月刊少年エース3月号読感


(1998/01/29)

うれしいやら悲しいやら。
未完になるんじゃないかと様々な噂の飛び交う中で連載の続く貞本エヴァンゲリオン。
今回も戦闘シーンがゼロ。ということは話の展開が進むということ。
特に今回のラストシーンには嬉しい動揺を覚えた方も多いと思います。
しかし騙されちゃあいけません。
期待させておくだけさせておいて「外す」のは連載ものの常套手段。
それはともあれ、まずは順を追って今月号の展開を見てゆきましょう。
途中エヴァにおける「成長」の意味、についても述べてみました。


    contents
  1. 綾波、裸で逆立ち回転中
    「エヴァの物語の本筋とは〜エヴァにおける「成長」」
  2. 「汚れた」と感じた時、それがわかるわ
  3. 焼けぼっくいに火がついた
  4. 委員長、捨て身でトウジに体当たり
  5. 綾波、シンジを誘惑する


1.綾波、裸で逆立ち回転中
[証拠]
 初号機のエントリープラグ中で綾波はイメージの世界を漂う。
 海中。海面からの光が差し込む。裸になり上下の感覚も無いままに水中で回転する。そして言葉をつむぐ。

 『これは私』
 『この物体が私。私をつくっている形』
 『でも自分が自分でない感じ』
 『とてもヘン』
 『身体(からだ)が溶けてゆく感じ』
 『私のかたちが消えていく』
 『私がわからなくなる』
 『他の人を感じる』
 『誰かいるの? この先に』

 眼前に大きな影が現れる。エヴァンゲリオンの素体、だ。
 『あなただれ?』
 綾波は尋ねる。
 『アナタダレ?』

[検証]
 ご存じ、テレビ14話Bパート(CM後、番組後半のこと)の冒頭のシーンですね。ただし、庵野監督が別冊宝島の心理学の本で見つけて引用させてもらったという「山。重い山。時間をかけて変わるもの……」という前半部分はカットされています。個人的にはここの部分の特に「花。同じものがいっぱい。いらないものもいっぱい」の一節にどきりとしたので残念ではあります。しかし、物語の進行を優先させなければいけない漫画版ではそうもいかないのでしょう。

***


「エヴァの物語の本筋とは〜エヴァにおける「成長」」

 漫画版とテレビ版の関係は、どこか、原作小説を映画化する時の関係にも似ています。映画にする際、大概は長い原作を刈り込む作業を必要とします。映画はおよそ1時間半から2時間を目安に話しをまとめなければいけませんから、どうしても登場人物の数を減らしたりエピソードを削ったりしなくてはならなくなります。この時、「物語の本筋」を読み誤ると、その短縮化は失敗します。

 物語というのは基本的な「軸」を持って進行してゆかないと、個々のシーンがすばらしくとも印象が薄く、どこか間の抜けたものになってしまいます。具体的には一言でその物語の話を言えるか、によって判断できます。
 例えば、エヴァンゲリオンならば「14歳の自閉的な少年が、ロボットのパイロットになることで、回りの人と接しながら少しだけ成長してゆく話」と一応言い切ることができます。無論、「それだけじゃない」ことが作品の幅、膨らみにつながるのですが、上の「軸」が無ければやはりエヴァ、たり得ないのも事実でありましょう。
 ここで注意しなくてはいけないのは「ロボットのパイロットが襲いかかる謎の生命体を撃退し、地球を救う」という話、では無いということです。これはガイナックスの昔の作品「トップをねらえ」の基本ストーリーです。この軸の中では主人公の成長うんぬんはあくまで「味付け」に回ってしまいます。
 そう考えれば、エヴァのテレビ版のラスト2話もそれなりに話しとして分からなくも無い。テレビ版ラストに戸惑った方はおそらく物語り前半の印象から上の「地球を救う」話しだと思い戸惑ったのではと推察します。

