MORIVER'S SWEETEST DIARY (57) 更新日記 (57)

10月 1日(木) 帰国
10月 5日(月) アビス/マスターキートン/砒素事件とフィクション
10月 8日(木) 床屋/OJT/円高



1998年10月 8日 (木)  床屋に行った。  髪を切るのは苦手だ。体の一部が切られているのだ。それもばっさりと。や はり落ちおつけない。  また現実的問題として、僕は髪を切ると「必ず」風邪をひく。もう25年以上 もそんな調子なのでおそらくこれは今後も続くのであろう。  そして、大概切ったばかりの髪型というのは違和感を感じて落着かないとい うことがある。3、4日もすれば慣れてくるのだが、鏡を見てはうなっている ことが多い。最近では髪の量も気になるし、とにかく床屋というのはおっかな びっくり行く場所となっている。 ***  どうもバイト先での仕事が二転三転している。やったことの無い業務にいき なり回されては現場で思考しながら仕事するという日々が続く。毎日がOJT (On the Job Training)いうやつである。だからとっても疲れる。このとこ ろ愚痴ってばかりで本当に申し訳無いが、かなりぎりぎりな感じなのである。 帰ってくるとぱたりと眠ってしまう姿はまるでサラリーマンである。こんなは ずでは無かったのに……。  ちなみに月、火、水とはずっと秋葉原の某LAOXにいた。おそらく来週も火、 水はLAOX Cumputer館の5階あたりにいる予定。興味の或る方はそこで僕と握手 できます。なんて本当に来たら大変なことになりますが……。 ***  なぜだか円高。  帰国してから。  なぜ。かなりブルー。こんなのばっかり。 (10/9 2:13)
1998年10月 5日 (月)  せっかく帰って来た、というのに家でほとんどパソコンを開かなくなってし まった。最初の二日は、たまったメールもあるので、何とか頑張って見たのだ が、土曜辺りから、風邪をひいたのか胃腸がむしむしとしてきてほとんど眠っ ていた。緊張が途切れたのか、単なる怠け癖の延長なのか。微熱程度しか出て いないので、バイトにも行ってるが、どうにも気分がおかしい。   ***  先日NHKの衛星放送第2で、ジェームズ・キャメロン監督の「アビス」の完 全版が放映していたのでつい録画してしまった。もう何度も見ている映画だが、 実はこの完全版を見るのは初めて。完全版を元にした小説を持っているので、 ストーリーは知っているのだが、やはり映像で見るとまた趣が違う。  そしてまた、自分がこの映画の影響を大きく受けている事にも気づいた。小 説とまではいかないものの、物語を転がして行くうちに自分でも似たような シーンやこだわってしまうシーンが幾つか出てくることがある。そうした幾つ かの断片がこの映画のシーンとそっくりだった。ということは、やはり影響を 受けているのだろう。  もっとも、冷静になって見てみると、ラスト近くの主人公がNTI(謎生物 )に連れられて、基地の中を飛ぶシーンなどはかなり「2001年宇宙の旅」のラ ストの異次元への旅のシーンと似ている。どちらも「異星人との出会い」と似 たテーマを扱っているからしょうがないのかもしれないが、この似具合はちょ っと今回驚きだった。ついでに言えば「未知との遭遇」とも似てなくも無い。  アビスというこの映画の最大の欠点はラストシーンと言われている。  これを読んでいる人の中には未見の人もいるだろうから多くは語らないが、 未知との遭遇が「既知との遭遇」になってしまい、いまひとつ幻想さが失われ てしまっている点が難である。叙情性が足りないとでも言えばいいのか。  だがそれをさっぴいてもアビスは数多ある「深海もの」の中でもピカ一だし、 やはり僕の心の映画の一つだ。こればっかりは刷り込まれてしまったものだか らしょうがあるまい。 ***  今日の深夜、1時15分から「MASTERキートン」のアニメが始まった。YAWARA で有名な浦沢義雄の作画による漫画が原作で、僕が個人的にかなり好きな作品 である。  学生時代に結婚し、離婚し、イギリスの特殊部隊SASに入隊して活躍した後 に除隊、かねてからの志であった考古学の学者を目指しながらも、金を稼ぐた めに保険調査の探偵をやっているというイギリス人と日本人のハーフ。それが 主人公のキートンである。普段はぼうっとしていて、趣味の世界に生きている ように見えるのだが、頭脳と格闘術、サバイバル技術の専門家。