MORIVER'S SWEETEST DIARY (40) 更新日記 (40)

2月 19日(木) エヴァビデオ11巻
2月 20日(金) 新井将敬
2月 21日(土) 更新?
2月 27日(金) 独り言



1998年2月 27日 (金)  下の日記は書いた所で、アップするのも忘れてそのままになっていたものだ。 空白の日にちも埋めて行こうとも思ったが駄目だった。  泣き言を人に言うのは恥ずかしいことだ。聞く方も、いい気持ちはしないだ ろう。そう思って、日記も書くのを控えていた。  それでも以前は、書いている内に何か色々と思いつくこともあり、何とか書 いてはいた。しかし、その気力すらも、一度なまけてしまうと薄れてしまう。 前にも書いたかもしれないが、こういう事は「はずみ車」に似ている。一度、 回転をかけるとぐるぐる回るが、一度止まると再び動かすのが難しくなる。  結局、自分はネットに何を求めていたのかな、とも自問する。  一応、小説を書くのが目的だったところはある。しかし、それも、最近はう まく書けない。おかしな色気ばかりが先行し、すぐに書く手が鈍る。楽しく、 書くという気分では到底無い。好きに書いていたドラクエ日記にしても、ゲー ム自体をやるのが既に億劫で、進まない。  エヴァについては本当に申し訳無いが、「どうでもいい」という気分しかも う無い。今でも作品は評価しているけれども、同人誌を作るというような方向 には僕の気持ちは動かない。それに、顰蹙を買うのは百も承知であえて言うな らば、僕はいわゆる「アニメ絵」というのが苦手である。  いや、だった、というべきか。とにかく、偏見に近いもので、昔からコミケ などであふれている「巨乳」で「目が大き」くて「いつも笑顔」で、ちょっと 「馬鹿」っぽそうな女の子など見ると……。もうやめてくれ〜と叫び声を上げ たくなる。そしてそういうものを見ていると、何かにこっと笑顔で女の子にば くっと、喰われてしまう、そんな錯覚を抱いてしまう。  これはひねた私の感性のせいである。もう、ここまで書いたらはっきり告白 してしまいますが、僕には心の隅にいつもどこか、女の人に対する恐怖心のよ うなものがある。小さい頃、自分で言うのも何だが、わりと「可愛い」顔をし ていたせいか、女の人にちょっかいをかけられる事が多かった。しかし、そう いうことで嬉しいと思うことは希で、「からかいの対象」にされている、と不 快に思うことの方が大きかった。  中学の頃には、だから、女の子には好かれるのが嫌だ、というとんでもない 性格になっていた。かと言って、ホモにも走れない。男性を見て欲情するとい うことも無い。やっぱりいつも心の中で女の子を求めている。求めているのに 表面ではそうじゃないふりをする。硬派だと言い張ればよかったのだが、僕の 周りに「硬派」なんていなかったので、どういう風に振る舞えばいいのかも分 からない。今も少しその傾向はある。 ***  少々話が脱線した。今、思いつくままに書いているので、話が滅茶苦茶にな ってしまっているが、これが僕なりの「はずみ車」なので、勘弁してもらいた い。人に読んで貰うという観点からは不親切なこと極まりないことは分かって はいるのですが……。  さて、そのアニメ絵、であるが。  漫画は好きだった。でも同じように映画や小説も好きだった。当時、RPG というのもが日本に輸入されて来た頃で、僕は大いにそれにはまった。最初は ゲームブックという形だった。まだ、ファミコンのドラクエも無かった頃だ。  ボードゲーム形式のそのロールプレイングゲームの日本語版が出て買った。 「Dungeons & Dragons」というやつだ。知る人ぞ知る、有名なゲームだ。誤植 だらけで、初版には2枚もの、びっちり文字のつまった正誤表がついていた。  当時はRPGに対する知識を得るには海外ものに頼るしか無いかった。少な い雑誌の情報にものたりなくなると、英語版を買ってきては訳すということを 友達と手分けしてやった。パソコン通信もそんな関係で始めていた。  しかし、時代は僕が高校に入る頃には変わっていた。RPGはパソコンやフ ァミコンのおかげで浸透した。だが、その発展の仕方はほとんどが「漫画」 「アニメ」とミックスされたものだった。  僕は元々アニメも漫画も好きではあるが、熱中する程でもない。当時のRP G界は急速にアニメ絵の世界に浸食され、「テーブルトークRPGとは、アニ メや漫画のノリを、楽しむゲームだ」という雰囲気が濃厚に生まれた。それに 乗り切れない人は、三国志などに代表されるシミュレーションゲームに走った。 僕はどこにものりきれず、オタクなのにオタクの主流には無いというおかしな ポジションを認識させられることになる。  RPGのゲームの様子を元に、小説を書くのが流行っていたので、自分も書 いてみた。次第にゲームなどどうでもよくなり、普通の小説を書くようになっ た。今、ホームページにアップしてある「はちみつレモン」の話などは、その 頃のものだ。高校の半ば頃の話だ。  