MORIVER'S SWEETEST DIARY (43) 更新日記 (43)

3月 23日(月) 入信/怒りな気持ち
3月 24日(火) キャメロン/ロジャー・コーマン/文と絵
3月 26日(木) エヴァ読感休眠することにする/鳴らない電話


1998年3月 26日 (木) いろいろ考えたのですが、やはり月刊少年エース読感は書かないことにしま す。やはり「エヴァはもういい」という気持ちが強くて……。このままではい つまでもキリがありませんし。期待していた方々には本当にお詫びするしかあ りません。 *** すでに読んだ方向けに気になったところだけ申しますと、ゲンドウがシンジ に向かって「私とわかりあおうとするな。親を必要とするのは赤ん坊だけだ。 自分の足で地に立って歩け。私自身もそうしてきた」というところにじんとき ました。 このシーンは、本編15話の墓参りのシーンに相当するのですが、この漫画 版のゲンドウにはシンジに対する気持ちが強く現れています。まさに自分の背 中をみせて、「男をかたってる」という感じで、ゲンドウほれてしまいます。 自分の抱えているものの大きさはシンジには無縁でいて欲しいという気持ちの 現れなのかな、と。 そして、これは何より「相手のことを分かりたい」ともがく庵野監督への厳 しいメッセージにも受け取れます。漫画版とテレビ版、つまり貞本氏と庵野氏 の溝をも感じさせる非常に重要なシーンだと思います。 そしてゲンドウの最後のセリフ「人と人が完全に理解し合うことは決してで きぬ。人とはそういう悲しい生き物だ」というところが重い。アニメでも加持 の台詞で似たようなものがありましたが、今回のこのゲンドウの場合、そこに きちんと「悲しみ」という言葉は含まれるのが重要なポイントです。くだん加 持の台詞にはどこか「格好つけ」の雰囲気がありましたが、ゲンドウのこの 「悲しいものだ」というものには、なにか深い、彼の体験とともに優しさを感 じさせます。淡々と生きることの悲しみについて述べる姿にはうむを言わさぬ 迫力があります。シンジもこの父の背中を見て自分の力で進んでいって欲しい とせつに祈るばかりです。 それから前半の綾波とシンジの交流はほぼ予想通り。ご飯ではなく、紅茶を いれる、という形でしたが、ポットのお湯でやけどする綾波の指に水道の水を かける、「ありがとう」と顔を赤らめるという形になっておりました。しかし、 ますます展開がネット上にあまたる「エヴァ小説」っぽくなってきた。父親の ことで悩むシンジに綾波が「思っていることお父さんに言えばいいのよ。そう しなければなにもはじまらないわ」と言って後で顔を赤くするところにも彼女 の母親の強い姿がだぶります。実際絵もユイによく似てかかれています。少女 と大人っぽさの中間と言いますか。 そして本当にラスト、綾波がゲンドウをちらりと見て「私のことを気遣って くれているようでも話すのは仕事のことばかり。本当は他の人のことを思って いる。何もはじまっていないのは私のほうだわ」というモノローグ。 綾波の内面が少しづつ変わり、ゲンドウとの親子(もしくは擬似夫婦関係) からシンジとの「友達」としての関係をつくろうとする意志の現れがそこに見 えます。ただひたすらに見守っていきたいなと感じさせます。 ちなみに今回気づいたのは、ゲンドウの顔が描かれる時にはいつも斜線かス クリーントーンが、もしくは両方が入るということ。暗い顔ということをあら わしているのでしょうが、最終話あたりでこれがなくなり、また読者をどきり とさせてやろうという作戦も感じます。 *** PHSが渋谷駅前では異様にかかりにくいことを知る。思ったより、使えな いのであろうか。今日からセンターの留守番伝言サービスが使えるようになっ たのだが、電話に頼るとろくなことが無い気もしてきた。電話があると「後で また電話すればいいや」となる気持ちが生まれてくる。電話を持つということ、 そしてたわいも無い会話で、つながりを感じるということ。自分で電話を持っ てみてそんな気持ちにも少し気づかされる。ま、そのうち飽きてかえってうざ ったいと思うようになるかもしれませんが。ふと、そんなことを考えたりした。 (23:26)
