更新日記 (60)
12月 17日(木) 森博嗣「すべてがFになる」
12月 23日(水) イブイブ
12月 27日(日) 自殺ページと規制問題に思う
12月 29日(火) チャイムの音が
1998年12月 29日 (火)
昼すぎ、玄関のチャイムが鳴った。
僕は未だ眠りの中にいた。最近すっかり昼夜逆転の生活に陥っており、朝方
眠りに入り、昼過ぎに起きるという日々を過ごしている。
チャイムを聞いた時、起きようかどうか一瞬迷った。このまま眠っていても
まあいいかとも思った。
しかし、どうも電話と玄関のチャイムについては無視することが難しい。
まあとにかく、という事で起き上がる。
居間には鏡台があるので、そこで寝癖だけは直して玄関に向かった。
そこで倒れた。
倒れたということも最初はよく分からなかった。とにかく意識が無くなり、
気付いたら顔を玄関の中に埋めていた。頭をぶつけ、肘もすったような感覚が
ある。しかし痛みは無かった。データは送られて来るものの、感情的なものは
制止した状態だ。自分でも驚いていた。
チャイムは鳴る。
起きなくてはいけない。
体を動かそうとするがどこに手があるのかも分からない感じだ。
頭に血の気が無い。
急激に起き上がったから貧血でも起こしたかなと分析してみるものの、とに
かく言うことが効かない。
それでも、ショックを受けていたのは数秒だったのかもしれない。
体は起きあがった。なんとかなる、と自分を落ち着かせてドアを少し開けた。
眼鏡をかけたスーツ姿の男の人がいた。
銀行の人らしい。
親がいないと言うと、景品らしきティッシュの箱を渡してきた。
一応の落ち着きを払った対応をしたつもりだったが、それでも何か不信なも
のも感じたのかもしれない。意外にすぐ相手は去った。後で母に聞いたところ、
いつもの定期的な集金に来ただけだったという。どうして払ってくれなかった
の、と責められたが、その時はとにかくそれどころじゃなかった。
テッィシュの箱を持って居間に来たところでまた倒れた。
今度は意識はなんとか保てたが、やはり貧血のようなめまいがした。
しょうがないのでそのままじっとしていた。
大体けがでも病気でもそうなのだが、無理にその状態にはむかうよりも、冷
静にその状態を分析し、味合うようにした方が結果的によいことが多い。少な
くともそうすることで、頭の一部分だけは冷静でいられる。何にしてもパニッ
クだけは避けたい。
数秒なのか、数分なのか分からないが、とにかくじっとしていると、何とか
体に力が戻ってきた。栄養不足もあるのだろう、とうずくまったまま台所にあ
ったはずの栄養ドリンクの箱の方に手を伸ばした。
箱は無かった。
無いのか、とぼんやり考えながらさらにまさぐると、ビンがあった。二本。
一本を手に取る。
しかし飲む気力まではまだ生じてこない。握ったまままだじっとしていた。
なんでこんな状態に、と考える。
多分、単なる急激に起きたことによる目眩、プラス、不摂生な生活、プラス、
食事の量の低下による栄養不足によるものだろうと検討をつける。
書きそびれたが、居間に戻る間にトイレに入り、ちょっとだけつばを吐き出
した。実際に吐くことは無いが、吐いてもいい状態に身を置くことで、精神的
に楽になるということがある。
ビンを握ってから、後は飲むしかない。行動の方向性が明確に定まれば迷う
ことも無い。とにかく、実行すべき目標があるというのは気が楽なことだ。
もう大丈夫かな、と見計らい、体を起こし、蓋をひねって開けた。
そして飲む。
一気に飲む。
ほとんど一息だった。それでも多少は味わった。
暗示的効果もあるのだろう。
体はそれなりに落ち着いた。
だが、これではまだ十分では無い気もした。
そこで台所に戻り、冷蔵庫から牛乳を一本持って来た。
そして飲む。
今度は一息では無いが、ぐびぐび3度くらいに分けて飲む。
これだ大分回復したという気分になった。もう目眩も無い。
それからその場に座ったまま、さてどうしようかと考えた。
何もやる気もおきないが、さりとてぼうっと座っているとかえって怖いこと
を考えそうでもあった。普段はぼうっとしていても苦痛ではないし、何かしら
思索にふける話題もあったりするのだが、この時ばかりは家にいてはまずい気
がした。
そこで、今月末までの映画の招待券を使うことにした。
風呂に入って、シャワーを浴びてドライヤーをかけて、表へ出た。
銀座の松竹セントラル1で「ロスト・イン・スペース」を見てから本屋によ
り、村上春樹がまとめたオウム信者へのインタビュー本「約束された場所で」
を買って帰った。その本屋の店員の女の子が料金の精算をするときの、仕種や
口調がなんだか、妙に砕けていてちょっと親近感を抱いたのを覚えている。
