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更新日記 (88)

11月 14日(日) 梟の城/ラ・マンチャの男
11月 15日(月) WORDS GATE




1999年11月 14日 (日)  篠田正浩監督の「梟の城」を見に行った。  それほど期待していたわけではない。まああれはあれでよい、という人もい ればいまいち、という声も聞いていた。  気にはなっていた映画だったので「ちょっと確認」という軽い気持ちで見に 行ってみたところ。  いまいち、だった。  決してつまらないということは無い。ところどころは見所はあるし、物語自 体は、それなりに興味をひく。  けれども登場人物のどれにも感情移入が結局できなかった。エピソードの数 や人物が多く、全てが断片化してしまい、今一つ流れが感じられなかったのが 原因かな、とも思う。  物語は、信長が焼き討ちにされた伊賀忍者の生き残りが、信長の後を継いだ 秀吉を暗殺しようともくろむ、というのが基軸にある。まあ復讐劇の一種なの だが、司馬遼太郎原作だけあって、そんな単純ではない。原作本は読んでいな いのだが、結局、里を失い、また忍者として偽りの自分を多く演じて来た、一 人の孤独な忍者がいかに「自分」というものを取り戻す・・もしくは形づくっ てゆくのか、がどうもテーマであるようなのだ。  で、あるのだが、どうにもそれが納得しづらい。今一つ、中井貴一演じる主 人公が魅力的に見えないのだ。  また、忍術関係は地味でリアリティを求めているということで、それはそれ で方向性としてはいいんだが、それならば、もっと「戦闘技術者」としての、 細かい部分を見たい、とも感じてしまった。これは、「四十七人の刺客」でも 感じたのだが、戦国や江戸でのリアルな戦術などをたっぷり堪能したい、とい う欲望がなかなか満たされないのだ。実際、知っている限り「七人の侍」から 先、「これは」というものに出会えた試しが無い。  ということで、プログラムも買わずに出て来てしまった。今日はちょっと、 暖かい、と感じる。 ***  それよりも、昨日NHK衛星放送第二でやっていた「ラ・マンチャの男」の方 が格段によかった。  これはあの「ドン・キホーテ」の物語である。  作者セルバンデスが、宗教裁判にかけられ、牢屋に閉じ込められる。その中 で、劇中劇という形でドン・キホーテの物語が語られる。  このドン・キホーテは本当にやばい人物だ。  顔は村山元首相そっくり。しかも、原作はいざ知らず、この映画の中では明 らかに妄想に取り付かれた老人性痴呆症の男なのである。  有名な風車のシーンもやばいが、とある宿屋で飯盛り女(つまり売春婦) に恋をしてしまうあたりからいよいよやばさが全開になる。  彼女は男なぞ皆同じ、と体を売る自分をこれが人生だ、と無理矢理納得をつ けていた。そこにドン・キホーテ登場である。彼は彼女を名前まで勝手に変え て姫、とあがめる。彼女からもらった雑きんを、ハンカチーフとして受け取り 頭にかぶりながら、「自分は世の不正を正すための旅に出ている」と彼女に熱 い恋文を送る。  そんなこんなしている間にも彼女は男たちにレイプ同然に毎晩相手をさせら れているのだ。  ま、なんて言うのか、全くもって笑っていいものかというような強烈な皮肉 な構造なのである。  しかし、映画の中でのドン・キホーテは、そんな妄想の固まりであるにも関 わらず、よぼよぼの腰つきで手足を震わせながら「騎士の誓い」を何度も叫 ぶ。  いわく、「かなわぬ敵と戦い、とどかぬ星に手を伸ばし、地獄へも行く。 それが騎士である」と。  劇中のセルバンデスは、囚人から「あんたは現実を見ていない理想家だ」と ののしられる。  セルバンデスは反論する。  「現実? そんなものはもう四十年もの間、散々に見て来た。自分は兵士に も奴隷にもなった。戦場で訳も分からずに死んでゆく仲間を見た。彼らは、 死に際して、どうして死ぬんだ、などとは問いはしない。