 しかし、戸惑わない人もいる。少なくとも「機動戦士ガンダム」を知っていると戸惑わない。ガンダムの物語こそがまさに上の「少年の成長」を主軸にした物語であるからです。
 エヴァンゲリオンは主に「機動戦士ガンダム」「ウルトラマン」「宇宙戦艦ヤマト」の3つの作品をブレンドして出来た作品と言われます。少年が突然パイロットにさせられ、成長してゆくという点はガンダム。謎の生命体(怪獣)が攻めてきて毎回これと戦うという点、エヴァの形状、稼働時間に制限がある、怪獣対策専門の組織がある、などがウルトラマン。地球、および人類に危機が迫っており、これをうちやぶらなくてはいけない、という全体のサスペンス感がヤマトより借用されております。
 他にもデビルマン(悪魔的なものとの合体、映画ラストシーン)、イデオン(人類皆殺しによる魂の結合)、マジンガーZ(パイルダーオンという操縦方法)、他マクロスはじめあらゆるロボットもの、古典的SF作品、実写SFなどなど山ほど影響があると思われる作品はありますが、基本は上の3つ。
 そして、初回の「突然パイロットにさせられる」で、すぐ「ああ、ガンダムのような作品なんだな」と気が付けば、必ずしも敵から地球を守るという物語展開にならなくても納得ができます。
 ガンダムはロボットものの中で初めて善悪の無い戦争を描いたアニメでした。主人公は一応地球連邦政府の側につき、そこから独立しようと戦争を起こしたジオン公国と戦いましたが、そこに「どちらが悪玉か」という分類はありません。ただ「敵」だから戦う。それだけなのです。一応、ジオン公国が公国制という近代国家的概念に反する独裁制をしいている、点が問題となりますが、できたばかりの国家が独裁的(おだやかに言い換えれば中央集権的)にならざる得ないのは或る意味当然です(この辺りの考えをもっと徹底的に押し進めると田中芳樹の「銀河英雄伝説」になる)。
 そしてガンダムのラストは、ジオン公国の最後の砦を地球連邦軍が総力で攻め落とすという展開になります。敵も味方も消耗戦の様相を呈し始め、主人公も宿敵シャア・アズナブルと対峙し、ガンダムをも破壊され放棄します。結局そのシャアとの対決も戦場の爆発によって引き裂かれうやむやのままになり、主人公は死を覚悟する。しかし、その時主人公のニュータイプとしての能力が高まり、仲間達とテレパシーで心を通わせることができ、戦場を急死に一生を得る形で離脱、自分には帰る場所があると気づき物語は終わります。
 この心を通わせるという点をさらに強調されるのが「イデオン」のラストです。肉体を離れ魂の存在となった登場人物が宇宙の果てに消えて行くという物で当時ですら物議をかもしだしたとも聞きます。

 お分かりのようにエヴァはこのイデオン的理想……つまりその監督であり富野由悠季の理想……である「人類補完計画」に対する異議という構造を持っているわけです。心を通わせ一つになることは、「成長」じゃないんじゃないか、と。
 もっとも、ここには少々の理解の齟齬があると思います。富野監督の現在の真意がどこにあるかはともかく、少なくともガンダムの話しの構造においては、それまで心を誰かに深く許すことの無く、一人で生きていると思っていた主人公のアムロが最後に仲間がいるということを積極的に受け入れたその象徴としてあのラストがあったのだと考えられます。
 しかし、庵野監督にとってはさらにその先のイデオン的精神の合一は理想というより単なる「究極の依存への欲求」を格好よく言っているだけなのではと思えたのではないでしょうか。庵野監督は「不思議の海のナディア」の監督後4年間、まともに仕事につかずにいたとされますが、その間に、富野監督について書いた同人誌を編纂しております(スキゾ・エヴァンゲリオン参照)。従ってこのイデオン的な合一についても深く考えがあったと思います。

