2001年10月10日(水)
久方ぶりの公開日記。うっかり誤変換で後悔日記と今、打ってしまったが、
大概の日記の内容は振り返ってみれば後悔気味な内容のものばかり。
しかし、何となく最近、文章を書きたくなる気分が高まって来たので、部分
的に、これから一ヶ月だけ復活してみようと思う。
仕事場でも、家でもインターネットは既に常時接続の状態であり、このとこ
ろは、昔のリンク先やらブックマークやらを思い出したように見てみたりすも
している。しかし、というか、やはりというかデッドリンクになっていたり、
閉鎖していたり、移転していたり、更新が止まっていたりと、時の着実な流れ
を感じることもしきりな日々であります。
***
時代は大きく変わっている、とこれは強く感じる。ネットバブルもはじけ、
世界の中で一人好景気だったアメリカも不況+テロ攻撃とかなり暗澹たる状況
である。21世紀が始まった時、「ああ、世紀末って言っても何も無かったし、
何だかんだ言っても地べたに足のついてゆっくりとした、変化の時間が流れる
ようになるのかな」など漠然と感じたりもしたが、ここに来て、また急に激し
いうねりが生じている。
マンガでも、かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」「ジパング」などがわりとヒ
ットしていたりと、「自衛隊はやっぱり軍隊だよね」という雰囲気が徐々に支
持を得て来ている気がする。マンガ一つで、何を、と思うが軍隊嫌いの私自身
も年を重ねるに連れ、アメリカの弱体と反比例するように、軍隊の存在を意識
するようになった。核の抑止力が、テロには無力なのと同様に、強い軍隊の存
在は、他国からの侵略や干渉に対する防御としては、そもそもが頼りないもの
だ。拳銃を何丁も持っている人がいても、駅のホームで突き落とされたら一巻
の終わりであり、結局のところ、人がいる社会の中で生きる以上は、一定の信
頼とか、義務とかそういうものがどうしても必要になるのだとも思う。暴力の
復権が目立ち始めれば始めるほど、ますますそういった人の心の問題の方が気
になってきて仕方がない。早いところ、自分も含め、今より、ほんのもう少
し、心に成熟度が増さないと、本当に決定的な何か駄目なことがおきるのでは
ないか、というのが、ごく個人的なことを除けば、一番の関心事であったりも
する。まあ、偉そうに私が言うまでもなく、皆がそう思っているのかもしれな
いが。
***
ごく個人的なことで、今、一番の悩みは、酒、である。
といっても、実際に飲むのはビールもしくは発泡酒ばかりなのだが、ほぼ毎
日摂取するようになって久しい。
先月など、少し控えて一ヶ月に三回ほどしか飲まなかったのに、十月に入っ
てからはほぼ毎日、何かしらの形で飲んでいる。自分を壊したいのか、マゾな
のか、と疑いを浮かべてしまうほどである。飲まないと寝つきが悪いというの
も、つまりアルコール中毒なのでは、など疑いに足る十分な証拠である。心配
にはなるものの、毎日飲む人は案外回りにも多くいて、「これも近視が多いの
と同じ、現代病さ。やむをえない」など勝手に心に言い訳を作っているあたり
が始末に負えない。
時折、本当にだるくなり、「ああ、お酒はやはり体に悪いのかも」などとも
思わされるものの、ちょっと回復するとまた飲んでいるのである。飲んで、ぼ
うっとしているぐらいが、精神安定上いい、なんて心のささやきに負けっぱな
しの毎日である。
***
と、ここまで書いていてもしかして、復活のこの一ヶ月は飲んだくれ日記に
なるのではとも早速疑いを持ちはじめた。
まあ、それもいいかもしれない。
こっそりとっているアクセスログによると、このページを訪れる人のほとん
どは、「パーマン」か「エヴァンゲリオン」の検索ワードで来ているようだ
し、こんな片隅の日記ページなぞ見てもいないだろう。
自らをさらけだす、自虐的なささやかな振る舞いぐらい、まだこの程度は、
許されるはず、と自らにたっぷり言い訳を残しつつ、しばらく、日記を書きつ
づってみたいと思う。
(10/10 1:06)
2001年10月11日(木)
大雨である。
