MORIVER'S SWEETEST DIARY 更新日記 (8)


6月 15日(日)父の日
6月 16日(月)ことは無し/デブ・ホモ・エヴァ
6月 17日(火)伝言板整備/同盟緊急報告
6月 18日(水)大掃除/積ん読/マウスパッド
6月 19日(木)一気に4メガ体制に/憲法に熱くなる
6月 20日(金)台風/最高裁物語
6月 21日(土)読了/いやはや



1997年6月15日 (日)

 父の日です。と言っても何もありませんが。父は「薔薇が欲しかった」など
とのたまわっておりましたが。不義理な息子で申し訳無いです。

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 ほとんど知り合いの方ばかりからですが、ちょこちょことオリジナル短編の
感想をいただいて、本当に嬉しい限りです。なにがしらか、感じられたらそれ
でもう本望です。

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 昨日は半日かけて執筆にあたったものの区切りのいい所までは進まず。今日
は今日で、予備校へ行ったりとどうも、うまくいきません。どうも、「世界」
に入り込むまで時間がかかるようで。入り込まないで書いた部分はすぐ分かっ
ちゃいますからね。考えすぎなのかもしれませんが。

 特記することは無し、な一日でした。(23:17)

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 伝言板、一応玄関に張っておきます。(6/16 0:03)



1997年6月16日 (月)

 昼過ぎに目覚め、メールの返事を書き、エディターに向かい作品を少し書き、
予備校に行って答案書いて、解説聞いて、帰宅途中コンビニに寄って、週刊ア
スキーとスピリッツを立ち読みして、居間で遅い夕飯を食べたら、もうこんな
時間。げに、ことはなし。

 週刊アスキーの岡田斗司夫氏の記事で、デブ専ホモの方々が撮ったエヴァ最
終回の自主フィルムというのが紹介してあった。全員ブリーフ一枚の肥満体。
椅子に座らせなにやら責め立てたりしている。嫌な感じであった。(23:36)



1997年6月17日 (火)

 表の青草亭伝言板、背景変えたりしてみました。一回、間違って登録削除し
てしまい慌てました。すぐに登録しなおしたら以前の書き込みも残っていてほ
っと一安心。創作とか表現とか、そういうことを語るのがいいかな、と今は考
えています。

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 infoseekで、geo紹介しているページを集めてみました。

 同盟・緊急報告

 できれば、同盟に参加してもらいたいな、とも考えているのですが。探すだ
けで疲れてしまい、とりあえずの報告書です。相互リンクが一番理想ですが。

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 どうも、最近「エッセイ的」内容も乏しくなっております。疲れているのか
……。(18:23)



1997年6月18日 (水)

 あまりにも部屋が散らかっているので整理というか大掃除をする。特に、本
と雑誌の類がどうしようも無い状況なのだ。最近は減ったが、以前は平均、
一日一冊はなにがしらか買っていたので、蔵書全体の量は結構なものになって
いる。金も置く場所も無く、セーブしてこれなのだから、もし、広い部屋と自
由な金が与えられたら、とんでもないことになるかとも思う。
 それでも自慢は、「ほとんど積ん読をしない」ということ。まず、買った本
は読み通す。たまに二冊100円ぐらいの古本の場合は、余計なものを仕入れた
りもするが、いつかは、読んでやろうと手近には置いている。小説の場合、う
まくすれば単行本一冊は一時間未満、早ければ40分ちょいで、読み切れる。
特に、ジュブナイル系ならば、30分あれば楽勝である。
 逆に言うと、速読して意味が分からない本は、大したことの無い本だとも言
える。難しいことを書いている本でも、以外に骨はきちっとしているものだ。
よく分からないのは骨が無いからだ。小説でもプロットがしっかりしていれば
読むのは案外楽なものだ。
 それでも、例外はある。ドストエフスキーとかほとんど古典の域に達したも
などは未だ挫折したままだ。「白痴」など大学一年の時買ったのにまだ読み終
えていない。フロイトの「精神分析学入門」、トールキンの「指輪物語」、村
上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。
 これらは、目につくところで、読了されるのをもう何年も待っている。すま
ん。