 エヴァテレビ版のラストは「父にありがとう。母にさようなら。全ての子供達におめでとう」という文字で終わります。これが、庵野監督なりの成長の結論なのでしょう。
 しかし、私は、これは監督自身の結論というより「借り物」の結論に思えてしかたありませんでした。上の結論は「父との対決の末に和解し、母親への甘えの中から飛び出し、自分を含めた他人を肯定的に受け止めるという姿こそが成長なのだ」とも言い換えられます。立派です。言うことありません。けれども、エヴァは本当に「その通りの物語」であったのでしょうか。
 先に述べたように、エヴァは「魂の合一」に反発した物語を選びます。すなわち魂の合一とは徹底的な甘え……多くは母親的なものに対する甘え……であり、これは否定されるべきものと描かれます。ユング心理学を聞きかじったものならば「グレートマザー」の否定と捉えることでしょう。グレートマザーとは簡単に言えば母親的なものには良い面の他に、「相手を飲み込んでがんじがらめにしてしまう」という悪い面もあるという考えによる概念ですが、エヴァにはこのグレートマザーを示唆するシーンがやたら多い。そして、エヴァにおける成長とは実はこの「グレートマザーからの脱出」のみを意味していると思えるのです。
 脱出ですから出た後のことは分かりません。テレビ版では脱出した所で終わりましたが、映画版では出た所で、アスカと向かい合うという部分まで描かれました。そしてそこにあるものは底なしの不安感。

 結局「父にありがとう」という言葉は浮いてしまいます。本当に父なるものとの和解……言い換えれば父的なものを自分の中に取り入れるか作り上げるかしているかというと、はなはだ頼りないと言わざる得ません。
 つまり「父にありがとう」は映画版も踏まえた上でかなりフライングに近い、ちょっと物語の結論として「出すぎ」た受け入れがたい言葉であると言えましょう。
 事実ゲンドウについて描きたくなかったという庵野監督の言葉も聞きます。ゲンドウを通した「父」の存在は非常に曖昧でわかりづらい

 もっともこれは高望みのしすぎなのかもしれません。そもそも日本における「父」のあるべき姿を提示するのは、日本が母親的な考え……価値観を示すよりも、他人との協調を重視する考え……に支配されていることを指摘する以上に難しいことです。

 あえて「男」に限定して「成長」ということを考えると、その行く先は結局「父的」なものになることを課題にせざる得ませんが、その姿は全く不透明です。多くの場合、「父になる」というより「父にさせられてしまう」というのが現状のような気がします。安室奈美恵と「できちゃた結婚」したSAMの記者会見での様子……そこに浮かぶ作り笑い……を見るにつけ余計そんなことを思うのですね。

 もしエヴァンゲリオンに続編というものがあるのならば、この「父的」なものに対する取り組みの様子を描いて欲しいと思っております。ちなみに私は父的なものとは最終的には「夢を自分で作り他人に見せられるか」にかかっているのではと仮定しています。しかし、安易な夢じゃいけません。「気にくわない外国人を排除すればハッピー」とか「『真実』を知らない奴らに天誅を加えれば理想社会が生まれる」なんてものではナチスやオウムになってしまいます。できもしない「真実の愛」を語ればただのジゴロですし、絶対儲かると説き伏せれていればマルチの親玉になるだけです。日本の政治家はいわずもがな。
 ただ他力本願なままではしょうがありません。結局は個々人でそれぞれ考えてゆくしかないのでしょう。小さくは家族のあり方から、仕事のあり方、近所とのあり方、社会とのあり方、そして地球の使い方まで。結論はありません。


***


 話しを戻して、この綾波の独り言のシーンですが、「あなたダレ」の対象が綾波自身の姿では無くエヴァの素体であるというのが注目されます。一巻、STAGE5でシンジが初号機で見たものもこの素体でした。そしてこの時既にエヴァ内にシンジの母がいることも示唆されております。従って、今回、綾波が初号機の中で素体と出会うこともあまり深い意味を持たなくなっております。綾波=ユイという印象もこれではかなり弱い
 テレビ版のこのシーンが綾波の深層世界を切り開いて見せたのと比べるとやや薄味なのはやはり残念です。ちなみにこの逆さ回転の姿は、エンディングのフライ・トゥー・ザ・ムーンと共に出てくる綾波のものですね。なんでこれを使ったのかは分かりませんが……まあなんか使いたかったのでしょう(^-^;

