MORIVER'S SWEETEST DIARY (26) 更新日記 (26)

11月 1日(土) 熱中時代/ハッピーバースデー
11月 2日(日) セオリー/突撃
11月 3日(月) 半端な季節/黄昏/ブルー・オーブ
11月 4日(火) おじや/ナタリー
11月 5日(水) 朝/新25話フィルムブック
11月 6日(木) パーリタ・イメージソング/**はまだ16だから
11月 7日(金) 続きは明日/ニューシネマパラダイス
11月 8日(土) 忘れた/おかわり



1997年11月 1日 (土)

 めっきり11月です(篠原ともえ風)。

			***

 振り返るにページ作成からはや、半年である。最初は意気込んで「ホーム
ページ制作のノウハウを」などと言っておりましたが、技術的レベルはあっさ
りクリア。残された課題は多いものの、まあこうしてまがりなりにも公開はで
きていてる。

 インターネットにはまったそもそものきっかけであるエヴァンゲリオンにつ
いての熱も私の中では現在、沈静を保っている。エヴァページは今でもまだぽ
つぽつと生まれているが、今までにできた数多のページを越えるレベルのもの
は少ない。やはり全体的に見ても、「ピークは過ぎた」と考えてよいかと思う。
 ファンが一つの作品について楽しむ方法は様々あるであろうが、今後は、や
はり「キャラクター中心」にした昔ながらのファン活動……画像や、パロ小説
……などが続くのみになってゆくのであろう。
 エヴァの特殊性の一つとして、その衒学趣味的な部分に煽られ、様々な専門
分野からのアプローチというスタイルが見られたが、現在この方向性を打ち出
しているページはほとんど無い。オカルト、宗教、心理学、文学、生物学、軍
事、サブカルチャー、映画、音楽……。ブームと共に全てはまた四散し、もは
や「懐かしむ」状況になったと言える。

 こんな中で、未だにまだ私の頭にあるエヴァについての一つの問題は「綾波
vsアスカ」の図式である。なぜか両者のファンの交わりは少ない。のめりこみ
度が高くなれば高くなるほどその傾向が強い。おそらく、各人が綾波やアスカ
というキャラを通してみた、「理想の異性」の姿は、一つのタイプとして心の
中に生涯残り続けてゆくのであろう。キャラにのめり込んだファン活動をして
いる人達は、その活動を通して、そうした内なる何かの「像」を追い求めてい
るのだと考えると、その際限の無さに時折圧倒される。
 そんな、少なくとも「萌える」個人にとって、キャラは大切な存在である。
彼女ら「綾波」や「アスカ」を通して、みんなは何を見ているのか。そして、
その二人の差はどこにあるのか。これを考えて見ることは、全く無意味なこと
では無いと思う。
 実際、この問題について幾つかの説もある。キーワードの一つは「母性」で
ある。アジアは母性社会であり、この母性的なものにシンパシーを感じるもの
は綾波に惹かれ、それとは別の西洋的な母性を父性の下に置こうとする価値観
にシンパシーを感じるものはアスカに惹かれるというものである(日刊アス
カより)。
 しかし、各ファンが果たしてこのことにどの程度自覚的であるのかは分から
ないし、また、必ずしもこの図式に当てはまらない場合も多いであろう。恋は
盲目とも言う。一度、好きだと思ってしまったら、そこにいろいろなイメージ
を重ねて行き、気がついたらオリジナルの姿とは似てもにつかない存在に恋愛
していたということは、実にまま、あることである。
 ましてや、女性キャラだけ見ても「ミサト」「マヤ」などにも依然根強いフ
ァンはおり、この両者の対比もまた興味深い話題である。最近では「ユイ」の
ファンや、幼少時代のアスカやミサトと言った「変化球」に対する信奉も厚い。
 そして、以上は主に男性から女性に対するアプローチの問題ではあったが、
逆に女性側からの「シンジ」「カヲル」「トウジ」「加持」に対するファンの
声もまた、見逃せない。
 行き着く所は、人は一体どういうタイプの異性を求めるのか、その奥にはど
ういう心理がうごめいているのかにたいする関心、にいきつく。なぜ、アスカ
ではなく綾波でなくては駄目なのか。なぜケンスケじゃなくシンジやカヲルが
いいのか。これは、俗っぽい話題でありながらも実に奥の深い問題のように思
える。
 そしてこれに対する明確な答えは未だ私には無い。予感のようなものがかろ
うじてあるだけである。これについては今後も折りをふれて語ることがあるや
もしれない。

