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更新日記 (91)

11月 7日(火)カルトな冬
11月 15日(水)ジャンヌ・ダルク




1999年12月 7日 (火)  また「カルト」である。  統一協会問題から脈々続き、オウム真理教団による地下鉄サリン事件で一種 頂点を迎えたカルトと一般に呼ぶ、排他的集団の事件が、またワイドショーを 賑わしている。法の華、ライフスペースなどを見ても驚きも新鮮さも、意外性 も何もなく、ただひたすらとうんざりとするばかりである。  すぐに「マインドコントールだ」などと用語だけは頭に思い浮かぶ。けれど も、実体としてそれがどのような問題であるのか、身近な延長線上で捉えてい ない人がやはり多いからこそ、カルトの問題はつきないのだろう。  ライフスペースの教祖がグルと名乗っているのも、意味不明な内輪言葉で固 めているのも、オウムと比べたらひどく稚拙に見える。オウムでさえ、当時の 報道の印象だけでも薄いものを感じたというのに、そのさらに粗悪なものに、 みなすがってしまうという現状。  カルトの教祖を見ていると、日栄を始めとするいわゆる悪徳金融業者のトッ プの姿とダブる。共通してあるのは「嘘も突き通せば真実になる」という確信 があるとしか思えない、あの、とぼけた時の顔つきである。何かに立ち向かっ て苦悩するのではなく、我がペースにとことん招き入れることが力強さを相手 に印象づけるのだ、と思っているのだろう。  ちょっと前に流行った言葉で言えばそれは「父性」の顔だ。  父親無き時代だという。父が父としての存在感が無い。男もまた理想の父親 が何なのかが分からぬままにいる。  顔見知りの幼女を殺害した事件の時も、一部取りざたされていたのが「夫の 姿が見えない」ということだ。最終的に夫が問い詰め自首にいたったというが それもまず、その彼女の母親への告白があっての話だったという。  何かを言い切るとき、そこには嘘が必ず入る。  確信はあっても、言葉は本質をきちんと捉えることは稀であるし、ましてや 確信があろうと無かろうと、とにかく言い切らないと話が進まない時には、曖 昧な部分をあえて切り捨てなくてはいけなくなる。  その嘘はどうなるのか。結局はそこに覚悟、や決意が裏打ちされているかで その嘘の価値がかわるのだと思う。  教祖は、例え狭い世界でしか通用しない論理であっても、その中では全能で あろうとして、よくもわるくも腹をくくっている姿を見せる。それが信者には たまらないのだろう。まさに「ついていきます」という感覚なのだろう。  迫害も、教祖の見せ場である。周りが叩けば叩くほど、それをのらりくらり とかわす姿が格好よく写る。  と思っているのだろう。くだんの方々は。  だがテレビで見るその姿の安っぽさ。これが父性の姿、なのか。  世の中の悪いことをニュースが伝えるのは重要である。だから報道され、 人々の注意をひくのはいいことだ。  けれども、あの教祖の姿や、会社社長たちの姿をえんえんと見せつけられる のには辛抱たまらない。ましてや笑えない。  本当に腹をくくった人間の顔の方に注目してもいいのではないか。  まぶしすぎて、おそらく多くの人にとっては逆にいらいらするような存在か もしれない。事実私も実際に目の前にいたらいらいらを感じてしまうかもしれ ない。だが、情けない人の姿ばかりを見せ付けられるよりかはましだ。  テレビを見なければいいのだろうが、帯の短い時間にもニュースは流れるの である。  目をつぶってもあの教祖の顔が浮かぶような生活。  寒い冬である。 (12/7 1:55)
1999年12月 15日 (月)  ふいに世界史の教科書を取り出してみる。  私立文系出身の私の受験科目でもあったので、少しは覚えているかな、と思 いきや、結構忘れているのには驚いた。  いや、忘れているというより、理解していなかったのかも、とすら感じた。  学校の授業全般にその傾向はあるのだが、出てくる語彙を覚えるのに必死 で、全体の何かを後回しにしていることが多い。理解力の深さが重要になる問 題なんて全体の中の割合ではごくわずかであるし、ましてや世界史など「知っ ているか知らないか」がそもそも重要だ。で、なければ世界史用語集に蛍光ペ ンなんかひいて覚えようとなんかしない。  今回何が気になったか、というとズバリ「ジャンヌ・ダルク」である。  「グランブルー」「ニキータ」「レオン」などを監督したリュックベッソン 監督が今回フランスの伝説的な少女「ジャンヌ・ダルク」を映画化、近々日本 でも公開される。  そのジャンヌ・ダルクが戦った戦いとは何だったのか。  おふくろが私に聞いて来る。最近ちょっと映画が気になっているらしい。  私は答える。  「たしか……百年戦争だった」  「そして……それはたしか、イギリスとの戦いだった」  答えとしてはそれでいいはずだ。  しかし、そもそもなんでイギリスとフランスが戦争を始めたのか。本当に百 年も続けたのか。一口に百年といっても、そんな長い間戦争状態であるなんて ありえるのか。  答えている側から自分自身に疑問が生じてしまったのである。  そこまでいくともう駄目で、そういえばイギリスの建国史もよく分かってな いし、そもそも中世以来の歴史の知識も相当に怪しい。