1998年3月 24日 (火) 続いた雨も終わり、今日は久々に明るい日が見えた。 *** アカデミー賞は下馬評通りタイタニックが総なめ。実は明日……正確にはこ れを書いている今日、タイタニックを見に行くつもりだったので、あんまり、 評判にはなって欲しくなかった。しかし11部門独占は史上最多記録らしい。 キャメロン監督が壇上で「うおー」と吠えていたのが印象的だ。 テレビのニュース番組で見ただけだが、キャメロン監督の隣にはターミネー ターのサラ・コナー役の彼女がいた。結婚しているのかな。前にそんな話は聞 いたことがあったが。さすがに伊丹十三のように奥さん主演映画を撮り続ける ということはなさそうだけれども、役者としての彼女(サラ)は何か活動をし ているのだろうか。 以前、キャメロン監督についての本を読んだことがある。元々はSF雑誌の イラストなどを書き、映画界にも「美術」の方から入ったらしい。その後、低 予算映画の王と呼ばれるロジャー・コーマンの元に弟子入りし、「ピラニアII フライングキラー」というB級SFサスペンス映画を撮りデビュー。我が家に もテレビ放映した時の録画ビデオがあるが、早送りなしには到底見る気がしな い映画である。 しかし、後の深海での宇宙人との遭遇を描いた「アビス」に通じる水中撮影 シーンがあたりと、後のキャメロンらしさもそこはかとなくある。全体的には やたらと水着姿のお姉ちゃんが出てくる、おかしな映画であるが、これは「売 れる映画」にこだわるロジャー・コーマンの指導のせいだろう。 実際、タイタニックは260億円という投資に見合うだけの1600億ドル を稼いだという。やはりキャメロンこそ映画界でもっとも金の使い方を知って いる男だと言えよう。 *** キャメロンの伝記にもあるロジャー・コーマンというのは不思議な人物であ る。コーマン学校という異名をとるほど、彼の元にいて出世した監督は多い。 たしかゴッドファーザーのコッポラもコーマンにいたはずだ。 しかしコーマン自身はあくまでの「極力安い制作費」で「元の取れるだけの 映画」をつくることにこだわった人で、どの映画もB級以下である。実際、ぴ あが発行する映画ガイドでも彼の作品はほとんど紹介されていない。されても こまるのだが。 コーマン流という映画手法がいくつかある。 たとえば、セットや小道具は他の映画の使いまわし。もちろん、手をかえ品 をかえ再登場の繰り返し。まあしかし、これは他の映画でもそうだ。インデ ィージョーンズの一作目(レイダース)に出てきた、潜水艦は前の作品(19 42)の使いまわしだし、飛行機が飛ぶシーンも他の映画のつかいまわし。決 して悪いことでは無い。後は使い方のセンスの問題だ。ちなみにコーマンには あまりセンスは無い。 それから「題材のぱくり」。 最近話題になったのはジュラシックパークでの恐竜ブームにあやかって、ビ キニ姿の原始人の美女(アマゾネス?)と恐竜が戦う映画を作ってそこそこも うけたらしい。ちなみに恐竜ははりぼて。ほとんど動かない。画面を見たが、 確かに馬鹿らしい。しかし、この馬鹿らしさは日本の大作映画「北京原人」と どっこいな感じなので決して責めることはできない。 ちなみに肌の露出の多いお姉ちゃんが出てくるというのも彼のポリシーらし い。 もうちょっと真面目な技術となると「奥行きへのこだわり」というのがある。 当然だが画面の外というのは人の目にふれない。そんなところに気をつかっ てもしょうがない。ただ、カメラの中でだけ空間がひろがっているように見え ればいい。だから、遠近法も利用して、とにかく画面に奥行きが出るように、 セットを起き、カメラを設置する。人物のすぐ後ろが壁というのは演出で無い かぎりあまりいいことは無い。 