MORIVER'S SWEETEST DIARY 更新日記 (14)


8月 1日(金) 暑中見舞い/恐竜100万年/ゴジラ/ペンティアム/ねむ
8月 3日(日) バレバレであり/ま、もののけ/許す/涙
8月 4日(月) 母さん……/ぴゅんぴゅん/少しもののけ/同志
8月 5日(火) 週刊朝日/こどちゃ/ラジオ/また岡田/つまりガス抜き
8月 6日(水) 砂の城/ルーツ/一から始めるアメリカ史/同志二人
8月 7日(水) 続・砂の城/決意/決意2
8月 8日(木) 落ち着いて/境界例にどうにかどうにか



1997年8月1日 (金)

 8月です。暑い日が続いています。暑中見舞いは今年、一枚も出していませ
ん。はやくしないと残暑見舞いになってしまいます。出さないとやはり、まず
い……ですよね。

 悩みます。
 キーボードを前に、今、頭の中が真っ白です。何を書けばいいのか。

			***

 昼、テレビ東京で「恐竜100万年」を見ました。ジュラシックパーク(前
作)のラスト、ティラノザウルスの上から落ちてきた垂れ幕にあった、アレで
す。
 ラストの40分ほどしか見ていませんが、なんかすごい映画でした。30年
前のものなので、恐竜はもちろんぎこちないコマ撮りミニチュアアニメ。当時
としては気合い入りまくりの技術ではあったのでしょう。かなりふんだんに合
成部分が使用されていました。

 しかし、何よりその設定。なぜか恐竜と原始人が一緒にいます。主人公は山
の部族(The Rockman)の若者。海の部族(The Shellman)の金髪のおねーち
ゃんとくっつきます。山の部族内部でも抗争があるようです。ほとんど不良の
喧嘩みたいな感じで延々アクションシーンが続きます。

 例の金髪のねーちゅんと髪の黒い山の部族のねーちゃんも格闘します。牛の
骨のナイフで、火のついたたいまつで。毛皮のビキニ姿で延々戦います。火の
ついたたいまつでの戦いには気合いを感じました。でも全体としては女子プロ、
しかも、泥レス、といった感じです。金髪のねーちゃんが勝ちます。いつでも
強いのは金髪に白い肌に蒼い目のWASPなのです。
 しかし、金髪のねーちゃんはその後、突然襲ってきた、プテラノドンに鷲掴
みにさせれてさらわれます。結局、また男に再会するのですが。その間、プテ
ラノドン同士の長い戦闘シーンがあります。

 最後は、内部抗争+海の部族とのよくわからない喧嘩が始まります。言葉は
なに言ってるのか解りません。原始人ですから。
 そこへ火山が大噴火。延々天変地異のシーンが続きます。土砂崩れ、地割れ、
ばったばったと人が消えていきます。大迫力です。10分ほど続きます。
 そして、生き残ったのは主人公と金髪のねーちゃんと、わずかな人達。
 「昔昔の話しであった」
 とナレーションが入り、スタッフロールが流れます。
 感動です。

			***

 ネタ探しに新聞を読む。

 毎日新聞、夕刊一面は「東証のコンピュータが故障・株式取引一時停止」
というやつでした。ふむ。

			***

 「インディペンデンス・デイ」のエミリッヒ監督が今、ハリウッド版「ゴジ
ラ」を制作中とか。ゴジラ自体のフォルムは極秘らしい。「レオン」のジャ
ン・レノも出ます。車のコマーシャルで日本語しゃべったり、「紅の豚」のフ
ランス版で主人公のポルコ・ロッソをやったりとなかなか日本とは縁がありま
す。
 100億円(一億ドル)ほど金かけてるそうです。「トゥルーライズ」並で
す。日本の東宝の旧ゴジラスタッフは泣いてください。泣かなきゃ嘘だぞ。

			***

 秋葉原で売られているペンティアムの高位CPUチップの十数パーセントが、
動作の低いチップの表面刻印を書き換えただけの模造品であるとか。そんなん
でいいのか?