2.「汚れた」と感じた時、それがわかるわ
[証拠]
 「どう、レイ? 久々に乗った初号機は」
 コントロールルームからリツコは尋ねる。
 「碇君の匂いがする」
 無表情のまま綾波はエントリープラグのインテリア上で答える。
 リツコの傍らにいるマヤは、零号機と初号機のパーソナルパターンの酷似を指摘する。だからこそシンクロ可能なのよ。リツコは答える。
 「そろそろあの計画が遂行できるな」
 背後にいたゲンドウ。初号機パイロットによる零号機シンクロ相互テストを指示すると彼は立ち去った。
 「ダミーシステムですか? 先輩の前ですけど、私はあまり……」
 「潔癖症ね、この先つらいわよ人の間で生きてゆくのが」
 マヤとは視線も合わさずリツコはつぶやく。
 「『汚れた』と感じた時わかるわ、それが」


[検証]
 これも14話のシーンから。アニメとの違いはゲンドウがその場にいることぐらいでしょうか。いよいよダミーシステムの話題が登場します。シンジとトウジ(正確には参号機)との対決の日は近い。
 それにしてもオペレーターで出てくるのはとうとうマヤだけに。青葉君や日向君の出番はあるのでしょうか

 ところで「汚れた」というのはやはりゲンドウの女になった時のことを指しているのしょうか。確かにテレビ24話で、リツコはゲンドウに「私の体をすきにしたらどうです。あの時みたいに」と言っておりますから。一方的にゲンドウが彼女を襲って自分の女にした、と考えられます。ゲンドウとしてはリツコをそうした形でしばりつけておいた方が得策だと考えたのでしょう。こう考えるとゲンドウもひどい奴です。もっとも、リツコの母親との場合はその彼女の方からのアプローチとも見えますので、娘はその復讐の意味合いも多少あったのかもしれません。
 悲しいのは、そのような性的関係だけでゲンドウのことを好きになってしまうリツコ、です。リツコはゲンドウ以前に好きな人はいなかったのでしょうか。一度関係があればそのまま好きという感情が産まれるなんてのは単純すぎますが、リツコの場合はそれが生じてしまったのかもしれません。それは反面で、リツコの純情さを表してもおり、その分、リツコの悲哀の深さを覚えます。
 リツコは本当にゲンドウが好きだったのかも怪しいです。リツコはゲンドウを通してただ母親の存在を感じていたかったという説もあるぐらいであり、そこにある愛情が本物かどうかは難しい所です(本物、もしくはそれに近い愛情というものがあれば、という話ですが)。なにしろ、自分で「汚れた」と言っているぐらいですからゲンドウとの関係を楽しんでいたとは思いづらい。映画の後に、もしリツコが復活するとしたならば、どのような人生が続くのか、気にはなる所です。まあ、別に結婚しなくともその時その時に恋人を作りながら歳を取ってゆくのかな、とも想像してみますが。どうでしょう。

3.焼けぼっくいに火がついた
[証拠]
 ミサトのマンションでは、騒ぎつかれた子供達がめいめいの格好でリビングに横たわっていた。
 一方ミサトは飲み過ぎのため、洗面所で加持に介抱されていた。
 「ったくもう、いい齢して吐くなよ。オレと飲めるのがそんなに嬉しかった?」
 殴るわよと反論するが気分が回復しないミサト。加持は外の風にあたった方がいいとマンションの外の駐車場へと彼女を連れ出す。
 加持は彼女を背負いながら、昔もよくこうして歩いたよなと言う。
 すると唐突にミサトは「私にフラれた時、ショックだった?」と尋ねる。
 「もちろんさ」加持は即答する。「でも、ま、オレが悪いのか。浮気ばっかしてたしな」
 植木のふちに腰掛けるミサト。彼女は言う。ワザと嫌われるようなことしたんじゃない。あなたはどのコに対しても本気じゃなかった、私にもね。あんたはいつもいつももっと他のものを見ていた。
 「このままどこまでいっても本気で愛されないんじゃないかと思ったらすごく怖くなった」
 そしてセカンドインパクトの時の嫌いだった父が自分を命と賭して救ってくれた、と話をする。浮かび上がるその時の光景。
 「加持君、少しあたしの父に似てるわ」
 すると加持は無言で右手をミサトの頬に添えた。優しく顔をひきあげ、唇を近づける。二人の瞼が閉じられる。
 すると。
 「フケツ」
 アスカ、だ。二人の姿が見えないため探しにきたらしい。
 慌てる加持とミサト。違うんだ、ただ介抱していただけ……。
 「ウソ。ぜ〜ったいキッスしようとしてた」
 「何言ってんだ俺達こんなに仲悪いのに」
 ミサトもそうそうと言って加持の頬をつねる。「ウォイテテテ本気でつねんなよ」「ゴメン」