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 いや、こんなことを書こうと思ったのでは無い。単に、掃除していたら、マ
ウスパッドが見つかって嬉しかった、ということを言おうと思っていただけな
のに、つい筆(?)が滑った。
 それまでは「カウンセリングの理論」とか「五分後の世界」やら「民事訴訟
法第六版」などが代役を果たしていた。この手の本の上は、固いのはいいのだ
が、どうも、ボールの滑りが悪く、長時間使用していると腕が痛くなってきて
いた。これは三ヶ月以上、実際に使ってみてはっきりと感じた。
 そして今、マウスパッドを使うと、これが何とも快適だ。まさに失って初め
て分かったありがたさ、というやつである。ちなみにものは、パソコンを買っ
た時にもらった「タッチおじさん」のイラスト付のものだ。いや、別にいいん
ですけどね。

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 お約束だが、バイトの給料袋も見つかった。銀行振り込みだったので、明細
しか入っていないと思っていたのだが、振込に入らなかった差額分、というこ
とで「二千円」袋に入っていたのだ。良かった。本当にこういうのって、ある
んだ。

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 そして今、未だ散乱した雑誌と本に囲まれたまま、これを書いている。なぜ
か高校のリーダーの他に、出席番号が近かった「友人の数学のテスト」まで、
見つかった。どうすりゃいいんだ?
(2:29)



1997年6月19日 (木)

 かの有名な松下幸之助氏によれば「人こそが何よりも財産」ということらし
いが、最近つくづくそういうことを実感する。
 ジヲシティーズ同盟の拡大を狙って、他の同趣旨サイト巡りを敢行したこと
により、何人かの人と知り合いになることができた。貴重な情報もいただけた。
 中でも、

 「GeoCitiesがソフトバンク社と提携して日本でもジオシティーズの会社を
作ってサービスを始める」
 「Tripodのサービスが200Kから2MBになった」

 の二つには、関わりのあることだけに驚いた。特に後者は朗報だ。
 しかし、まてよ。
 一応私の元にも、Tripod Insiderなる案内がメールで送られてきている。
 英語なので、ほとんど読んだことが無かったが……探すと、確かにあった。
日付は5月30日。もう半月も前のものだ。

T R I P O D  N E W S  F L A S H  _____________________________________

We know what it feels like to be cramped for space. Tripod's grown
considerably, but our offices certainly haven't. This weekend we're
finally moving and we wanted to celebrate our new space by giving our
members more space, too. That's right, on Monday, June 2, Tripod is
increasing members' disk quotas to 2 megabytes (10 megabytes with a
Premium Membership). Now you have that much more space to build your
homepage and increase your presence on the Web.

