OLD DIARYNEW DIARYHOMEPAGE

更新日記(92)
2月5日(金) 路線
2月8日(火) 切り込む
2月12日(土) 夢うつつ
2月13日(金) hotbar.com
2月28日(月) 常識の影

2000年2月28日(月)

 世の中の常識を疑うのは重要だ。
 と、同時に世の中の常識がなぜあるのかを知るのもまた重要だ。
 前者については、言われるまでもなく実施する人は多いと思う。しかし後者については、省みられることが少ない。おそらく常識が常識であることの理由を知ると、受け入れてしまうかもしれないと気になってしまうからだろう。
 常識が常識として確固としたものとして存在すると考えることはつまらない。だが、常識を本当に疑うためにはやはりその背景を知ることが必要になる。

 などと前振りをして見たが、実はそんなに大層な話をするわけではない。
 ただ、一週間前ほどに行った旅行先で、かねてより感じていた一つの常識について一つ発見をしたというだけだ。
 それは「なぜお風呂に入るとき頭に手ぬぐいを置くのか」ということだ。

 手ぬぐい、もしくはタオルを湯船につけないで持っているために頭に載せるのだ、と漠然と思っていたのだが、心のどこかでその答えに納得できずにいた。しかし、露天風呂に入った時にその疑問が氷解した。
 スキー場の近くにある露天風呂なので、突然雪が周りにつもっている。つまり寒い。
 その中につかっていると、髪の毛がすぐに冷える。
 うっかり頭など洗ってしまったので、その状況たるや本当に、さーーっと蒸発と共に何かが逃げてゆく感覚をビビットに覚えてしまうほどである。
 そのとき、近くの岩に置いていたタオルをふと頭にのせた。
 これだ。
 合点がいった。
 なぜマンガなどでも判を押したように頭に手ぬぐいを載せているのか。
 つまりはこういうことだったのだ。
 実に合理的かつ「他の選択肢を選びたくない」ほどにタオルは外気から濡れた髪を風邪ひきへの可能性を防護してくれる。常識の影に実感あり。

 ただ、そういう話、です。
 ともかく。露天風呂はいい。


2000年2月13日(日)

 先週の木曜日にMYCOM PC WEBのニュース(正確にはそれを転載したYahoo News)でhttp://www.hotbar.com/というサイトを知って、さっそく行って見た。
 詳細はそのニュース本文を見て確かめて欲しいが、簡単に言うと、Internet Explorerのメニューバーの部分に、背景画像を入れる、というだけのサービスをするサイトである。
 上のhotbar.comのページにゆくと、そのソフトをインストールするボタンがすぐに現われる。そんなに大きくないソフトなので、組み込むのは簡単だ。削除する時もコントロールパネル内にある「アプリケーションの追加の削除」ですぐできる。

 Internet Explorerの外見だけを変えるソフトは沢山あるが、どれもやたらと動作が重いのが不満だった。その点このHotbar.comの場合はその外見「スキン」を変更するのも数秒で終わる。デスクトップの壁紙を設定する感覚に近い。
 ちなみに私は、壁紙というのは使わない。初期設定の緑色のままである。これが一番落ち着くし、これ以外だとアイコンが見えにくいことも多いのだ。ましてや壁紙など実は作業している間はどうせ見もしない。
 そこへいくとこのhotbar.comはIEのメニューバー部の背景なので、よく見る。nature系の山やら海やら日暮れなどの写真を入れておくとちょっと心がなごむ。
 メニューバーの下に、hotbar.comへのリンクや、アメリカの定番リンク集へのメニューが小さく追加されるのもいい。嫌ならば削除できるが、米国の定番が分かるというのもなかなか興味深い。

 上にあげたように、すぐに削除できるので、ちょっと試してみるのもよいかもしれない。

(2/14 2:38)

2000年2月12日(土)

