OLD DIARY/NEW DIARY/HOMEPAGE

更新日記 (75)

6月 11日(金)牛定
6月 18日(金)シェークスピア物語




1999年6月 11日 (金)  5時過ぎ頃、夕食にはまだ早いと思いつつもなぜか腹が減って牛丼屋の松屋 に行く。牛焼肉定食(通称「牛定」)を食べたくなったのだ。やはり、食べた い時に食べたいものをたべるのが幸せである。  ということで、かなりひさびさに松屋に入ると、サラダドレッシングが、醤 油ベースの和風ドレッシングから、ごまみそ風味の和風ドレッシングにかわっ ていた。一抹の不安がよぎる。  牛丼などと比べて、定食系は、調理に時間がかかるので遅い。  しかし、その場合、あきらかに順番が後回しにされていた。すぐできる、牛 丼系、カレー系が先に出され、あまつさえ奥で鉄板をいじっていた女性従業員 も手を休めたところで始めてオーダーが届く。  さらに。その女性従業員は、二人分の牛焼肉を焼いていたようなのだが、皿 に移したところで、先輩らしき男の従業員に言われてそれを破棄していた。お そらく焼きすぎてしまったのだろう。無言で、カウンターと調理場を入れ替わ る彼女。代わったその男性従業員は2枚の鉄ベラをまるで、ナイフで遊びをし いるかのように、がちがち音を鳴らして、肉を焼き始めた。意味があるのかど うかは知らないが、空中でヘラとヘラをカチカチーンとリズムをつけてぶつけ たりしている。ノリノリである。男を見せてやるというような猛烈な勢いで、 3人分に増えた焼き肉を焼いていた。とにかくさわがしく音を鳴らしまくった 末、ブツは届けられた。普通、だった。  まあ、とりあえず食べたい時に食べたいものを食べられたので幸せである。  よかった。 ***  NATOの空爆も停止。  その一方で昨日は防衛医大の学生寮で定時制高校生がお手製のパイプ爆弾を 持って立てこもり、今日は銀行で中年男が立てこもり。  あまり世は平和ではない。 (22:15)
1999年6月 18日 (金)  定番というものに挑戦している。  既に書いたドストエフスキーや般若心経などもそうだが、次にターゲットに 選んだのはシェークスピア、である。  学生の頃からよく文学部の人と話をしていて、シェークスピアの話になるこ とがあった。すると大概の人間は、すました顔をして「ああ、シェークスピ ア、面白いよね」と言うのである。別段格好つけているわけでも無く、テレビ ドラマの話題でもしているかのように言うので、これはたしかに面白いのだろ うなあ、と思っていた。  それで本屋に行って、読んで見ようかと本棚を見てみたのだが、はたして、 何から読んでみたらいいものかわからない。実は映画では「ハムレット」やら 「マクベス」やらを見たことはあるのだが、正直あまり面白く感じなかった。  というか、つまらなかった。  しかし、原作は原作である。映画化したものが駄作になるということはよく ある話である。  などと心でつぶやきながらもまだ決心がつかない。岩波文庫で出ている版よ り白水社というところから出ている小田島某という人の翻訳によるものの方が 面白いという話は聞いていたので、そのあたりをうろうろしてみるのだが、な にしろ20冊以上ある。ディカプリオ主演の「ロミオとジュリエット」もまあ それなりに面白かったよなあ、などと思い出しながらもあえてまた読みたいと もなかなか思えない。  仕方が無い、と私はくるりと振り向いた。  そこには児童書のコーナーがある。  たしか子供むけのシェークスピアの話を要約したものがあったはずだ。  よく大学のレポートを書く時に使った技だ。聖書の内容だってポプラ社刊の 伝記シリーズ「キリスト」を読んで学んだクチだ。ついでに言えば自然科学分 野は学研の学習マンガ「ひみつ」シリーズが知識の基礎になっている。  ずばり「シェークスピア物語」という本がある。  これは日本人が書いたものではなく、19世紀初頭のイギリス人姉弟によっ てかかれたものの翻訳である。  訳は本棚に二種類あった。  一つは野上弥生子女史による版、もう一つは厨川圭子女史によるものだ。  前者は一冊、後者は上下二巻だ。  一冊版の方が安くすんでいいよな、と思いながらも懸念が二つほどあった。  実は野上女史という名には覚えがある。岩波文庫で出ているブルフィンチに よる「ギリシャ・ローマ神話」という本も彼女の訳なのだ。序文に夏目漱石の 投げやりな文章があって、一見格調高そうに見えてよさげなのだが、これがま たどうしてつまらない。