MORIVER'S SWEETEST DIARY (48) 更新日記 (48)

6月 12日(金) 儀式を持とう/電話番号から住所を探そう
6月 13日(土) なぜか自己紹介/HP入門α版
6月 14日(日) 跋扈/パンダ部屋ギャラリー
6月 15日(月) 初日
6月 16日(火) 二日目
6月 17日(水) 疲れてる?
6月 18日(木) 他人の目で見る


1998年6月 18日 (木)  今日は、バイトはお休み。夕方に予備校。しかし、勉強する時間にこんなも の書いている。昼にソウメンを食べた。ソウメンはいい。日本人でよかった。 と言いながら今は氷を浮かべたコカ・コーラを飲んでいる。コーラはいい。地 球人でよかった。 ***  仕事内容はあんまり前に書いたようにしゃべってはいけないらしいが、とに かく朝から晩までホームページをひたすら観まくっている。本当にもう、これ でもかってぐらいに。実に色々ある。実用的なものも多くなった。特に個人で やっているページに関して言えば、よくぞ一人でここまでと感心するものも少 なくない。  もちろん、個人ぺージでもいろいろあることは分かってはいた。しかし、そ れにしてもやはり一人の人間のできることの大きさにも驚かされるのである。 しかも、決して自己満足に終っていない。仕事を始めるまで他人のページをあ まり見ていなかったので余計そう思う。  やはり、というか文字だけのページはやはり少ない。画像を使っているとこ ろが圧倒的だ。  個人的にそういうのは好きではなかったのだが、少し考えを改めてもいる。 というのも、会社ではIEを使っているのだが、これがまたネットスケープと はちょっと表示が違う、のである。HTMLの解釈が違うとしか言いようが無い。 レイアウトなども気持ち悪くなっているところが自分のページの中で幾つもあ った。  特に小説はまずい。まず、ゴシック体で読むのに抵抗があった。いっそ、フ ォントで明朝体に指定しようかと思った。またテーブルタグの解釈やリストの 解釈も違うらしく、改行がされていたりされてなかったりと、どっちかにあわ せるとどっちかが狂うという案配なのである。  こうなると、画像でレイアウトを組んだ方が確かに安全だ。文字の装飾や位 置指定については特にそう思う。HR(水平線)のnoshado(影無し)指定など、 IEだと真っ黒だし点……ネットスケープだと角が丸くなってかわいいのに。ど うして??  ということで、indexももっとシンプルなものに作り替えようかなと思う今 日このごろ。他人の目で見ることの重要さを学びました。もちろん、コンテン ツも充実させる予定です。ってこんなことに燃えてどうする??(^-^;; (14:31)
1998年6月 17日 (水)  またしても朝、山の手線止まる。しかし、ちょうどホームについた時動きは じめた。その列車は逃したが次の電車に乗ってセーフ。運が悪いのかよいのか。 ***  考えてみると家でも会社でも一日中モニターとにらめっこ。でも、結構平気。  な、つもりだった。  昨日、家に帰ってくるなり父親に。  「なに疲れた顔してるんだ」  と言われた。  自分ではさほど疲れた気がしていなかったので意外だったが、どうも他人に は僕は疲れているように見えるらしい。精紳的には多少なりとも責任あること をしているせいか、緊張して、かえって疲れが意識できないようなのだが、体 の方がその分ストレスをこうむっているらしい。  でも、平気なんです。確かにそれなりには忙しいけど、それも心地よい。回 りの人もいい人だし。悪かったと思うこと無いですから。もちろん、まだこれ からですけど。 (5/18 14:14)
1998年6月 16日 (火)  朝、山の手線が止まっていてあせる。ぎりぎりで、動き出し、間に合ったか らよかったものの前途多難である。  仕事自体は自分のペースでできるので、さほどプレッシャーが強いというほ どでは無いが、それだけに不安なものもある。ただ、精紳的においつめられた 感覚は無い。  仕事場でもメール設定をする。時間があればホームページをいじったりでき るかも?? ***  パンダ部屋ギャラリーの表示がおかしいと言われるが、よく分からない。仕 事場でIEでも見たが、特におかしくはなかった。ネットスケープの4だと症状 が出るのか。複雑にhtmlを組もうとするとなかなか大変なもんである。 ***  もう寝ないと。メールも更新もしたいのに、上の妹が電話を未だ離さない。 心の中は激怒しまくりで、蹴っ飛ばしたいぐらいだが、心のエネルギーがもっ たいないので今はやめておく。・・・・・でもストレス。このやろ。 (6/18 2:26)
