MORIVER'S SWEETEST DIARY (25) 更新日記 (25)

10月 25日(土) ぱちり
10月 26日(日) OFF会に行く/俺/走れ
10月 27日(月) 走ってない/風/それだけ2
10月 28日(火) 「兵士に聞け」2/青年の主張/水餃子
10月 30日(木) 終了
10月 31日(金) 騒然/青い鳥・悦司・雲居の雁・逃避



1997年10月25日 (土)

 今日はこれから飲み会があるので、まともな更新はできません。
 もっともいつもまともな更新なぞしておりませんが。

			***

 床屋に行く。
 髪を切られる。
 頭を洗う。
 クリームが塗られる。
 髭が剃られる。
 銀色の大きなペンチのようなものが顔面に寄ってくる。
 それを薄目で見ていると。
 ぱちり。
 鼻毛を切られた。

 料金は3700円だった。

(15:50)



1997年10月26日 (日)  というように、昨日は、普段の自分の姿があまりにも見れたものでは無いの で、床屋に行ってから、usさんうめりんさんの主催するOFF会に出席しま した。  場所が渋谷だ、と聞き前日になって慌てて参加希望のメールを送る。事前に 武W氏と待ち合わせして渋谷に行くと、ハチ公の台の上にのっかって、「アス カ掲示板」と表示させたノートパソコンを両手に掲げた、黄色のサングラスに あご髭姿の方がいた。usさんだった。  一次会では「だぶりものだから」ということで、エヴァカードやらポスター やらをいただいた。ちなみに私は当日、バッグ一つもたない手ぶらであった。  二次会ではひたすら話をして終わった。酒も料理もあまりにあまっていた。  11時すぎには解散になった。私は山手線に乗り無事帰宅した。 ***  切実に感じたことは、長いことの穴蔵生活のために、私の対人能力は著しく 低下していた、ということ。自分で情けないほど緊張して、はっきり言って 「おどおど」していた。それは、具体的に何か、という問題では無く、ただ単 に大勢の人に接していることに対する不慣れさに由来するとまどいであった。  実に人間というのは退化すればするものである。決して人付き合いが得意な アクティブ野郎だったとは言わないが、ここまで自分の態度に不自然さを感じ るというのもやはりどこか異常だ。勿論、他の人がどう思ったかまでは解らな い。ただ、自分自身は、自分を身体をうまくコントロールしきれない何かを、 どこかで感じ続けていた。  時折トイレに立ち、鏡をのぞくと、ざんぎり頭で顔色が悪く、眼鏡のレンズ の奥で目を細めている痩せた、なで肩の冴えない24歳の男がいた。かつてア ウトドアが趣味でしたと言っても、まず誰も信じてくれないだろう。しかし、 本当は違うのだが、「秋葉原へ行くのが趣味です」と言えば、百発百中で頷い てくれそうではある。  つまり。要するに。  極度に不健康、ということなわけで。 ***  今日は一日中ごろごろしていた。決して二日酔いだったわけではない。ただ どこかだるかった。こりゃいよいよやばい感じである。  マジで俺は社会復帰できるのか??  ランニングぐらいした方がいいのだろうか。溜息。 (23:51)
1997年10月27日 (月)  一日が経ったが結局ランニングはしていない。  それどころか一日の大半をごろごろとしたまま過ごしていた。飯を食べるの も面倒だと思うぐらいにごろごろしていた。しかし、不思議と退屈とは思わな かった。やろうと思えばやるべきことも、やれることもある中で、あえてごろ ごろしていることは実は結構な贅沢……なのかもしれない。お金は無いけどね。 ***  ぼうっと本棚を見ていると、村上春樹の「風の歌を聴け」があったので、手 にとってぱらぱら読んで見た。かなり前に、古本屋で50円ぐらいで買ってきた 本で、紙魚の匂いが少しする。もっとも、新品だったとしても、既に古本にな るだけの時間は経ってはいるけれども。  