 はっきりと6月2日から会員のディスク使用量が2メガになる、と書いてあ る……気付かなかった。ということは既に私はここ(Geo)と合わせて4メガ の容量を持っていることになる……これは当分、使い切れそうも無い。現在、 私のディスク使用量はわずか550KB程度。やっと4分の1程度。しかも、大部 分が以前書いたものの再アップ。画像でも使わない限り、滅多に埋まりそうも 無い容量である。  しかも、今回、他にも色々無料ホームページサービスがあることも知ったし。 もうここまで来たら、この路線で行くしか無いでしょう。とことん、無料の道 を歩ませていただきます。  もちろん、Geoには混雑時にはつながりにくい、など問題点も無いとは言え ませんが、それほどうるさいこと言わなければ結構快適。しかも、こうして、 Geo使用者が次第に集まってくれば、もう少し効率的使用法もみつかる、とい うものでしょう。  残りの問題は、コンテンツの充実、ということだけですが。  なんか、メール書きばっかり熱心にやっていて、肝心のものはさっぱりとい う状態です。 ***  最近、日本国憲法を読むと体が熱くなる。憲法は本当、熱血しまくっている 文章だ。前文からラスト、99条まで(一応103条まであるが、100条以下は補 則)、どの条文をとりあげても血が吹き出てきそうなほど熱い。まあ、一つ一 つの規定の裏に具体的歴史的事実があるからしょうがないのだが、この、全て の断定口調に、爽快感すら覚える。  例えば。  「この憲法が國民に保障する基本的人權は、侵すことのできない永久の權利 として、現在及び将来の國民に与へられる(11条後段)」  とあるが、「将来の國民」にまで保障しちゃうってのだから剛毅である。ま あそうしないと、憲法発布の時点でしか効力が無いと見なされるからなのかも しれないが、普通はこんな書き方はしないものだ。条文があり続ける限り常に 「現在」なのだから、なにも「将来」などと入れる必要は論理的には無い。  だが、きっと入れたかったのだろう。未来という言葉がまだ輝かしい響きを 持っていたベトナム前のアメリカらしいと言えばそれらしい。  また、前文の前に、大臣全員の署名があるのだが、その中で国務大臣の幣原 喜重郎だけが頑張って「男爵」と自らの称号を入れているのも苦笑ものだ。な にしろ、憲法本文では、「華族その他の貴族の制度は認めない(14条2項)」 とあるのだ。実際には一代に限り、称号を名乗ることが許されたらしいが、 それにしてもあんまりである。  当たり前のように見える規定も、歴史的に見れば、決して昔からあった考え というわけでも無く、理屈的に反論しようと思えばできることばかりなのだ。 例えば、普通選挙制度一つとってみても、もし今の世で「選挙民のほとんどは 政治を理解する能力が乏しいから、選挙権を許可制にしよう」と言ったところ で、案外首肯してしまう人もいるのでは無いか。少なくとも論理的に否定する ことは難しいだろう。実際、この理論は大正デモクラシー前に、税金の納付者 によって選挙民団を制限していたいわゆる「制限選挙制」の理屈なのだ。  人権、なんて言葉も都合のいいように使われることも多いので、「けっ、調 子いいこと言ってるんじゃないよ」という気分になりがちだが(私も時々そう 思う)、元々これは国に対して、「ほっといてくれ」という権利だった、とい う所から考えると、俄然生々しさを帯びてくる。絶対王政時代からの、グログ ロな国家という組織の暗部が前提の物種なのだ。  こういう、消極的権利の他、積極的な権利、つまり国に「ああしろ、こうし ろ」といういわゆる権利にしたって、事情は単純じゃない。  世界大戦も二回もやって、国中の人間を戦争に送り出してばんばん殺してし まったが為に、もう、「人権」として少し「蜜」を与えないことには革命が起 きる、と支配者層が考えたが故の結果なのである。今の社会福祉制度のほとん どは戦災者への保護政策の延長線上だという事実はもっと知られてもいいとも 思う。  そんでもって9条で「戦争は永久に放棄」とか言ってしまうんだから、もう 突っ走ってるとしか言いようがない。まともに考えたら「くるくるぱー」な発 言である。この世に戦争(あらゆる力による対立)が無かった時代など、ただ の一度もありはしないのだ(一時的平和な地域は当然あるが、世界のどこかで 武力対決は起きていた)。よっぽどひどいことだったんだろうな、と戦後世 代は伝え聞く所から想像するだけだが、少なくとも当時の立案者の意気込みは 感じられる。一週間で書いたというのも前代未聞に近い。それを50年、一言一 句変更が無い、というのもまたすごい。アメリカだってマイナーチェンジはし ているのだ。修正条項だらけだし。フランスなんて戦後になってもまた変えて いる。ドイツだってそうだ。  そんな憲法を頂に起きながら、「全然勝ち取った」とも思っていない日本人 はやはり西洋人から見ると「理解不能」なのだろう。実は私にもよく分からな い。しかし、分からないことを分からないままで放って置くことができるの が日本人たるゆえんなのだろう。それがいいことなのか悪いことなのかは分か らないが。とりあえずオッケーなのであろう。 ***  天皇制についても考えがあるが、これは微妙な問題なので、いずれまた。  ああ、しかしこんなこと言ってると「イデオロギッシュ」と言われて、拒絶 する人もでてくるだろうなあ。基本的に私は「ノンポリ」なんですけどね。政 治とか無知だし。今度ある都議選とか、本気で棄権したい。いったい、今、幾 つ、どんな党があって、何を主張しているのか、もうさっぱり分からない。  と、昨日のニュース。細川首相が新進党離脱? 新進党ってどんな党? 自 民党とどう違うんだ? しかも、太陽党というのがあるのも初めて知った。魁 ってまだあるの? 分からない〜。社会党は社会民主党に。え、共産党はまだ そのまま? でも共産革命はもうやらないんでしょう? 猪木はまだ議員な の? 分からない〜。 (7:37)
1997年6月20日 (金)

