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更新日記 (86)

10月 28日(木) ネットにまつわる、とりとめも無い話
10月 31(日) 人魚/今日はここまで




1999年10月 28日 (木)  不意に、アクセスが増えるということがある。  ここ最近、ほんのわずかだがこのサイトのカウント数の伸びがあがった。  といっても、嬉しい話ではない。  自らの幼児虐待について述べた実名入りホームページというのがマスコミで 報道されたが発端である。  そのホームページを作成したのが、このジオシティース上だった、という。  Yahoo! Japanで、ジオシティーズを検索すると私の「ジヲライフ入門」の ページがぽこっと出てしまう。ただ、それだけ、である。  それだけであるのに、一通だけだが「匿名や他人を名乗り、公序良俗に反 するページを作るシステムについてどう思いますか」というメールをいただ いた。  私がジオシティーズのサービスの提供者であると勘違いしている内容であっ たので、正直、げんなりしてしまったのだが、一応、「システム自体はよい」 「サービスの提供者としては、もし、事件性のあるページを知りながら、それ に対処できるにもかかわらず何もしなければ、そこには一定の違法性はある」 「ニフティサーブの判例を参照してください」とのみ返事を書いた。  しかし、大体がメールを一通くれる人がいればその何倍かの人が同じような ことを思っているものだ。ので、とりあえずジヲ同盟掲示板にも、自分の意見 を書いていたのだが、もうちょっと、落ち着いて追記してみたいと思う。  くだんの幼児虐待については、ページ製作者を名乗る女性から警察に電話が あり育児ストレスから虚偽の内容のページを作ったという告白を受けているそ うである。警察も調査したが、該当する人物もいなかった、ということで、決 着はつきそうである。  もっとも、そのページがコピーされてよそで出回っているという話も聞く。  人のいやらしさというのは本当にあきれるばかりである。  インターネットの面白いところは、つかみ所のないと言われる精神活動が形 となって出てくる点、である。ページが生まれ、リンクが張られ、それについ てのメールや掲示板がさらに話を加速する。  あきられた話題や情報は時に姿を消してゆく。無論、ネットをやっている人 の数や傾向が、現実のそれと全く呼応するとは言わないが、1700万人を突破し たと言われるネット人口は、やはりもはや一つの現代の世界を表して言ってい い。  ネット上の犯罪が騒がれているが、これはネットがあるから犯罪が生まれた のではなく、現代のそうした見えずらかった精神活動が、形として現れて、捉 えやすくなったが故の結果ではないか。そう思える。  例えば自殺志願者に毒物を送ったという話。これはネットにより、行われた ことだが、そもそも自殺願望を抱いたのはネットのせいなのか。  はたまた、インターネット上で知り合った相手にふられたからと、自殺した アメリカの少年がいたが、これもインターネットがそのような或る意味ナイー ブな少年を生んだのか。  そうではなく、現実がネットに反映されているのだ。  ネット上に制限が多くあるのはよくない、と基本的には思う。それは人間の 思考に枠をかけることにつながるからだ。  確かに、物理的にではなく精神的に人を追い込むことが可能である以上、ネ ットも全くの無秩序であることはやはり危険だ。例えば、チャイルドポルノや 個人をターゲットにした誹謗中傷、プライバシーの暴露は反対である。子供を 傷つけるような行為は、社会全体から見ても、自分の首を絞めるだけだし、個 人をターゲットに悪意をむける行為は明らかに暴力である。該当で、そんなビ ラを配っている人を見たら、どう思うか考えてみるといい。実際、これは事件 である。  大概の悪意は陳腐なので無視をすればいいと思う。しかし、時に人を引き付 ける悪意もある。今回の幼児虐待のぺージもそうだろう。  こういう事件は、オウム事件のそれと似ている。表面的にはなぜそういうこ とが起きるのか、説明ができにくいが、その背景にある何かが、妙に心にひっ かかる。事件の当事者と似たような要素を自分の内に見つけるが故に、かえっ て憎む。  そういう今の心がネットに現れてきた。ということは、明らかになるだけ、 マシなのではと思う。秘するが花とも言うが、問題というのは隠すと悪化する のは生活実感でも感じられることだ。くどいが、それをネットは見せてくれ る。嫌だけどつきあうべきものとして。 (2:44)