元々薄っぺらな本の上、小難しいことは何も無いので1時間もかからず読み 終える。それにしても、怠惰な時間に村上春樹とは、いかにもすぎて我ながら 馬鹿らしい。今書いているこの文章がなんか春樹っぽいのも嫌な感じだ。  その本の一節に「嘘と沈黙」という語があった。嘘と沈黙は世界の二大諸悪 の根元なんだそうだ。知らなかった。しかし、嘘も沈黙も許されない世の中な んて俺は嫌だ、なんて思いながらぱらぱらページをめくっていた。  今回読んで初めてこの小説が、29歳の主人公が21歳のある夏休み、故郷に帰 郷した時の思い出をつらつらと書きつづった物語であることを知った。実は、 ちゃんと読んでいなかったままであったらしい。飛ばし読みがちゃんとした読 み方、と言うのは矛盾しているようだが、少なくとも今回については、正解で あったようだ。  わりと僕は(「僕」!)、読んだ本や見た映画の話をまとめたがる。昔、シ ナリオの書き方についての本を読んだ時に、それが、物語をつくる上での練習 になると知り、意図的にくりかえしているうちに癖になった。やってみると、 長い物語を一言で現すということはなかなか爽快で面白いということに気付か される。  そしてこの「風の歌を聴け」とは、単なる主人公の思い出話であり、ただ、 故郷に帰ってきてまた、東京に戻るだけを書いた物語だと僕は断言する。それ だけ。 ***  ところで今日の現実は。  夕食にはみそ汁に、鉄火丼を食べた。  テレビではダウンタウンのHEY・HEY・HEYがやっていた。  結局、彼らは司会を続投するらしい。  たまごっちは5歳になった。  今は眠っている。  それだけ。 (23:21)
1997年10月28日 (火)  困った。さあ、困った。  何をか言わんや。 ***  10月24日の日記にも書いた「兵士に聞け」を読了した。全体は5部に分 かれている。1部は、防衛大学の卒業式。自衛隊と社会での認識・地位につい ての作者の概論的部分を担っている。2部は陸上自衛隊のレンジャー部隊につ いて。持っていても昇級はおろか、待遇においても何の価値も無い過酷なレン ジャー部隊訓練をなぜ受けるのかを通して、自衛隊の隊員の一人一人の記録を つづっている。  3部は、海上自衛隊の護衛艦内の隊員の様子。4部は航空自衛隊のレーダー 基地のある奥尻島の隊員たちが、あの巨大地震についてとった行動について。  そして5部が、カンボジアPKOに参加した施設大隊(工兵部隊)の現地で の様子が描かれている。  徹底して、取材した一人一人の隊員の、そして著者自らの「目」通した現実 にこだわって編集されている。一つ一つの事実はあくまで、著者と著者に語っ てくれた人々の言葉によって、記される。これは、当たり前のようでいて、実 はすごいことである。取材して得た事実の多くは、間接情報であるが、それを あくまで真実のように書くことが往々にしてある中で、固有名詞を省いたとは 言えきちんと、生活ある人の言葉としてそのまま記すというのは難しい。  そのため、読んでいると自衛隊の中で「生活」するということが、どういう ことなのかおぼろげながらも見えてくるのが、実に心にこたえる。  本書のクライマックスは5部のPKOについての記述にある。それまでの部 ではことごく実践には出ない訓練のみを繰り返す自衛隊の姿がしつこく描写さ れている。第1部に登場するある自衛官幹部OBの言葉を借りれば「読まれな い原稿をひたすら書き続ける」ことが自衛隊の全てであった。  ところが、その自衛隊が「本物の戦場」であるカンボジアに出向いた時、ど うなるのか。その長い長い前ふりを通してたどりついた戦場。後方支援として 橋の設置や道路整備に出かけたはずの陸上自衛隊施設大隊の隊員が、カンボジ ア統一選挙を目前にして、突如なしくずし的に「パトロール」の任につかされ るくだり。隊員各自が「自由意思」で参加を求められ、結成されたそれは、P KO法で禁止されている「巡回」行動で無いことにされたため、部隊としての 応戦はできないことになっていた。