			***

 以上、完全お茶濁し的な日記でした。私自身はまたしても夜中のチャット&
予備校で、すっかりお疲れねむねむモードです。

 パーリタ気付いたら一月以上更新してないことに。やばすぎる。どうにかせ
ねば。

 ではまた明日。
(23:47)

			***

 忘れていました。カウント一万と1000いってました。2日と半日で1000行く
ペースですね。うーん。早いなあ。
(23:53)



1997年8月3日 (日)  申し訳ありません。「また明日」などと書き残しながら昨日は日記を更新し ませんでした。  昨日は、以前少し話しましたように大学のゼミのOB会があり、そのまま後 輩家で眠りこけていました。徹夜の可能性があった以上、昼間にでもちょこっ と書いておけば、このような一日空けという事態は防げたのですが……忘れて ました。 ***  さて、不承不承出席したOB会。  そこでは、ある後輩の小さな親切により私のページの存在は半ば「常識」と 相成っておりました。  「今日エヴァンゲリオンの映画見てきたよ。面白かったよ」  さる先輩はにこやかな笑顔で映画のパンフレットを見せてくれた。  「なんかホームページ作ってるんだって。そっちでは食えないの?」  高校生の娘さんもエヴァはまっているという教授の言葉に私は言う。  「無理です」  人生は泣き笑いである。 ***  文句を言いながらも、会場には一番乗りしてしまい。男4人に教授だけとな ったお寒いカラオケ4次会にも最後までつきあった。後輩の一人の家に新宿か らタクシーで移動。朝方の9時まで爆睡していた。もちろん、とっても優しい 「小さな親切家」の後輩、某大窪君もご一緒だ。  一泊させていただいたその後輩(しかしなぜか私より年上)宅では母君から 朝食までいただいた。おにぎり大変おいしゅうございました。  その後、某大窪君と二人で新宿に戻り「もののけ姫」を鑑賞。夕方9時まで、 よもやま話を語り続ける。結局男二人、12時間顔をつきあわせたことになる。 ところで君と実際会ったのは昨日が初めてだったよね……。 ***  話すぎで喉がつぶれる程のハードスケジュールであったが、収穫もいくつか あった。  まず、エヴァに対して実に寛容な心を得るにいたったこと。ある一言をきっ かけに、エヴァについて新たな視点を持つことができるようになったのです。 もうこれで恥ずかしい監督に対する恨み言もお終いです。サンキュー大窪。  もののけ姫については「ま、こんなもん」という感じで特に感想はありませ ん。映像はさすがにすごかったです。そのレベルは世界随一と確認。ただ、ち ょっと渋すぎて食い足りないのも事実であり。機会があればレビューしたいと も思っているのですが……。ま、アシタカもなかなかやりおるのう、とだけ申 しておきましょう。  ページ制作に関しても熱く語り、色々考え直すこともあった。結論の一つと して「まめじゃなきゃいかん」というものがあり。とりあえず恥ずかしながら も更新を決意。ゼミのみんな、見てますか? ということで、不肖森川はもう 少し頑張ってみることにしました。今後もよろしく (;_;)/ メール頂戴ね。 ***  でも……やっぱり私は甘ちゃんであることを再認識。みんな、色々大変なん ですね。厳しいや。 (23:51)
1997年8月4日 (月)  昨夜の続きである。  帰宅したのは夜の10時頃だった。  居間には母と上の妹がいた。  「あんた、私に感謝しなよ」  開口一番、やくざな口調で妹は告げる。なんだ?  「お母さん、あんたが朝になっても帰ってこないから、先生の所に電話する とか言ってたんだよ。私が、それをとめたんだからね」  「連絡ぐらいしなさいよ」と母は悪びれぬ調子。  ……母さん、あなたの息子は今年で25です。 ***  めざとい方ならもう気付かれたかもしれませんが。  今日の夕方頃からページのあちこちに    なgif画像が貼ってあります。  