おいしいとこ どりのようだが、学者への道には恵まれず、別れた女房には未練があって、そ のもとで暮らす娘には尊敬されながらも叱られてばかりいる。  まあ、プロフィールばかり並べてもしょうがないが、ストーリー自体も、考 古学やあまり日本では知られていない世界の国々の社会問題、軍事問題をとり まぜたかなり濃い内容なのである。  で、期待して今夜見てみたのだが。  主人公の声はわりと違和感無かった。絵もYAWARAの演出家が携わっているだ けあって、そつが無い。30分の長さにきちんと話が収まっており、物語の運び も軽快だ。  だが。  何かが物足りない。  まず、美術が中途半端だ。背景の書き込みなどは、遺跡などが出てくるのだ から、しつこすぎるぐらいに書き込んでもいい気がする。また、人物の動きに しても、あまりにも教科書通りすぎて癖が無さすぎる。表情の変化などは、ド ラマをもりたてる重要なポイントなのに、どうもあっさりすぎている拍子抜け だ。  止め絵で見れば、漫画のカラー挿し絵と遜色は無いし、何も間違っていない はずなのに、こういう印象を与えるとはどういうことか。  やはりその「間違っていない」というところが問題なんだと思う。あまりに も忠実すぎて、いや、忠実たらんとする方向性が、アニメ独自の何かを抑圧さ せてしまっている気がするのだ。  例えば、過去に「ベルサイユのバラ」という作品があった。  漫画もヒットしたが、アニメは出崎統というけれんみたっぷりの監督の手に より別の意味の傑作になっている。漫画の稚拙な表現の部分がブラッシュアッ プされているとも言える。もう一つの出崎監督の傑作「あしたのジョー」と同 様、止め絵の多用がこの場合とても生きている。出崎監督は最近では「ブラッ クジャック」もこの手法で押し通していたが、あまりよい効果は上げていない。 と、失敗もあるものの、それでもそこは監督のカラーがあるだけよい。  それなのに今夜のMASTERキートンと来たら、まるでトレース紙の上から丁寧 になぞったかのような印象しか与えてくれなかった。驚きも新鮮さも無かった。  もちろんこんなことは原作を知らず、アニメだけ見た人にはどうでもいい話 だし、アニメを見てから原作を読んだ人にとってはもっとどうでもいい話だろ う。これが原作と映像化作品のほとんど場合の関係だということも分かってい る。  けど。でも。だって。  来週は録画しようかどうか少し迷っている。 ***  きっと何人かの人は期待しているんだろうな、と思うもののまだ書いていな いタイ旅行記。メンドウクサイ病に侵されまくっているので、なかなか書けな い。日記も読み返さずに、記憶のフルイにかけている状態であり、もう少し経 ったらいい感じに忘れていってコンパクトにまとまるのではとも期待している。 もうちょっと……。 ***  書きかけの物が山ほどあるんだよなあ。  まだ旅行中にもらったメールで返事出していない人もいるし。  はたまた、メールを書くと約束して出してない人もいるし。  布団かぶってずっと眠っていたい。  けど明日もバイト入れちゃった。  帰って来てから勉強してないぞ。やばいなあ。どうしよう。 ***  うーん。相変わらず書く事がないと思っていても何か書けてしまうな。  それなら毎日つけろ?  ごもっとも。  なに、自分でぼけて自分でつっこむのは止めろ?  それもごもっとも。  もう一つぐらい、何か話題書けるかな。 ***  保険金詐欺事件で逮捕された和歌山の林夫婦。その報道ぶりはオウム以来だ とか。それにしても、この夫婦の口のうまさには驚く。彼らには嘘は突き通せ ば真実になるというポリシーがあるように思えて仕方ない。おそらく、本当に そう思っているのだと思う。  日本の捜査、特に逮捕後の取り調べにおいては、自白を得ることが一つのポ イントとされるが、おそらくこの夫婦の場合はうまくいかないのでは無いだろ うか。嘘も突き続けていると自分でもそうかなと思ってしまうことがある。他 人をだまそうとする人間は何より自分をもだませなくてはいけない。色々な事 実にふたをして生きているうちに、いつしかその事実を忘れてしまう、もしく は記憶の底に沈めてしまうというのはよくあることだ。そんな状態になった人 間に「本当の記憶」を呼び起こさせるのはかなり難しい。  極端な話、観念して自白してもそれが本人は本当の話だと思っていても事実 とは違っている可能性がある。