”TOKINO NAGARENI MIWO MAKASE...”

                            BY MORIVER








 ちょっと昔の話である。



  がちゃん、という音を鳴らすや否や、その自動販売機は冷えた一本の缶をはきだ

 した。

  僕は、いとおしそうにそれを取り出し、頬にそっと押し当てた。

  「やっぱり、夏はハチミツレモンだな・・」

  そのころの僕は、まだ新発売であったそのドリンク界のニューウェーブ商品に心

 を奪われていた。

  もっともその関係は、一年と持たなかった。「美人は三日であきる」とは言うが、

 その余りにも完璧な味付けに、僕は逆に己の卑小さを見せつけられたように感ぜら

 れ、遂に彼女とたもとを分かってしまったのだ。

  だが、当時の僕は本当に真剣だった。他人よりずっと「ケチ」であった僕なのに、

 彼女に関してだけは惜しみなく金をつぎこんだ。その頃にはまだ「ミツグ君」等と

 言うマスコミ語は、「現代用語の基礎知識」にも「イミダス」にも載っていず、ま

 してや「知恵蔵」は発刊されてもいなかった。

  とにかく、僕は急いで家に向かった。外で口をつけるのはやはり少し恥ずかしい。

 僕は、走った。僕の心は彼女の事でいっぱいだ。家に辿りつくまでの時間がひどく

 長く感じられる。だが、そのまどろっこしさはかえって、これから感じるであろう

 幸せの予感を強めるのだった。しらず、唇がほころぶ。

  僕は家に辿り付くとまよわず居間に飛び込んだ。あいにく、ムードが盛り上がる

 ような気の効いた部屋は我が家にはなかったが、そんなささいな事にまどわされる

 彼女ではない。

  「コップにうつそうかな?」

  食器棚に並んだクリスタルグラスに目を向ける。僕は、それを彼女がまとう姿を

 夢想した。まるで、少女マンガにでてきそうな光り満ち溢れる背景の中に、彼女は

 生まれたままの姿を露にしている・・。

  いや、やめよう。そのような二次的行為は、彼女の持つひんやりとした体温を上

 げてしまうだけだ。今だって僕の体温が移らないように、シャツのポケットに入れ

 ているくらいなのだ。

  「それに・・」

  僕は、それが下品な振舞いだと分かってはいたが、生唾を飲みこまずにはいられ

 なかった。

  「もう、我慢が出来ない!」

  僕は、欲望の固まりだ!獣だ!。自虐的な念が脳裏をよぎる。だが、それもほん

 の一瞬だった。

  がむしゃらに、僕は缶を掴む。そして、そのフタに手を掛け、おもいっきり引き

 上げた。

  その瞬間、プシュ、と音をたて彼女は弾けた。その、予想以上のはしゃぎように、

 僕は慌てて口をつける。だが、その時には愚かにも「きっと彼女もまちきれなかっ

 たんだ」と思い、疑いをかけるまでにはいたらなかった。「恋は盲目」とは良く言

 ったものである。

  だが、そんな僕もその余りに多い泡の量に段々と疑問を持ちはじめた。ある一つ

 の予感が心の中を走る。

  「もしや・・」

 そんな事はあるまい、そんな事はあるまい。祈るような気持ちで僕は缶の横をみた。

  そう、「ハチミツレモン」という大きなロゴの下には小さく「サイダー」という

 文字があったのである。

  あろう事か、僕が手にしていたのは彼女の妹だったのだ。だが、その紛らわしい

 表示に対して怒る気持ちにはなれなかった。こうして状況が明らかに成った今なの

 に、僕の喉を刺激する炭酸は思いもかけない快感を僕の体に与えている。それは否

 定のしようもない厳然たる事実なのだ。

  もう、彼女に対して言いわけはたたない。茫然とした面持ちで僕は「ハチミツレ

 モンサイダー」を見つめた。銀色のスチールの上で白い泡がまだ少し、音をたてて

 いる。僕は責任をとらねばいけない。僕は、ここで妹を見捨てて、「ハチミツレモ

 ン」を新たに買い行けるような無情な男にはなりきれなかった。

  「悪かった・・・」

  僕は「ハチミツレモンサイダー」に口をつけ、その味を楽しむ事もなく、ただた

 だそれを食道へと送りこんだ。途中、何度もむせかえりそうにもなった。

  たまらず、僕は一度口を離した。

  「ごめんよ」

  その時の僕はいったい誰に謝っていたのか今になっても良く解らない。「ハチミ

 ツレモン」にか、それとも「ハチミツレモンサイダー」に?。おそらくその両方に

 だったのだろう。

  僕は、再び缶に口をつける。そのとき僕は、目の前がうっすらと虹色にかすんで

 いくのを感じた。その涙が渇ききるころ、僕は「ハチミツレモンサイダー」を飲み

 終えていた。







  あれからもう何年たったのだろうか。思えば、あの時から彼女・・「ハチミツレ

 モン」・・との亀裂は始まったのだ。色々なドリンクに手をだし、僕は必死にあの

 時の事を忘れようと努めた。そして、「モネ」の350mlが登場する頃には、僕の

 「ハチミツレモン」熱はすっかりさめてしまっていた。

  僕は、彼女を忘れる事は出来ない。一度でも愛した彼女を嫌いになる事は出来な

 い。今でも、たまに彼女を飲む事がある。しかしその間に、かつてのような理性を

 失うまでの激しい感情の高まりを感じる事はなかった。あの一時の思い出は、僕の

 心の奥深くに組みこまれ、僕の一部になっているのだ。この場を借りて、僕は最後

 に一言だけ彼女に告げたい。

  「さよなら。君は僕の青春だった・・」







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 ちょっと最近の事である。



  がちゃん、という音を鳴らすや否や、その自動販売機は冷えた一本の缶をはきだ

 した。

  僕は、いとおしそうにそれを取り出し、頬にそっと押し当てた。

  「やっぱり、夏はカルピスウォーターだな・・」



 10分後、僕は「歴史は繰り返す」という語の意味を深くかみしめるのであった。




                                 <終わり>

91-11-19

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