 翌日、学校に行ってもアスカの機嫌はなおらない。机の上に足を放り投げながら「ああいうのが『焼けぼっくいに火がついた』って言うのね」とつぶやく。
 「えっ 松ぼっくりが何?」
 間抜けな返答をするシンジに、アスカは関係無いと、怒鳴りつけ……。

[検証]
 長々と引用してしまいましたが、これはテレビ15話(「嘘と沈黙」)の結婚式の帰り、夜道を歩くシーンですね。セカンドインパクトのシーンは12話(「奇跡の価値は」)から。着実に設定の消化をこなしております。残るは死海文書とロンギヌスの槍、地下のアダム(リリス)の紹介……できれば唐突にでてきたリリス・リリン、黒き月、セフィロトの樹についてのフォローも欲しい所です。
 以前の想像通り、漫画版では加持の浮気が原因で別れた……ということに一応はなっているようです。テレビと比べるとミサトの気持ちもかなり落ち着いています。二人のキスシーンがアスカによっておあずけをくらってしまうのは、後の20話での「ホテル」の場所にキスシーンをもっていこうという作戦でしょうか。さすがに少年誌相手にあんな「直接」なものは描きづらいでしょうから。

 またここで、ミサトと加持のキス未遂を見せることで、アスカにキスへの関心を誘い、シンジとのキスへの流れに備えようという魂胆もあるのかもしれません。ただ、キスで「フケツ」と言ってしまうアスカもまた妙に可愛らしい。
 エヴァ全般(特にアニメ版)に思うことですが性的なことに対するものに対して「汚いもの」と断じる部分が多いのが気になります(※切作理作編「ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ」の中の対談記事で宮崎哲弥が同じようなことを述べていた)。確かに綺麗、と言うと語弊もありますが、それほど嫌悪することも無いとも思うのです。
 第一、そもそも恋愛感情には必ず性的欲求が裏打ちされます。この場合の性的欲求というのは直接的な性行為のみならず、もっと広く「身体的接触欲」というものを含んだ欲求を意味しますが、ともかく、そうしたもののバックアップで全て恋愛は成り立っているわけです。そうである以上、性的なものを嫌悪しながら恋愛感情を育てるのは難しいわけで、これは否定するよりも肯定してしまった方がよいとも思うのです。
 とはいえ、男性と女性とではやはり勝手が違うのかもしれません。男性の方がより直撃的な性欲を感じますし(体の構造上そうなっているので仕方が無い)、女性には妊娠という問題がつきまといます。その点、どうしても平均すれば女性の方がややそういう欲求に慎重になるのも無理からぬこと。また、以前述べたように「家族」というものに対する考え方と密接に結びつく問題でもあるので簡単に「こうだ」と言い切ることは難しい。
 アスカのキスしようとしたミサトと加持に対する態度は「少年誌」だからそうなっていると説明するのは簡単ですが、その点やや現実より古典的かなとも思います。もっとも、単にミサトに嫉妬したが故、文句の言葉として「フケツ」と言っただけかもしれませんが。
 できれば、この先にあるであろうアスカとシンジのキスは両者にとって素敵なものになってくれればと願います。テレビ版のあれはどうにも加持への当てつけの面が大きくて、両者とも不幸な感じですから。



***


 話は全然変わりますが、恥ずかしながら実は今まで「焼けぼっくい」のことを「焼きぼっくり」と勘違いしていました。松ぼっくりを火に入れるとぱちぱちと激しく鳴る所から来ているかと思っていたら全然違うのですね。広辞苑によれば「やけ‐ぼっくい【焼け棒杭・焼け木杭】焼けた杭。燃えさしの切株。●焼け棒杭に火がつく(一度焼けて炭化した杭は燃え付きやすいことから) かつて関係があったものが一度縁が切れて、また元の関係にかえることをいう。主に男女関係にいう」とのこと。勉強になりました。

