2002年1月1日(月) 正月です。2002年です。 それにしても、2002年という年号、いかにも21世紀という感じでまだ多少の違和感というか、不思議な気持ちを覚えてしまいます。まあ昭和を知らない世代ももう14歳なわけで。なんともなしにこれも驚きであったりします。 クリスマスに自分へのプレゼント、というほどのものではありませんが新しいパソコンを購入しました。仕事も正月休みなものなので、ここ三日は昼夜逆転状態で、ずっといじりまわしております。すっかり引きこもり状態なため、家族にはすこぶる評判が悪いです。しかしあらためて、こういう生活にまったく苦痛を感じない人間なのだと実感。 さて、新しいパソコンは11月に発売されてたばかりのWindows XPを搭載しています。しかし、これがHome Edition。 XPにはHome Editionと、Professional Editionの二つがあり、微妙にできることが違います。詳細については、こちらの記事でも読んでいただければ分かりますが、Home Editionは特にセキュリティ関係が大きく省略されています。 具体的には、フォルダやファイルごとに利用できるユーザを設定する機能などが、極端に制約されているのですね。我が家では、今では母親以外全員が私のパソコンを知らぬ間に使っているので、自分のパソコンのセキュリティがどうしても気になっておりました。今までももパスワードツールなどを使って簡易的にロックをかけたりしていましたが、やはり予期していない動作が多く(特定のアプリケーションではそのフォルダーにアクセスできない、もしくはパスワードを無視してできてしまう)とWindows XPに期待をしていました。 けれども、どうもHome Editionではユーザごとにあらかじめ割り振られるディレクトリ以外には、そういった細かいアクセス権限がつけられないようなのですね。しかも、ユーザーの種類(グループ)は「管理者」「一般ユーザー」の二種類しか無いようです。これは家庭では確かに、不要かもしれませんが、多人数の人が使うパソコン用OSとしてはどうにも中途半端です。 何か、いい方法は無いかと検索してみたところ、Windows XP FAQというページにそれらしき記述を発見。 この記事には、コマンドプロンプトでcaclsコマンドを使えば可能と書いてあります。 さらに、その例が無いかと検索して、いろいろ試したところ、簡単には以下の記述でアクセス権限が変更可能と判明。 >CACLS [ファイル名orフォルダ名] /G [ユーザ名]:F 例えば、C:にあるtestというフォルダにアクセスできる人を、adminというユーザだけに限るならば、以下のようになります。 >CACLS c:\test /G admin:F 上のGやFの部分を変えることによって、読むだけ可能にするとか、追加するとか色々できますが、詳細はこのページででも確認願います。 しかし、フォルダーのプロパティを開いてみても変更の状態は確認できず。なんとも、半端な感じです。気にならない人にはまったく気にならない部分ではありますが、ちょっと期待が大きかっただけ、色々面倒なところがあって、早くもProfessionalに移行したい気持ちが出てきました。個人的にはLinuxがもっと洗練されて、そちらで対応されていったらなという気持ちもあるのですが……。 それにしても、新しいパソコンであっても、前のパソコンの環境(例えば、お気に入りやよく使っていたソフトの移行)などを行ってゆくと、新鮮味が段々と薄れてゆきます。引越ししたけれども、前の部屋の家具を入れたら、あまり新しい部屋という感じがしない、といったところでしょうか。いえ、引越しって実はしたこと無いので本当のところは分かりませんが。 実用的に使っている分では前のパソコンとの差がつかないので、何か差がつくような使い方は無いのか、と模索しているような状態ではあります。ええ、手段と目的が転倒しているのです、はい。 