MORIVER'S SWEETEST DIARY (32) 更新日記 (32)

12月 15日(月) これは読んではいけないかもしれない/夜中の言葉
12月 16日(火) ABフレックス
12月 17日(水) ぴかちゅう襲撃/ウテナ初体験
12月 18日(木) 朝帰り
12月 19日(金) 25/まんが日本の歴史3巻・道鏡と彼女の話
12月 20日(土) 「めぐり逢えたら」
12月 21日(日) 本



1997年12月 15日 (月)

 真夜中に目が覚める。気が付くと鼻水が出そうな状態だ。慌てて飛び起き、
ティッシュの箱に駆けつけながら、『今日、日記更新したっけな』と頭を巡ら
せる。答えは否。
 それで今、これを書いている。時刻は午前3時50分。

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 以下、おそらく愚痴めいたことになると思う。

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 面白く無い。
 退屈ということは全くないが、非常にふつふつとした微妙なマイナス感情が
心の奥にあるのが感じられ、いらいら、では無ないが何故か気持ちが落ち着か
ない。原因は、無いわけではないが、人に話せるほど明確でも、またわりきれ
たものでも無い。
 しかし、こうした状態というのはきっと誰にでもありうることだろうし、ま
た自分としても珍しい状態では無い。ただ、困るのは、そこはかとなく「他人
から離れていたい」という思いが心の片隅からわきあがってしまうことだ。一
人にしてくれ、と強がる程では無いが、他人の感情をうけとめたり、相手の気
持ちに感情移入することが億劫になってきているのは確かだ。疲れているのか
もしれないし、単に我が儘なだけかもしれない。

 なんてことを書くと心配してくださる方もいるとも思う。またそれが嬉しい
やら苦しいやら、なのである。心配してもらいたいというずるい感情もあり、
ちょっとは期待するから甘えたことを書くくせに、そういう自分を受け止める
のもまた苦痛だと思ってしまうのである。まさに処置なし。

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 気分転換。

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 橋本治著「貧乏は正しい」を昼間買って読む。以前、ヤングサンデーで連載
されていた記事をまとめた本である。以前、ハードカバーサイズで売りに出て
いたものだ。

 この記事をヤングサンデーで読んだ時の記憶がある。
 私が大学浪人していた秋のとばぐち頃のことだ。私は、突然『自然気胸』と
いう病気にかかった。肺の一部に針ほどの穴が空き、何割か肺が縮んでしまう
という病気だ。
 なんて書くと大層な感じではあるが、実はそれほど重い病気では無い。症状
としてはなんか肺の片方がぶらぶらした感覚があり、胸がつまった気持ち悪い
感触と、少々の息切れ。それだけだ。命に別状は無い。
 ただ、原因も不明であるし、ほうっておくわけにもいかないということで、
入院することになった。体のだるさは感じるが、病人と呼ばれるほどの状態で
は無いので実に退屈であった。その時、病院の売店で、普段読まないヤングサ
ンデーを買った時、見つけたのが「貧乏は正しい」というコラムであった。

 冒頭いきなり「若い男は本質的に貧乏である」という言葉から始まり、以下、
そのことを証明するかのような文章が一冊分続く。いや、この後も続く。全5
巻、そんな感じなのである。
 彼によれば「男は貧乏でなくなった時若い男では無くなり、若い女は貧乏で
は無い」と言う。それはとにかく「そーいうもん」らしい。
 貧乏とはつまり金持ちの対義語だが、橋本氏いわく金持ちとは「それ自体で
利益を産むような財産」を持っている人のことだ。女は社会において、男に貢
がれる者であるから本質的に貧乏では無い。
 そして若い男は貧乏ということは正しい、という。ここまでくると、貧乏と
いうものを通してなんだか熱い「青春」を語っているのかなと薄々感じてくる。
作者はそんな言葉は使わないが情熱のようなものだけは感じる。そう、この本
は熱血の書であったりするのだ。

 ざっとは一度読んだことはある。しかし、今日また文庫化を機会に手に取っ
てしまった。内容は多岐に渡り、説明しづらい。ただ背表紙には「現代の新・
資本論」だとあるのでそーいうもんなのだろう。

 とにかく、内容とは別に浪人時代のことを少し感覚で思い出し、今現在をふ
りかえり、それを安易に結びつけるのは危険ではあるが、やはりうーんとうな
らせる何か共通点も感じた。以前よりもこの本の言いたいことが明確に分かる
ということはやはりなにがしかの成長はあったと見るべきだが、同時に何も変
わっていない気もした。それもきっとそーいうもんなのだろう。