 また、アスカも前回でふっきれたのか両足を机の上にのっけて腕を組む格好をしてますが……お行儀が悪い。パンツ見えちゃいますよ(^-^; 

4.委員長、捨て身でトウジに体当たり
[証拠]
 シンジは窓際の席を見る。綾波の席だ。前の戦闘から学校で姿で見たことが無い。
 トウジたちと帰り支度をしながらも彼女のことが気になって仕方がない。
 と、突然委員長がトウジに体当たりする。
 行く手を阻むように入口のドアの前に立ち、ケンスケとトウジに掃除当番でしょ、と両手を腰にのスタイルで告げる。
 それから委員長はシンジにプリントの束を手渡す。
 「先生が綾波さんに届けてくれって」
 「あ、うん。分かった」
 シンジの顔は少し赤らんでいた。

[検証]
 どうしても、フォースチルドレン編を盛り上げるためにはトウジと委員長ことヒカリの関係が描かれなければなりません。今回、強引にトウジをひきとめたのも放課後二人っきりになるための布石、かもしれません。もっとも今日は、ケンスケもいますから難しいようです。
 しかし、まずは口に出して言えばいいものをわざわざとおせんぼまでして体で止めるとは……やはり身体的接触……いや、下司な勘ぐりはやめておきましょう。

 前回も述べましたが、トウジとヒカリというのはその昔気質なところが共通しているのでなかなかいい感じであります。個人的には家族観と金銭観が一致していれば、人の仲というものは大体の所なんとかなると考えておるのですが、皆さんはどうお思いでしょう。もっともこれが両者一致することなど滅多なかったりするのですが、ね。

 そしてシンジ、です。綾波のことを気にかけまくっております。そして綾波の部屋に行くことができてまた喜んでいる……。しかも……、とこれは次の項で。

5.綾波、シンジを誘惑する
[証拠]
 建設工事の音が鳴り響く中、シンジは綾波のマンションの扉の前に立つ。
 以前、裸の綾波の上に覆い被さった時のことを思い出さずにはいられない。
 呼び鈴は未だ故障したままだった。扉を叩き「綾波? いる?」と呼ぶ。
 扉が開く。
 そこには大きめの白いワイシャツ一枚だけを着て、眠たげに左目をこする綾波が立っていた。寝癖のためか、心なしいつもより髪もぼさぼさに見える。
 「あ、ごめん、寝てた?」
 わずかに顔を赤くするシンジ。
 「夕べ、再起動実験徹夜だったから」
 とろんとした目つきのまま答える綾波。足下にはスリッパがおさまっている。
 「じゃあ、零号機直ったんだ。よかったね」
 「ええ」
 その後の言葉が続かないシンジ。うつむく。そしてやっと言う。
 「これ、たまっていたプリント。じゃ、ゆっくり休みなよ。睡眠の邪魔してごめん」
 去ろうと体をそむけたシンジに綾波が声をかける。
 「少し、あがってけば」
 視線は少し右にむけられている。その顔から表情は読みとれない。
 「……あ、うん」
 驚きを隠すように、真顔でシンジは答えた……。