指輪物語がついに、ヨーロッパ・アメリカで公開。中学時代に、ロールプレイングゲームの洗礼を受けた身なので、非常に興味があります。Internet Movie DatabaseのLORD OF THE RINGSの項目を見ると、公開直後だとは言え、評価はぶっちぎりでほとんど満点に近い評価です。かなり期待大です。 もっとも、字幕が戸田奈津子であるということで、一部では議論になっているよう。あまり意識はしたことが無かったのですが、戸田先生はどうも誤訳が多い上に、専門用語や原作翻訳でなじんだ言葉を無視する傾向が多いとの指摘があるのですね。小説の翻訳と字幕には大きな差があるとは言え、確かに指輪物語の翻訳はかなる独特で、ある意味原作者の意思に尊重するよう、名前などの固有名詞も日本語化されています。中でも「馳夫(はせお)」を英語読みそのままで「ストライダー」と字幕に出すとか出さないとか……。個人的にもカタカナそのままは勘弁してほしいところです。映画公開タイトルが「ロード・オブ・ザ・リング」というだけでかなり腰砕けなのであり。 2002年1月2日(火) 寒い。 夕方すぎに、商店街を歩きながらつくづく思う。ジャケットはわりと厚手ではあるが、素肌の出る手など本当にかんじかみそうだ。いかにも冬という感じである。 昨日は、祖母の家に親戚が集まり飲み、今日は今日で結局夕方あたりから飲む。生産的なことは何ひとつせず、せいぜいパソコンをいじくりまわすのみ。そのくせ、年賀状は何も書いていない状況。多分これはダメな状況なのでしょう。と思いながらもその怠惰さに溺れる日々。 パソコンのスペックもあがったので、オンラインゲームでもしてみようかと、リネージュSなる韓国産のオンラインRPGのプログラムを入れてみるものの、サーバーにつながらない。ケーブルテレビでのインターネット接続だからだろうか。インターネット上につながったパソコンには通常グローバルIPというインターネット上で唯一の番号が割り振られるのだが、今私が入っているケーブルテレビではこのグローバルIPを複数の人と共有する、プライベートIPを割り振られるタイプで契約している。もしかしたら、これが原因なのかもしれないと思い、一応サポートにメールをしてみるものの音沙汰なし。最初でつまづくとやる気がなくなるという一般法則をかみしめてしまう。 もうひとつ、韓国産のネットワークRPGとしてはガディウスというのもあるようだが、さて果たしてこちらはどのようなものか……。正直、細切れに一日一時間程度ならともかく、あまり長時間へばりついていないといけないようなゲームというのが苦手でもあり。悩むぐらいならやらない方がいいのだろうか。 2002年1月3日(火) 引きこもり生活6日目に突入。いい感じにリハビリしている気分。しかしやっている内容は、どう考えても社会的ではない。自分の息子がこんな生活していたら気が気ではないと思う。さすがに割合家族に関心の無い父親も「そんなにパソコンによくむかってられるな」とあきれるばかり。しかし仕事でマシンに向かっている時とはやはり違う。雑誌からやたらめったらソフトを入れてみたり、ダウンロードしてみたり。何だか雑文書きをしてみたり。そんな無軌道ぶりがやはり心地よい。 いくつか見たサイトの中ですっかり時間をかけて見てしまったのが、ここ「CinemaScape−映画批評空間−」。 映画の感想を書き込めるサイトなのだが集まっているコメントがいかにも映画好き、という感じで、偏ってるなと思いながらも読み進めてしまう。他にもTSUTAYA-ONLINEや全洋画ONLINEなど似たようなページは多々あるが、ここはコメントがよくも悪くも「よく見てる」と関心することがしばしば。検索方法も多様だし、過去見た映画のコメントを探してゆくだけでも楽しい。映画関係では他には「映画瓦版」をもっぱら愛用していたのですが、このサイトもお気に入りにはいりそうな気配です。少なくともまだ当分は読み続けてしまいそう。 ちなみに映画館情報を検索するだけならば、今のところぴあのページがいい感じです。