1999年10月 31日 (日)  10月も今日で最終日である。  あの「茨城県東海村の臨界事故から早一ヶ月も経つ」なんて記事を新聞で読 んでびっくりしてしまったりもする。なんだかまだ2週間程前であったような 感覚でいたのだ。  時間の流れの早さについては、何度も述べているので繰り返さないが、「早 く**にならないかな」という事が少なくなっているような気もする。誕生日 が待ち遠しいわけでもなく、正月にお年玉をもらえるわけでもなく(というか 既にあげる方だ!!)。  ともかくあの臨界事故は驚いた。  事故そのものにも驚いたし、その実体にも驚いた。Yahooの関連掲示板を事 故直後から数時間見ていたのだが、そのあしざまにJCOをけなす言葉にも驚い た。「職員は被爆しても止めに行け」との書き込みもあった。実際、その通り したわけだが、その発言そのものにも妙な無責任さを感じた。  何より驚いたのは自分も含め、多くの人が放射能や原子力について無知であ った、ということだ。と、書くと「いや私は知っていた」と言う方もいるとは 思うが、やはりこれだけ報道がされていても、私自身にはまだぴんとこない。  臨界、というのが火で言えば燃焼しているような状態なのだろうな、という 想像はできるが、実体はもっと違うのであろう。中性子が飛ぶと、蛋白質が破 壊され、機能麻痺する、ということもなんとなくは理解できるが、実際にどう いう風な被害になるのか、実感はわきにくい。  爆発の一つもあればわかりやすいが、さすがにそこまでわかりやすいのは嫌 である。放射性物質が関東全域に広がり、みんなで被爆である。チェリノブイ リの影響は本当にすさまじかったのだとも聞く。  爆発と言えば、過酸化水素を運搬中のタンクカーが高速道路上で爆発、とい う事件も最近あった。これもまた、臨界事故同様まるでアニメか映画なシーン である。そのうち、首都官邸にUFOでも降りて来そうな勢いである。そこまで ゆかなくとも、自衛隊機がつっこむぐらいはありそうだ。考えたくもないが、 戒厳令はひかれて、戦車が銀座どおりを行くなんてことも、あるのかもしれな い。いや、サリン事件で、化学防護服に身を包んだ自衛官が突入するのも十分 現実離れしていた。玄界灘で人魚と遭遇しても驚いてはいけない世の中、なの だろう。 ***  せっかく入手したモバイルギアだったが今一つ有効利用できていない。  キーボードに慣れようと駄文を打ってみたりはするものの。  意気込むとうまくゆかない自分が歯がゆい。 ***  28日の日記を書き直す。  日記を書き直すというのもおかしな話だが、どうにも論旨があちこち飛んで わかりにくかったので、大幅に書き換えた。  書いているうちに、ネットの現状認識と今後の変化などについて本当にとり とめもなく、考えが浮かんできてしまったのである。  「ネットは現実を反映する」というのを主軸に書いていたのだが同時に「ネ ットが現実をどう動かしてゆくのか」も気になってフォローしたくなったの だ。  具体的には「情報無料のネットが生み出す新しい思考・価値観」「ネットで はプライバシーを売ることで、見返りが得られるシステムがある。プライバシ ーに関する価値観も変ってくるのではないか」「人口が増えた現状の世界では 情報処理や情報共有のために、ネットが不可欠になっている」などを書いた。  あらためて見直すと今一つ、それぞれの主張の関連性が乏しい。  背後には「なぜ人はネットを求めるのか」という問いがあるのだが。もしか したら単に「ものめずらしいから」という風になるのかも知れない、なんて一 日経つとまた意見が微妙に変っている。どれも一理あるけど決定打ではない、 ということか。  ネットという場合、これは携帯電話の普及も含めるべきだろう。  となると世界が小さくなって「村社会」化しているのかなとも思う。田舎の 村ほどおしゃべり度が高くなるという。アフリカの村でも同様だ、と聞いてい る。全世界的に、狭さを感じる人間は口数が増える。雄大な大地を感じながら おしゃべりは確かに似合わない。そろそろ宇宙へ行け、ということなのか。  もしくは世界が分断され、地球が広く感じるようになるべきなのか。これは 嫌なので、やはり別の方法で世界の広さを感じるようになるしかないようだ。 精神世界、というのもその一つの道なのだろう。だから、心の動きが見えるネ ットに興味が出てくるのか。  なんとなくまとまった感じなので、今日はここまで。 (4:53)

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