家には父母がいたが、夕食の支度は無かった。町会の方の仕事をしていたら
しい。お土産の巻き寿司があるという。しかし、気分が悪いと言って、白米を
食べた。酢の匂いを避けたかったというのもある。
ともかく、ご飯と昨日の残りのケンチン汁と、やはり町会の忘年会だかなん
だかの残りの料理をちょっとつまんで、600円払って買ったいまいち中身の
無いロスト・イン・スペースのパンフレットを読み、「約束された場所で」を
読みはじめた。
結局そんなこんなで、またこんな時間まで起きている。
本もずっと読んでいたわけでもなく、その間、また風呂に入ったり、すりむ
いた肘の傷にバンソウコウを張り直したり、白いシャツに知らぬ間についてい
た、血痕を風呂場で洗ったりしていた。そして夜はふけて、明日が来る。
本はまだ読み終えていない。
ただ読んでいたら自分も何か気持ちを書き残したくなってきた。
それでこれを書いている。
何かを伝えようとしても、全ては伝えることはできず。
かといって隠そうとしても伝わってしまうものもあり。
明日は。
いや、今日は大学時代の友人と久々に会う約束がある。
こんな風に今日は生きてみた。
(12/30 6:12)
1998年12月 27日 (日)
もう幾つ寝ると世紀末?
***
世紀末は2000年なので、後369日は寝ないといけない。
***
ウェブ上でドクター・キリコと名乗り、自殺相談のようなことをし、希望者
には有償で青酸カリを送っていた男(本人もすでに自殺)が、マスコミで騒が
れている。
話題になっている理由は、インターネットが介在しているという点にあるの
だろう。
やっぱりというか、何というか新聞には、これを受けて「野放しなネットに
対する規制する法律が必要ある」などいう言説の紹介があった。
しかし。
規制なんてものは既にあるのだ。
猥褻画像、違法コピーソフト、MP3などのファイルがあるページは次々とプ
ロバイダーの判断で削除させられているのが実状である。
もし法律が作られるとしたら、それは厳しい規制をされないようにするため
のガイドラインとして成立されるべきだろう。
ちなみに、問題のページのURL、新聞の写真で見た限りではTripodのようで
した。もはやアングラの巣窟と化しています。それにしてもアングラ系は、検
索エンジンでもすぐ削除されることも多く、よく皆さん見つけるなあと感心も
します。一部の掲示板などを中心に広まることが多いとも聞きますが。
ここで、もしS(スピード、覚醒剤)の購入方法やら、トルエン(シン
ナー)の吸い方など書いたりしたらアングラになるのだろうか??
よほど頑張らないとネットの伝播力は弱いまま、なんて呑気に構えている私
であったりします。
***
今年のクリスマスはどうも全般的に、おとなしかった。個人的にもそうだし、
町の雰囲気から行っても盛り上がっていない気がした。そもそも日本の場合、
クリスマスを気にするのは、プレゼントを欲しがる子供とその親、日の浅いカ
ップル、関連ビジネス界の方に限られているわけだが。不景気はどん底と言わ
れているが、まだ生きてはいるしパニックも生じていない。先が続くのだろう
か。やれやれ。
(12/28 6:00)
1998年12月 23日 (水)
もう、12月も終わりに近づいている。
気が付けば明日はもうクリスマスイブ。
先日19日には誕生日を迎え、私もとうとう四半世紀を一歩飛び越えてしま
った。俗に二十歳過ぎると時が経つのが早くなる、とも言われるが、まさにそ
れを実感している。
1998年12月 17日 (月)
森博嗣(もりひろし)著「すべてがFになる」を読んだ。
いわゆるミステリなのだが、一部では結構話題の作家であるらしい。
初めて森博嗣氏の名前を聞いたのは、何ヶ月か前、久々に再会した大学時代
の友人の口からだった。活字嫌いで、自らを映像派だと言っていた彼は、パソ
コン関係のバイトをしていると話した私に、「今、はまっている本がある」と
森氏の名をあげた。
その時はただ、ふうん、と聞き流していた。
正直なところ、私にミステリに対する思い入れは無い。同様な意味でSFに
も特に愛着もないし、ましてやファンタジー、ホラーそして純文学などにもこ
だわりが無い。そういう系統で本を探すことはしなくなった。むしろ、そうい
う枠内にあるものはあまり好きでは無い。強いて言えば「エンターテイメン
ト」とであればいいと思っている。
まあそんなひねくれた訳で、本屋で名前は見れど手はとらなかった。読む気
が無い本でもとりあえず買っておくかという習慣は私には無い。
しかし、今日、本屋に行くと彼の第一作目が文庫本になっていた。
私は文庫本が好きだ。
安いからではない。