ただ、どうしてこ れが自分の人生なんだろう、と戸惑いの色を目に浮かべているだけだった。 現実は、非情で、不条理で辛く、悲しい。君たちは、現実を見ずに理想を見る 人間を狂人と呼ぶ。だが、この狂った現実を受け入れることこそ、それこそ が狂人のするのことではないかね」  飯盛り女は、妄想ばかり言うドン・キホーテを疎ましく思いながらも、結局 は自分でも理由も分からずかばってしまう。そして結局は荒くれども男たちに 手ひどく犯されてしまう。  そしてまたドン・キホーテ自身も、その「病気」を隠そうとする身内の人間 たちによって、「現実を見ろ」と鏡に囲まらされ、意識を失い、倒れる……。  正義の味方にあこがれ、妄想の中でそれを演じ続ける男。  そして、それを無意味だと喝破されたとき、男は力つき、死の病に伏せる。  セルバンデスは言う。  「ドン・キホーテは私の分身だ。そして君らの友だ」  主役はピーター・オトゥール。「アラビアのロレンス」の主役の男だ。彼の 演じるドン・キホーテはひどく情熱的で、愛せる。飯盛り女はソフィア・ロー レン。美人女優としてその世代では有名だ。こういう汚れ役というのは美人女 優はよく演じようとするが、確かに汚くても、汚くなりきらない、というとこ ろはあると思う。  ラストはちょっと作りすぎかな、とも思うがその直球ぶりも、また確信に支 えられてのものだろうから、よし、と思う。見て元気にはなる。それが何より だ。 (11/15 3:23)
1999年11月 15日 (月)  常々、ウェブ上で手軽に遊べるゲームブックが欲しいと思っていた。  ゲームブック、と言っても知らない人の方が多いかもしれない。  サイコロを振って、架空のキャラクターの性格や特徴、強さなどを設定し、 自分で、紙に数値をメモしながら、選択肢をくりながら話を進めてゆく、と いう書籍タイプのゲームである。  全ての短いパラグラフには全て名前がついている。そして、  「きみは**の前にいる。話かけるならば12番へ、逃げるならば41番に 進め」といった形で、選択肢によってページを組んでゆく。  所々に、数値による運試しがあって、自分のキャラクターの数値によって その成功したり失敗したりする。戦闘システムも、シンプルなものからひどく 凝ったものまでさまざまにあった。  1980年代の初頭、イギリスで生まれた第一号のゲームブック「火吹き山の魔 法使い」は社会思想社から翻訳され、日本の一部で密かにブームになった。ド ラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなどのコンピュータロールプレイン グ(RPG)が登場するのはそのもっと後、である。  もともとは、多面体サイコロと紙と鉛筆、時には金属製の人形を駒に使いな がら主に言葉で状況を説明し、戦闘や交渉の判定を行うというテーブルトーク RPGというものから全ては派生している。日本では、このジャンルはどんど んアニメ絵のキャラクターが活躍するライトファンタジーとして定着し、衰退 して」しまったが、その分コンピューターRPGは、ゲーム界の一ジャンルと して、もはや社会現象までさまざま引き起こしてしまった。  さてその、ゲームブックである。何しろ情報数は本であるから少なく、数値 なども自分で管理しないといけないので、非常に面倒くさい。  ということもあり、次第に衰退し、1990年に入る頃には早くも全滅に近い状 況に陥ってしまった。  しかし、文章だけ、というのはそれそれで想像力が書き立てられるもの、で ある。  そういう思いから、今度はコンピュータの中でゲームブックをやろうという 試みが生まれた。  「サウンドノベル」である。  チュンソフトの出した「弟切草」がその始祖である。その制作を行ったの は「特捜最前線」などでも知られる渋めの職人系脚本家長坂秀佳氏である。  脚本家の投入で分かるように、こだわりの基本に文章というのがある。  これは大当たりして、亜流が多く生まれて今日に至る。  実際今でもウェブ上でもサウンドノベルを作るツール、というのが幾つも発 表されている。  