 台風である。7号である。高校生である下の妹は、「休校になった」と1時
半頃電話をかけてきた。夕方すぎには収まったが、老朽化した我が家でも、台
所の木製の窓枠が風圧で墜ちるという被害(?)が生じた。

			***

 昨日、憲法の話を書いてから本屋へ行き「最高裁物語(著:山本祐二、講談
社+α文庫、上下巻)」を買った。以前から読もうと思っていた本だが、今ま
で、ハードカバー上下巻と結構高かったので、読み控えていた。この日、初め
てこの本が文庫になったいることを知り入手を決意する。
 今、上巻を読み終え下巻の最初にたどりついた所だが、これはまごうことな
き「熱血」の書である。

 戦前の明治憲法下、司法の頂点は大審院(現在の最高裁)には無く、司法大
臣のいる司法省(現在の法務大臣)にあった。事実上裁判は、政府にコント
ロールされる運命を持っていた、ということである。
 そして戦後、波乱ぶくみの新憲法下で、最高裁は人事権をも掌握し、国会や
内閣と同等の機関として発足した。
 しかし、その背後にはGHQの介入はもちろん、日本の法曹関係者による、
その最高裁入りをめぐるかなり陰湿な政治的かけひきが横行していた……。

 こんな幕開けで話が始まるのだが、とにかく、現実の事件とそれに関わる裁
判官のドラマが熱い。生育歴などから捉えるその、論の起こし方には説得力は
あるし、決して暗部の暴露に終始する事無く、むしろ、人間の信念というもの
の奥深さ、その積極的意味を考えさせてくれる。

 戦前からのリベラリスト岩田貴族院議員の最高裁発足の奮闘と、それに反発
し、ついに彼を失脚させる多数派・保守の法曹人。
 退官後数ヶ月で煩っていたガンで逝去した三淵初代最高裁長官。反共の士と
して政治発言までする一方で派閥も作らず、司法の独立を掲げた二代目田中耕
太郎。そして、人権擁護の違憲審査を積極的に押し進めた横田喜三郎、横田正
俊両長官。その後、公害問題に取り組みながらも、反動的ともとれる内部粛清
をすすめた石田和成。

 書き手の主張は控えめながらも堅固であり、その全てを鵜呑みにすることは
できないが、背後に関わる日本の戦後の事件の数々には圧倒される。本書前文
でも述べているが、要するにこれは、個々の人の側からの戦後史外観図なので
ある。
 朝鮮戦争、GHQがらみの公務員の大量解雇と、それに関わる共産組織との対
立、公害、学生運動、自民党との確執……。

 まだ途中なので、はっきりとした結論は出し得ないが、戦後の流れを追うに
は好著であると言える。聞き覚えのある名前にはにやりとできるし、ここに出
てきた事件一つ一つは、それだけで何冊も本が書けるような内容のものばかり
だ。
 そしてなにより、背後に「信念と情熱」という文字が見え隠れしているのが
心地よい。これは作者が脳出血に倒れ、言語障害というハンディキャップを持
ちながらも、動かない体を必至におして書き上げた執念の人であることと無関
係ではないはずだ。
 本文にはそのような影は微塵も無いが、以前、テレビのドキュメンタリーで
みた時、その障害の程度はかなり大きいものに思えた。しかし、その内部はこ
れだけ熱く燃えている。また、人を決して感情的に悪く書かないのも懐の広さ
を感じさせる。
 もっとも、個人的に会ったらきっと、苦手なタイプだろうなとも思う。怠け
者は立派な人を前にすると緊張してしまうものであるから。
(6/21 0:46)




1997年6月21日 (土)