いや、それも多少あるが、本質的に文庫の一番いいところは、「解説」があ
ることだと思っている。
そういう意味では、新書でもハードカバーでもよいのだが、なかなか後書き
がついていることが無い。
講談社文庫から出たこの本の文庫解説は「パラサイトイブ」で有名な瀬名秀
明氏であった。
そこでどきりとした。実はひそかに彼の著作は一冊も読んで無い癖に、彼の
解説についてはちょっとファンであったりもする。
彼はアメリカで有名なホラー&SF小説家ディーン・R・クーンツの書いた
「ベストセラー小説の書き方」を読んで小説を書いたと公言し、自らをクーン
ツ派とも称した上、幾つかのクーンツ作品の文庫版に解説を書いている。
これがまた滅法長いのだが面白い。そして説得力と知識がそこにある。
もっとも個人的にクーンツは、「ベストセラー小説の書き方」を私自身も読
んだせいか、なんとなく敬遠していたりもする。何作か読んで面白いなとは思
ったが後を追いかけて新刊を読み続けるとまではいかなかった。そういう点で
はキングの方がまだ「持った」。
話が脱線したが、ともかく瀬名氏の解説を期待して読んだ。
熱かった。
もともと上手いとは思っていたが、この解説には心が動いた。ちなみに、後
書き上手ということでは世代的にも近い「後宮小説」で有名な酒見賢一氏も、
実は文庫ではかなりの量の自作解説とは名ばかりの長文エッセイを書いており
これがまた面白かったりする。
世の中には膨大の書籍がある。小説も腐るほどある。どんなに他人に評判の
いい作品でも、今の自分にとってはつまらないことは多々ある。そういう洪水
状態の中で、面白い本を見つけるとなれば、やはりその解説は重要である。
はっきり言って、解説がつまらない本は、本文もたいていつまらない。
逆に、熱い解説や訳者後書きのある本はあたりが多い。
ややひっぱりすぎてしまったが、そんなこんなで購入して読んだ本著は、期
待に違わぬ面白さだった。
主人公は作者の分身と思える某大学の工学部の助教授。実際森氏も、現役の
学者である。ミステリなので、殺人事件がまあ起こるわけだが、そこに至る過
程が結構長い。作者の故郷でもある愛知県の沖にある小島の中に儲けられた、
ソフトウェアの開発研究所。その中には「天才」プログラマと言われる一人の
女性が、14年もの間、モニターと通して意外誰とも接触せずに暮らしていお
る。その彼女は、14年前、自分の両親を殺したのだが、心身喪失状態であっ
たとして無罪とされていた。
その彼女が殺される。主人公は、死んだ恩師の娘で今は自分の大学の生徒と
なった「お嬢様」とともにこの事件に巻き込まれる。
とっかかりはこんな感じである。
「理系小説」と言われる通り、コンピュータ関係についての知識が一つの謎
を解く鍵となっている。もっともそれは全体の一つであり、ただの味付けとし
てコンピュータを扱ってはいない。
小説自体の解説はどう考えても瀬名氏には及ばないと思うで、多くは語らな
い。氏はこの作品を「天才を描いた作品」であり「京極夏彦と共に読者の認知
に関するリアリティを意図的に不確かなものにさせる作品」であり「全ての研
究者に読ませたいほどに、学者としての姿を教えてくれる作品」であると述べ
ている。
読み終えては、そのことではなるほどと思う。
その上に付け加えるならば作品は絵的でもある。実にけれんみがある。エン
ターテイメントしている。かつ作者の死に対するアイロニカルな態度、人嫌い
と公言し、かつそれを肯定的に主張する態度には確かに独自のものがある。作
中何度も「コンピュータによって提供する架空世界の中にひたるようになり、
個々の現実が薄れてゆくのが、あるべき人類の方向性だ」と述べられる。
私としては、幻想に浸らずに現実を見ることが大切という常識があると思っ
ていたのでいささかこれには驚いた。だが嫌な感じはしない。さらさらとした
砂のような印象を受けた。
***
さてここまで書いた所で、後書きの中で森氏がウェブページを持っていると
のことでYahooで検索してみた。ページはあっさり見つかった。で、読んだ。
自作のことも含めてえらく膨大のテキストがある。
ファンの作ったページにもリンクが張っている。掲示板まである。
活発である。
・・・どこが人嫌いなのだ??
***
得てして落ち着きの無い人物ほど「冷静さの重要性」を主張する。
優しい人間ほど「人間は無慈悲な存在である」と主張する。
そういうもんか、と思った。
■参考リンク
森博嗣の浮遊工作室 Mori's Floating Factory
(12/18 6:14)
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