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更新日記 (77)

7月 5日(月)7の月
7月 6日(火)プライベート・ライアン




1999年7月 5日 (月)  今、多くの日本人が、日々の生活の隙間に、思う言葉は多分これ。  「7の月」  アンゴルモアより恐怖の大王来たる、というノストラダムスの大予言。  もはや今更私が語るまでもなく「そもそもあれば五島勉氏の著作の中でのみ 主張されていたもので、人類滅亡などノストラダムスは予言していない」とい う具合に落ち着いている。  むしろ恐いのはオウムを始めとするカルト集団が無理矢理予言を実行しやし ないかということぐらいである。  そして何よりしみじみこの「1999年7の月」に思うことは、流れた月日のこ とであったりする。初めてそれを知った時、私は小学生だった。そしてその日 が来る頃自分はどんな大人になっているのだろうかと、考えていたというの に。今現実がそこにある。こんな大人である。  遠い先のはずだった未来というのが、現実にやってくると、実に全て「こん なものか」としか思えないものらしい。  インターネットにしてもそうだ。初めて私がネットに触れたのは高校2年の 時で、もちろん当時はパソコン通信しかなかった。その頃、「もっと検索など いろいろできて、知りたい情報が手に入るようなものにネットはならなければ 駄目だ」なんて考えて、実際にそういう文章をネット上で書いていたのに。今 あっさりとその環境が我が手にある。だが、驚きというのはあまりない。多分 インターネットをまだ利用していない人にとっては、その世界がなんだか特別 に感じるだろうが、実際に使って見れば、あまりにも日常すぎてもはやあこが れもへったくれも無い。頭にあるのは「まだ不便だよな。もっともっとネット を使う人が増えて、もっともっといろいろなことに使えたらな」と思うことぐ らいである。  それにしても、ネットの世界の動きは激しい。  例えば、今私が利用しているこの無料ホームページサービス「GeoCities」 の場合、最初はアメリカだけのサービスだったのに、今は日本でも独自にサー ビスが始まり、そうしたら今度は本家アメリカの方はYahooに吸収されてしま った。いつのまにか、ネット上でもっとも有名なサービスの一つになってしま っていたのである。  そのYahoo自体も、未だサービス内容としては一番ではあり、さらに貪欲に サービスを吸収しているわけだが、それでも他のサイトの追い上げもものすご い。  一年前ならばYahoo、goo、infoseekで決まり、という感じだったが、今は、 むしろExciteやLycosの方がおしゃれで軽くて、旬である。一体どうなってゆ くのだろうかと不安もあるし期待もある。  ただホットなわりに、ネット上のサービスというのは収支的には赤字のもの がほとんどだ。はっきり言って先行投資。書籍の通信販売で有名なamazon.com などはその手の業界で一位というのになおかつまだ赤字だという。ウェブでの 広告収入というのも、まだそれほど効果が出ていないので、新しい方針を打ち 出さないと今後は縮小してしまいかねないのである。  と、まあこんなのが7の月である。日本は不況で確かに、かなり危機的状況 ではあるが、戦場にはとりあえずなっていないし、何よりこうして生きていら れる。のんきにインターネットに接続して、誰かとおしゃべりしていたりもで きるのである。  もちろん、既にアンゴルモアよりお忍びで大王様がいらっしゃって、高田馬 場の駅前の松屋で牛焼き肉定食を食べながら観察をしている可能性は、無くも 無いが。  それはまた、別のお話。 (7/6)
1999年7月 6日 (火)  レンタルビデオ屋へトミー・リー・ジョーンズ主演の「追跡者」を返しに行 くと、新作コーナーに「プライベート・ライアン」を見つけた。スピルバーグ 監督による話題作だ。劇場に見に行こうと思っていたのだが、そのまま忘れて いた。ということで、店内に入り15分後にはそれを持って表に出ていた。ちな みに近所のビデオ屋「NEWS」は、安っぽい青いビニールの袋にビデオを入れる のでちょっと格好が悪い。早足で私は帰宅する。  劇場の雰囲気を出そうと部屋を少し暗くしてみる。だが、そんな必要もなく 映画は十分に暗い画面だった。  オープニングのノルマンディ上陸作成のシーンがリアルですごい、という評 判を聞いていた。期待して見始める。  最初は老人が家族と墓参りに行くシーンだった。白い十字架がずらり並んで いる。回想シーンになるだろう、と思っていたら確かにそうなった。  噂のシーンの始まりである。  描写がリアル、という話は散々聞いていたが確かにそれはリアル、だった。  それは必ずしも血が飛び出るという画面があるというだけではない。撮り方 自体が、人の生理を刺激するような形になっているのである。  まず、暗闇が強い。そして、かなりカクカクした画面になっている。多分シ ャッタースピードをいじっているのだと思う。そして望遠の、しかも手持ちで 撮影されているので、猛烈に画がゆれる。実際に激しく走ると、あんな感じに 周囲が見えるよな、と思わせるものがある。  そして、音。銃弾の飛び交う音、銃やベルトなどの金具の音がかなり強調さ れている。これらは「シンドラーのリスト」でも行った方法だが、さらに徹底 している。それ故に恐い。腕は吹っ飛ぶ、足は吹っ飛ぶ、内臓も吹っ飛ぶ。そ れをドキュメンタリー風に遠くから映す。