ジヲシティーズ同盟の同士の一人、勝手にシネマ君さんから教えていただい たのですが、ねっと飛々という無料来場者カウントサービスがあり、上の画像 を貼っていると、そのページの来訪者の時間別・ブラウザ別などのデータをま とめて報告してくれるのである。  何しろ私のページは「青草亭」の他、「一から始めるエヴァンゲリオン」、 「DEEP EVA」、「ジヲシティーズ同盟」、「パーマン・リターンズ」と計5つ もの看板を持つ。他のページリンクを貼ってもらう時、そのサイトごとにこの 顔を使い分けているわけなのだが、一体どこの入口からどの程度の人が入って くるのかさっぱり解らない。  今つけてあるカウンターは「外部から私のサイトに来た人」の累計にすぎず、 そのページごとに計測はしてくれないのだ。  2時間後ぐらいにちょこっと結果を見てみたのだが、なかなか細かく分析が してあり面白い。意外というか当然というか青草亭から入る人が多い。ブック マークなどはここにつけてくれる人が多いのか。まだはっきりしたことは解り ませんが。  私自身、他人のサイトのブックマークは伝言板や日記などに直接いれている ケースが多く、かなり変則的なページめぐりの仕方をする人間なので、皆さん がどういう回り方をするのか興味は大きい。一応「青草亭」の玄関さえ押さえ ておけばほぼ全部の内容を見ることができるようにはしてありますが……。  ただねー。ただで使わせてもらってこんなこと言うのは何ですが。  ほら、つまりこれ、ださい(死語?)でしょ(^^;  どうやってもなんだかページの中で浮きそうで……。  デザイン的に何かすっとおさまる方法を考えては見たのですが。  難しいです。 ***  「もののけ姫」の感想、まとめて見たいとも思いつつもどうにもやる気がお きない。健全すぎるのである。腕や首が飛んだりするシーンが話題になってま すがほとんど雑魚キャラの侍ばかりですから。全然感情移入もできない明かな 切られ役がどうなろうと、あんまりびっくりはしません。エヴァの悪影響かも しれませんが……。  びっくりしたと言えば。  主人公のアシタカについてちょろり書きましたが、少しネタバレしますと。  物語の初めの方で、彼は故郷の村を去ることになります。その時、村の娘か ら「ペンダント」をもらうのですね。娘はアシタカに惚れているのです。アシ タカもそれに答えるようなセリフを吐いて(「戻ってくる」うんぬん)去って ゆくのですが……。  そのペンダント、なんと後に彼は「もののけ姫」にあげちゃいます。  昔の彼女からのプレゼントを、新しい惚れた女に渡す男。  やっぱアシタカ、あんたすげーわ。 ***  業務連絡です。  ジヲ同盟にさらなる新たな同志が参加。坂下@香港さんです。  香港在住の方で、返還で慌ただしい生の香港の様子をあえてマイペースに語 る日記、その他香港リンクなどを載せています。Geoは結構長く使っている方 のようです。これからも先輩としてよろしくお願いします。 (23:50)
1997年8月5日 (火)  本屋で今週号の「週刊朝日」と「週刊読売」を読む。どちらも「もののけ 姫」と「エヴァ」の記事を載せていた。  両者の軍配は明らかに「週刊朝日」にあがる。手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明 の流れを今回の夏映画対決から始め、手塚治虫が残したものをどうやって両者 が受け継いだかを、宮崎・庵野の関係とオーバーラップ気味に描いており、内 容が濃い。私自身は知っていることばかりであったが、上三人の特質を有名な 発言を交えながら語る口調のなめらかさは、明確な理解の上で書かれたが故の たまものであろう。  一方週刊読売はアニメに詳しそうな岡田氏や大泉氏などのコメントを並べて はみたものの統一感に乏しくやっつけ仕事的な印象がつよい。まあ、この間の 「AERA」の庵野監督へのインタビューよりかはましではあるが。 ***  今日は久々に本屋をゆっくり巡回する。