新人の登用というのもある。フィルム代とカメラだけ渡して、とにかく「こ んな絵を撮ってこい」と指示する。いわゆるBクルーというやつだが、そうし てできたフィルムも無駄にしない。編集技術で後は見せればいい。ちょっと混 乱しているぐらいがかえって迫力が出るというものだ。 と、まあこんな調子でとにかく映画を商品としてどう成り立たせるかがコー マンの関心の全てのようなのである。そしてそんな彼に決定的に欠けているの がとにかく「センス」である。弟子はコーマンの映画技術を学ぶ。センスは彼 らのものだ。だからうまくいけば大勢する。 スピルバーグは、コーマンとは縁は無いが、テレビあがりの人である。そこ でいかに効率よく撮影するかの技術を学んだと聞く。同じシーンをまとめて撮 ったり、セットの位置を効率よく配置する方法を学んだとも。 *** ただしコーマン関係の元にいて監督として大成するとは限らない。作家の村 上龍の撮った「KYOKO」はコーマンの出資だと聞く。である以上、一応は ペイはしたのだろうが。見たことは無いが本当に村上龍の映画は面白いのであ ろうか。彼の小説はそれなりに面白いが。多くは読んでいないが「5分後の世 界」は結構気に入っている。 マイケル・クライトンやスティーブン・キングも監督をしているが、あまり いい評判は聞かない。今気になるのは作家と映画監督に横たわるその溝の深さ である。あ、でも寺山修司がいるか。見たことはないけど。もっとも彼の場合 は作家が本業なのかは怪しいが。 もうちょっと研究が必要かもしれない。 *** 毎日新聞のタイタニックのアカデミー賞受賞の記事。 http://aulos.mainichi.co.jp/scarlet/non-chan/dailyweb/9803/23.html (3/25 3:31)
1998年3月 23日 (月) 入信してもうた。 無宗教で通していた私ですが、ついに……。 教団の名は「お手猫教」。 教義は「猫のように生きること」。以上。 という教団のホームページがジヲ同盟に加わりました。 お手猫教団公式ホームページ 私の会員ナンバー3番だそうです。教義に布教しなくてはいけないという項 目は無いようなので布教はしません(^-^;;; ということで、じゅねさん、これからもよろしくお願いします。 *** 上の妹が「なにか感動できるビデオない?」と聞いてきた。実はこういう質 問が僕にとってはたまらなく苦痛だったりする。感動の質なんて人によってぜ んぜん違うし、自分が感動した作品を紹介して「つまらない」と言われるのは 本当にいやな気分で仕方がない。大体、「感動したい」っていう気持ち自体が 気持ち悪い。感動というのは求めるものではなく「してしまうもの」だと基本 的には思うのだ。 内心むかむかしながらも、仕方ないのでビデオの棚をさらって何か探す。大 体「ダンス・ウィズ・ウルブス」で感動するような奴なのに。ちなみに、同じ くケビン・コスナー主演・監督の映画「ポストマン」は今年のワースト映画賞 を音楽賞などを含め総なめしたらしい。まあ早めに気づいた方がケビンのため だろう。それでも一応「フィールド・オブ・ドリームス」は好きだ。 ビデオは「狼たちの午後」を選ぶ。二人組みの強盗が人質をとって銀行にた てこもる、という実話を元にした映画だ。主演はアルパチーノ。僕としてはか なりお気に入りの一本だ。 しかし。 なのに、妹は見ている途中で寝てしまう。もう僕の怒りは頂点に達する。本 当に本当に馬鹿げている。さらに冷静に考えれば、こやつは「ニュー・シネ マ・パラダイス」でも無感動だった奴なのだ。あーーもう、知るか、知るか。 ということで今日は非常に機嫌が悪い。 やっぱりうかつに映画なんて人に紹介するものではない。 ため息。 (3/24 0:05)

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