			***

 エヴァについての様々な「謎」についての関心は私にはほとんど無い。全体
で感じるのはやはりこれは「監督」のつくった一種人工的な「夢」であり、
人々はそこに片足をつっこみながら、また自らの「夢」を見る、という巧みな
構造だけである。であるから、特に、キャラクターにのめり込み、そこに見る
「異性」の姿は、他人からは時に奇異にも映るものの、たまたま、シンパシー
を感じたならば、それは他の何ものよりも堅固なつながりと感じられるのであ
ろう。

			***

 以上は簡単な状況分析と共に、一つの問題提起でもある。このようにキャラ
クターを通して「個人的な夢」を見続けていることが本質であるならば、それ
は追求してゆけばゆくほど、その人自身の個性がわきあがり、結果として他人
との「差」を自覚してゆくようになるだろう。つまり「俺の綾波」「俺のアス
カ」と「あいつの綾波」「あいつのアスカ」はなんか違う、と次第に気付くよ
うになる、ということだ。
 その時、人はどうするのであろうか。「俺の綾波」「俺のアスカ」を守るた
めに、そのことを自分だけのものとして語るのをやめてしまうのか。それとも
ファン同士で語り合い「俺達の綾波」「俺達のアスカ」を作りあげるのか。は
たまた個人的に生んだ「俺の綾波」「俺のアスカ」像を他人に布教してゆき、
仲間を増やすのか。
 こうした動きは現実のネット活動の中で、確実に生じている。絵を描いたり、
小説を書くのはこうした流れの内に全てある。

 ここで、現実との乖離を問題点として指摘する人もいるかもしれない。理想
の女性に勝手におぼれてゆくことは、単なる現実逃避では無いのか。それこそ
まさに「気持ち悪い」では無いのか、と。

 そうかもしれない。しかし、あえて私は言うが恋愛でも仕事でも趣味でも
「本当に」熱中することは実は大変難しい。孤独を感じる人が多いと言われる
現代ではあるが、また、逆に「完全に一人」になることができないのも事実で
ある。その限りにおいて、やはり誰でも「社会」の中に生きているのであり、
そんな状況で「熱中」するのは程度の差はあれどうやったって危険なことなの
である。

 ここで単純にアニメのキャラに萌えることは安全な「熱中」であり奨励され
るべきこと、などと言うつもりは無い。現実の危険なものに「熱中」してがん
がん傷でも何でも作った方が結果としてよい場合がたくさんあるからである。
実際、世界の歴史や社会を支えたのはそういう人たちである。

 私はおたくである。少なくとも中学以来他人にはそう見られ続けている。そ
しておたくでは無い友人はそんな私のことを時折「うらやましい」と言った。
何がうらやましいかと聞くと「そんなに熱中できることがあってうらやまし
い」と言うのだ。もちろん、そうは言っても彼らも別にマンガやら何やらに熱
中したいわけでは無く、ただ熱中できるというそのこと自体を望んでいるだけ
ではある。
 だがしかし私は特に「熱中」しようと思って何かをしたわけでは無い。自分
より熱中度の高い人は大勢いることを知っているし、それに比べればいかに自
分が淡泊であるかを自覚してもいる。
 何より証拠に私のエヴァ熱はすっかり冷えている。グッズ集めにも興味が無
い。はっきり言うとエヴァ小説を書く情熱もかなり弱い。どうでもよい、と思
うこともある。