近場から少し離れたやや大きめな書 店も探索してみる。一部で噂になっている別冊宝島の新刊アニメ本を手にとっ てぱらぱら見てみる。実はエヴァ以降、再び私はアニメから離れていってしま っている。  最近では「ウテナ」とか「子供のおもちゃ」とか「ガオガイガー」などもわ りに評価が高いがどれも見ていない。「子供のおもちゃ」に関しては、りぼん で連載の始まった当初、かなりはまって読んでいたがもう何年も前の話だ。  「子供のおもちゃ」の作者、小花女史の作品は昔から好きだった。「この手 を離さない」などは地味で短めながらかなりの傑作だと評価している。まさか その後彼女の作品がアニメ化して大ヒットを飛ばすなど夢にも思っていなかっ たが……。やはりシリアスを目指していた人が開き直ってエンターテイメント に走ると無茶苦茶、強力である。「寄生獣」の岩明均しかり、「YAWAR A」の浦沢直樹しかり。「Bバージン」の人(名前は忘れた)なども含めても いいかもしれない。  しかしマンガやアニメばかりが元気でやはり実写映画や小説は今一つである。 やはり死につつある文化なのか……。 (8/6 追記:「Bバージン」の作者は山田玲司でした。神笠 那由他さん、情 報ありがとうございました。なんでも弟さんがはまっているとか……(^^;) ***  死につつある、と言うと思い出すのがラジオである。アメリカではパーソナ リティの個性を全面に押し出したフリートーク形式のラジオ番組が人気で相当 な影響力をも持つようになっているらしい。今、日本でもその形式の浸透を、 検討しているようだが、おそらく大掛かりな「オールナイト・ニッポン」のよ うなものだと推察する。  庵野監督も、過去あるもののパターンの再構成から脱却するために自らの パーソナリティをよりどころにした。今、個人のパワーというものが、再び社 会に影響を与える時代になってきたのだろうか。そうすれば小説でももう少し マシなことができるのか……でも私小説ばかりじゃ嫌だしな。 ***  なんてことを考えながら今度はコンビニで「週刊アスキー」を読む。オタキ ング岡田斗司夫氏と「完全自殺マニュアル」の鶴見済氏の対談講演記録が載っ ていた。岡田氏はのっけから「支配する人と支配される者がいて、今は洗脳時 代だから、こうして語っている我々は、この会場の人に対しては支配者なんで すよね」と言った発言をして飛ばしまくる。鶴見氏はほとんど聞き役に近い。  とにかくこの週刊アスキーでは岡田氏、毎度やりたい放題である。この間は 新都移転計画についての仮想記事を書いていたが、その移転場所が「長野」と はあまりに狙いすぎている。その時、対談相手から「岡田さんは官僚的思考だ ね」と喝破されていた。こういうのをいわゆる新保守派とでも言うのだろうか。 よくは知りませんが。  この間の「朝まで生テレビ」でも「日本人は面倒なことはみんな政治とか面 倒なことは他人にまかせて自分は個人的な好きなことをやりたいと思う傾向が あると」明言したり、なかなか、その実は過激であったりする。ただし、氏は その独特の体型を武器に主張を「愛嬌」でくるむ術に長けた策士でもある。西 部氏などもそうだが「憎めない」という性格は実にうらやましい。 ***  さてそれはともかくその「面倒なことは他人まかせ」という傾向はこの大衆 消費社会においてはさらに加速度をましている。小学校の時社会化で一次産業、 二次産業、三次産業について学んだが、その最後の三次産業(サービス業)だ けが年々増加の一方なのが現代だ。  言い換えれば物に還元できないものが幅をきかせているということだ。情報 もその一つであるし、また、現在売れ筋の商品もバブル期から一貫して「付加 価値」の差で勝負が決されている。もはや「物」は目的に対する効用を離れ、 人に幻想をいだかせる道具としての価値の方に、その存在価値をシフトしてし まっているようだ。時代は既にバーチャルなのである。 ***  しかし、そうなると人間はどんどん人まかせに生きてゆく方向に流れていく 生き物になってしまう。昔はそういう状況を「ロボットになる」と否定してき たが、今では「ロボットでもそれが楽しければいいじゃん」という主張に妙に 説得力があったりする。  ただ、種というかグループというか、ある一定のまとまりを持つ集団から多 様性が失われていくと、その全体は腐って行くというが世の法則というもので ある。快楽のある自閉が駄目だというならば(ここで強引にエヴァに話が戻 る)、理由はそこにしか無いような気がする。しかし、そうして生きる姿は、 苦痛でもあり。そこに単純な答えはもはや無いのかもしれない。 ***  ……なんて久々に真面目に(しかもほとんど脈絡なく)話してしまいました が。ここ数日妙にいただく感想メールの内容が濃く、返事を考えているうちに 思考が煮詰まってしまったのですね。できるだけ抽象に走らないように注意し ているのですが……今日はちょっとしたガス抜き、ということで勘弁してくだ さい。 (21:54)
1997年8月6日 (水)  フジテレビ系列で1時半からやっている「砂の城」というドラマに頭をかか えている。  基本は、血のつながっていない兄妹が様々な障害を経ながら愛を確かめ合う というストーリーだが、でてくる登場人物のほとんど全てがなんと言いましょ うか、「異常」なのである。どう異常なのかと言うと、まず「絶対に反省しな い」。何があっても自分が悪いなどとは小指の先の耳垢ほども思わないのだ。  主人公の少女など、その兄の愛を得るために相当にひどいわがままの限りを つくすのだが、ドラマの中では「愛が故オッケー」という扱いにされている。  この間まで、記憶喪失になって発見された兄の元に通い詰め記憶を取り戻す という難行にとりかかっていたが、その際、主人公は今、その兄にいる奥さん や子供のことなど、つゆとも考え無い。そのくせその奥さんの前では「兄が心 配なんです」と、偽善者面をなんのてらいもなくふるまえるのだからなかなか の悪党である。  他にも祖母や、その親戚の男、主人公の親友の少女、主人公の婚約者のカメ ラマンと登場人物はあまたいるが、どれも平気で嘘をつきまくり、反省もせず、 そのくせ何かあると相手を正論で言いくるめようとする。もう、絶対にお友達 にはなりたく無い人達ばかりの世界なのである。  現在、兄(なぜかさびれた漁村で漁師をやっている)も記憶を取り戻し、主 人公と抱擁、それを奥さんが見つけて大ショック、という修羅場を迎えている。  もちろん主人公の女(「みゆり」)は、何の反省もし無い。婚約者(こいつ もひどいやつなのだが)とは結婚前日に、婚約破棄。窓からウェディングドレ スも投げ捨てた。こう言っては何ですが、ほとんど「ストーカー」である。  原作は「有閑倶楽部」などで有名な一条ゆかりの漫画。もっとも、原作の舞 台は「フランス」だったりするのだが。どうもこの先、兄の息子を主人公が育 てるというストーリーになるようである。  しかし……ここまで登場人物に感情移入できない物語も珍しい。あ、いや、 兄の奥さんにだけは深い同情をよせている。ちくしょう、あんな主人公の女に まけちゃいけないよ、奥さん……でも、駄目なんだろうな。やっぱ、主人公に は勝てないんだろうな……。あーあ。  ちなみに、今、下の妹がこのドラマにどっぷりはまっている。私が見逃した 回も毎回弁舌巧みに展開を教えてくれる。いや、俺、もういいよ、といつも言 っているのに……。 ***  その後、「王立宇宙軍」をダビングしたテープを少し再生していたら、その 後に、以前深夜でやっていた「ルーツ」の映像が入っているのに気付いた。  「ルーツ」はご存じの通り、アレックス・ヘイリー原作の、アフリカの黒人 奴隷の歴史を描いた大叙事詩的ノンフィクションドラマである。  高校の時、図書館で初めて原作を読んだ時、私は不覚にも泣いた。