そういう世界に彼らは生きているというのが、 画面を通して感じられて嫌な気分になった。  もちろん、話している事実は、彼らにとっての真実、彼らが生きている、彼 らが感じている世界の物語であり、それはそれで拝聴する意味はあるだろう。 だが、裁判は、彼らの物語で裁くことは許さないであろう。そしてその齟齬感 に彼らは怒りや不満をぶちまけ続け、自分たちの主張を続けるだろう。そして その時、戦略でつくであろう虚偽の言葉にまた自分自身の記憶や感情を捻じ曲 げ、また現実との解離を続けてゆくのであろう。  もちろん、その代償として彼らは今まで多額の金を手に入れた。金とはそも そもフィクションである。金は現実に存在するものであるが、それは存在して いると多くの者が認めているから存在しているにすぎない。金は現実の中で、 もっとも高度にして揺るぎ無いフィクションだ。だが、フィクションには違い なく、そのフィクションにのみ目がゆくと自らもまた幻想にとらわれる。  人は金を欲する。そして金を持っている事が嬉しい。なぜなのか。  それは金は可能性だからだ。人は可能性を手にした時に幸福を感じ、可能性 を失った時に不幸感を覚える。  金を持っているだけでは無く、金を使うことで嬉しい時もある。それもまた、 買うという行為によって手に入れているのは実は物そのものでは無く、その物 や、もしくは買うという行為自体に含まれた「何か違うものへの期待」が嬉し さを味合わさせる。日常の必要品にお金を使って、幸福感を感じることが無い のもおそらくそのためだ。  ところで、今回の場合驚きだったもう一つのことは、主犯格がどうも旦那で はなく奥さんにあるという点だ。  こんなことをまた「すぐに森川は男女の話にしたがる」とつっこみを受ける であろうが、女性の犯罪の多くは男がらみで起こされるものだ。女子銀行員が 恋人に頼まれ、銀行の金を横領したと言ったケースはその典型的な例である。 これは、女性には一般的に男性との関係によってフィクションを得ようとする 傾向が強いためと思われる。  だが、この事件の奥さんにはそんな傾向とは違い、自らが計算し、仕組んだ 要素が濃厚に漂っている。何でも旦那も砒素中毒にかかった過去があるとも言 う。彼女には実母の死への疑惑もある。  彼女がもし本当に一連の犯行の主犯であるとするならば。  もちろん彼女は未だ被疑者の段階であり法的には犯人と断定できない。  だが、もし本当にそうであるならば。  彼女は誰のためでも無い。自分のためにそれを犯したということになる。  そしてそれが僕にとっては、この事件の特徴としてもっと強調されてもいい 点だと思うのだ。  もう半月以上前だが、テレビでパチンコ狂いしている4児の母親が「自分の 人生なんだから、自分の好きにして何が悪い」と言っていた。その「自分の人 生」という言葉を呪文のように唱えていた所から見て、この言葉はこの人にと って、必要な言葉ではあるが、自分の言葉とはなり得ていないな、とその時感 じた。自分の人生と繰り返すのは自分の人生が自分のものだと感じていないか ら使ってしまうのだ。  だが、彼女は自分の人生を送ることが大切で、家事も育児も人に文句を言わ れない程度すればいいと思っている。  ここまで言うと、「それがどうして悪いの」と思う人は多いと思う。  当たり前じゃない。  自分の人生なんだから、と。  でも実際に「自分の人生」を生きることなんて不可能だ。  自分の人生は誰かの人生の一部にならざる得ないし、誰かの人生と関わりな く自分の人生を生きられるとしたらそれはもはや人の生き方じゃない。ロビン ソンクルーソーだって、漂流しながらも故郷のことを思い、幾らオウムや獣と 仲良くなろうと「人間のルール」で生きた。もしそのルールが無ければ彼は孤 独の中で発狂してしまったかもしれない。もしくは単純に自然に負けて死んで いた。  人は学習して人語を操る時点で人間となり、そうである以上誰かの生き方の 中から自分の生き方を選んだり、組み合わせたり、工夫したりしなくちゃいけ ない。物理的にも精神的にも、誰かとくっついて生きているもんだ。ポジティ ブに言えば「人のお陰で生きている」のであり、ネガティブに言えば「人のし がらみにがんじがらめ」になっている。  距離の取り方はさまざまあるだろうが、どっちにしたっていつだって生きて る以上他人の中で生きるしかない。  