MORIVER'S SWEETEST DIARY (56) 更新日記 (56)

9月 3日(木) 北朝鮮ミサイル/実感
9月 4日(金) 弾道ミサイル防衛/実は人工衛星の打ち上げ
9月 6日(日) 黒澤明死す
9月 10日(木) 風邪
9月 12日(土) 祭り
9月 13日(日) 用心棒と荒野の用心棒
9月 18日(金) 出発



1998年9月 18日 (金)  なんとかなり間が空いてしまった。どうも精神的にもよろしくなく、参って いました。やはり鬱であったのか。どうも笑顔がうまくできないことが多かっ たです。  それはともかく19日から30日までタイ旅行に行って来ます。  もっともほとんど準備らしい準備をしていない。  パスポートと旅行代理店の書類、現金、シャツとズボン、それとセイロガン トーイAぐらいなものだ。フィルムは買ったはいいが、カメラが壊れていて動 かない。前途多難である。  ほとんど計画らしい計画も無いが、あえて僕なりの今回の旅行のコンセプト を言えば「外国とは日本とは本当に違うのか感じてくる」ということと「タイ 料理をなるべく食べてくる」「こまごまとした必要品を向こうで揃えてくる」 ということぐらいか。  それにしても渋谷で軽く1万円だけ試しにバーツにして見たのだが……高い。 1バーツ3.7円。地球の歩き方には今年1月で2.7円とあるのに。どうしてこん なになってしまったのか。もっとも両替だからか。トラベラーズチェックだと もう少し安いなどあるのか。それとも手数料を考えたら変わらないのか。  なにやら不安材料だらけですが、それも込みで、色々見聞してきます。  では10月までみなさん、ご機嫌よう。 (9/19 4:30)  あ、そうそうリンクは張っていませんがドラクエ日記の31話、こっそりアッ プしてあります。まだ見直していないものだけど興味のある人はファイル名を 類推して探してみてください(^-^; (9/19 4:36)
1998年9月 13日 (日)  黒澤明への追悼、という意味も込めて家にあった黒澤映画のビデオを早送り でだがざっと見てみる。つい先日夜中にやっていた「八月の狂詩曲」に加え、 「夢」「用心棒」「椿三十郎」をチェック。やはりカラー時代になると、物語 としての体裁よりもシーンの構図や色彩の方に重点が移り、正直、映画として は面白く無い。  黒澤明の作風は大雑把に前期と後期とでは異なっており、その境目は人によ って「赤ひげ」であったり「デルス・ウザーラ」であったり「影武者」だった りするのだが、とにかくカラー作品になったほとんどと白黒時代のそれとは、 面白さという点でははっきり質が違う。  白黒からカラーへの移行にはかなり黒澤は悩んだらしい。もともと画家を目 指していただけあって、色彩へのこだわりは人並み以上にある。それだけにカ ラーにするからには、その色のコントロールに全力を注ぎたかったようなので ある。  また白黒最後の作品「赤ひげ」がヒューマニズムを全面に押し出したような メッセージ色の強いものであったことからわかるように、このあたりから、黒 澤は「語りたい」意識が高まってしまっているように思える。もちろん、本人 は「シャシンにあるのが全て」と言っているが、「夢」や「八月の狂詩曲」を 見ると原爆への警告意識が全面に出ていてちょっと恥ずかしい。この場合は語 る内容がうんぬんではなく、見せかたとして、ちっとも面白くない、というこ とを意味している。  また人間にちっとも共感できないというのもある。八月の狂詩曲にでてくる 若者の描写などは、かなりひどい。あえて言うならじいさんの頭の中にある子 供像という感じで、「ずれちゃったなあ、黒澤さん」としか本当に言いようが ない。主人公のおばあちゃんの演技が見事すぎるが故にますますその思いが強 まる。  まあもともと黒澤明は女と子供の描き方は苦手な人ではある。やや面白いの は椿三十郎の奥方ぐらいなもので、これとて異性というより母としての女であ る。羅生門と白痴のヒロインはややなまめかしいがやはりどこか底の浅いもの を感じる。  とにかく黒澤を知らない人は是非、白黒時代の作品、それも娯楽ものを見て 欲しいと思う。「七人の侍」は、深さと娯楽さを兼ねている点でおすすめだが その次はなんと言っても「用心棒」。このヒーロー像は希有である。 ***  ところで用心棒は後にイタリアでセルジオ・レオーネ監督により無断でリメ イクされている。主演はクリント・イーストウッド。彼の出世作でもある。  レオーネ監督は、後にワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカという 大作を撮っていることから分かるように、かなり才能ある監督である。従って 明らかな「剽窃」であるこの作品「荒野の用心棒」も原作と甲乙つけがたい大 傑作となっている。ただ真似をしてもうまくいかないのは2度目のリメイクで あるブルース・ウィリス主演の「ラストマンスタンディング」を見ても明らか。  「荒野の用心棒」は舞台がメキシコ国境の西部劇になっている以外はほとん ど筋は同じである。  (以下ネタバレです)  流れ者がある宿場にやってくる。そこでは、二つのボスが対立している。主 人公は、なわばりの中間にある酒場の親父と親しくなって事情を知る。そして 二つのボスの間をいったり来たりしながら、ヤクザものを殺してゆき、互いが しかけたように工作する。途中人質の交換なども行われるがそれも、主人公が 仕組んだものだった。  だが、その人質の中に借金の型に売られた一人の女がいる。泣き叫ぶ子供と それを見ているしかない亭主の姿を見て、主人公は得意の偽装工作でこっそり 女を助けてやるが、ばれて拷問される。  命からがら逃げる主人公だが、既に一方のボスがもう一方のボスを火攻めで 攻略してしまうところであった。  酒場の親父の手伝いもあって傷が癒えるまで隠れていた主人公だが、その酒 場の親父が今度は主人公の居場所を白状させるため拷問されていると知り、救 出に立ち上がる。  激しく風ふぶく通りの中、さっそうと現れる主人公。奇策を練って、相手を 瞬時に倒す。全滅したヤクザものを見回し、主人公は用済みだとばかりに去っ てゆく……。 ***  原作「用心棒」では最後の、「奇策」のシーンは拳銃対手裏剣で描かれてい る。手下の一人が拳銃を持っており、それを刀を武器とする侍がどう戦うかが 見所だ。用心棒の主人公の三十郎は、隠れ家でひたすら包丁投げ(ナイフ投 げ)の特訓をしており、銃と向かい合った時ににやりと笑ってつっこみ、さっ と体を横に飛ばして包丁を投げつける。そして相手の手首にそれが刺さった隙 に刀で飛び込み、敵の6、7人を一気に切り倒す。ほんとにあっという間の シーンであっけに取られることは請け合いである。思わずまき戻しして何度も 見てしまったぐらいだ。  「荒野の用心棒」では、拳銃対ライフルという形になっている。長距離のラ イフルと拳銃では向かい合ったら明らかに拳銃に不利。堂々と姿を表す主人公 をライフルが狙いをつけて、一発はなつ。倒れる主人公。しかしすぐに起き上 がる。また撃つ。しかしすぐ起き上がる、そうしてどんどん近づいてくる主人 公。撃っても撃っても平気な顔をしている主人公の姿に、ライフルを撃つ男の 顔に驚愕の表情が浮かび、冷や汗がたれる。そして、すぐ近くまで来た時。主 人公はポンチョをめくる。そこには厚手の鉄板が胸を覆っていた。紐をほどき 地面に落ちる鉄板。はっとした表情の男たち。そして主人公の早撃ちで5人が 一気に倒れる。  その後、弾込めでライフルと拳銃の戦いをもう一度するが、これも主人公の 勝利。ライフル使いは撃たれ後ろの井戸に体を預ける。  この部分が両者の明白な違いだが、今回見直してみてもう一つ決定的な違い があった。  それは拷問に至る原因となる女を救出する時の部分に一番大きく現れている。  すなわち原作用心棒では単に、子供に同情して仏心を出しただけ、という描 き方なのだが、荒野の用心棒はさらにもう一歩踏み込んでいる。  「どうして助けてくださるの」  女の言葉に主人公は答える。  「昔、あんたと同じような女がいた。その時は誰も助けにこなかったがね」  つまり、主人公はこの女の子供と同じような境遇で育ったということが示さ れているのである。伏線として前の方のシーンで「家にはろくな思い出がな い」というつぶやきもあった。  この点から見て、主人公の人物造詣は荒野の用心棒の方が一歩前に出ている ように思える。  また、そもそもこの町に居座る理由も、原作では最初の方で既に「互いに攻 撃させて相打ちで自滅させればこの町もすっきりするぜ」と言わせているが、 荒野の用心棒だと金を得ることがそもそもの目的で、それとは別に女には個人 的事情から助けてしまう、と、やや「悪ぶり度」が高い。  