圧倒的な ディテールと当時の身も蓋もない黒人奴隷と白人の関係に脳味噌をかきまぜら れ、主人公の苦難と報われない闘志の連続に興奮と落胆を覚えていた。  ビデオに残っていたのは主人公クンタ・キンテがアフリカからさらわれてア メリカで奴隷になり何十年、逃亡をくりかえしたあげく、足先を切断。しかし その後結婚、娘の誕生、という所までだ。  主人公が、農場を脱走し同じ時期アフリカからさらわれた黒人の娘の元へ会 いに行くのだが追跡者に発見されるくだりなど、あまりの悲劇さに見てるこっ ちまで胸をかきむしりたくなる。どこへ行ってもクロンボはクロンボさ、とい う仲間やその娘のセリフ。そうか、奴隷ってそういう気分なのか、と沈みなが らも、わずかなシンパシーもそこに覚える。「世の中こんなもん」というあき らめ感は私たちにも根強くある感じだからだ。もちろん、スケールは全然違う けど。 ***  「ルーツ」を見て密かに感動をしていると、後ろから上の妹がいろいろ質問 してきた。面倒ながらも簡単にアフリカ東海岸の奴隷狩りについて説明する。  そのうち彼女は、  「そういえば、どうしてアメリカってあんな人種いるのかねえ」  などと、自分が行ったことのあるニューヨークの思い出話など始める。  悪かったな。どうせ私は外国なんて行ったことないよ。  しかし、よく聞くとどうもまるっきりアメリカが移民国家であることを知ら ないようなのである。仕方が無いので、インディアンからコロンブスの「新大 陸発見」、スペイン・ポルトガルの移民、イギリス人の移民、独立戦争、公民 権運動などをざっと話す。しかし、これだけのことを大雑把に話すというのも なかなか難しい。  それにしても。  「イギリス人の移民が中心に国ができたからアメリカは英語を使っているん だ」という説明に、  「あーだからイングリッシュなんだ」  と上の妹は感心していたが……もしかして、知らない人の方が多いのか?  思わずこっちが考え込んでしまう夏の午後であった。 (23:58) ***  ジヲ同盟にosamyさんと空耳さんが新たに参加しました。  osamyさんはナムコ関係の情報やエミュレーターリンク中心のページを、空 耳さんはフライ・フィシングの入門ページをそれぞれ作成中。私達同盟の記事 を読んで作られたというから嬉しいじゃありませんか。どうぞ、これからもよ ろしくおねがいします。 ***  また、日付変わってしまった(;_;)  遅れついでにもう一言。  先日、サイトに来ている方のアクセス状況を調べていると書きましたが、か なり「aif」つまり、私と同じ広告つき無料接続「HOT CAFE」を使っている人 が多いのですね。確かに都内にいるのならばこれを使わない手はありません。 メールアドレスもいらないなら完全タダですから。メール使用料と言っても月 200円程度です。でもあんまり普及すると回線が混むから私は複雑な気分であ ったりする(^^; (8/7 0:08)
1997年8月7日 (木)  泣いた。というか叫んだ。  昨日も書いた昼のメロドラマ「砂の城」である。  今日、あの主人公の兄の奥さんが自殺してしまったのである。  兄の本当の母親に会うため(兄は捨て子なのだ)東京へ向かおうとしている 兄と主人公。その元へ、その兄の息子ツギヒコが駆け寄ってくる。そして泣き ながら叫ぶのだ。「お母さんが! お母さんが!」  家にかけつけて見ると、首筋に包丁を当てて血を流して倒れる奥さんの姿が。 既に事切れている。ここで俺は泣き叫んだ。  このドラマの中で唯一私が感情移入できたキャラクターだったのに、こんな あっさり自殺させるとは……うう……なぜだ……。  奥さん、子供はどうするんだ。そりゃ、旦那が血のつながっていない妹とで きていて、しかも、その記憶を取り戻す手伝いまでしてしまったことは、ショ ックだろうが。しかし、でも、死ぬことは無いじゃないか。そんなの解らない よ。なんで……うう。絶対制作者の陰謀だ……。  さすがに主人公の女も今回ばかりは落ち込んでいた。