眺

 めていた女子高生の一団がくすくすと忍び笑いを始めた。気がつくと、周囲の者の

 中にもそれに同調している者がいる。定期券をポケットにしまおうとしていたサラ

 リーマンは苦笑いを浮かべ、例の外人もくちびるをヒュウと鳴らして事の成り行き

 を見物していた。

  だが、男はそれら全てを無視した。彼はまだ直子を見つめていた。

  彼女はまばたきをする。そして、何かをつぶやいた。右手を口にかるく当てる仕

 種をしながら、ちらっと男の方を眺めた。照れたようなその表情は、男には伝わら

 ない。

  不安な気持ちを打ち消すかのように、彼は直子に語りつづける。

  「自分でもどうしようもできなかったんだ。でも、今ならちゃんとつぐなえる。

 直子!!、だからもう一度だけ……」

  「さよなら…」

  彼女の声が、男の耳に小さく響き渡る。

  直子は怒りを装っていた。全身で『お願い、分かって』と言いた気な様子。しか

 し、その顔は嬉しさと悲しさの入り混じった、彼女の揺れる複雑な本心を表わして

 いる。

  「さよなら!!」

  その一声で、彼女はくるりと背中を向け小走りにその場を去った。そうして、彼

 女は自分の心を説得したのだろう。二度とふりかえる事は無かった。

  「直子ぉ!!!!!!」

  男の叫びは、周囲に哀れみとおかしみの情を巻き起こしただけだった。

  彼女の姿が人混みに消えて無くなったのを見届けた彼は、力尽きたようにその場

 にしゃがみ込む。そして、それ取りかこむ見物人達の輪………。





  「カーーーット!!!!!!」

  俺はそう叫んで、メガホン片手に物陰から姿を表わした。反射板係、16ミリ・

 フィルムを装填したカメラマン、そしてマイクを構えた録音係も俺の後にならった。

  まず初めに女子高生達が、な〜んだ、という声を上げて互いの顔を見回し、笑っ

 た。おそらく他の友人に会う度に、彼女達はこの撮影の事を話題にするだろう。

  外人は「ナニゴトデスカ?」と隣のおばさんに話しかける。ちなみに、彼女は何

 故か「ノー、ノー」と英語で返事をしていた。サラリーマンの姿もどこかに消えて

 いなくなっている。その他の見物人も「納得」や「人騒がせな」という気持ちを抱

 えながら(少なくとも俺にはそう見えた)、ちりぢりに去って行った。

  俺は、まだうずくまっている男の方に近付いた。

  「良かったぞ」

  その声に反応して男はすくっと立ち上がった。先程までの溢れんばかりの感情は

 どこかに消え去っており、彼の顔は能面のように無表情と化していた。

  俺はフムと鼻を鳴らし、スタッフの面々の方に向き直った。

  「さあ、これで一仕事終わったな」

  カメラマンが、つまらなそうに肩をすぼめ辺りを見回した。





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  俺は撮影隊と男を引き連れて近くの喫茶店に入った。

  午後の開店を始めたばかりの店内は、客影も少なく、まばらであった。

  俺達はソファのついた一番奥の席につく。やがて、口紅の濃いウェートレスがオ

 ーダーを取りにきた。とにかく、早くとどけて貰いたかったので、強引に皆の意見

 を「アイスコーヒー」にまとめる。男……正確には俺等と同い年なのだから「青年」

 とかと呼ぶべきなのだろうが……も相変わらず無表情で諾いた。

  彼は、着ていたジャケットの内ポケットから白い封筒を取り出すと、机の上にそ

 れを置いた。俺はそれを黙って受取り、中身を確認する。

  銀行からおろしたて、といった感じのピン札の大判が10枚近く入っている。

  そうこうしている内にアイスコーヒーがやってきた。

  どうやら仕事は軌道にのり始めたようだ。

  大体、大学の弱小映画サークルなんて、そう予算がとれるものではない。アルバ

 イト代を全てつぎこんでみても高が知れている。そこで撮影用器材を利用して考え

 ついたのがこの商売なわけだが……。

  「僕はね……、聞いて下さいよ……」

  突如、さっきまで沈黙を守っていた例の男がしゃべりだした。

  「こうなる事は、初めから分かっていたんです。でも、どうしてもあきらめきれ

 なくて……」

  男の目は少し涙ぐんでいる。彼はストローも使わずにぐいっとアイスコーヒーを

 飲みこんだ。

  「本当、感謝してます。カメラがなかったら、きっとあんな風には告白出来なか

 っただろうし……」

  確かに、カメラというのは恐ろしい。これが、回ってさえいれば周りの人達は何

 があっても驚かない。例えば、普段恥ずかしいような失敗なんかも、撮影隊が現わ

 れ映画をとってるんだと思わせてしまえば、周囲の者は彼を本気で笑おうとか、か

 らかおうとかはしなくなるし、本人が傷つく事もない。

  まあ、実際の所そんな物があろうが無かろうが、関係はないという者もいるだろ

 う。しかし、それが本人にとって重要な事であった場合であればあるほど、そうい

 った不安は増大するものだ。

  そこにこの「フォロー屋」とも呼ぶべき商売が成り立つ隙があるのだ。もちろん、

 撮影資金にするためとはいえ、こんな片手間でやっているような仕事で大金を貰う

 わけにはいかない。一応任意の額という事にしているが、これまでの依頼人は皆満

 足して結構な額を支払ってくれていた。

  ただ、それが本当にその人にとって良かった事かどうかは、ケース・バイ・ケー

 スなのだが……。

  「まあ、気を落とさずにな。よし、それじゃあ出るか?」

  そう言って俺は立ち上がった。反射板係と録音係の二人は、不満気にしながらも

 アイスコーヒーを半分くらい残した。男は、両手をじっとテーブルの上にのせて空

 になった自分のグラスを見つめている。

  ちょっと考えた挙げ句、俺はさっきの封筒から一枚、札を抜き出すと伝票の上に

 置いて男に渡した。

  「こいつで払っといてくれよな」

  男は少し驚いた様子で俺をみつめた。俺は何となく照れ臭さを感じた。

  「ありがとうございました」

  あのウェイトレス化粧は濃いけど声は結構かわいいな、とカメラマンがそっと俺

 に耳打ちした。俺はうんと、うなずきながら横目でちらっと男の方を見てみた。

  男は、何かを思いたったかのようにグラスを掴んで二人の残したアイスコーヒー

 を飲みほしていた。

  それで俺はククッと自分を笑いながら、喫茶店を後にする事ができた。




 <第一話終わり>



91-12-21

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