先ほどのパチンコ主婦にしたって、その軍資金は家計の金であり、その出所 はやはり旦那の収入だ。もちろん、家事をして家庭をきりもりしているのだか ら、主婦が金をもらうのは当然のことだ。最近じゃコマダムとか言って、楽に 主婦業やっている人も多いと聞くが、それはそれで旦那の稼ぎを搾取している んじゃない限り問題あるまい。  しかし、それでも赤ん坊をパチンコ屋の中で泣かせといて、文句言われない 程度に何してもよくって、その上で「自分の人生」とはやはりおかしい。他人 の人生……その中でも濃い関係にならざる得ない旦那と子供という家族……の 中で生きてるって事実が嫌で「自分の人生」と言うなら、やはりその家族だっ て手放すべきなのだと思う。それなら少なくとも矛盾はしない。  話を砒素事件に戻す。  林夫妻の少なくとも奥さんは、手段はどうあれ「自分の人生」にこだわって そのポリシー通りに生きている。そう思える。さるスポーツ夕刊紙には彼女に 愛人疑惑があるとまで書き立てていた。そうなると夫への献身ぶりもまた彼女 の本意では無いのであろうか。  ともあれ彼女は金をとても信じているのだろう。金の持つ現代社会における 圧倒的なパワーを信じているのだろう。金は頭脳があれば入ってくるものだ、 と言っていたという。  だがもちろんそれは孤独だ。  先に、女性は男性がらみで犯罪を犯すことが多いと書いたが、これは女性の 方が孤独を恐れる傾向があると言うこともできそうだ。  だがしっかり彼女は金を得るということでそれを乗り越えた。多くの男性が そうしようとするのと同じように。  精神分析的に言うと、金への欲求と愛情への欲求は同価値なのだという。金 への欲求が強い人は愛情への欲求が隠されているとも解釈する。では愛情の欲 求が強い人は金への欲求も強いのか。  簡単には断じ得ないが、金があれば、人に依存する事が少なくなり愛情の欲 求が弱まることは想像できる。そして、これもあえて言ってしまうが、愛情も また現実の中にあるフィクションの一つだ。結局、どうやったって人は事実の みに生きることもできない。フィクション無くしては生きられない。  逮捕されて金からも切り離された彼女の今のフィクションは何なのか。  先に述べたように恐らく彼女の自家製のフィクションを作ってゆくのだろう。  だが、多分気づくと思う。フィクションは共有した時が一番楽しいんだと。  そう。嘘は、フィクションは、つき通せば本当になる。間違い無い。  だが、一人でつく嘘はむなしい、それも本当だ。彼女は一体どこへ行くつも りなのだろう。それともこういう彼女らが集まって、男の多くが社会でやって いるように団体で嘘をつくようになってゆくのか。これも男女同権なのだろう か。 ***  うちの母さんは報道を見て「働きもせずに、あんないい家に住んで、マンシ ョンも買って、月に二回も掃除の人を呼んでいるなんてけしからん」と怒って いた。いや、気持ちは分かるけどさ……そこで怒るのが終ってしまってもいい ものなのかね……。   ***  自己つっこみ。  「フィクション」を多用しているのはフィクションが自分の言葉になってい ないからでは無いか?  自己解答。  もう眠いから思考が回りません。なんか半端になっている議論がいっぱいあ る感じだけど……所詮真夜中の言葉ですから。 ***  雨。  おやすみなさい。 (10/6 4:11)
1998年10月 1日 (木)  恥ずかしながら帰って参りました。  11日間ほど日本を離れ、タイに旅行に行っていました。そのほとんどが首都 であるバンコクに滞在したままだったので、なんとものんびりした時間を過ご させていただきました。旅行というより「生活」に近い暮らしになりつつある ところでなんとか帰国。次回はもう少し色々地方や辺境を見てまわりたいなな ども考えております。  と、ここでやはりタイの思い出というか旅行記というか、何があったのか、 などを語るのが定石ですが。何から話せばいいものやら。  時間が経てば自ずと印象の薄かったものは、振るい落とされ、幾つかの出来 事だけが記憶に残るようになるのでしょうが、何しろ戻ってきたばかりで、何 が一番心に残った、と尋ねられても、まだなんとも言い難い。別の言い方をす ればそれほど鮮烈な印象のあることも無かった、ということなのかもしれませ んが。 ***  タイという国全般という印象で言えば、とにかく近代化とそうでないところ の差が激しい、と言ったところでしょうか。