しかし、また主人公の 親友とかいう馬鹿女は「しょうがないわよ」とわけのわからない言葉をはきま くっていた。くそ。みんな大嫌いだ。  その後、兄の実の母が彼に会いに行くエピソードなどもあるが、どうでもい い。もうはっきり解った。このドラマは主人公の女に都合良く不幸を味あわせ るがためのみ作られた世界なのだ。登場人物の全てはそのコマにすぎないのだ。 下手に感情移入した私が馬鹿だった。しかも、予告を見る限りでは、どうも兄 も自殺してしまいそうな雰囲気なのである。あーもう勝手にしてくれ。気分が 悪い。 ***  それにしても漫画原作だとわけの解らないドラマが多い。  前やっていた「イタズラなKISS」も相当ひどかったが、漫画なら登場人 物がいくら類型的でも許されるというのか。  気になるのは原作も本当にこんなひどい人物たちなのか、ということだ。ス トーリーは確かに同じなのかもしれない。だが、このほとんどに感情移入でき ない人物群が、一条ゆかり自身のものか、相当に怪しい。  彼女の「有閑倶楽部」にせよ「女ともだち」にせよ、印象的なのは、時折登 場人物が見せる、「ふっ」と自嘲とも苦笑ともとれぬ優しげな微笑の数々であ る。その覚めた、しかし大人の度量を匂わせる表情こそが、一条ゆかりの神髄 である。しかるに、このテレビドラマの人物群は何者ぞ。  もう呆れも果ても尽き果ててくる。でもまた下の妹は大喜びだった。いいの か、こんなんで? ***  そろそろ庵野エヴァにも最終的な決着をつけようと本屋で「ターミナル・エ ヴァ(永瀬唯著・水声社刊・定価1200円+税)」と「エヴァンゲリオン快楽原 則(五十嵐太郎編・第三書館刊・定価1400円+税)」を購入した。  前者は主に大月隆寛の論文を読むため、後者は若手思想家群の主張を一応押 さえるがために買った。異論はあるだろうが、世代的にもエヴァ世代・オウム 世代の彼らの主張をとりあえず押さえた上で、私の主張を整理してしまいたい と思うのだ。  数日前、「ある一言をきっかけにエヴァに新しい視点を得て、監督への恨み 言を言う気が無くなった」と書いた。これは監督の事が急に好きになった、と いう意味では全然ない。  ただ「なんだ、こういうことか」とふと、全てがふっきれ、いわばエヴァを その「言葉」に全部押し込めることにしたというだけの話だ。  語ろうと思えばまだまだ語れるのかもしれない。しかし、とりあえずその一 言で言い切り、もうこだわるのも止めようとも思う。監督を持ち上げるのも、 こき下ろすのも疲れた。  そもそも、どうしてここまでエヴァにこだわってしまうかと言えば、つたな いながらも、自己満足にすぎないながらも小説のようなものを書いていた自分 に対して絶望を感じたからなのだ。何を書いてもエヴァででてきたシーンやセ リフが思い浮かんできて、真似をしているように感じられてしょうがなくなっ たのだ。意図的ならばとにかく、無意識で出てくる言葉がそっくりなんじゃ、 洒落にもならない。重度の精神汚染である。その汚染状況をなんとか意識の上 までひっぱりあげたいというのがその全ての動機の原点にあった。  だがもういい。今はエヴァによる汚染は今までの私のたまっていた問題の噴 出の面の方が大きく、エヴァはある種きっかけにすぎなかったのではと、疑い 始めている。ただ、この際、エヴァについて語る機会が山ほどあったのには、 自分でも幸運であったと思う。  この先もエヴァについて話ことはあるだろうが、それは多分現時点で感じて いることの延長線上に述べるだけで、この先当分、それは揺るがないだろうな と思う。  最終的決着はやはりもう一度映画を見ないと駄目かもしれない、とも思って いる。そこで感じたことで、私の庵野エヴァへの態度はひとまず一区切りだ。 今やっている予習(復習?)が済んだら、とりあえず劇場に向かおう。吉と出 るか凶とでるかは解らないが。 ***  そして、とにかくパーリタを最優先させたい。長らく筆がとまっているのが 心苦しくてしょうがない。やはりできるだけ物語の中で何かを語りたいとも思 うので。言葉にできない何かはやはり物語でしか表せないと思うから。エヴァ で学んだこともいろいろ応用できるだろうし。とにかく書かないとね。まだ、 4話のファイルは真っ白(真っ黒?)なのだから……。 (23:40)