個人的には荒野の用心棒の方が心情的に分かりやすい。どこかブラックジャ ック的なものを感じる。もちろん、原作もそういうところが当然あるのだが、 金を全部女と子供、夫にあげてしまうあたりお人好しすぎる。  ただこのあたりは、原作がコミカルさを全面に押し出しているが故、湿っぽ い要素をあえて抜いたという事情があるのだと思う。一方荒野の用心棒はかな りシリアス度が高い。となるとやはり主人公に陰の一つもつけたくなるのが心 情だろう。  と色々書きましたがどっちも傑作。黒澤が荒野の用心棒を結局認めてしまっ たというのもうなずける。 ***  椿三十郎についても書こうと思ったが、長くなりそうなのでまた別の機会に。 しかしやはり黒澤はすごいっす。 (9/14 4:55)
1998年9月 12日 (土)  祭り囃が聞こえる。  近所の氏神様のお祭りがあるのである。町会事務所が近いのでそこの山車で 叩いている太鼓の音が大きく聞こえる。秋が、始まる。
1998年9月 10日 (木)  風邪ひいた。くしゃみも鼻水も止まらず、テッィシュの消費は激しいし、手 は汗ばむし、喉は痛い。助けて。 (23:56)
1998年9月 6日 (日)  黒澤明が死んだ。享年88歳。生涯に残した作品数は30作。国内外の映画人に 多くの影響を与え、多くの楽しみを見る者に与えてくれた。特に七人の侍は、 リニューアル上映されれいた時に映画館で見たのだが、その「新鮮さ」に僕は ひどく驚いた。こんな時代劇があったのか、と。テレビでは山ほどの時代劇が あふれ、実際七人の侍の影響、もしくはその後の用心棒、椿三十郎の影響を受 けた作品が山ほどあるのに。にも関わらず七人の侍は「新し」かった。  七人の侍の筋は簡単だ。戦国時代末期、もしくは江戸初期。野武士に襲われ る小さな村。そこに農民に雇われた侍が七人集まり、その野武士と対決する。  これだけである。だがその中に、農民と侍の微妙な関係、侍それぞれのキャ ラの多様さに惹かれる。クールな剣豪、それにあこがれる功を焦る若侍。農民 出身のお調子者の侍。つかみ所が無いが常に冷静なリーダーとその女房役。彼 を慕う無骨な浪人と人の良さだけが取り柄の男。  笑わせ、怒らせ、泣かせ、そして考えさせる。アクションがあり、人格のぶ つかりがある。今やハリウッドでは常識になったマルチカムを取り入れ、なお かつ画家出身らしい計算された構図のショットの連続。アクションつなぎを多 様したテンポのいい独特の編集。灰を大量に用いた馬の疾走シーンの迫力、水 飴を溶かして作った大粒の雨、徹底してリアルに作らせた小道具などなど、枚 挙にいとまが無い。  黒澤明の世界  このページに、各新聞社への関連記事へのリンクがある。世界の黒澤であっ たことを改めて実感。次回作として素浪人ものを考えたいたとの情報も聞いて いたが、返す返す残念だ。本当に心から冥福を祈りたい。  ちなみにやはりお勧めは「七人の侍」と「生きる」「用心棒」かな。羅生門 は個人的にはそんなに面白く無いと思ってます。意気込みは悪く無いんだけど ね。 ***  高校以来の友人、GIO君からタイトル画像をいただいたのでさっそく使用 して見ることにしました。ちょっとリニューアルって感じ? (9/7 4:14)
1998年9月 4日 (金)  もう金曜だ。週末だ。時間経つの早すぎるぞ。時計よ止まれ。ってそれじゃ 意味ないか。 ***  掲示板の方でくろねこさんから「日本にはミサイル探知のレーダーは無いの では」というつっこみをいただいた。  この点については詳しいことを知らないが、航空機管制レベルのレーダーで も何かが飛んで落ちて来たことぐらいは分かる気はするのだが。  と思ってネットで探してみたら、ここによると中国が台湾近海での弾道ミサ イル訓練をした時、日本はその発射を確認できなかったとある。弾道ミサイル 故に成層圏を監視できるスパイ衛星が必要なようだ。  反面米国には弾道ミサイル追跡艦というのがあるらしい。しかも世界に一つ しか無いという。やはり衛星からの情報を受け取っているのだろうか。  ただ上の台湾事件の教訓なのか、防衛白書には対弾道ミサイルの防衛につい て「検討してみる」と記している。今回がどうであったかの真実は定かでは無 い。  あくまで参考までだが、慶応の学生が書いている自衛隊による国土防衛のレ ポートを見つけた。