1998年6月 15日 (月)  バイト、初出勤。  いきなり「守秘義務」の制約書をにサインをさせられる。仕事で知り得た情 報をもらして会社が損害を得たらその相当額を弁償するというものだ。なかな か厳しい。  ということであんまり詳しくは書かない方がいいのだろう。とにかく、一日 中ネットサーフィンをしてすごしているということだ。  バイトは僕よりも一週間だけ早く採用されたばかりのみな新人。仕事場も社 員とは別の部屋なので、穏やかなものである。 (6/18 2:23)
1998年6月 14日 (日)  掲示板でパンダ(仮名)があまりにも過激に跋扈しすぎている。ついに、さ っき、つい私は切れてしまった。自分はどちらかといえばマゾヒスティックな 体質だと思っていたが、そうでもなかったようだ。やはり五反田にあるSMク ラブに行くのはもう少し考えてからにしよう。 ***  といいながらも、パンダ掲示板(ともうあえて言ってしまうが)で使用して いる背景画像リストを作成。「パンダ部屋ギャラリー」である。はっきり言っ て、私のページにある画像の99%は他人さまのものだ。その内画像でも、と言 っている間にもう1年すぎた。ずっとこのままな気もしないでも無い。 (6/15 1:39)
1998年6月 13日 (土)  ホームページサーバーであるGeoCitiesでは、そのファイルが最後に見られ た日付を知ることができる。  それで分かったのだが、こっそり書いておいてある「自己紹介」のページが 意外にも見られているようなのだ。  自己紹介なぞわざわざ書かないまでも、公開されている日記を全て読めば、 たちまちに森川家通になり、あまつさえ、ある日より森川家の一員として紛れ ていていても、問題なくすごせるはずである。  自己紹介ページを公開しないもう一つの理由は、私の書き方の癖の問題で仕 方が無いのだが、どう見ても自虐的であり、かつ、我が家周辺の地図があるば かりではなく、へたくそな魅力不足な自画像があることにある。  これではいかん、ともっとリリカル&ポップ&キュートなバージョンも作成 したのだが、今度はちょっと見栄張りすぎてかえって恥ずかしいものになった。  つまりのところ、冗談で書いた自己紹介であり、親しい人にだけこっそり見 てもらって笑ってもらおうという意図を持ってあるページなのに、知らない人 に「本当の自己紹介」だと思われるといささか戸惑ってしまう。  「あ、森川ってこういう人なんだ」と思われ、きっとそれはかなりの確立で 「その通り」だとは思うのだが、人間には時に真実は余計なものなのである。  よく言えば、期待、悪く言えば相手に対する幻想が本当に本人を変えてしま う場合もありうる。変らないまででも、その相手だけには本人も「そういう 面」を見せている場合もある。人間とはなかなか変わらないものではあるが、 同時に色々な面を持っているものである。  で、それはどこにあるかって? 内緒。でもindexにあるとだけ申しましょ う。 ***  内緒と言えば、ホームページ作成法についてまとめているのだが、リンク集 がまだ決まらない。またどこからリンクするべきかで迷っている。ちなみに、 α版はここにある。  リンク集と質問集は本当に工事中である。なんとかせねば。 (21:17)
1998年6月 12日 (金)  交流分析という心理療法の流派の理論によれば、人生は6つ種類の時間によ って、なりたっているという。  1 ひきこもり(孤独な時間)  2 儀式(パターン化した行動)  3 活動(いきがいとなる仕事や行動)  4 気晴らし(非生産的な遊び)  5 ゲーム(裏のあるかけひき的なつきあい)  6 親交(心と心のふれあい)  この6つのどれもが必要であるというが、特に「孤独」や「儀式」、「かけ ひき」など一見マイナス的行動をも含めて重視しているところが面白くもかつ 妙な説得力がある。要するにこういうものも無いと、気持ちは参ってしまうよ ということらしい。  なんでこういうことを急に言い出すかと申しますと、今後忙しいスケジュー ルになりそうだからである。  月・火・水・金はバイト、木・土・日は予備校の授業(正確には問題演習な のだが)と休日なしの予定になってしまったがために、どうやってもこの生活 を習慣づける必要があるのだ。もちろん、日曜も土曜も塾に行かされる小学生 や、今も次の試験に向けて頑張っている人たちの忙しさから見れば、たいした ことでは無いが、合間合間も決してのんびりしていられない。となれば、精紳 衛生上も全てを「儀式」としてしまう他ない。