主人公の意識がふと遠のき、世界が スローモーションになる瞬間が時々起きる。いちいちが徹底している。  話も筋は簡単である。  トム・ハンクス演じる腕効きの中隊長は、ノルマンディ上陸の激戦から3日 後、特命を受ける。作戦で4兄弟のうち3人が一気に死んでしまったことを 上層部が問題にし、末の弟をただちに帰還させるように命令してきたのであ る。その末の弟というのが、ジェームズ・ライアン。(プライベートとは、 上等兵、もしくは二等兵の意味。参考「各国軍隊階級表」)。  一兵卒に過ぎない彼を救うために、トム・ハンクスは8人の部下を率いて 適地の奥へと向かう。激戦区を潜り抜け、部下に犠牲者が出るにおよび、チ ームはバラバラになりかける。なぜ、見も知らぬ一人の男を助けるために、 仲間が犠牲になってゆかなくてはいけないのか……。  トム・ハンクス演じる中隊長は、「部下を死なせる度に、一人の犠牲が10人 を救ったと考えることで、自分を納得させている」と言いながら、手の震えを 隠すことができない。クールな軍人を装っている自分にひどい違和感を感じて いる、というような描写が続く。  かなり真っ正面から戦争を描いた映画、というのが全体の感想である。  戦闘シーンも、なんというか夢に出てきそうな光景である。土煙が舞い、コ マ数を落としたぎくしゃくした画面の中を黒いがれきの粒が雨のように舞う。 人が倒れて、瞬間、血が噴水のようにあがり、どくどく、と垂れ流しになる。 鼓膜の奥の血管が鼓動する音が聞こえる。  映画を見た人の中には自分の戦争体験を思い出し、病院行きになった人もい たと聞く。弾に当たるも当たらないも運次第、という中に叩き込まれて、周り が文字通り血の海になりながらも、さらに応戦しながら突撃しなくてはいけな い。やはりどこかを麻痺させなくては駄目になる。  スピルバーグというのは不思議な監督だ。  ジュラシック・パークやロスト・ワールドを見て、違和感を感じた人が結構 いたと聞く。特にロスト・ワールドに顕著らしいが(私は未見)、どうも、 「恐竜を格好よく」描き過ぎているのが難点らしい。パニックものなので、恐 竜を怖く描くのは構わないが格好いいと、恐竜に襲われる人間自体に感情移入 する度合いが減る。美しい悪、という描き方もあるだろうが、それもまたスピ ルバーグの本質とは違う。やはり、「あこがれ」というか「少年」というか、 「母(やさしさ)へのこだわり」などがある。  プライベート・ライアンの場合、戦争シーンは、確かに「こんな世界嫌だ」 と絶叫したくなる描写なのだが、それ故に、もう一度見たくもなってしまう。  ジョーズの対決シーンはもう一度見たいし、未知との遭遇で幼い少年が宇宙 人にさらわれるシーンもまた見たい。  戦闘シーンは確かにむごい。が、例えばスタンリー・キューブリックの「フ ル・メタルジャケット」やオリバー・ストーンの「プラトーン」とも、また違 う。グロテスクではあるのにどこか清い部分もある。  「シンドラーのリスト」は、とりあえず泣かせ映画であり、そのあざとさや 映画的うまさが逆に嫌悪を感じさせる部分もあった。「プライベート・ライア ン」にもそういううまさはあるのだが、全体としては局地をきっちり描く、と いう感じで、そのまとまり具合はよい。なお、この映画、「七人の侍」にどこ となく似ているという話もある。その点は、「まあそういう所もあるかな」程 度である。  私が、この映画に感じたのはこんな監督の声である。  とにかく、ライアンという男を助け出す、という大枠を作ることで、主人 公の小隊を戦地のあちこちを移動させ、その様子を描写する。もともとスピル バーグ自身、最初に撮った映画が、ナチスとの戦争を描いた活劇である。その 中学校ぐらいの時に撮ったものが原点にあって、インディー・ジョーンズシ リーズなどもある。  しかし、自分の子の親になり、大人になるに連れ、子供っぽいあこがれの薄 っぺらさのようなものも感じ始める。「太陽の帝国」なども撮って敵(日本 軍)なども描いて見るがなかなかうまくいかない。「シンドラーのリスト」で ナチスの残虐行為を描いてみるが、やはり自分はドイツ人では無いし、ユダヤ 人の血をひくとはいえ、ユダヤ人コミュニティの人間でもない。  ここはやはり自分の原点、あのあこがれた戦争活劇の世界に、あえてリアリ ティというものを持ち込み、再点検したい。あの成功と言われたノルマンディ 上陸作戦でさえも、かつで自分が映画を見てあこがれたようなものではなかっ た。「1941」というコメディではなく、「本当の戦争」を知らないからこそ、 本当の戦争を描いてみたい。そして戦争をする人間のメンタリティをなんとか 自分なりに解釈したい。  と、こういう感じでは無いだろうか。  なお、裏主人公として戦闘経験の全く無い通訳の「アパム」が、戦争の真 っ只中で、どう振る舞うか、が描かれている。弱い彼の選択の一つ一つが、 戦争になった時の普通の人間の姿……ありていに言えば自分の姿とだぶってき て、最後の方は胃がむしむしとして来る。計算の上だとは思うが、涙よりもそ の重さの方が強く心に残る。  それにしても、いつも思うのだが、なぜ日本ではこういう真っ正面の戦争映 画は、今作られないのだろうか。プライベート・ライアンは、意外にお金がか かっていない映画だと思うし(大掛かりなセットが少ない)、これに類するも のが日本に無いというのはやはり寂しい限りである。 (7/7 1:24)

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