万が一戦闘に巻き込まれた場合は「正当防 衛」としてのみ、発砲が許される。しかし、それはもはや「軍隊」ではない、 というジレンマ。  そんな中でフランス外人部隊に憧れる若い一人の自衛官の姿が印象に残る。 装填されていない64式自動小銃をかかえて橋の工事中の見張りをしている 彼の前に、使いこまれたカラシニコフAK47をかかえた政府軍の兵士をのせ た、トラックがやってくる。工事中、通行止めになっている間、彼は弾の無い、 小銃をかかえたまま、向き合っている。防弾チョッキを着ているとは言え、自 動小銃の直撃には何の効果も無い。事実、厚い鉄板で覆われた輸送ヘリの底で さえ、機関銃の弾丸は簡単にすり抜けてしまう話も紹介されている。  彼は部隊長に無線で報告する。周囲に村人も弾の無い小銃を抱えたこの日本 兵を見て笑っている。しかし部隊長の許可を得て、カートリッジを装填したと たんに起きる静寂。AK47をかかえなおす政府軍兵士。  結局は何事も無く、工事の休憩時間になり兵士を載せたトラックは去って行 くのだが、その瞬間は確かにそこは戦場の一部足り得た。  実際カンボジアでは普通の住民が自動小銃をかかえ、ささいな喧嘩でも銃が 簡単に発砲されていたらしい。  そんな中、ポル=ポト派の襲撃があるかもという報告を受ける部隊もある。 しかし、その時点でその隊には自動小銃がたった二丁しか無い。防弾チョッキ も無い。部隊員は20名もいる。他の隊の応援がくるまで、ただじっとするこ としか許されない。それも一晩中。  そして、選挙10日前になって急に決定した投票所の「パトロール」。それ とは別に隊員の中のレンジャー出身者だけで組織された「医療救助チーム」が 結成されている。自衛隊の一部が戦闘に巻き込まれた場合に、救出に向かいた めのスワットチームである。もちろん、このような軍事行動は、明かにPKO 法違反。実際に行動に移った時点で、裁判にかけられることは必死な存在であ る。  だが全ての命令は確かに上から出ている。しかし責任の全ては現場にとらさ れる。自衛隊がどうを越えてこれは結局日本全体の縮図、となっている。そし て、それが全編を通しての控え目に流れているテーマの一つである。  そして読後に強く感じるのは、自衛隊は兵士足り得ない兵士のふりをさせら れる人達であるということである。およそ彼らは戦争のプロでは無い。わずか に災害救助活動に従事する人のみが、自分の仕事についての確かさを感じられ るが、それは数的に少数であるだけでなく、部署としても自衛隊内では、予算 もろくにつかない、周辺の周辺に位置されている。ヘリ格納庫は何十年も前の 建物のままであり、かけている危険のわりに、特に給料がいいわけではない。  実践を経験したPKO部隊は帰国してからも、いけなかった他の隊員からは 複雑な目を持って迎えられる。手当としておよそ200万ほどを手にし、意外 にも好意的な社会評価も受ける。留守を守った隊員は減った隊員の分だけ2倍 3倍の分の仕事を止む得ずこなしたというのに、手当はゼロ。  自衛隊は今、下士官クラスが多いわりに、それ以下の「一般隊員」の極度な 不足に見回れている。護衛艦は定員の3分の1で稼働している。陸上自衛隊に も、動かさずに眠っている戦車や装備が数多ある。  それが自衛隊であるらしい。 ***  私は昔、自衛隊なんかいらないと思っていた。戦争なんて、やろうと思わな ければおきないはずだと思っていた。  しかし、それはある意味正しかったが、ある意味間違ってもいた。それは、 日常のささいな争いごとについて考えてみれば分かる。争いごとは、ないまま にしようと思えば、なくせるかもしれない。しかし、争いごとを無いままにし ておくこおとが「本当に」できるのか。時には「争って」でも何かをしなけれ ばいけないことがあることに、遅かれ早かれ誰でも気付く。  戦争反対と唱える運動家も「争って」いる。気にくわないあいつに注意する ために、結局誰かが立ち上がって、殴りつけてしまったりもする。