 金曜は建国記念日で祝日。
 にもかかわらず、というか、だから、というか一日眠っていた。
 朝方一度は起きたものの、昼過ぎに眠り、結局夕方5時頃まで目を覚まさなかった。
 怠惰、と言われればそれまでだがこういう生活は嫌いじゃない。むしろ有意義とさえ言える。
 それが証拠にいっぱい夢を見た。
 詳細はすぐに忘れてしまうが、目覚めた時の「あー夢をなんだかいっぱい見た」という感触だけは今も残っている。目覚めて行動しているというだけで、非常にいろいろな情報や感情を頭にためこんでしまうものだ。睡眠不足が続くと、幻覚や白昼夢を見るという。脳を受容モードにしてばかりではいけない。睡眠というのはつまり、夢を見ることで脳の中を整理する作業するということだ。実は、大変能動的な仕事なのである。
 従って人生の3分の1は眠っている、もったないなどといって、睡眠時間を削るのは滑稽な話だ。眠りの世界では、現実とはまた異なるまこと豊かな時間を過ごしているのだから。
 ただ唯一の難点は、昼間に眠ると夜に寝られないということだ。
 そして昨夜は徹夜。
 ビデオ屋で、「クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝」と「マルコムX」を借りて来てしまう。ブリブリ王国は結構面白い。原作はよく知らないのだが、けんかしてはすぐにラブラブになるのをくりかえすしんちゃんの両親の姿が妙に印象に残った。現実の暗いニュースの中で、かえってそういう地味なところほどファンタジーで心地よかったりする。それと製作者の狙いにはまっているだけなのだろうが、滅法強いブリブリ王国親衛隊のショートカットな女性隊員が好きだ。けなげでちょっと変な女性には実は滅法弱い。いい。
 マルコムXは何しろ3時間を超える長尺なので途中で停止。最初の方を見た限りではところどころ早送りしたくなった。きっとこの先すごくなるのではとも思うものの。黄色人種の自分はどこまで感情移入できるのか、やや不安ではある。

 朝が始まる。そして、また、一眠り。
(6:19)
2000年2月8日(火)

 このところ、どうにもひどい事件ばかりある。

 小学生の頃から19歳になるまで女性を、10年近く自宅の部屋に「親にも知られず」、監禁し続けた男。そして、やはり小学生を殺害した上に挑戦状を書いたというのに警察の手が伸びた時点で逃げ出し自殺した男。「無理心中」を図り妻、母、子供二人を殺害して自首してきた男。ろくなものじゃない。
 そのどれもワイドショーも手にあまるほどのドラマな背景があるようで、いささか作為的な匂いすら感じさせる。
 「てるくはのる」という謎の暗号を挑戦状に書いた、くだんの小学生殺害容疑の男は、任意同行を求められた時点で、しらを切ったあげく、その現場である公園から逃げ出した。なぜ刑事は捕まえられなかったのか、という疑問には「男は中学、高校と陸上部だった」という説明まである。
 男は、近くのスーパーに逃げ込み、通り道の商品を倒してゆき、2階から上りのエレベーターを逆走してかけ降りた。50分後、男は近くの高層アパートから飛び降りる。上着を脱ぎ、Tシャツ一枚になり、靴も脱ぎ捨てられていたという。男に逮捕礼状が降りたのは、遺体発見のほんの一分後であったという。そして今日は、被害者の少年の8回目の誕生日……。

 だいたいが、できすた説明ほどあやしいものは無い。物事というのは本質的に複雑なものだ。いたずらに物事をややこしくしているだけじゃないのか、という反論もあるだろうが、どうにも上のような「筋書き」には納得いかない。
 監禁し続けた男と監禁させられた少女に関しては、まったく闇の中に陥っている。男は精神状態が不安定なため、事情聴衆をされてもいないらしい。少女にいたっては、元気でいるということだが、マスコミは勝手にトラウマの心配をしている。裏では「一体何があったのか」というもやもやを解き明かしたいとも思いを抱きながら。
 無理心中で一家殺害も、わかりやすい説明だが、やはり腑に落ちない。何が、どうして極端に走らせるのか。

 男の犯罪の影にあるのは、いつも弱い父親像だ。
 マッチョであるとか、やさしいだけの父親とかそういう次元を超えて、そもそも存在が薄い。典型的な父親というのはどういうものかすら分からないほどだ。