だが、致命的な欠陥がある。  入れ物があっても中身がまるで無い、のである。  つまり、面白いものをみた事が無い。  ネットの中で、この手の実際のシナリオもユーザーによって良質のものが生 み出されている、のは私の知る限り「Card Wirth」というゲームぐらいであ る。これは上にあげたテーブルトークRPGらしさを、前面に押し出し、一種 の電子紙芝居的に手軽にゲームっぽい物語を作ることができるソフトで、毎日 玉石混合のシナリオが公開され続けている。  という中で、言葉にこだわるジャンルでのネットゲームはまだ未熟、だ。  そもそもハイパーテキストの概念はそのまま、ゲームブックと概念的には同 じだ。極端な話、書籍になっていたものを、そのままHTMLにまとめただけでも 十分面白いはずなのだ。  なのに、HTML形式で面白いものを書いているものは生まれない。  なぜか。  スタンダードが無い、からである。  つまり「どう作ってもそこそこ面白い」という風にならないのである。  文章というのはシビアで、つまらないものは本当にとことん、どうしようも なくつまらない。  これに画像や絵がつくと、意外にそうでもなくなる。そして、とにかく戦闘 システムがのっかっていると、そこそこ面白い。実は初期のゲームブックは、 この戦闘というワンポイントをうまく使っていた。そして、上記にあげたCard Wirthもしかりである。  ということで、ウェブでできるそこそこ面白いと感じるシステムはどうにか できないか、と考えた末に一つのシステムを考えた。  パスワードシステムである。  一言で言うと、HTMLで構成された箱庭世界を行き来しながら隠されたパス ワードを集めて先に進んでゆく、というシステムである。  これは、別段私のオリジナルではない。  もともとコンピュータにはテキストアドベンチャーというジャンルがあっ た。そこでは「見る」「聞く」「叩く」「移動する」といった動詞と、目的 の名詞の組み合わせで物語を進めてゆくというジャンルがあった。  後のアドベンチャーゲーム全般に継承されたが、要するに「コマンド」総当 たりとか「とにかく行けるところ、見れるところ」を全部ゆけば話が進む、 というものだ。これはコンピュータRPGでも同じだ。  箱庭世界をぐるぐる回るというのはそれだけでも結構楽しい。  段々と世界がわかってゆくというのはそれはそれで快感なのだ。  で、それをゲームとしてシンプルに捉えると通常はフラグ、というのを使 う。つまり「**と会ったら」とか「**というアイテムがあったら」という 条件づけをして先に進むというものである。  これをウェブ上のいわゆる「枯れた技術」、誰でも簡単に真似ができるシス テムにすると、パスワードシステムにゆきつく。  このシステムのいいところは「答えを複数作れる」ということだ。  つまり、入力したパスワードによって、同じ所から別の所に行ける可能性が あるということだ。  もはやここまで来るとパスワードというよりキーワードかもしれない。  とにかく、その方式ならば、徐々に世界を広げてゆくことができる。  そしてそれを管理するのはプレイヤーの側である。  とりあえずこの基本コンセプトを守ってゆけば、容易に謎と障害が作成可能 である。後は、定番のストーリーを盛る。何かを探す。何かを救う。何かを倒 す。何かから逃げる。などなど。  そして最終的には、せっかくフリーでホームページ容量がとれるサービスが あるのだから、どんどん世界を拡張して言ってもらいたいと思う。そこまで行 けば今度は私が楽しむ番である。面白そうだ。  ということで、雛形を数ページだけ作って見た。  タイトルも言葉を知れば先に進めるという意味を込めて、「WORDS GATE」と してみた。  まだまだ、背骨しか出来ていないが、少しづつ改良を加えて、形づくってみ ようかな、と思っている。 (11/16 1:55)

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