 再び話題をキャラ萌え話に戻す。熱中がいいことかどうかは分からないが、
そういうことは出来そうで出来ないことなのだから、何にせよ熱中しているな
ら、とりあえず熱中しておけ、というのが一応の私の結論である。
 もちろん、そこには「依存」という大きな問題が横たわっている。だが、依
存が問題となるのは実は本人よりその回りの人である場合が多いので、とりあ
えずは保留にしておく。
 そんな私が今熱中しているのはよくも悪くも「人」であったりする。他人も
自分も含めて何と言っても面白いのは人間である。これについて「分かった」
と言った人は古今東西未だいない。どこかの宗教家は、何か言っているかもし
れないが、すっかりすれっからしの私は、残念ながら信じられない。従って、
これは底なしである。だが、だからこそ「面白い」。
 その流れの一つがやはりインターネットであったりする。インターネットの
動きというのは人の心の動きを或る意味、目に見える形で現してくれている。
私はエヴァには関心が無くなったくせにエヴァが好きな人、エヴァが好きだっ
た人はまだ好きであったりする。これが今後どういう行動につながるのか、私
にはさっぱり分からないのだが、まあ、考えながらまだ当分は続けるのだろう、
とぼんやり感じでいる。その手がかりが最初に述べた「綾波・アスカ」問題で
は無いかと思いながら。
(23:33)

			***

 ……今一つまとまりが無いですね。
 しかも偉そうですし。
 実に綾波派、アスカ派から見ても「余計なお世話」とたしなめられそうであ
ります。しかもなんか観察の対象として面白いと言っているようで……いえ、
決してそこまで覚めているわけじゃ無いのですが。うーむ。
 ちょっと怖いかもしれませんが……反論の或る方はお待ちしております。

			***

 母がぽつりと「29日、誕生日だったのよね」と言った。
 知らなかった。というか忘れていた。
 ハッピー・バースデー・マミー。
 大台プラス1だそうです。

(23:54)