 「最高裁物語」、読了。期待に違わず終始熱い本であった。「入魂」とはま
さにこういうことを指すのだと感じた。自民党に対する不信と、陪審制の導入
というバックボーンを受け入れるかどうかは別として、戦後の事件全てを、あ
る種の明確な流れで捉える姿には、敬意を覚える。頭もすっきりする。
 もちろん、何事もすっきりしすぎるものというのは、同時に重要な何かを落
としている可能性をはらんでいる。それでも、社会という大きな現象を眺める
目など誰にでも容易に構築できるはずも無く、その点から、この作業の膨大さ
を覆すことは、少なくとも私のは相当難しいだろう。
 ともかく、憲法と戦後史を理解するには好都合の一冊(正確には上下二冊)
であることは間違いない。
 最後、保守化が続いた最高裁の中にもリベラルな人が増え、明るい展望が示
されているという点、物語として、余韻のある終わり方にまた好感を覚える。
 おかしな言い方だが、何事にも疑り深い性格の私は、この本の中身を部分的
にせよ批判や間違いの指摘ができたら、と願う。筆者と対等に近い部分までい
きたいと思わせるだけの迫力をこの本は備えている。万人向けとは言わないが、
少なくとも社会に関心のある人には一度は読んでもらいたい本である。


			***

 最近、伝言板でもメールでもやたらと苦笑のマーク(これ→(^^;)を多用し
ている自分に気付く。いやはや、とつぶやき、腰をかがめ、愛想笑いを浮かべ
ながら、やたら頭を低くしている自分の姿が脳裏に浮かぶ。
 実際、気分的にはその通りなのだが、あまりにこれが多いのも芯が無いみた
いで失礼かなとも気になる。ただ、顔マークを抜いた自分の文章はやたら固く
なっていけない。本来威圧的なのは苦手だ。
 自信が無いのかな、とも分析して見る。特に、連載の遅延は心が痛い。誰が
文句を言うわけでも無く自分で自分を勝手に追いつめる姿は傍目には、ナルシ
ズム的で感じが悪いとも思う。しかし、そうでもしないと何もしないのが、こ
の究極の怠惰人たる私でもある。

 本屋で、「天河伝説殺人事件」など浅見光彦シリーズを書く内田康夫の本を
見つけた。自分の作品の後書きをまとめ、さらに自分で解説したというよく分
からない趣旨の本だ。私は氏の作品を一度も読んだことは無いのだが、その本
によると氏はミステリー作家なのに、結末を考えないまま、つまりプロットも
作らないまま書き進めるというスタイルをとっているらしい。犯人が作者にも
誰だか分からないまま事件が起きるミステリー。考えてみるとすごいことだ。
 しかし、冷静に思うに、それは今自分がやっていることと同じだ。思い返せ
ば、短編をも含め事前に明確なプロットを作り上げ、それに従ったことなど一
度も無かった。プロットは考えてもそれは常に「否定するため」にあったよう
なものだった。
 自分がぱっと思いつくようなものは誰にでも思いつく。それに結末までを機
械的に書いていく作業も苦痛だ。実はパーリタのジレンマはここにある。書く
内容はほぼ決まっているのでそれにそって書けばいいのに、どこかで自分を裏
切りたいと願ってしまうのだ。ただの思い上がりかもしれない。だが、自分で
は客観的にはなれない所だ。
 内田氏の本にはこうもあった。「小説を通して何を書きたいのか、その書き
たいという気持ちの方が大切だ」と。なるほど、と思った。作法やら理屈より
何よりその「書きたい」という気持ち。小説をどう書くのかでは無く、小説に
何を書きたいのか、という根元的な気持ち。
 人の目を気にしすぎている自分という姿がそこからにじみあがってくる。我
が儘なくせに、それを受け入れられずに、人の目を気にし、それに従うように
してしまう自分。その癖、自分自身の気持ちに体が硬直し、結果として何もし
ない、という別種の我が儘を生みだし、勝手に苦しんでいる自分。

 そうした中、どうにもできない自分をさらに突き放すと、例の苦笑マークが
飛び出すのかもしれない。自嘲することでぎりぎりの所で自分を許してしまう
のか。限界、なのか。

 で、開き直る。






(^_^; (^_^; (^_^;/いやはや

(23:43)

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