[証拠]
 ふふふ。
 貞本っあん、その手は喰わんぜよ(なぜか高知弁)。
 以前、アスカとホテルっぽい部屋で一緒に過ごせと言われた時もそうでしたが、これは過剰な期待を持たせ、来月にひっぱってゆくためのテクニックにすぎないと、あえて判断いたします。
 ここのシーンはおそらく、17話(「四人目の適格者」)のAパートの終わりの方、トウジとシンジがプリントを届けるシーンに対応しているのでしょう。ただし漫画版では一人で訪問となっており、この後には、15話でのエレベーターの中での会話(「なんかおかあさんて感じがした」「……何言うのよ」)に類した展開が続くと予想されます。つまり「あ、ありがとう」というあの顔を赤く染める綾波の姿が見れるということです。
 幾ら、綾波が白ワイシャツ一枚という姿をしているからと言って、想像を過多にしてはいけません。別れ際にぽつりと名残を惜しむように「少し、あがって行けば」と言われたからって……。いつもは部愛想な彼女が、ちょっと声をかけてきたからって……。部屋の中で二人っきりになったからって……。部屋の中には座れる場所がベッドの上しか無いからって……。まだ、ベッドに彼女のぬくもりが残っていたからって……。彼女の白い素足が無防備に伸びていたからって……。並んで座り、彼女の顔や腕が近くあったからって……。彼女の息をする音が聞こえたからって……。後ろから陽の光が優しく射し込んでいて、沈黙があって、目を見つめ合って、頬が染まり、ちょっとだけ相手の体温を感じ……。
 って、すっかり術中にはまっとるやんけ(えせ大阪弁)。

 大体卑怯だ。綾波の着ているそのワイシャツはなんだ。制服のワイシャツとは襟の形が違うし。男物のシャツ、か。はっ。もしかしてゲンドウのプレゼント? もしくは、着る服の無い綾波はロッカーから男子生徒のものを一枚頂戴してきたとか……と、これでは違う話になるか。明石家さんまではないが、こんな姿で出てくるのは卑怯千万だ。くらっときちゃうじゃないか。しかも、なんか髪がちょっと跳ねてたり。目をこすってたり。構えの無い姿されちゃあ。俺、別にアヤナミストじゃ無いのに。ううむ。

 それにしても、二人は中に入って本当にどうするんでしょうね。ビーカーでコーヒーでも沸かして飲むのでしょうか。いや、確かゴミ袋の中に空き缶が入っているのを見たから冷蔵庫にUCCのコーヒーぐらいはあるのかもしれません(注:ゴミを見て人を調べるようではかなり人間失格に近づいています)。
 いや、「お母さんって感じがする」を言わせるために、それに類した行動を綾波が取るのかもしれない。コーヒーをこぼしてそれを拭くのに雑巾をしぼる、とか。いやいや、案外料理とかできたりして、鍋に残っていたみそ汁かなんかくれたりして、それを飲んでいると少し服に垂れてしまって、綾波がすばやく拭いてくれちゃったりして……。いや、逆にシンジが綾波のためにご飯とかたいちゃったりして、そんでもって綾波がそれを口にしていると、唇の脇にご飯粒とかついたりして、それをシンジが「ついてるよ」とか言ってつまんで食べたりして、すると綾波が顔を赤くして「あ、ありがとう」ってうつむいちゃったりして……。
 俺って馬鹿。

 えー。まあ、そんな感じで(どんな感じだ)とにかく綾波とシンジの交流が描かれる、と。
 綾波もアスカの登場にうかうかしてられないと思ったのでしょうか。先の述べた、騒ぎ疲れて床に寝ころぶ子供達のシーンでも、アスカの右足はシンジのベルトの下あたりに、左足はシンジの左足の上にからまりそうな感じで置かれております。この接近度はかなり危険だ。まあ、一応シンジはアスカより綾波の方を意識しているようですが。
 とりあえず、さりげなくちょっとだけ期待しつつ来月を待ちましょう。多分、肩すかしだとは思いますけれどもね。

 そうそう。一応記しておきますと表紙は、ミサトを後ろから抱く加持。ミサトは真顔。加持は目をつぶって腕を組んでいます。欄外の編集者のコメントは、冒頭が「たゆたう心……」、最後は「平穏の中のさざなみ……」。ちょっと短いですが、まあ大分前よりは進歩したかなと。



なんだかんだと結局書いてしまいました。
もうエヴァなんてどうでもいいと心では思ってるのに書こうとすると書けてしまう。
そんな自分が憎い。

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文責:moriver(moriver@geocities.co.jp)(感想、叱責等、一言でもお願いします)
なお、この文章のリンク以外の無断転載・無断引用は禁止します。
「新世紀エヴァンゲリオン」は、(C)GAINAX/Project Eva.,テレビ東京,NASの作品です。

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