1997年11月2日 (日)  日記、さぼってしまう所だった。  ここで休んでしまうと本当にさぼり癖がでてしまいそうなので無理矢理にで も書くことにする。 ***  ジヲ同盟などでも日々お世話になっている園部さんと会う。会社研修の合間 を縫ってのしばしの逢瀬である。予定と異なり、ちょっとした連絡のすれ違い から結局私の地元にまで来てもらうことになる。恐縮である。  日々チャットや掲示板で会っている人と実際に顔を会わすのは、また不思議 な気持ちではある。これは慣れるようでいてなかなか慣れない。園部さん自身 はネットで知り合った人と直接会うのは初めてだと言う。同じような感想をも らしていた。  しかし、帰り際、中国語を話す太った若い妙に汚れたエプロンをした店員の いるラーメン屋で、突撃ラーメンと肉野菜炒めラーメンを食べ終える頃にはす っかり打ち解けていた。やはり、共に食事をすると親しくなるというセオリー は事実であった。  明日は、先日のOFF会でも会った武W氏と三人で秋葉原を散策する予定だ。  ちなみに突撃ラーメンとは単に餃子の中身を崩して具にしただけのラーメン であった。なぜ突撃なのかは、知らない。……突撃? (11/3 3:25)
1997年11月3日 (月)  半端な季節である。  今日も、涼しいというほどでも無く、暑いというわけでも無く。いい天気だ と言えばいい天気だが、時折ふと寒さも感じる日であった。 ***  前述の通り、園部氏と武W氏と会い、秋葉原を文字通り、「ぶらつく」。 特にあてがあるわけでも無く。男三人は、なぜかちらほら散見するカップルな どを横目に歩行者天国を歩く。秋葉も変わったな、と口々に漏らす我々。  気がつくと裏通りにいる。むき出しの基盤を並べたジャンク屋。マンション の一室にこしらえた店舗などが実に我が一行に似合っていた。  まったりと流れる時間。マクドナルドでは店員に明るい笑顔で、食べ終えた トレイや容器を回収される。暗にというより露骨に追い出そうとするその態度 にこっちは落ち着かなくなる。結局、秋葉原の高架の向こうにあるスケート場 の一角に座り込み、缶コーヒーをすすりながら夕暮れを迎えることになった。 鳩はくるっくと群れていた。  実に人というのは大勢いるものである。そんな中で、ばらばらの場所で生活 している人が、何かのきっかけで親しくなったりして、こうして会ったりする のは思えば不思議ではある。等と本物の黄昏の中で、心までいささか黄昏始め た所でお開きとすることにした。私を除いた二人はまた時間をかけて、家に帰 らなくてはいけないのだ。  私は家にたどり着くと、昨晩徹夜だったことあって、夕食も食べずにベッド にもぐりこんだ。もう「日記」を書くのもどうでもいいやと思うほどに、疲れ ていた。この数日ずっとそうであった。もしかしてどこか具合が悪いのかもし れないが、単に不摂生な生活をしていたがための報いかもしれない。今朝も、 「ビタシー・ロイヤル」とか飲んで無理矢理体力回復させていたし。  幸か不幸か、目が覚めると夜の一時であった。やれやれと思いながらこの日 記を書いている。珍しく本当の日記らしい日記だなあと以上を読み返し思った。 人が読んで面白いと思うかは知らんけど。 ***  今朝は出がけに少し、ドラクエをやった。ランシールの洞窟で「ブルー・ オーブ」を手に入れた。しかし、この先はどこへ進むべきなのだろう。すっか り物語を忘れている。さて? (11/4 1:15)
1997年11月4日 (火)  どうも具合が悪い、と夕方、母に告げ、私は布団に潜り込む。  目が覚めると私の夕食はおじやになっていた。  他の家族が何を食べたのかは知らないが、醤油ひたったすり生姜が皿に残っ ている所を見ると、おそらく豚肉の生姜焼きでないかと推察する。  それにしてもおじやなんて食べるのは何年ぶりであろうか。  どうも下の妹も具合が悪かったらしく、ついでに私もおじやにされたようだ った。  元々流動食系は嫌いじゃ無いのであっさり全部食べ終えた。久々のそれは結 構旨かった。背中を丸めてぼそぼそ食事をするのもたまにはよい。 ***  11月になり私のパソコン脇に貼られたヘラルド映画社のポスターは、ナタ リー・ポートマンからアリシア・シルバーストーンに変わった。  ナタリー・ポートマンはリュック・ベッソン監督の「レオン」に出ていたあ の少女役の子だが、ポスターにうつった彼女は既にすっかり大人であった。実 際、「ナタリー? 誰だっけこれ」といぶかしり、yahooで検索してしまった 程である。女というのは実に変わる。実生活でも何度かそういうことは目にし て来たつもりだが、あらためてこの現象には驚かされる。