そこそこ日本の防衛事情についてまとまっているので参考 までに紹介しておきます。 ***  自衛隊の実質的な戦力、防衛力については未知な部分が多い。実戦が無いの で分からないが「実用的ではない」というのはよく聞く論である。だが、だか らといって全く戦争の役に立たないわけではない。  実践的ではない軍隊といえば西ドイツの軍隊も一部の特殊部隊などは抜かし て(対テロ組織GS9などは有名だ)西欧州で最低の兵だとも聞く。だがNATOな どで重要な役割を果たしている。自衛隊とてそういう意味では……。 ***  とここまで書いてyahooニュースの北朝鮮ミサイル発射関連ニュースを見て いたら、実はミサイルでは無く人工衛星の打ち上げであったと北朝鮮は発表。 その可能性はあると韓国も報道しているとか。  ほかにも自民党が日本自前の偵察衛星の所持を提言したらアメリカが懸念を 示したとか、ミサイル基地への反撃は自衛権の範囲だと防衛庁長官は言ったと かすごいことになっている。自衛権の拡大解釈もここまで来たな、という感じ だ。そのうち戦略自衛隊(エヴァ参考)も9条で合憲にされるのでは無いか。  しかし人工衛星の打ち上げにしたって何もこれみよがしに日本海と太平洋に 機体を落としてゆくことはあるまい。軍事的デモの意味もあると見た方がそこ はよさそうではある。 ***  ページの下に勝手にバナーがついている。うざったい。勘弁してくれ、Geo。 (9/5 6:30)
1998年9月 3日 (木)  気づいたらまた日記、間が開いてしまった。しかももう9月。壁のカレン ダーを破いたら川辺に広がる紅葉の写真が出てきた。昨日は比較的涼しかった が今日はまた暑くなりそうだ。  それにしても雨のつぎはミサイルが降ってきたりと、どうにもきな臭い状況 である。北朝鮮の今回の実験は、政治的な意味合いの他に中東へのミサイル技 術輸出のデモンストレーションではないかという報道も流れている。技術開発 のためにイランが相当の資金援助を行っているということらしい。yahooの掲 示板を見ると「ミサイル作る金があるなら国民に飯を食わせろ」という意見が 多いが、そんな事情では飢饉対策に金が回ることはちょっとなさそうだ。  日本の対応はかなり悪いと思う。1日に記者会見した防衛庁の役人はいかに も「我々慌てふためいております。苦しいのですから勘弁してください」と言 わんばかりの、ぞんざいな受け答えにして横柄な態度だった。  そもそも今回の事件のニュースソースが、在日米軍だったり、韓国の新聞だ ったりロシアからの報告だったりするあたりが情けない。いや日本だってレー ダーぐらいはあるんだろうから、何かが飛んで、どこに落ちたかぐらいは分か っていたのではないのか。でもあえて知らないふりしていた方が、気づいてい ないふりしていた方が積極的に発言しなくて済む……とすら想像してしまう。  結局日本は北朝鮮に対しての援助を見合わせると発表。どうせなら「打ち切 り」と言った方がよかったとも思うがここもやはり曖昧にごまかしておきたい ところなのだろう。  別段、僕は日常生活において曖昧なものがあることは否定しないが、パブリ ックなところではやはり明確な態度というのものが欲しい。その方が覚悟の大 きさを感じて頼もしい。信頼が信じて頼むところにある以上は、そうした明確 さが重要だと思うのだ。 ***  と同時に、もう一つ気づいたことがあった。実はまたそのニュースを聞いた 時、軽い鬱気味に入っていた。夕食を食べる気力もなく、そのまま布団に潜り 込んでしまいたい気分だったのだが、その北朝鮮のミサイルが日本海と列島を 超えて太平洋に落ちたと聞いて、やや興奮して沈んでいた気持ちが収まったの である。  その時、戦時中の人間というのはこういうことを感じていたのかと少し思っ た。国家規模で大掛かりな何かが始まる。国民全員が関わる共通の問題だ。そ うした大きなイベントを共有しているという意識は自分だけの問題を小さくみ せてしまう。もっと言うならば目を背けさせてしまうのだ。  内政の不安を紛らわすため戦争をするということは歴史上頻繁に起こる例だ けれどもその意味を少し実感したりもしたのでした。 (9/4 2:38)

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