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 鼻をかむ。
 気分がすぐれ無いのは単に寒いだけかもしれない。暖房はつけた。毛布でも
ひっかぶることにする。

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 ブラックジャックを最近読み返す。最後の「解説」まで読んでしまう。涙し
てしまったりする。

 ってこれじゃ小学生の読者感想文である。

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 思考がうまく深まらない。

 自由連想というのが深層心理学の研究方法の一つにある。フロイトが始めた
ものだが、ユングもそれを独自のものに改良して用いていた。後に、それは重
視されずもっぱら夢分析に走るのだが、初期にはこれを用いてコンプレックス
の研究をした。
 コンプレックスというとすぐに劣等感を思い出す方が多いが、そもそもは
「複雑にいりまじったもの」という意味で、わかりやすく言えば心の中にある
うまく説明できないもやもやしたものを指す。
 自由連想をしていて、意図的に避ける単語や、返答のスピードがゆるまる単
語の群というのがあることをユングは見つけた。そこに彼はコンプレックスと
いう存在を仮定した。コンプレックスにぶちあたると、思考がその連想を封じ
ようと動く。完全に封じてしまう場合もあるし、ただ一瞬ためらう程度である
場合もある。一つ確かなのは、そうしたコンプレックスは感情とひどくむすび
ついているということだ。コンプレックスとは、ある説明できない、事柄につ
いての個人的な感情のもつれ、とも言い換えられる。
 ところで、このコンプレックスというのは一般的には解消された方がいい。
手段としてはやはりそのもつれあった感情の束を言葉で整理しなおし、自覚し、
「自我」でコントロールできる状態にすることが上げられるが、うまくいく場
合ばかりでは無い。
 そもそも、中途半端に深層心理学に手を出すとそういうコンプレックスやら
トラウマやらを「解消」すれば、「本当の自分」が出てきて、「幸せ」になる
と思う人は多いようだが、それははっきり言って「全然違う」。
 まず本当の自分なんて知らない方が幸せな場合がある。それは単純におかし
な趣味にひかれる傾向があるのを解放しないほうがいい、なんてレベルの話で
は無い。とにかく心の奥そこというのは誰にとっても言葉では了解不明な部分
があり、そんなものに関わり合うと日常のレベルで安定した自我が不安になっ
たままになることが多いのである。
 コンプレックスについても、その心の奥の不可思議な領域をむすびついてい
ることが(根が深い場合は)多く、うっかり手を出すとかえって怖い結果にな
る。かと言ってほうってもおけないとき、人はしぶしぶコンプレックスと向き
合うである。


 何をいきなりコンプレックスがどうとか言い出すのだ、といぶかしる方もい
るだろう。または、「ははあまた言いわけ始めたな」と思う人もいるだろう。
「暗い話を始めそうだな。読むの辛いな」と思う人もいるかとも思う。
 どれも正解。
 今、私は「思考が深まらない」ということについての自己分析ともいいわけ
ともとれないことを述べたわけある。さらに分析すればこんな回りくどい口調
になったのも昼間読んだ橋本氏の本のせいでもある。氏の文はとにかく回りく
どかった。これでいいのかと思ったら、そんな文章を書いてみたくなった。つ
まりそーいうことだ。

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 そもそも私の書くものはほとんど「自己分析」である。
 と書くとまた「ミーイズムだ」「個人主義だ」「自分を大層な存在だと思っ
てるんだ」なんて言われそうではあるが、それだけでは無く、とにかく、自分
のフィルターに一度書けて得心したものしか書く気はしない、とそれだけの話
なのである。私の書くものがしばしば不正確なのはそのためである。固有名詞
などは非常に曖昧にしか覚えていない。こういうのは読む者に負担を与えてい
ることは分かっている。だが、「日記」だからまあいいか、と開き直っている。

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 いよいよ話の方向が混迷をきだしていた。私は一体何にひっかかっているの
だろう。

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 物を書くということは自由連想のようなものだと思う。「心にうつりゆくよ
しなしことを、そこはかとなく書きつくれば、あやしゅうこそものぐるほしけ
れ」というやつである。そこはかと無いもので、あやしゅうこそものぐるしい。
いいフレーズだ。
 想像してみてもらいたい。
 スウェットの下を履き、デニムのシャツを着て、黒地に白文字画面のエディ
ターにむかって「コンプレックスが」「貧乏が」などと書いている姿を。
 画面には何かぽっかりとした空洞があって、それをとにかく埋めて埋めて埋
めつくしてしまいと感じている状況。
 ちょっとおかしいかもしれない。
 かなりおかしいかもしれない。
 というか、もはや「害」かもしれない。

 ここまで書いたものを本当にアップしていいのかかなりためらいがある。こ
ういうものこそ個人的な日記に書いてしまっておくべきもんでは無いのか?