それとも、これは、 女性側からも男に対して同じようなことを思ったりするものなのだろうか。  まあ僕とナタリーはそんなに親しい仲では無いので、内面の彼女までは知ら ない。ナタリーはナタリーで「私は私、何も変わってないよ」とか思っている のかもしれない。ああ、でもナタリー、僕には君の心は分からないよ。あの、 大人と少女の中間の危うさを見せた君はどこへ行ったの? もちろん、今の君 も充分可愛いけどさ……。  そんな彼女は、どうも次のスターウォーズ新三部作で王女役として出演する ことが決まっているらしい。まだまだ変化を続けている彼女はこの先、どうな るのか不安ではあるが。まあ頑張れ。  ところでアリシア・シルバーストーンって誰? (恥)。 (11/5 0:50)
1997年11月5日 (水)  朝。  と言っても日も出ていない午前4時頃、コンビニに行こうと玄関を出ると、 新聞配達のおっちゃんとでくわした。  ごくろうさまです、と言うと、おっちゃんは「早起きだね」と言った。  単に徹夜で眠っていないだけだったのだが、僕は笑って、ええ、とだけ答え た。そしてそのまま去ろうとすると、おっちゃんが声をかけてきた。スポーツ 新聞もっていきなよ、と自転車のカゴから一部引き出すと僕に手渡す。  僕は受け取り、笑顔でありがとうございます、と言うと、おっちゃんも笑っ て夜の通りに自転車をこいで消えていった。  ちょっといい朝だった。 ***  結局エヴァの劇場版25話のフィルムブック、買ってしまった。発売日から大 分経っており、正直どうでもいいとも思ったのだが。いつかは買ってしまいそ うな気がしたので、やっぱり買ってしまった。  しかし、やはりアクションシーンなどは実際に動いてなんぼだな、と思った。 引き裂かれた弐号機、などは、画面では一瞬なので、今回じっくり見れたが… …まんま人間の手足であり、内蔵なので異常にグロテスクだ。やはりこれがR 指定もつかないのは不思議だ。  ミサトとのエレベーター前でのシーンはあらためてよいと思った。ミサトの セリフが少々長くてくどいのを抜かせば人物の表情のつけかたなどには、下手 なドラマ以上にリアルな感情がある。おそらく黄瀬作画監督の力だとは思うが、 ここは掛け値無しにうまい。  全体として新25話は、弐号機のアクションも含め、少々げっぷ気味ではあ るものの作品としてまとまっているとは思う。  しかし、もしかしてこの弐号機のシーン、実際に演技をビデオで撮って、そ れをアニメに起こしたのでは……? 妙に着ぐるみっぽいフォルムがそんなこ とを思わせてしかた無いのだが……。 (11/6 0:06)
1997年11月6日 (木)  最近日付変更後に更新というのが続いてお恥ずかしい限りですが。 ***  パーマン・リターンズの感想と一緒に、パーリタの「イメージソング」とし てこれはどうでしょうかという紹介の、メールをいただいた。  イメージソング。  そんなものはつゆとも考えたことが無かった。自慢では無いが、音楽には無 茶苦茶疎い私である。音楽に関する情報源は唯一テレビのみ。たまに妹が見て いるカウントダウンTVを横で見る、というぐらいで、積極的に音楽にはまっ た経験が無い。あ、小学校の時、所ジョージの歌が好きだった時期ありました が……ラジオで聞いて。そもそも彼の歌など今CDで入手できるのであろうか。  脱線した。その曲であるが。  「アルフィー」である。  なるほど。確かにイメージソングに似つかわしい感じだ。突然、映画「激 突・将軍家光の乱心」という映画の挿入歌をアルフィーが歌っていたことを思 い出す。千葉真一ひきいるJAC軍団が大暴れする、わけもなくアクションて んこ盛の作品であった。 ***  曲は4つあった。ちなみにどれもまだ未聴である。 ***  最初の二つ。  『Glory Days』。そして『Always』。 (アルバム『Love』(PCCA-00890:PonyCanion)収録。『Glory Days』は  シングル『Love Never Dies』のC/Wにも収録)  歌詞も添えてある。  「Glory Days 立ち上がれ/自分に、今、勝つために/   ゴールを目指せ、君の、Glory Days」(JASRAC未認可。タレコミ不可)  4話の最後のコピーの心情に合わせたものだろうか。ふむ。 ***  三番目。  シングル『もう一度君に逢いたい』のC/W『風を追いかけて』  (PCDA-00516:PonyCanion) (『THE ALFEE SINGLE HISTORY Vol.4』PCCA-00636にも収録) 「そして君は風を追いかけて/翼広げ心に舞う/  僕は君を追いかけて/さすらう旅人になる」  これはタイトルから察するに帰郷したミツ夫の歌に合わせたものであろう。  