更新日記 (71)
4月 29日(木) ミドリの日/Card Wirth追記/NATO空爆
1999年4月 29日 (木)
今日はミドリの日。
先代の天皇誕生日である。ゴールデンウィークという連休を作るために無理
やり存続を余儀なくされた祝日では無いかとにらんでいるが、真偽のほどは知
らない。
私自身にとっては連休も何も関係無いが、父親などは当然のごとく家にい
る。そして何をするというわけでもなくテレビを見ている。
今、居間では父は「どーなってるの」が放送されている。
視聴者投稿による家族内のちょっとした文句や疑問を大々的に紹介するとい
う番組だ。あきらかに奥様むけのコンテンツだとは思う。それでも父は見てい
る。休日とは言え、テレビは通常通りのレギュラー番組が流れている。私とし
ては、いつもこのテレビが放送している時には、居間に一人でいることが多い
のでちょっとした違和感を覚える。勝手なものだ。
***
24日に紹介した「Card Wirth」。
時間を見て、ちょこちょことダウンロードしたシナリオをやってみている。
ゲームというより、電気紙芝居的なものが多いという印象を持ちはじめてい
る。ストーリーが結局のところ一本調子、だからだと思う。このあたりは、や
はりサウンドノベルとは違う。それともたまたま、私がやったシナリオがそう
いうものであったというだけなのだろうか。
シナリオの出来についてはやはり作者によってばらつきがあるようだ。非常
に後味の悪い何編かもあって、この日記で、このゲームを紹介したのを公開し
たこともあった。しかし、やはり、それも作者による、としか言いようが無
い。
壮大な物語の一部、というもの。連作となっており、前のシナリオをやって
いないと、分からないもの、というのもある。
けれども、個人的には、短いもので、さくっと終わって、適当に楽しめるも
のがいいと感じる。
考えてみると、これは、ネットにおける小説にも同じことが言える。
これは持論なのだが、ネットで小説を発表しようとするならば、「パロディ
小説」か「短編小説」かどちらかである方が、書く方にも読む方にも幸せであ
る場合が多い。それで無くともオリジナルの長編ものというのは書くのが難し
いものである。また、非情な言い方をさせてもらえば、つまらない短編ならば
無駄になる時間も短くで済むが、つまらない長編はそれだけ無駄になる時間も
多くなる。ハイリスキー故に、気合度も高くないと読者の方に失礼な存在とな
ってしまうのである。
シナリオ創作のための、ノウハウというものを紹介しているサイトも幾つか
ある。こういう基礎的な技術論が普及が、今後のこのジャンルの発展の鍵を握
るはずだ。つまらなくなくならないための最低限の技術というのは必ずあるか
らである。まだ、そこまでは構築されてはいないようではあるが。見守ってみ
ようかと思っている。
***
セルビアへのNATO軍の空爆が続いている。
正直そんなに関心が無かった。
それよりも都知事選の方が面白く感じられたせいもある。
さて、その都知事選も終わって、ちょっと新聞のセルビア・コソボ関係にも
目を通してみると。
これは確かにすごい事態である。
NATO軍の誤爆にまつわる、攻撃する側の問題もさることながら、セルビアで
起きているコソボ地区に住むアルバニア人に対する迫害状態は、現代の自分た
ちと似たような暮らしをしている中で起きているかと思うと、本当に気が滅入
ってくる。だが、いきなりに生じた話ではなく、もう何年も続いていたことで
もあるのだ。
また、アフリカのどこかの国で生じている内線状態についての報道も先日ち
らりと見た。まったく。この世は実に身も蓋も無い。
戦争というのは、一応各種協定によって、軍人同士が戦うという前提がなさ
れているが、実際には生活と生活の戦いであると知らされる。
コソボで起きていることに限定して自分なりに簡単に整理してみると、どう
も以下のようなものであるらしい。
第二次世界大戦後、東欧南部はチトーという大統領の下、ユーゴスラビアと
いう国が運営されていた。元々、バラバラな民族の住む地区ではあったが、あ
る意味でワンマンなチトーの下では一応の統一がとれていた。
しかし、彼の死後(1980年)は、民族主義的な独立運動が高まって来る。
そしてその中で、セルビアという国が出来る。
そのセルビアの国の中にはコソボ自治区というのがある。
これは自治区という名の通り、アルバニア人という元々オスマントルコ時代
にやってきたセルビア人とは別の民族が住んでいる。民族というと分かりづら
いが実際には、宗教が異なるということらしい。そこは、ユーゴスラビア時代
から、自治が許されており一種独立した行政がなされていたが、セルビアの独
立と共に、その自治権が剥奪される。
となると、コソボの人達としては、反発する。
自分達も独立を主張するようになる。
けれども、セルビアとしては、コソボは歴史的に一種聖地のような趣がある
土地であるという。どうても手放したく無いという感情があるようなのであ
る。
そんな中、コソボの独立運動が高まり、セルビアの政府との対立が深まり、