ぴあと言えば、ぴあシネマクラブの内容も今はウェブで見えます。全映画の辞書的存在としてかなり学生時代熟読してましたが、星でランクづけする方式をやめてからかえってぱっとしなくなりました。ウェブも読みづらいですし、ちょっとお勧めはしません。 いただいた年賀はがき・年賀メールまだ返信しておりません。ここを読んでる方はあまりいないと思いますが、もうしわけないです。こういうのはちゃんとやらないと思うと余計ぐずぐずしてしまいます。 2002年1月10日(木) 眠れぬ日々が続いている。 原因はかなりはっきりしていて、一重に休暇中の昼夜逆転状態にある。とにかく毎日、朝方3時、4時になるまで目が閉じない。我が家に常備されている発泡酒で、飲んだくれて眠ろうとも画策するが、結局は同じこと。これを書いている今も既に午前3時15分。 睡眠不足は何よりもの敵である。 寝不足であると一日がいらいらさせられる。たっぷりの睡眠があれば幸せだというのに。 スティーブン・キングの「小説作法」という本を読んだ。「シャイニング」「グリーンマイル」などホラーから一般小説までを幅広く書くキングによる「書くということ」についての本である。 物書きになるに必要なことは二つだけだという。「よく読み、よく書く」ことだ、と。 ハイスクール時代、プロの元でスポーツ新聞の記事を書いた経験を紹介している。その編集者の言葉が印象的だ。彼はキングの書いた文章のうち、修飾過多ないくつかの場所を削り、「朝鮮戦争の年」と書かれた箇所を「1953年」と書き換える。そして言う。 「悪いところを削っただけだ」と。 それからこうも言う。 「最初に書くのは自分のためだ。書き直すに当たっては、余計な言葉を削ることが第一だ」 ドアを閉じて書け。そしてドアを閉じて書き直せ、と。 読んでいて、文章をむしょうに書きたくなってくる。キングによれば物語を構想から書くことは文章の勢いをそぐことだと言う。構想は重要だが、そういったことは二稿目で書き直す時行うのに必要なものだとも言う。 いろいろと他にも心に残った箇所がある。 いわく「無駄な言葉は省くこと」「語彙、そして文法がまず重要」「パラグラフは旋律、またはビート」「小説は叙述、描写、会話の三つで成り立っている」「まず状況ありき」「第二稿=初稿−10%」などなど。 思うがままにまず書きあげ、自分が思い浮かべる理想の読者の目で冷静に書き直してゆく。技術的なことや、知識なども結局は物語に奉仕するものであればこの段階で直せばいいという。どうしても知らないことを知ったように書くのに抵抗を感じることもあるが、そんなことは後で直せばいいということだ。映画的に言うならば、初稿は撮影で、第二稿が編集ということになるのかもしれない。 とにかくいろいろと考えさせられた。そして、それはとても楽しいことであった。 なぜか英文のペーパーバックも一緒に買ってきた。原文もちょくちょく読んでみようかとも思う。 2002年1月12日(土) バニラ・スカイを見る。 スペイン映画「オープン・ユア・アイズ」をトム・クルーズが自らの主演作品としてリメイクしたものだ。オープン・ユア・アイズで主演した女優ペネロペ・クルスが同じ役で出ている。その彼女と最近トム・クルーズは結婚したとか。その前は「アイズ・ワイド・シャット」という映画で当時夫婦だったニコール・キッドマンと主演していた。つくづく、公私混同なトムである。 映画自体はまあまあ面白かった。5点満点で言えば3.5点といったところか。トムは演技をがんばっていた。しかしトムでしかなかった。自分がプロデューサーであることの宿命なのだろうか。 主人公の男はどこからどこまでが現実で夢なのか分からないという状況に陥る。 一種のサイコサスペンスなのだが、今ひとつ主人公に感情移入できない。というのもトムの役柄は「父の遺産で不自由なく暮らしている大金持ちで、美人の女友達がいるもてもて男」なのである。悩みと言えば、仕事に関して会社の役員のいいなりになっていることぐらいだが、主人公に才能があるようにも見えない。