ただ歌詞からするといなくなった恋人を求めている歌ともとれるので、  既にコピーの手の中にいるスミレに対するミツ夫の気持ちを現したものとも 考えられる。 ***  そして四曲目。最後。  『君に逢ったのはいつだろう』 (アルバム『JOURNEY』(PCCA-00362:PonyCanion)収録) 「君に出逢ったのはいつだろう/彗星が近づいた夏、確かそうだよね/  幾千もの命消えて/再び巡り会うそのために/僕等は生まれてきた/  サヨナラは遠い未来に、出逢うための約束」  これもミツ夫の曲ですね。再開したスミレに対する思いを語ったもの、とい う感じですね。なんだかスミレを前に突然ミュージカルが始まってしまいそう な雰囲気でもあり。 ***  私自身が試聴する前に紹介するのはどうかとも思ったのですが、こういうお 手紙は初めてだったので嬉しくて紹介してしまいました。九州大の池田隆介さ ん、ありがとうございました。(^_^)/  ちなみに私が返事で「映画化の際の挿入歌としていいかも……」というよう なことを書きましたら、「映画化の前にまず原作を」ともっともなつっこみを いただきました。  やっぱり一話書いているごとにほっとしてはいけませんね。さっさと書き上 げていかないと……とほほ。 ***  我が家の二代目たまごっち。気がついたらもう16歳。にくたらしいほどに 元気である。ただ一度も「うさぎっち」とかいうのにならない。「のびたっ ち」とか「ぎんじろっち」とかいう眼鏡をかけた坊やみたいな顔の奴だ。前回 もこれだった……。もう一段階ぐらい変化しそうだが。もしや次こそ噂の親父 っち?? (11/7 1:44)
1997年11月7日 (金)  今朝方、久々にドラクエをやった。それなりに進展があったのだが、どうに も書くのに時間がかかりそうなので明日の日付でアップします。 ***  ……昨日、「このネタは明日書こう」と思っていたことがあったはずなのだ が、どうにも思い出せない。まあ得てして、思いつきというのはそういうもの なのかもしれない。 ***  昼間、早送りで久々に「ニューシネマパラダイス」を見ていた。  本当に全編、早送り再生でセリフなどまともに見ていなかった。というのも、 それはテレビの二カ国語放送で録画したものなのだが、リモコンが壊れていて、 どうしてもイタリア語と吹き替えが同時に流れてしまうのだ。煩わしいので、 音の出ない早送り再生で見続けていたら30分もかからなかった。こういうの も速読ならぬ速見とでも言うのであろうか。  音が無いわけだからどうしても画面の構図やカット割に注意がいってしまう。 実は映画の文法の勉強にはこれが最適なのではと自負してもいる。レンタルビ デオで新作を借りて来ても、最後にはいつも早送り再生で全編を復習するのを 私は常としているぐらいだ。  例えば、ニューシネマパラダイスのオープニングは、海の見えるテラスのカ ットから始まる。徐々にカメラが後ろに引いてゆき、少しずつ室内が見えてく る。そして画面右端から、電話機に話かける老女の顔が現れる。主人公の母で ある。  手法としては非常にオーソドックスなものだ。新しい展開が生じる時にはで きるだけ同じカットの中で収めるのがつながりとして綺麗でなめらかに見える。 ハリウッドではくどいほど繰り返されるカットである。  しかしハリウッドと違うのは、その引き……トラッキングという……のカメ ラの動きが少々ぎこちないことだ。スピルバーグや、ロン・ハワードがこれを 撮るとしたらおそらくコンピューターを使ったモーションカメラを使うであろ う。機械なので動きは異常になめらかだ。ところがニューシネマパラダイスで のそれは、結構揺れていてぶれており、早回しだとはっきりそれがわかる。  どちらがよいのかは分からないが、変にモーションカメラを使いまくるより かはよいと思う。他にもイタリア語の元の音声で聞くと、登場人物の会話の向 こうでカメラの回る音が聞こえたりと、わりとこの映画は低予算で作られたの ではと勘ぐってしまう。それともわざと、なのであろうか。 ***  カメラの動きは見れば見るほど地味だ。前日に「バグダッドカフェ」を見た 後だったんでよけいそう思う。すると、これは脚本で勝利の映画だったのだろ うか。  それはそれで違うかな、とも思う。印象的なシーンは多い。主人公の親友の 映画技師アルフレッドが、劇場の外の建物に映画を映写するシーンがある。ゆ っくりと壁から壁へと映写画面が移動してゆく様は美しい。  田園の風景や、青年になった主人公が女の子からのアプローチを待って、雨 の中ひたすら立ちつくすシーンもいい。徴兵先での軍隊の描写も、丸刈りの顔 で応唱するアップ。廊下で軍服姿で電話するカット。