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 とうとうまとまらなかった。

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 もう5時である。結局一時間以上も、うだうだと書いていた。一応アップは
してみるが、明日になったら消してしまうかもしれない。削ってしまうかもし
れない。しないかもしれない。

 とにかく……また明日。

(12/16 5:00)



1997年12月 16日 (火)  さて一夜明け、あらためて上を見直すと……とち狂ってますな。  しかし、真剣なはずなのにどこか冗談めいても見える。  とりあえずこのままにしておこうかなとも思っている。 ***  上の妹が「アブフレックス」を買ってきた。  深夜の怪しげな米国コマーシャルで流れているあれだ。三角の形の腹筋を鍛 える健康器具である。どうも腹の脂肪を気にしての、苦肉の策であるよう。  こっそり、というほどでも無いが私も試してみる。  △  ┴  こんな形をしており、┴の部分を腹に当て、△についている取っ手を両手で 持ち手前にぐいぐい引いて使う。これによって腹の脂肪が燃焼されて肉が落ち るということだが、効果は定かではない。全体に妙にちゃちなのも驚きだが、 そもそも腹よりも腕の方が疲れてくる。これは私だけじゃなく、母と下の妹と も一致した意見である。  しかし何事も使い方一つという場合もある。いつまで続くのかが注目である。 ***  最近、パーリタの感想を幾つか頂いた。更新もせずに申し訳ないと思いつつ も暇がありません。どうしましょう。 (12/17 0:20)
1997年12月 17日 (水)  この日の日記更新も無し。夕方から上京してきた大学のクラスの友人と飲み に行っていたためである。最近、わりに表に出ることが多い。 ***  朝刊とテレビで「ぴかちゅう、子供600人を襲撃」の事実を知る。テレビ東 京のアニメ番組「ポケットモンスター」内でのぴかちゅうが電撃を発するシー ンを見ていた子供が気分を悪くし病院に運ばれた、という報道だ。  実は前日にこの番組、たまたま私も見ていた。もちろん、いつも見ているわ けでは無く、本当に偶然に、初めて見たのである。本当である。  とにかく、それで朝、騒いでいるのを見てちょっと興奮していた。ビデオに 撮っておけばと後悔もした。テレビでも「あのポケモンが子供を襲ったんだぜ、 うひゃひゃひゃ」というニュアンスが濃く漂っていた。ゲームキャラが現実の 子供を襲うという構図は実に「おいしい」。  初めてと言えば、6時から「少女革命ウテナ」を初めて見た。といってもほ んの最初の15分ほどだけだが。画面は綺麗だし、編集はこっているし、音楽も 確かに歌劇入っており、全体に耽美。人気があるのは少し分かった。しかし、 今からはまるのはちょっと難しそうだ。 (12/18 9:19)
1997年12月 18日 (木)  早朝、9時頃帰宅する。  結局12時間以上顔をつきあわしていた。飲み→カラオケ→ファミレスと黄金 パターンを踏襲。一人の就職祝いも兼ねている。4人だけのこじんまりとした 集まりとは言え、その彼以外全員無職なのは我ながら寒い。類は友を呼んでし まうのか。緊迫感も無いのがまた、なんとやら。  映画の話やら、小説を書く話やらを延々していた。皆、活字中毒であること があらためて分かった。読む本自体はかなりばらばらであったが。 ***  ポケモンのアニメはとりあえず来週分は中止らしい。やはり番組の作り手と してはイメージもあるし、問題を大きく受け止めたようだ。ちなみにワイドシ ョーのコメンテーターによると、今回のポケモンはいつもよりサスペンス色の 強い結構「面白い」回であったとか。はやくも幻の回になりそうな感じである。  ちなみに私は元気である。 ***  明日は私の誕生日だ。だからと言ってどうというわけでは無いが。時がたつ のは早いものだ。 (9:32)