東京に私は住んでいるのだが、仕事場からの帰り道あまりの雨っぷりに、膝
下をすっかりぬらしてしまった。靴の中にも雨水は入り込み、歩くたびに、ぐ
ちゅぐちゅと水がもまれるのも感じる。
アスファルトの歩道の上には、数ミリ以上の水の層ができており、ヘッドラ
イトの光でその水紋がはっきり見えるほどであった。
よくは知らないのだが、これは台風では無かったのだろうか。もう10月であ
るので、単なる低気圧の通過ということなのかもしれないが、久方の大雨とい
う印象を持った。実際、雷の光さえ、数度見えた。
大雪やら大雨というのは案外好きだ。
大体100%近い人工物の町の中に、自然のものが割り込むということがまず、
いい。白い雪で町が覆い隠されるのは、ただ単純に楽しい。それによって、不
便が生じようが、怪我や事故さえ気をつければのどかなものである。
イタリアのベニスが水面上昇により、一年のうち半分近くが床下浸水状態に
なっていると以前報道で見たことがある。さすがにあれは、やりすぎだが、水
路に囲まれた町には行って見たいとも思う。東京も、江戸の頃には水路の張り
巡らされた町並みだったと聞く。ぼうふらが発生したり、匂いが大変だったり
色々問題は出てくるのだろうが、そういうところこそ科学の力で何とかして、
不確定で、荒っぽい自然がもうちょっと間近にあって欲しいとも願う。
***
アフガン攻撃のニュースの裏で、遺跡を捏造していた、あの東北旧石器文化
研究所、藤村新一元副理事長が衝撃の告白をしていた。
縄文以前の旧石器時代、前石器時代が日本にあったとの有力な証拠の最初の
発見であり、また藤村氏が関わった本当に初期の発掘からして全て捏造だった
というものだ。
その問題の座散乱木(ざまらぎ)遺跡発掘は1981年である。そもそも前期旧
石器時代、時間にして数万年前の時代に日本に原人がいた、という発表はこの
遺跡をきっかけに、ほぼ20年の間、藤村氏がかかわった遺跡によりつぎつぎ新
発見を行っていた。人は彼を「ゴッドハンドを持つ男」と呼んでいた。新聞の
記事にもたびたびそう紹介された。
徐々に藤村氏は、関係者に告白をしていたらしい。9月に入り、ふいに彼が
問題の座散乱木の名もあげた時、さすがに聞いていた人は、また来ると言って
15分ほどで退出したとか。およそライフワークとして20年以上の歳月をかけて
研究し、得意げに発表していた事実の全ての根底が崩れたとしたらば、どうい
う反応を人は取るのか。大胆な嘘はばれにくいとも言う。結局はばれたが、も
しかしたらば、もっと長い間、だまし通せていたかもしれない。
追い討ちをかけるように、発掘された遺物のほとんどが、科学鑑定により、
否定された、との報道もあった。誰しも「今までは科学鑑定もしていなかった
のか」とさらなる疑問を持つかとも思われる。
歴史・考古学に関係が無い人であっても、自分が自分の存在をかけて取り組
んでていたことが、全て一人の巧妙心によって、しかも、熱い信頼を寄せてい
た人間によって、全て崩された時の恐ろしさについてはある程度想像はでき
る。
捏造発覚直後、テレビにうつった藤村氏はひどくうなだれていた。反省して
いるとか、そういうことではなく、ただ打ちのめされた人のように思えた。小
さい人だな、と良くも悪くも感じた。関係者ではないからかもしれないが、責
めるよりも、ただ悲しい気分になる話しである。
関係団体は藤村氏を相手に損害賠償を求めて民事訴訟を起こすという。問題
を金銭で計ろうとする、近代民事訴訟の理念はまさに大きな実験とも言える。
実際、民事訴訟の場は、金を口実に真実を迫る場、という性格も持ちはじめて
いる。以前からそのような要素があったにせよ、懲罰的民事訴訟という名前が
広まったのはさほど昔の話しではない。
オウムの問題もそうだが、この問題は、考えれば考えるほど、それが一般の
生活の延長線上にあるものだと思わざるを得ない。報道直後こう感じた人は多
かっただろう。「なぜこんなことが大きな問題なの? 嘘なんて誰でもある程
度ついてるじゃん。学者ってナイーブなんだね」と。
だが、問題はそんなことではない。問題は別にある。