それを止め る人間も殴られたりもする。そうしたらその人も切れて、逆に率先して、殴る 方に回ってしまうかもしれない。かと思えば、誰とも争わず、ストレスをため 続けて一生を過ごす人もいる。耐えきれずに結局爆発してしまう人もいる。  戦争というのはこういうことの全ての延長線上にあるのではないか、と今は 見当をつけている。  であるなら、簡単に「軍隊はいらない」とは言えなくなる。実際に、世界に は紛争が満ちあふれているのだから。もう誰だか忘れたが、フランスのある実 存主義者はレジスタンス時代を振り返り、「あの時の方が自由があった」と言 ったとも聞く。争いの中に何かを見つける人もいる。  結局、私は殴るのも殴られるのも嫌で、痛いのも人を傷つけて嫌われるのが イヤだから、自衛隊なんかいらないんじゃない、とのほほんと言っていたのだ と気付いた時点で、口が動かなくなった。別に誰に言われたわけでは無いが、 ふとそれに気付いた。いざという時には殴りたい奴もいるし、嫌われてもしょ うがない、と思うようになったことが原因にあるような気がする。つまり、自 分はおよそ大層な奴では無い。嘘もつくし、つかれるし。でも、まあ、なんと かできることも多少はある。それが何なのかまだかなり茫洋としており、ちょ っと情け無くもあるが。  身は軽いのに、心は重いな、と、生の生活と人生がとうとうと述べられてい るこの本を読みながら、そんなことを考えていた。 (10/22 1:22) ***  今日の夕食は水餃子だった。 (10/22 1:27)
1997年10月30日 (木)  なんと言いましょうか。ついに一日更新さぼってしまいました。  ここまで築き上げた毎日連続更新記録が……。  ほんとは、そんなに気にしていないんですけれどね(^_^;  期待してくれていた20人ほどの方々には申し訳ありませんでした。 ***  さて。  接続自体も二日ぶりになって、早速繋いでみた所。  プロバイダーからのメッセージというのが現れてきた。  見ると。  「当接続サービスは12月24日で終了します」とある。  愕然。  今繋いでいるこの「アスキー・インターネットフリーウェイ」はその名の通 り接続料が無料のサービスである。電話代のみで、しかもテレホーダイも併用 すれば、一月2000円ほどで夜中はつなげ放題という、まさに「おいしいとこど り」の状況であった。  サービス終了の本当の理由は分からないが、おそらく採算がとれなかったの が主たる原因ではないかと推察する。  しかし困った。  次に乗り換えるべきプロバイダーをさがさなくてはいけない。どう考えても このフリーウェイよりお得そうな所は無さそうではあるが……。メールアドレ スも変更しなくてはいけないし。  やっかいな限りである。 (23:55)
1997年10月31日 (金)  こんなことを語っても聞く人は言葉につまり寒い気分を味わうだけとは承知 ではあるが。  一つの話題で、我が家は少し騒然としている。  私の髪の話である。  特に妹二人は、執拗にヘア・チェックを薦める。……しかし、それでどうに か本当になるのだろうか。「1本から7本とかいうあの、やっぱりカツラより 増毛よ」とか言っている。親父もそうであるので、これは遺伝だ。覚悟はして いたが、どうもここ数ヶ月は気になる動きがある。抜け毛とか。頭の地肌がふ つふつするとか。床屋でもなんかお寒い感じであったし。  冷静に思うに、私の今の条件は最悪に近い。無職の貯金食いつぶし状態。貧 弱。目が細い。背も高くない。しかも長男。今や宇宙人であるよりも長男であ るほうが避けられる時代である。将来も先行き不透明である。その上、髪まで ……。仮に今、結婚相談所に登録しても、私のプロフィールに検索をかけてく れる可能性はゼロに近いであろう。  ただどうもまだ実感が無い。実感した時が恐怖なのだが……。  神よ、頼みますからこれ以上私に試練を与えないでください(;_;)/ ***  いかん、いかん。  