1997年12月 19日 (金)  25歳である。四半世紀である。来年には26歳である。びっくりである。 ***  いつの頃からかわりと子供っぽいと言う評価を頂くことが増えた。人の評価 は千差万別、実に相対的なものであるので、矛盾した評価など幾らでもある。 しかし割合的に見て、いつの間にか子供っぽさが少なくとも表面的には増えた 気はする。  学生時代は歳よりも少なくとも中身に関しては大人びていると言われること が多かった。今思えば、それは大人びているというよりも「若年寄」という奴 であった。何に対しても「こんなものだ」と偉そうに言う傾向があったので、 じじくさく見えたのであろう。  不思議なことに歳を追うごとに断定できる事が少なくなった。少しは世界が 広がったのだと思う。世の中は自分の想像以上に複雑で、ある時には単純に見 えても実に奥が深い。時々その深さにめまいがするほどだ。退屈だけは無い。 ***  なんて悠長なセリフは怖いのでもちろん親や親戚には見せられない。後生で すからたれ込みは無用のこと。 ***  今朝、妹の部屋からまんが日本の歴史3巻を回収してくる。宿題のレポート を書くとかで下の妹が持っていったままだったのだ。  止せばいいのに、つい読み始めてしまう。これがまた存外面白かった。もし かして今の私は「歴史づいている」という奴なのだろうか。  3巻は奈良時代である。「710大きな平城京」である。  大唐国との交流を通して、日本の律令制……つまり法律を定めて動かすシス テマチックな国家組織制度……が成立してゆく時代である。そこでは、有名な 大化の改新で活躍した中臣鎌足こと藤原鎌足の子孫が幅をきかせている。  全国津々浦々で、税金をしぼられ、または兵役に尽かされる人がいる中で、 中国帰りのインテリが当時世界最大の都であった長安で見知った文化を伝える。 一方、天皇は仏教にはまり、大仏なんてものを作りあげる。  印象的なのは聖武天皇と光明皇后の夫婦である。光明皇后は藤原家に娘であ る。藤原家が幅をきかせる要因の一つにもなるのだが、この光明皇后というが どうもかなり熱心な仏教の信者のようなのである。日本中に寺院を作らせたり もしているし、おかしな理想世界を夢見ているようにも見える。漫画の中では いつも笑みを浮かべ天皇にすりよりように立っている。不自然にして不気味。 皮肉か、とすら思う。とにかく、そんな影響もあり奈良時代は実に中国的、仏 教的世界開く、なんとも極彩色な世界なのである。  政治のことはさておき、私が気になったのは、聖武天皇と光明皇后の娘で、 後に女ながらに天皇になる孝謙天皇の存在である。  彼女は天皇になったとは言え、両親が生きていた時期が長くその間、あまり 実権は無かった。両親も死んだのもずいぶんたってからのことだ。そしてその 時、彼女に近づいた一人の僧侶がいた。「道鏡」である。  孝謙天皇はその時、遠い親戚の皇族にに天皇の座をゆずり「上皇」となって いた。しかし、発言力はまだ強かったらしい。そこに道鏡は取り入り、彼女に 大層気入られる。勿論、役職の上でも大出世をし後に彼女は、その道鏡に天皇 の座を与えようとまでする。これは本当にすごすぎる。皇族でも無い、一僧侶 に天皇の座を渡すというのは、当時の常識からしておよそ考えられない事態で ある。  ところでその孝謙上皇は結婚をしていない。影響力の強い両親の下にいて、 婚期を逃すというのはよくある話だ。その上、その両親は宗教づいていた。も しかして道鏡は孝謙上皇にとっての恋の相手だったのではとも感じてしまう。  道鏡は口がうまそうだ。また、漫画で見ると孝謙上皇はあまり美人では無い。 おまけにハイミスだ。そして影響力の強い両親はもういない。孝謙が参ってし まったのは分かる気がする。単に尊敬する僧侶として接していたというには彼 女の入れ込みようは度が過ぎているし、もしかすると「そういう」関係だった のかもしれない。  なんだか、気の強い彼女が道鏡の前では素直になっている、というような図 を思い浮かべてしまったりして勝手に泣けてきたりもした。両親が死んでしま うような歳になって初めて心を許せる相手ができた、というのはどういう状態 なのであろうかと、妄想は膨らむ。  そしてその道鏡という男。どうにも俗っぽいのである。権力欲むき出しなの である。僧侶の世界でも法王という最高位につき、なおかつ天皇まで目指すと いうのだからただごとではない。実際、大分県にあるさる八幡神社で「道鏡を みかどにせよ」よいうお告げがあったと彼女が聞いた時、それを確かめるべく 使いが出たのだが、その使いに道鏡は金品を与えて「よろしく」と頼んだよう なのである。  ところで、その「お告げ騒ぎ」の顛末であるが、その「使い」というのがち ょっとした有名なインテリ学者でもあったのが事態を複雑にした。本当のお告 げの内容がどうであったかは不明であるが、その学者さんは道鏡に天皇の座は 明け渡せないと考えたらしく「そんなお告げは無かった。むしろ道鏡を知りぞ けよと出た」と孝謙上皇に伝える。  無論その彼は怒りを買って、追放刑(流罪)にされてしまう。道鏡としては 悔しい限りであるが、翌年その孝謙上皇は死んでしまう。