小説を書く面白さというのは、僕にとっては、自分の無意識の探求を意味す る。なんで、こんな話が思いついたんだろうと、考えながら書く。物語を作る ということはどういうことなんだろう。意味はあるのか。そして、あるとした らそれはどういうものなのか。  そうしている内に、どうしても自分自身について考えるようになる。物語に は自分自身の価値観や、心の揺れがでてくる。或る意味、裸のままでごろんと 転がっている気もした。それが分かった時に怖くなった。特に屈折した部分が 自分では分かりすぎるぐらい分かったからだ。  心理学にはまったのはそういう理由からかもしれない。最初は、講談社新書 から出ている「つきあいの心理学」という本だった。わりと有名なので、知っ ている人も多いとも思う。一応新フロイト派を中心に、色々な学派を折衷して 教えてくれる国分先生の本だ。  結局、国分先生の本を読み倒しているうちに、カウンセリングや深層心理学 そのものにひかれて、図書館や本屋で読みあさる。河合隼雄を読んだのは大分 後のことではあるが。  知れば知るほど、心の動きというは「分からない」ことだらけだと気付く。 そして結局は「分からない」ということそのものに一種の敬意みたいなものを 抱きつつ、分かる範囲でどーにかするしかないのかも、と思うようになった。  はっきり言って、こんな結論は誰もが意識せずにやっていることだ。何でも 割り切ろうと思っていた僕の方がおかしいと大概の人は見るだろうとも思う。  などと書いている言葉自体が、どこかに「割り切りに対するあこがれ」を感 じさせる。 ***  俺は何を言おうとしているのだろう? ***  そう。何をネットに求めているか、だ。  ……まだ分からない。 ***  「何をしている時が楽しいの?」と聞かれることがある。何だろう、と考え 込むことがある。とりあえず、今、僕は言いたいこと適当に書いているで気分 は楽だ。しかし「こんな内容は、本当に一人で日記帳に書いてくれ」と思う人 も多いかとも思う。  楽しいこと。  楽しいこととは違うけれども嬉しいことはある。  例えば、この間の山の手線の中で。僕は、居眠りをして降りる駅をすっかり 通り越して、目覚めた。慌てていた。遅刻だ。しかし、一方で「もう今日はい いや」なんて思ったりしていた。  しかし、気にはなったので隣の人に時間を聞いた。隣にいたのは同年代ぐら いの丸顔で色の白い、育ちのよさそうな女の子だった。彼女は時計をもってい なくて、バックから携帯電話を取り出し表示を見た。しかし、これは時刻が合 っているか自信が無いという。  「待ち合わせですか?」  と彼女は聞いてきた。  「いや、待ち合わせじゃ無いです」  僕は答える。  「大丈夫ですか」とさらに聞いてきた。  「いや、もういいんです……。大丈夫です」  すると電車が止まった。駅についた。僕は時刻を見ようとホームの時計を探 して首をひねった。すると女の子も一緒になって探してくれた。僕は目が悪い ので、なかなか見つからない。彼女の方が先にみつけて「あ、**時ですね」 と教えてくれた。笑顔がまぶしい限りだった。  僕はありがとう、と言って、照れ笑いを浮かべていた。そして、聞かれても いないのに「山の手線一周して帰ります」と答えた。彼女も笑っていた。それ からちょっとの間、無言で席を並べて正面を向いていたが変な感じだった。  やがて、次の駅が来て、彼女は立ち上がり「じゃあ、お先に」とやっぱり笑 顔を浮かべて、ドアの方に向かった。僕が「本当にどうもありがとう」と声を かけると彼女はふりむき、ぴょこっと頭を下げて列車を降りた。  よっぽど一緒に降りて「時間があったら、少し話でもしませんか」と言いた かったがそんな根性など僕にあるはずもない。扉がしまり、ガラス窓の向こう で、彼女が階段を降りてゆくのが見えた。  半分浮いた腰を、座席に沈め直す。無意識に腕を組んでいた。ちょっとまた 眠ろうかとも思ったがうまくいかない。こんなことで喜んでいる自分は、小さ い、つまらん奴だよなあ、などとも考えていた。  実際、つまらん奴である。中には「なんでチャンスをものにしないんだ」な どと言う人もいるかもしれない。逆に「なに、鼻の下伸ばしてるんだ」なんて 言う人もいるかもしれない。  だが、結局、僕はこんなことぐらいで勝手に嬉しがるつまらん奴であること に変わりはない。風呂に入ってとろとろと眠そうな状態でいるのもいい感じだ し、通り道の公園で、葉を落としたケヤキと向こうに見える雲った空を見て、 なんか迫力あるなあ、なんて感心してみたり。どうでもいいようなことで、そ れなりに満足してしまう奴である。 ***  ますます何を言いたいのか分からなくなる。 ***  何人かの人に、「ページはやめてしまうのですか?」というようなメールを 頂いた。恐縮な限りである。本当のことを言うと止めようと思った。自分の書 くものが人に何かしら意味のあるようにも思えなかった。気の利いたジョーク が言えるわけではなく、さりとて、特別な知識があるわけでもない。  