狭いベッドの中で送り返 されたラブレターを眺めるカット、など異常に少ない。  思うに隙が無い。  ニューシネマパラダイスは完全版という長いバージョンもあるが、こちらは あまり評判がよくない。私は未見だが、見たという人からいい感想を聞いたこ とが無い。この映画は省略がかえってテンポと雰囲気を作った映画なのだろう。  大事なことはいつだって言葉にしにくいもので、だからこそ映像で見せる映 画が成立するのだと思う。実際、主人公トトのアルフレッドに対する思いは、 最後まで明確に言葉にされることが無い。そこがよい。説明はいらない。感じ られればそれでいいというのは、映画に限らずあらゆる創作作品の基本だとも 個人的には思っている。 ***  ラスト、アルフレッドが残してくれたつぎはぎのキスシーンのカットをつな いだフィルムが流れる。我々があれを見て涙を流すのは、実はその間に巧みに 挿入された主人公がフィルムを見る顔のせいである。  大人になった主人公の顔は、物語の始まりからその最後まで無表情であった。 それが、ラストのそのシーンで少しずつ顔に表情が生まれ、涙ぐみ、笑顔を見 せ、くつろぎ両手を頭の後ろに回す時、観客もまた同じように笑い、泣き、く つろぎ、自らの感情を動かされるのだ。  うまいと言えばうまい、ずるいと言えばずるい手法である。感動を与える手 法としてこれは常套だからだ。「シンドラーのリスト」で最後にシンドラーは 泣くし、「ブレードランナー」ではレプリカントはラスト、雨の中で笑う。 「マイフェアレディ」ではヒギンズ教授は最後に涙を隠すように帽子で顔を隠 す。「戦場のメリークリスマス」でビート武は笑顔で「めりーくりすます」と 言う。パターンなのである。もちろんそれが悪いことでは無いが、ニューシネ マパラダイスが或る意味オーソドックスな作品であることの一端を現している とも思う。また、だからこそ多くの人に指示されるのだろうとも。  しかしこの監督の他の作品は知らないが……他に何かあるのだろうか。オー ソドックスな映画で受けてしまうと後が大変なのが、監督にとっては両刃であ ったりする。他人事ながら難儀である。 (11/8 1:36)
1997年11月8日 (土)  しまった。ドラクエ日記書くのを忘れていた(涙)。 ***  今日は高校時代の友人と会っていた。それもまた秋葉原である。どうしても、 パソコン関係の人とのつきあいが多いのでこうなってしまう。土曜なので、歩 行者天国も無く(日曜のみ解放)、やたら道は人また人で混み合っている。そ の上、あちこちの店先で若い女性がマイクを使ってパソコンの解説を誰に伝え るともなくおこなっており騒がしい。そして、もちろんビラ配りも。  その友人がモバイルギア(MK22もしくはMK12)が2万円で売っていたと いう噂を聞いたという。店を少し回るがそれらしきものはどこにも無い。MK 22だと、大概売値は6万程度だ。買えないことは無いが考えてしまう。中古 でも4万**千円、5万弱。下手をすると新品のカシオペアの方が安かったり する。やはり隠れたヒット商品なのであろうか。  結局またマクドナルドにおちつく。先週あった期間限定ポテチリバーガーが 終わっているのは驚きだった。なぜ私に断りも無く……(当たり前)。  その代わり、というわけでも無いだろうが、ホットコーヒーがおかわり自由 となっていた。自由。ただ。ロハとも言う。古いか。  で、頼むことにした。しかし、レジには人がまだ並んでいて結構恥ずかしい。 どうしようと私はレジ脇で立って様子を見ていた。買う人にまじって列に並ば なくてはいけないのだろうか、と考えていると、スタッフの女の子が脇を通り すぎる。声をかけた。  コーヒー、おかわりできるんですよね。勇気を出して初めての告白。  はい。彼女の返事。  ……それでどうすれば……並ぶんですか?  いえ、そのレジのわきで……。  レジ? ここで?  はい、え……あ、ちょっと待ってください。  彼女は突然、私が持っていた空のコーヒーカップを載せたトレイをつかむと 早歩きで奥へと進む。カウンターの端までゆき、その内側に入り、なにやら作 業を始めた。カウンターの左端で私はぼうっと立っている。  しばらくして、彼女がカップにコーヒーをついで戻ってきた。今度はカウン ター越し。彼女は笑顔である。  砂糖とミルクはおつけしますか。  お願いします。私も笑顔である。  ありがとうございます、と彼女は言った。  ありがとう、と僕も言った。  なんか嬉しいと思う私はあまりにも何か志が低い気もするが……いいですよ ね。 (11/9 1:11)

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