原因はよく分からな い。しかし、そのことで道鏡は藤原氏に圧力をかけられ都から今の栃木県への 方に左遷されてしまうのである。その上、その2年後彼もまたその地で死んで しまうのである。  その道鏡の引き際ぶりが、私としては「あれあれ」という感じであった。な んだか孝謙天皇の死により、やる気を無くしたその彼の様に「もしかしてちょ っとは本気の部分もあったのかな」と、どきどきしてしまうのである。  もっとも、今、書いていて気付いたのだが、利用価値の無くなった孝謙上皇 を道鏡が始末したとも考えられる。それはそれで面白そうだが、別段殺すまで も無い。天皇にはなれないまでも、彼女が生きてこその自分の地位だったのだ から。 ***  ここまで書いた所で広辞苑で確認してみる。それによれば彼女の生没年は 718〜770である。実に彼女は52歳で亡くなった事になる。当時の52歳と言えば 相当のばあさんである。道鏡の生まれた年は不明であるので、彼がどの程度の 年齢だったかは分からないが、彼女よりかは若そうだ。恋人関係(か、それに 類した関係)と見るには無理があるだろうか。息子、のように見ていたのか。 いやいや、2年後に道鏡が死んだという事実から見て、二人の年齢は同じぐら いだった、と見ることも出来なくは無い。  いずれにせよ、この二人の間柄にはどこかひきつけられるものを感じる。孝 謙からすれば自分の持っているもの全てを彼に捧げた、ともとれる。死ぬ時の 彼女は何を思っていたのか、その彼女の死を道鏡はどう思っていたのか。真実 は闇の中だけになぜか気になるのである。  余談ではあるが、上の「お告げ事件」の際に登場した学者さん、名を和気清 麻呂(わけの きよまろ)と言い、孝謙上皇と上皇無き後、藤原氏の下でかえ って出世している。地元でも像があったりと、わりに立派な人とされているら しい。後の平安京時代にも活躍したとか。人生はまこと色々である。 ***  日記に書くようなことでは無かったかな。まあご勘弁の程を。 (21:39)
1997年12月 20日 (土)  ネット接続はおろかパソコンに向かう時間も激減したせいか、日記を書く間 隔も妙に短く感じる。日常は実にあっという間にすぎさってゆく。 ***  今日、テレビでやっていた「めぐり逢えたら」を見ていた。主演はメグ・ラ イアン。「恋人達の予感」にでも出ていたが、結構好きかもしれない、などと ぼんやり見ていて思った。  物語は、噂にたがわぬロマンチックコメディ。奥さんを無くし、幼い息子を かかえた男と、仕事もいて婚約者もいる女が「運命の導き」で出会うという話。 男の役はトム・ハンクス。不器用な男の役がよく似合う。この人は元々コメデ ィアンなので、とぼけた演技は最高にうまい。地味だが個人的に好きな映画 「メイフィールドの怪人たち」なんて映画に出てきた彼に役のテイストが似て いる。  また、子役がずるい。クレイマー・クレイマーに出てきた子役によく似てい る。全編に映画のパロディらしきものがあるので、意外に狙っているのかもし れない。話は、とにかく「勘違い」と「すれ違い」の連続で、無茶苦茶嘘臭い のだが、それも徹底しているので笑える。なぜか偶然、男の方も空港で彼女を 一方的に見て「一目惚れ」していたりするのは笑って許す意外何もできない。 私なぞ、個人的にはあまり一目惚れしない人間なのですが「こういうのもあっ ていいかな」と思わせるだけのパワーがある。最後は息子のおかげで二人は出 逢い、大ハッピーエンド。  陳腐な結論ですが、苦笑しながらもテンポの良さで最後まで見通せるという 映画でした。こういうのをデート用の映画と言うのかもしれない。 (23:26)
1997年12月 21日 (日)  実に7年前の個人的な日記をひさびさに見る。今と同じようなことを考えて いるのに苦笑するやら呆れるやら。基本的な部分というのは変わらないものな のだろうか。 ***  都営浅草線、五反田駅の一角には利用自由の本棚がある。勝手に本を持って いっても置いていってもいいというだけのスペースだ。その本棚の前に二人の コート姿の女性がいた。そこから20メートルほど離れた所に座り込んで、文 庫本を熱心に読んでいる年かさのくった二人のホームレスの男がいた。僕はそ の前を、懐に買ったばかりの「新宿鮫VI 氷舞」を忍ばせて通り過ぎた。 ***  重石がかかったかのように何も浮かんでこない。今日はこれにて。 (23:16)

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