ではなぜ、これが問題なのか。
明確な答えは無いが、そのことを考えると底無しの何か暗いものと向き合わ
ざるを得なくなる。言葉がよどみ、自信が無くなり、恐ろしさを感じざるを得
ない。残るのはただ、ひたすらに冷たい実感、である。
(2001.10.11 0:48)
■毎日新聞の特集記事
■旧石器発掘捏造に関するリンク集
2001年10月13日(土)
ここ数日天気がいい。
大雨も過ぎ、昨日の金曜などは昼休みに仕事場近くにあるテラスのような広
場でひなたぼっこをしていた。
食堂からもらったアイスコーヒーを近くのテーブルに置いて、木製の背もた
れつきの椅子の上で三十分近くうたた寝をしていた。
そこはわりあいおしゃれな雰囲気で、すぐ後ろには小さいながらも噴水があ
ったりもする。都会の真ん中であることは代りないので、いつもはビル風が激
しくまったり、その風にのって車の音が聞こえてきたりもするのだけれども、
その日に限っては、ごく控えめなそよ風が吹くだけ。
右手近くには、自分より少し年上らしきネクタイ姿の白人男性が同じよう
に、椅子の上で目をつぶっており、左手の丸テーブルの向こうでは、やはりや
や年上っぽいキャリアウーマン姿の女性が単行本を読みながら弁当を食べてい
た。
上着を脱いで、まぶたを閉じると、肌が少し日にやける感触が分かる。時
折、アイスコーヒーを飲みながら、こんなことをしている自分が段々不思議に
思えてくる。
子どもの頃、「特にスウェーデンなど、北欧の人などは日照時間が少ないた
め、定期的に日光浴を行います」といった記事を雑誌で読んだことがある。そ
の時、「外国には色々な人がいるんだな。健康のためだけに、そんな時間をか
けて日を浴びるなんて」と思ったのも覚えている。
二十近く達、自分もまた、電灯の下ばかりのオフィスから離れ、意図的に日
光を浴びているこの瞬間がある。
子どもの頃、これは外国の話しなのだ、と思っていたことで身近になってし
まったことは沢山ある。例えば、恋愛について進んでいると聞かされたアメリ
カ。今、日本の子どもの方がよっぽど進んでいるのではないだろうか。十六ぐ
らいで、つきあっている人がいないのが少数派なんて、状況が本当にあるとも
聞く。そんな時代に生まれなかくてギリギリセーフだった、なんてことが、瞬
間ではあるが、頭をちらりとかすめる。
後ろの方では、ちょとちょろと噴水で水の流れる音がする。足を、少しだけ
延ばして見ると、風がまたふとそよいで来る。いいな、と思う。こんなことで
満足していいのかな、と思いながらも、結構これはこれで満足な気持ちだ。
普段、時計は持ち歩かないので、ポケットの中の電話を見る。既に30分以上
経過している。右手の白人男性は姿が消え、ジャージ姿の若い女性が弁当を広
げていた。左手の女性も、食事を終えたらしく、小さいながらもあるパラソル
の影の中で、本を読み続けている。
立ち上がり、上着を手にして、帰路につく。
それが、一番の金曜の思い出、であった。
***
今日は、いつも通り本屋にいったり、ちょっと買い物をしたりしているうち
に日が暮れた。やはり昨日同様天気が良く、町を歩きながら色々と考えた。ふ
と、失敗したと思える過去のことが思い出されて、わずかに心の中でもだえて
みたり、自分が一番何をしたいのだろうとじっと心の奥を覗き込んでみたり。
目的の買い物も終え、帰り道、もやもやをずっと覗き込んでいるうちに、す
とんと穴の中に落ちるような感覚があった。あれ、と思った。あれ、結局俺の
したいこと、するべきことってこんなことだったのか、と気づいた。
それは誰かにむかって宣言するようなことではないが、それまでが自分でも
おかしいぐらいにぎりぎりにせっぱ詰まった感覚だったので、その落ちる感覚
とつきぬけた感覚には驚いた。
言葉にできないので、自分でももどかしいのだが、ただひたすらに、そうか
そうかと自分の気持ちをかみ締めた。
これが秋の日、ということなのか。
ともあれ、今は結構いい日々、である。
(2001.10.13 23:47)
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