 事象を父性と母性の二つに分けて考える見方がある。単純、割り切り、力強さ、攻撃性が父性としたら、渾沌、複雑、受容などが母性にあたる。父性は物の見方の単純性の中ばかり現われるばかりで、現実味を失い、その実大きな受容が深いレベルでは物事を渾沌のままに放置し、じわじわと全体を壊している。そんな印象がある。
 
 何かが壊れてゆくというのはつまり変化なわけで、新しい何かが出来るための土台なのかとも思う。全ては過渡期故の問題なのか。だが、半端な分析をしてみたところで、べたべたな現実は常にに目の前にある。上の事件は「逃避行動の一つ」と見られる要素が強い。現実から逃げるからこそ、薄っぺらい物語性がそこに生じてしまう。カルトの話もそうだが、それが不気味でたまらない。何と言われようとも、べたべたに見える物事の複雑さに切り込んでゆかないことには、先は無い。それだけが現実のまがまがしさに立ち向かう手段ではないのか。そんなことを思う。

(2/9 2:50)
2000年2月5日(金)

 ご無沙汰しております。
 一ヶ月半ぶりの更新となります。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 すでにお気づきのとおり、トップページも既にリニューアルしております。以前にも増してシンプルな構成にしてしまいました。
 本来「階層を深くすると情報に辿り着きにくくなる」という観点からすれば、あまりに細かく分けるのも考えもの。しかし、過去1年近く日記以外まともに更新していないことを考えれば、もはや、個々のサイトは半ば切り離した方が実状に合っていると判断しました。

 日記も、黒背景に白抜き文字から、タタミ地に黒文字に変更です。
 見やすいかどうかは、自分でもまだ試行錯誤状態であり、結構、緊張感も感じております。

***

 息詰まってしまった最大の原因はやはり就職してしまったというのがあるようです。実際にそういう人を多く見てきたので、一番気をつけていたのですが、かえってそうなる推移を意識的に実感してしまいました。
 と書くと「え、なんか勉強やっていたんじゃないの」と古くからの読者の方はおっしゃられると思いますが、どうにもにっちにもいかない状況もあり、現状にいたっております。なお、別にやめたわけではないです。それが問題だろうという説もありますが。

 アルバイトの時から感じていたことですが、仕事をすると一番問題なのは「そのことについては基本的には話せなくなる」ということです。しかし、実際には活動時間や意識は多くそちらの方にも割かれるわけで、そのことを抜きにしてそれ以外の生活について語ろうとすると、やはり精神的努力が必要になります。
 匿名であれば問題は無いのですが、最大の失敗として本名を公開、なおかつ知り合いの多くにページを公開している中では、さすがに仕事を気楽に書くわけにもいかなくなります。例えば、今、インターネット関係のサポートの仕事に今関わっているのですが、これもあんまり詳しく書くとちょっと問題です。
 こういうジレンマは多くの人が抱いているのではとも思います。
 ましてや、ただでさえ、プライバシーの漏洩が問題になっている昨今、気軽に自分のことを書くことにためらいを感じる人も多いはずです。

 なお友人数人に「なんで、俺のも含めて他人の日記を見るの? 愚痴ってる時もあるのに」と尋ねると「いや、他人が大変なのを見るとなんか安心するじゃん」と非情な答えが返ってきました。
 なるほど。別に私を心配して見ているというよりも、「あーなんかみんないろいろあるのねー」と第三者的に、もっと言うならばワイドショー的に楽しんでいると。無味乾燥な情報や報道よりも、例えお笑いドキュメンタリーでも生の姿がかいま見える方が面白い。ましてや、身近な見知っている人ならば、そのときの様子も想像できて、さらによし。なるほど、なるほど。

 自虐がよいというならばネタはある。
 最近歩道橋の上を歩いていたらつい独り言がもれている自分に気づいて、ダッシュで駅の改札までむかってしまったとか、よく行く食べ物屋で支払いをしようとしたら前来た時のレシートが数枚、ひらひらと財布から落ちて、新しいレシートと一緒に財布に戻すというなんだか暗い奇妙な感覚にとらわれた、とか。
 そんな路線で今後ともよろしく。

(2000.2.5)

TOP
1