せっかく、雰囲気を明るくしようと思った矢先にこの調子では。 ***  そう、「青い鳥」である。  豊川悦司主演のドラマである。これが結構よい。  け飛ばしたくなるほど彼が格好いい。それも嫌味な格好よさならまだしも、 妙に地に足がついた渋さで攻めてくるから、また困る。画面も妙に気合いが入 っている。  悦司の役は、小さな地方の村の駅員。父親もその駅の駅長。つまり悦司は故 郷の町にずっと留まったままでいるわけだ。母親は、まだ悦司が幼かった頃に 男と駆け落ちしていない。  そんな状況の中、一人の女性が悦司の前に現れる。  悦司の昔の同級生(佐野史郎)の妻である。  佐野史郎という時点で既に何か怪しげな雰囲気を予想させるが、その通り、 もう絵に書いたような「偽善者・変質」ぶりを発揮してくれている。今、日本 で偽善者を演じさせたら、佐野史郎か加勢大周かってぐらい彼のはまり度はか なり高い。  佐野史郎はその妻(夏川結衣、よく知らないがわりと正当派美人)を前の旦 那の借金を肩代わりするために、自分のものにした、駄目人間。その金も、佐 野史郎の父に借りたものだ。佐野史郎の親父は大金持ちなのだ。  しかし、佐野史郎は妻のただ自分のものにしたい一心で手に入れたはいいが、 彼女が自分に関心に無いことに気付いており、日々疑心暗鬼でいる。自分でも 父に泣きついた手前、「飽きた」としても引っ込みがつかない、ただ、意地で 好きになっているだけじゃないかと思っているぐらいでもあり。  その妻は駅員の悦司に惚れてしまう。悦司もとまどいながらも、彼女のこと を……。  他にも悦司にほのかに心を寄せている幼なじみの女、永作博美などもおり、 彼女もなんかけなげでよろしい。悦司が、駅員をやっているのも、昔自分を助 けて死んだ、親友(永作の兄)の意思を継いでのものというのも泣かせる。  それで、今週は、親父が悦司とその妻との関係に気づき、しみじみ逃げた女 房のことを語り、家を出て一人で暮らせと語る。親父は前田吟だ。たんたんと 語る姿に愛がある。こんな格好いい前田吟は初めて見た。某橋田女史のドラマ なんか続に投しなくて成功でしたね、と一声かけたいぐらいである。  佐野史郎は、妻が浮気しているらしいのに気づき、娘を東京の叔父の元に預 けると彼女に話す。このドラマでは直接に佐野史郎が切れるシーンは無い。だ が、にこやかな顔で一見正論を吐く彼は本気で怖い。やっぱり村の小学校はあ わないようだから、東京の私立の学校に通わせて、しっかり**家にふさわし いように教育してもらわなくちゃね……。  これから東京の学校に転校の手続をしにいかなくちゃいけないの、あの子は まだ知らないけど、と駅のホームで彼女の話を聞いている悦司。ホームのある 鳥かごの前で騒いでいる娘。悦司は言う。母親と子供がばらばらじゃいけない。 いつに無い激しい口調。  そこへホームに列車が入ってくる。遠くで二人の様子を見ている前田吟。な ぜか永作もやってきている。列車に乗り込む佐野史郎の奥さん。  発車のベル。  と、大股で悦司が見送りにきただけのはずの鳥かごの前の娘に近づき、抱き かかえ……閉まる寸前の列車に乗り込む。唖然とする前田と永作。  動き出した列車の中で、悦司は奥さんに一言言う。「三人で暮らそう」、と。  来週の予告では、その自分を捨てて逃げた母親に会いに行くシーンがあった。 かつての自分の姿を悦司たちに見た彼女は、駆け落ちの辛さを語る……。  どうも、この先ドラマは追う佐野史郎から逃げ続けるという、ロード・ムー ビーへと流れてゆくようである。  気がかりなのは、永作博美である。今後出番はあるのだろうか。なかなか彼 女も捨てがたいのであるが……。源氏物語の中でも「雲居の雁」が好きな私な ので、なんかああいうけなげさには弱くもあり。  はあ……現実逃避(^_^; (11/1 0:56)

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