貧富の差と言ってもいいかもしれ ません。  バンコクは大きな都市で、デパートもあるし、コンビニもあるし、海外旅行 者むけの両替所や、インターネットカフェなどもあちこちにある。大雑把に言 ってそんなに日本と違わない暮らしができるところです。  物価に関して言えば、およそ日本の3分の1程度。3000円の程度のものなら ば、1000円で買えるということ。  大体現時点で、1バーツが3.5から3.6円。1万円両替すると2800バーツほど が手に入るというレートです。ちなみに国内の渋谷で両替したら、2600バーツ ほどでした。両替は向こうでやった方が得だったと感じたものです。  で、1バーツが3.5円ならば10バーツが35円ということになりますが、ジュー スが大体9〜13バーツしたというところから見て、大体生活感覚で言うと、10 バーツが100円に当たるのではと想像。屋台などで料理が一品30バーツ、ちょ っと高いところだと50バーツなので、微妙にずれているかもしれませんが、と にかく滞在中は10バーツ100円の感覚で生活していました。逆にそう思わない と「安い安い」と思わずぼろぼろお金を出してしまいそうになる、とも言えま しょう。  外国人、特に日本人には値段をふっかけてくるというのは本当です。200 バーツや300バーツ高めに言うのは当たり前。向こうの人からすれば、お金を 沢山持っている日本人から多めにとって何が悪い、ということになるのでしょ うが、他の西洋人に比べて日本人の金払いがいいというのは紛れも無い事実。 実際に日本で景気が悪くなろうが、タイでの日本人の金の支払いのよさ、身な りの奇麗さを見たら、どんなに金を持っていないと言って苦笑されるのがオチ です。大体、話を聞いて見ても日本のイメージは「金がある国」しか無いんで すよね……。  それでもタイの中にも日本のものは大勢あって、自動車、特にピックアップ トラックは本当か嘘かは分からないもののNISSANやTOYOTAの文字のオンパレー ド。デパートも東急、伊勢丹、そごうなどが人気を博しています。  ただ、最初に述べたように、全てはバンコクという特殊な地域に限ってのこ と。  ほんの少しだけ同行した友人と離れて、単独で北の方にも行って見たのです が、昔国内旅行で見た時にちょこちょこと見たような「田舎」の風景が広がっ ています。  タイの人口は6000万強、内バンコクの人口は600万と言いますから9割はそう いう状況で生活していることになります。日本はどこへ行ってもちょっと大き な駅前へ行くと「プチ東京」がありますが、タイではそんなことはありません。 バンコク内ですら、結構すごいところはすごい。日本で言えば戦後のやけだし 跡と言った感じでしょうか。  バンコクは渋滞がひどい、ということでも有名ですが、渋滞というよりも排 煙がひどい。車検制度が無いのか、機能していないのか、とにかくマフラーつ けてんのかい、とつっこみを入れたくなるほどの黒煙と爆音を鳴り響かして走 る車が多い。  交通手段にしてもモノレールを建設中とのことですが、利用できるのはバス とメータータクシーとトゥクトゥクと呼ばれる3輪自動車ぐらいなもの。最初 は道も分からないのでタクシーとトゥクトゥクを利用していましたが、30バー ツから60バーツもとられるので、すぐに3.5バーツですむバスでの移動に切り 替える。もっともバスは運行が不定期な上わかりにくいので、短時間で目的地 へたどり着くのは難しいのですが……。  まあ移動手段と買い物のためにタイ語の挨拶と数字ぐらいは覚えておけば、 なんとかなる所ではあります。ちなみに英語は、日本の町中で英語が通じる程 度と同じです。学校で読み書きは習うらしいですが、できるできないは個人差 がありますからね。それでも日本語で言うよりかはなんぼかマシかもしれませ ん。 ***  とまあ、軽く書くだけでもこんな感じになってしまうので、まとめて書く機 会があるかどうかは分かりません。  最後に自分自身の発見で言えば……僕自身はどこへ言っても僕だなあ、と。 その意味は我のみぞ知る……。 ***  それからメールくださった方々、もうしばらくお待ちください。なるべく早 い内にご返事しようとは思っておりますので。では。 (14:48)

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