とうとう、セルビア側からの軍事的な弾圧が始まる。ここに至り、セルビア側
のコソボ地区のアルバニア人に対する虐殺・レイプ・強制収容などの情報が、
飛び交うようになった。
NATOは、こうしたセルビア政府に対して、圧力をかけるため、「人道的な介
入」という意味合いでセルビアを空爆しているという。
もちろん、NATOはそもそもソビエトを中心とした旧共産主義国との大規模な
戦争に備えて組織されたもので、よその国の住民を救助するための鉄槌機関で
は無い。けれども、ナチスドイツの再来のような、セルビア現政府を許すこと
はできない、というのがアメリカを筆頭とするNATO側の「正義(言い分)」で
ある。
こうしたNAIOの動きに対してロシアの国民感情はかなり反発しているらし
い。元共産圏の国としては、そうした「人道的介入」という行動により他国へ
の攻撃が正当化される様が、自分たちへ矛先が代わるものに映るということの
ようだ。
もっとも、NATO内部でもフランスはかなり強行な空爆に対する反対論を示し
ており、ドイツでもこれ以上の関与に懸念を示す動きがある。いきまいている
のはアメリカである。実際、空爆に関わる機体の半分以上が米軍のものである
という。世界の警察官を自認するアメリカが、セルビアで生じているような事
態を見逃すことはできない、ということらしい。
*
以上の簡単な説明の裏で、大量の人間の死がある。
アルバニア人はセルビアからの自治を獲得するために、警官隊と戦って殺
す。セルビアは、そうしたコソボの独立運動を押さえるために、軍隊を投入し
て、独立運動の一団を殺す。しかし、独立運動は高まり、住民一団となりセル
ビアの介入に対抗すると、セルビア軍はこの混乱状態を収めるために、怪しい
奴をさらに殺す。独立運動の「兵士」となる男は収容所に連行する。
神経的に参ってくる前線の兵士は、「敵」の「女性」を襲う。住民のさらな
る反抗に、さらに無差別に攻撃を加える。そして死ぬ。
そして、それを知る西欧の軍隊が、セルビアの政府と軍事基地をめがけて爆
弾・ミサイルを投下する。軍人が死ぬ。そしてセルビアの住民も誤爆という形
で、死んでゆく。逃げようとしたアルバニア人も誤爆で死ぬ。逃げ後れた、コ
ソボの故郷にいる人間もセルビア軍に殺される。
戦争は、近代国家においては死刑と共に「許された殺人」と言われる。学校
でナチスにあこがれる生徒が、セミオートマチック銃で、生徒を大量に殺人す
る行為とは違う。それは単に社会を壊すだけの行為だ。戦争と死刑は社会を守
るための行為だ。
私は殴るのも殴られるのも、殺すのも殺されるのも嫌だ。だから、戦争も死
刑も嫌いだ。しかし、嫌が応でもそれに関わらなくてはいけないこともあるだ
ろう。
自宅で自分の妻と妹が兵隊に襲われ、留めに入った男が殺される。妻も妹も
結局殺される。そんなコソボの難民からの証言を新聞で読む。その証言をした
人間は、別室でただ隠れていたという。死んだ男は彼の兄弟だった。
国境を超えようとしてセルビア軍につかまり、収容所に入れられる。収容所
から逃げた一人の男が殺される。証言者の一人は後日無事に抜け出せられた。
やはり検問所で、よその家族の妻と娘が兵隊に森へ連れてゆかれ、2時間後
絶叫しながら戻ってくる。証言者はテレビ局のキャスターだという。
私の目の前で、妻や妹が襲われたら。反射的に止めに入ってしまうかもしれ
ない。そして殺される。逃げてしまうかもしれない。だが、きっとそのことは
一生忘れられない。収容所に入れれられ、そこから逃げようとして殺されるか
もしれない。
逆に兵士として、いつどの住民が敵に代わるとも分からない地区に行かされ
るかもしれない。暴行に加わらないと、兵士の仲間にも仲間とも認められない
状況におちいるかもしれない。それが嫌で逃げ出して、敵前逃亡ということで
追尾中に殺されてしまうかもしれない。
一目散で、逃げ出しても誤爆で殺されるかもしれない。
そしてこれは冗談では無い。
*
誰だって死ぬ。身近に死んだ人間がいない人はいない。それでも、やはり何
かが間違っていると感じる死はある。それは間違いなくある。
空爆から地上軍に移行する案もあるという。両者とも必ず死者が大量に出
る。あれほど圧倒的だった湾岸戦争でもやはりあった。
コソボに武器供給をしたらどうなるか。冷戦中はそんなことばかりであっ
た。武器の大量な導入は、利害を求めて敵味方入り乱れる戦国時代のような
様相を生んだ。
ほうっておいてもセルビア政府による、コソボ地区の弾圧は続くだろう。
一度生じた独立運動を収める時に、軍隊を投入したら後にはなかなかひけな
い。あのイギリスでさえ、北アイルランドへの軍隊投入による禍根は、後に
テロ運動という形で長く続いた。
何をひいてもババがある。
どうババをひくか、それを考えるしか無い。
私には何がよいのかは分からない。覚悟も無い。
ラブ&ピース。
これは冗談では無い。
(11:56)
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