大学のレポートのために読まされたという事情もある が、なぜにこんなもん読まされなくてはいかんのだ、とプリプリしながら目を 通した記憶ばかりがある。  文体がですます調であるのも原因かもしれない。有名なファンタジー小説 「指輪物語」も読み通せない原因の一つにですます調の翻訳であるのではと疑 っているほどだ。訳者の訳しかた一つで印象が変るという例は幾つもある「赤 毛のアン」の翻訳を見ればよくわかる。余談だが暇な方はアンのラストの数 ページだけ幾つか読み比べて見ればよい。アンとギルバートが手をにぎりしめ ながら語り合うシーンが非常に短く書かれているのだが、そこの訳しかたで、 訳者の恋愛観……正確には物語における恋愛観が分かって面白い。こういう微 妙なトーンの違いが全体の印象に与える影響というのは大きいのである。  ともあれそんなこんなで野上女史にはかなり警戒感があった。  もう一つの懸念は、その分量の少なさだ。  抄訳では無いか、と思ったのだ。  そして周りに私に対して注目している人がいないことを確かめてから、ぱっ と二つの本を開いて最初のページを見比べて見た。「あらし」というのがあ る。そんな作品あったかいな、と思いながら読む。  厨川女史の方は「だ。」という断定調である。しかも文章量が多い。台詞を 頼りに文をたどってみるのだが、野上女史の方はまず、描写が圧倒的に少な い。びっくりするほど切られている。アカデミー出版の「超訳」並みである。  ネタバレになるのを承知で書けば、例えば「オセロー」のラストシーン。  厨川女史の版ではこういう記述で終わる。  「いまや、オセローの後任者にのこされた仕事は、イアーゴーにたいして、 法律上最高の刑罰を科すことだった。しかも、きびしい拷問をくわえたすえ、 処刑することであった。と同時に、ベニス本国に、有名なオセロー将軍の悲し い最後を知らせることであった」  これだけだと分かりずらいので簡単にオセローの話を説明すると、オセロー というのは主人公で、外国人(黒人)なのだがイタリアの将軍なのである。軍 人としての腕は抜群、しかも性格温厚で気さくで正義感も強い。イアーゴーと は彼を非常に妬む愛想笑いを浮かべまくる超腹黒人間。まっすぐな性格のオセ ローに、親切そうに近づき「申しにくいのですが、あなたの奥様、オセロー様 もご存知のあの親友の方とできてるんですよ」と遠回しに告げ、嫉妬の苦しみ にもだえ苦しませてしまうのである。結局オセローはその妻を殺してしまう。 そしてその後にイアーゴーのたくらみを知り、妻は無実だったことにさらに苦 しみ自殺してしまう。イアーゴーはそんなこんなで悪人中の悪人としてあの 「ベニスの商人」ともよく並び称させる……というのは受け売り。  で、そのイアーゴーの描写の部分。  野上女史版ではこうなる。  「悪だくみをしたイアゴーは、当然のごとく死刑に処せられました」  ……そりゃ、違う、でしょう。なにか。  ということで、高いなと思いながらも偕成社文庫、厨川圭子訳の「シェーク スピア物語」上下巻(各税抜き700円)を買ったのである。個人的にはこれ で正解だったと思っている。20もの物語があるのでなかなかお得でもある。  もちろんこれでシェークスピアを読んだことにならないのは、承知である。 だがこのラム姉弟の版もシェークスピアの劇中の言葉を取り入れた傑作ダイジ ェストではあることは強調してよいと思う。後書きによれば姉のメアリーは精 神障害をおこし、実母を殺した経験があり、弟も同じような症状で苦しんだ経 験もあるという。そういう色眼鏡で見ると結構鬼気迫るものも全体に感じるの である。  徐々に読んでみたいなとは思うもののまだどこから手をつけていいものかは 定め難く思っている。同時に解説書にも手を出してみたのだが、なるほど、こ れは言葉に出して言ったらいい感じだなと思わされる台詞が多い。「あらし」 こと「テンペスト」は、魔法あり、恋あり、としかもハッピーエンドでもある ので面白そうである。しかし、上の「オセロー」もいい感じである。  「むださわぎ」と訳された通称「からさわぎ」も、毒舌家の男女が友人たち の策略により、互いに恋していると勘違いして本当に恋しちゃう話だったりと 気になる。評判はよかった男なのに、つい野心を出してしまい、悪妻のそその かしもあり、温厚だった王を殺して国とのっちゃった上に自滅する「マクベ ス」将軍も気になる。  ……結局読まないかもしれない。  でもシェークスピアは面白いと言った友人の言葉は少し分かった気がした。  少し、ね。 (15:43)

戻る

1