1997年8月8日 (金)  今日の日記を書く前に、ここ数日の分を読み返してみましたが、結構恥ずか しいですね。昔、何かの感想文を書いた時「もう少し感情的におちついて書き なさい」というコメントがつけられたことを思い出します。  今日は結局、「砂の城」は見ませんでした。妹の報告によれば、例の「兄」 は漁に出て遭難してしまったようです。展開はさすがにドラマチックです。 ***  昨日買った二冊のエヴァ本をまだ読んでいる途中ですが、物凄く面白いです ね。特に精神科医の斉藤環の文章には考えさせられました。  エヴァという作品は分裂症というより境界例的だ、という論旨で話が進むの ですが、その中で「共感では境界例は治癒しない」という言葉にどきりとしま した。  説明しますと、分裂症とは大雑把に言うと、「精神分析では扱えない症例」 のことを指します。色々説はあるようですが、主に脳の機能障害により、他人 とまともにコミュニケーションをとれず、内向化している人を指すようです。  それに対して、境界例とは、コミュニケーションはとれるのですが、そのこ とにより相手を挑発し、結果的に自分の症状を相手におしつけ、共に治療者と もども泥沼に陥る状況を、まあ、指すようであります。  そしてエヴァはその境界例(ボーダーライン)的な作品だというのです。  精神分析やその他の心理療法・カウンセリングの基本は、「感情の交流」を 持つことから始まります。信用される、という意味以上に、その感情交流行為 そのものに治癒効果を認めるとするのが一般です。それ以上の目標に関しては 学派によってさまざまですが、最低限ここだけは全てに共通しています。  しかし、境界例の場合はそれでは駄目だというのだからこれは大変です。斉 藤先生自体は、それでもやはり前提としての感情交流の重要性を信じたい、と 述べておられますが、治癒した結果だけを見ると、突き放して、結果、逮捕さ れたり、暴れて病院に入る等、患者と離れてしまった方が症状が落ち着くよう なのです。  詳しいことは不勉強で解りませんが最近話題のストーカー気質の方もこの境 界例に含まれるのかもしれません。他にも、絶対理解不可能の化け物という意 味で「サイコパス」の概念を捉えている人もおりますし、従来の精神分析の枠 組みで捉えられない事例が相当増えてきているようです。  精神分析の唱えた「無意識」の概念は百年かけて一般に流布しましたが、も う既に時代は新しい概念をも必要としているのかもしれません。  元々、精神分析は、治療者それぞれの経験的に得た法則を無理矢理理論とし てまとめた仮説の集まりにすぎませんから、「精神分析の理論によればこうな る」なんて断言することは不可能ではあります。  そもそも「治癒」という概念自体が揺らいでおります。私も「治癒」という 言葉はあまり好きではありません。せいぜい「どうにかする」と言うぐらいし か言えません。  しかし、境界例の人はその「どうにか」もできないのじゃ、お手上げです。 一般の人にとってはかかわらないのが一番ということになるのでしょう。プロ でも関わってどうにかなることはゼロに近いようですから。奇跡を待つしか無 いと言いますか。どうにかなったのは「偶然」と言うんじゃ……。  気力のある限りはわりと共感的にいようと思っていましたが、これもワンパ ターンにそうしてはいけないのかも、と考え込みます。ましてや自我の弱い自 分ですから。身の程を知ってさっさと逃げ出すことも必要なのかもしれません。  怖い。 (8/9 0:01)

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