自らがプロデュースした結果か、あまりにも恵まれすぎており、主人公に訪れる苦悩も「そうは言ってもあんたまだめぐまれてるよ」とつっこみが満載で、そのあたりが私としては不満だった。 しかしそれ以外の演出はなかなか手堅く、また役者も悪くはなかった。元の映画を見た人に言わせると、主人公の女友達であるキャメロン・ディアスがずっと人間味あるキャラにかわっているとか。私としても彼女の演技ぶりの方が、ペネロペ・クルスよりも目だっていたように見えた。 五反田の本屋で指輪物語が全巻並んでいたので一気に買ってしまった。ネットでもなかなか買えない品薄状態であったのだが、ついに大量増刷を決定したのかもしれない。出版元の評論社はさほど大きな会社ではないとも聞くので、大量増刷に戸惑ってしまったということだったのか。 少なくとも、この三連休にどこまで読む本には不自由はしなさそうだ。 2002年1月13日(日) ドラクエ日記を公開停止します。 振り返ったら、やっぱり恥ずかしかった、というのが本音です。もともとが、なかなか物語を完結させることができない自分への苛立ちへの挑戦として、あえて書きなぐったものでした。しかし、書きなぐりは書きなぐり、先日のキングの本になぞらえて言えば、あくまで初稿状態で、人に見せること意識したものではなかったということです。 検索エンジンのキャッシュなどには残ってしまいますが、とにかく一時封印とします。 新保裕一の「密告」を読む。以前買ったまま積ん読になっていたものだ。 彼の作品は、納得しきれないものがあると、感じながらもつい読み進めてしまい、結局多くのシリーズをそろえてしまっている。一番気に入っているところは、その職人気質的な文章である。新保氏はディック・フランシスが好きなのだという。過去をかかえた男が、その過去を向き合いながら行動してゆくというパターンが多い。そしてそこに通低するのは職業に対するプロフェッショナル意識である。やや説明過多な部分や、主人公の考え方などにところどころひっかかる事もあるが、この男くささには惹かれる。 「密告」は元ピストル競技のオリンピック候補だった、今はデスクワーク専門の警官の物語である。昔の恋人の夫が上司なのだが、その上司から突然「密告者はおまえか」と問い詰められるところから物語が始まる。その上司がさる業者と密着しているとの密告をしたというのだ。上司もまたピストル競技の先輩であるのだが、主人公は恋人を上司にとられまいと、競技出場にかかわる不正行為をしたことを密告したことがった。それゆえに、上司は今回もまた主人公が密告したと責めてくるのだが、本人には身に覚えがない。なぜそんなことを言われるのかと調査したゆくうちに、次第に警官を辞めざる得ないような罠が次々と襲い掛かってくる……。そんな話である。 一応話の主軸のひとつには恋愛がある。しかし、この点に関してはどうも主人公を含め関連の人間の行動原理が分かりづらい。作者の頭の中では納得ができているのだとは思うものの、読者にはそれが伝わりきれていない気がする。恋愛に関してあまり得意ではないのではとも思えてくる。もっとも、案外そんなところも含めて僕自身は気に入っているのかもしれない。あまり認めたくないことではあるが。 2002年1月14日(月) 祝日ということもあり家にいる。しかし一日中吐き気に襲われ、体調は最悪だ。 寝たり起きたりを繰り返しながらも、指輪物語全9巻のうち6巻半ばまで読み通す。 描写などは激しく読み飛ばした読み方である。とにかく物語の流れを負うことだけを念頭に置いた。意外に展開はシンプルで、分量のわりに混乱することは無いと気づく。話を中盤にさしかかる頃からひとつのパラグラフが短くなり、テンポがあがってゆく。それまでがねちっこいぐらいに詳細な描写が続くので、少し意外な気がした。省略を覚え始めたということなのだろうか。 眠れずにまた朝を迎える。昼眠っていたので大丈夫だとは思うが、体調が体調なだけに少し自重したほうがよさそうではある。 TOP |