小説に関しても、本は山ほど本屋にあふれているのに、なんで、WEBでそ んなものを読みたいと思うのか?  ただ、パロディ小説だけは普通の本屋にないので、多少需要がある。それだ けだ。  パーマンとエヴァについてのパロディ小説についてはプロットは既にある。 これは何度も書いた通りだ。実際、ここであらすじを全部ならべて「はい、お 終い」と言いたい。物語の展開が気になるのなら、これで全て丸く収まるはず だ。別段、何かの意図があってひっぱっている訳でもない。ただ、先の見えて いる物語を書くのは苦痛だというだけだ。僕がものを書くのはいつも、無意識 と向き合うことだから、単純作業を繰り返すのはあまりしたくない。語彙も知 識も限界があるから、書き方も似てくる。それが分かっているから、ますます 苦しい。  いや、こんなことも傲慢な言い方だろう。あたかもがんばれば面白いものが 書けると言ってるようなものだ。……いや。僕は心の底で密かにそれを願って いる。やれば、傑作が書けるはずだ、やれば……。  なのにやらないのは、書けないという事実を知るのが怖いのじゃないか。そ んな分析をしてみる。こういう人間は、間違っても大人物じゃない。どちらか というと駄目な部類に入る。 ***  長い間、日記も書かなかったので、今の気持ちをなるべく、きちんと書こう と思って頑張ってみましたが、ちょっとここまでが限界。もう一つ、今やって いる勉強についての思いもたくさんあるのですが、きりが無いのでやめておき ます。  とにかく、これで少し「はずみ車」も回ったと思います。  なんとか明日も書いてみたい。そう思っています。 (17:35)
1998年2月 21日 (土)  え、もうホームページやめたんじゃないの?  なんて声が聞こえそうな程に久々の更新。  この一週間ほどを思い返して、日記の穴をうめようと画策するも、今一つ何 も思い浮かべられない。考えてみると今までもあまり自分自身の行動の記録に ついてはそれほど書いて来たわけではない。何でもオープンに書いているよう に見えて、一応自分なりの検閲が働いているというのが、やはり公開日記の限 界というものか。 (2/21)
1998年2月 20日 (金)  新井将敬自殺のニュースに少なからずショックを受ける。彼の地元は我が家 とも近く、まだ議員になるかならない頃、近所の商店街で生で見たことがある。  正直、死ぬことはないのにと強く思ったが、議員生命をたたれた後の自分の 人生を見るのも嫌だったのだろうか。  ニュースが流れた時、新聞のホームページを幾つか見る。毎日が一番記事が 多かった。そこに新井将敬のホームページのリンクがある。とりあえず、行っ て見るが、変化は無い。とりあえず後でじっくり読もうとブックマークだけし てゆく。  しかし、翌日見ると、サーバーからそのページが消えていた。インターネッ トというのは、本当に簡単にページが無くなるものだとしみじみ思う。 (2/21)
1998年2月 19日 (木)  エヴァのビデオ11巻を見る。21話「ネルフ誕生」と22話「せめて人間らし く」の二つが入っている。  もうあちこちで報告されていますので、あらためて説明する必要は無いとも 思いますが簡単にテレビとの違いを説明しますと……。  まず全体に「DEATH」で出てきた新作カットが大量に入っています。それか ら21話では冬月の登場シーンが、22話ではアスカの精神崩壊シーンが主に書き 足されていました。  21話は冒頭にセカンドインパクト時のビデオシーン(DEATHの冒頭のもの) が。そしてOP音楽。  冬月がセカンドインパクト後、もぐりの医者をやっているシーン(新作)、 人工進化研究所の前でユイと再会するシーン(新作)、ユイとの会話のシーン (DEATHより)、加持の冬月救出シーンの描写(新作)などが追加。  22話は、OPが削られ、空母での加持とのからみ(DEATHより)、シンジが 綾波と駅のホームで楽しそうに話しているのを見て、顔をしかめるシーン(新 作)、風呂場で暴れるシーン(DEATHより)、使徒の精神汚染でのイメージ シーン(DEATHより&新作)、ロンギヌスの槍を抜く所(DEATH)、槍が使徒の ATフィールドを貫くカット(新作)などが追加変更。  個人的には21話の冬月のエピソードが増えていたのがよかったです。22話は アスカがシンジを意識していたことが強調されていたのが意外でした。シンジ がもうちょっとしっかりしていたら展開も変わっていたのかも、と感じさせら れました。こうなると、次の綾波と使徒と会話シーン、薫の登場シーンなどに 大量の追加がありそうでもあり。リリスとリリンについての説明もどこかに入 るのかもしれない。  しかし、これだけ変更するとフィルムブックも新しく作り直さないといけな い気がするが……やはり出るのであろうか。 (2/21)

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