普通の言い方をすれば習慣にす るということだ。  しかしこの儀式という状態は、頭で考えなくとも体が覚えているというよう な状態だ。大雑把な言い方をすれば自己暗示にかけるようなものだ。朝起きて、 おはようと言って朝食を食べ、昨日の復習をざっとして、電車の中でまた何か に目を通し、会社ではおはようと言って、仕事をして、お昼を食べ、少し会話 をして、仕事をして、帰りの電車で少し眠って、夕食を食べて、また勉強して、 お風呂に入って、ビデオを見て、ベッドの中で何かを読んで眠る。つまり儀式 だ。 ***  サラリーマンという言葉がある。昔はあこがれの響きがあった。やるべきこ とをやっていれば生活の保証がある。つまり儀式を行っていれば食べていける、 ボーナスももらえるという日々だ。  だが、いつの間にかサラリーマンは、退屈でつまらない、組織の下っ端とい うイメージを持ちはじめるようになる。かわってビジネスマンという名前がは やりだす。組織の中にいても、どこか独立性を感じさせる響きだ。だが、実際 のところ本当の意味でのビジネスマン、つまり組織に使われるのではなく、組 織と共に行動して仕事をする人はどれほどいるだろうか。やはり、大部分は儀 式にのっとって行われる仕事に従事している気がする。もちろん、気がするだ けであって実体は知らない。  社内ネットを使っての新人教育の一貫として、先輩の失敗談などをページに アップして誰でもみれるようにする試みがあるという。コンビニなどのマニュ アルで既に一部、実施されていることだが、これによって、昔なら直接飲み屋 で語られる仕事の話を公共のものとして残すことができるという。  人は知識を、単なるリストとしてはなかなか覚えない。そこに何らかの物語 を読み取り、それを通して何かを学ぶ。仕事というのもまたそういうものだと 思う。個人的な物語を通して、職業のイメージを作り上げてゆく。そして、や がて自分も物語を発進する側に立つことを知る。だが、物語に従って生きてい る間はやはりそれは儀式をしていることに過ぎない。実は物語は単に儀式を覚 えるために必要なものにすぎなくなっているのではという危惧がある。くどい が単なる危惧で実体は知らない。だが危惧はあるのだ。  儀式は過渡的なもの、一次的なものとしては有効だ。独創的に葬式をするの は大変だ。結婚式は独創性を重視されるが、結局は何かを参考にしてしまう。 だが別に悪いことじゃない。常に独創を試される人生は大変だ。儀式は必要な のだ。   ***  人生を儀式では生きるのは嫌だが、儀式の無い人生は、おそらくめちゃくち ゃだ。今、自分をふりかえり儀式の不足を感じる。ありていに言って行き当た りばったりだ。気持ちとしてはそれでも平気だが、何かがぼろぼろとこぼれて ゆく気もしている。それが時代とシンクロしている気がするのは気のせいだろ うか。そうだといいのだが。自分を思い、たいした人間じゃないとは思うが、 僕以外も同じだったら、それはやはり嫌だから。きっと杞憂だと、馬鹿にして くれるととても気持ちがいい。……マゾ? ***  まさかと思って探していたが、本当にこんなページがあるとは。  逆引き日本全国電話帳:インフォメーションページ  このページのフォームに電話番号を入力すると、その電話番号先の名前と住 所が出てくるのだ。もちろん、ウェブ用のお試し版なので、丁目や番地は出な いが、町の名前と本人の名前が分かれば電話帳で調べ直すのは簡単だ。CDR OMでこのような電話帳名簿が出回っているらしいが、無料でできてしまうあ たりに実に恐ろしいものを感じた。  元のデータはやはり電話帳らしく、電話帳に記載していない番号は該当なし と出る。しかし、我が家は出た。知り合いの何人かの番号も入れてみたが、実 家の番号などはほぼ出てくる。  住所と名前から電話番号はNTTに電話すれば有料とは言えすぐ分かる。し かし、逆は難しいとされていた。それがこんなに、あっさり検索できてしまう とは。CDROM版として携帯やPHSの番号も出回っている可能性は高い。 ナンバーディスプレイといい、匿名性というのはこうやってまた新たな手段を もって崩されていくのか。よいことなのか悪いことなのか。プライバシーの名 の元に、匿名を隠れみのに「責任」を回避する弊害があることも考えれば、名 前を出すことの意義もある。  怖いと同時に「面白い」とも思う自分がいる。気持ちは複雑だが、とにかく 紹介してみました。 (23:20)

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