本当に俺は世界史を勉 強していたのか?? ***  そして高校の時に使っていた山川出版の詳説世界史をひっぱり出してきた。  「山川の世界史」といえば受験世界史の基本。この教科書の中に書いていな いことは受験に出ない、とまで言われる書物であるが、実は欄外の小さな文字 や目次の注意書きまで範疇に入っているから危険である。そもそも、世界の歴 史を一冊にまとめるということが無謀なのである。  受験ということを離れてこの山川の世界史を眺めていると、さまざまな疑問 が出てくる。  例えば、有名な「ゲルマン民族の大移動」。  ヨーロッパ全土にゲルマン民族が広がり、ローマ帝国が滅び中世の歴史が 幕開く、と、まあ簡単に説明される。  しかしそもそもなんでゲルマン民族は大移動したのか。  資料集を見ると、大概、リヤカーのような匹車に家財道具を載せた人のレ リーフが掲載されていて「ああ、大移動してるんだなあ」と感じさせてはくれ る。  もうちょっと詳しく読めば、「東の方からフン族と呼ばれる騎馬民族が西へ とやってきて、元々ドイツの北の海岸辺りを起源とするゲルマンの諸部族は押 し出されるようにローマ帝国内に侵入してきた」ということが分かる。  しかし、それだけである。  その前置きがあった後、その諸部族がどう広まっていたかの細かい話が続 き、あっちこっちで戦争をして、やがて西ヨーロッパ全域を支配するフランク 王国というまとまった形におさまる。そのフランク王国が分割して、それぞれ フランスとイタリアとドイツが出来上がる。  試験に出るのはそのあっちこっちの部分ばかりである。  なんかもうどうでもいいや、という気分なのである。  ちなみにこのフランク王国の分割は9世紀のこと。ゲルマン民族の大移動は 4世紀から5世紀にかけての話だ。その間の500年がさっぱりわからない。 とりあえずローマの時代に広まったキリスト教教会の力とフランク王国がどん どん接近してゆく、ということらしいのだが。私はよく分かっていない。 ***  話をジャンヌ・ダルクに戻そう。  百年戦争は14世紀半ばから15世紀半ばの話である。  またまたフランク王国の分割から500年後である。なじみが無いからその 辺り、どう文化が変って来ているのかよくつかめない。外国人だって、日本の 平安文化から江戸までの差は実感では分からないだろう。  そう割に切ってもうちょっと先に進んでみる。  フランスは、とにかく西フランク王国の末裔と理解すればよいが、イギリス 発祥の由来はわかりにくい。  イギリスもゲルマン民族の国だ。アングロ=サクソンと呼ばれる部族で、 元々はドイツの北のはしっこあたりにいたらしい。イギリスにはそもそも、 ローマの植民市があった。教科書だけではよく分からないが1世紀には既にロ ンディウムという植民市の名前がある。今のロンドンである。  アングロ=サクソンも他のゲルマン部族と同じローマの支配していた土地を 奪うようにして住み着いている。開墾された土地があるから、とも想像するが 詳細は分からない。  まあとにかく民族大移動は4〜5世紀だ。5世紀にアングロ=サクソンの国 ができるが、11世紀にはフランスの西海岸にあるノルマンディー地方の領主 にのっとられ、以後ノルマン王朝というのが続く。  そう、このノルマンディーからやってきた人々によりイギリスが支配されて いたというのは百年戦争を理解する伏線になるのである。つまりは、ノルマン ディーはフランスに地がある以上、イギリスの王室はフランスの貴族とも血の つながりがあるということになるのである。  事実百年たった12世紀にはノルマンディーよりの王室の血は途絶え、フラ ンスの領主プランタジネット家が、イギリスの王室に入ってしまうのである。 おかげでイギリス王室は、イギリスだけでなくフランスの西も領土に持つとい う状況にまで陥る。  ここまで来ると、イギリス王室とフランス王室の仲が悪くなるのも目に見え てくる。実際、フランス王室はイギリス領のある地域としばしば戦争をおこし 実際に、その領土を奪ったりもしているのだ。  そして14世紀。  イギリスの王はフランス王室の後継者争いに介入してくる。  介入というか、「自分にもフランス王を継ぐ資格がある」と言ってのけたの である。  教科書には「(フランス北部のイギリス領)フランドルの内乱を機会に百年 戦争がはじまった」とある。  イギリス軍は強かったらしい。しかもフランスは守る側である。戦場は国内 である。その上ペストも流行るし、内乱はおこるしで、ふんだり蹴ったりな状 態になる。  時は既に15世紀。  教科書的には数行で終わっているが百年もイギリスはフランスを攻め続けて いたのである。あっさり時間は飛んでいるがともかくそれが事実であったらし い。イギリス王室のもとはフランス貴族であるということが関係はしてくるの だろうが、教科書にはそういう事情は書かれていない。親戚の喧嘩が一番やっ かい、なんて身もふたも無いことは書きたくなかったから、であろうか。  その15世紀の初め、フランス中部にあるオルレアンで突如現われた神憑き の農民出身の少女。それがジャンヌである。甲冑を纏い、騎馬し、敵の中へと 突進してゆくものだから、フランス軍もやるっきゃない、と士気が高まり、つ いにイギリス軍に優勢を勝ち取る。  結局、イギリス軍は15世紀半ばには敗退。本国では内乱が起こり(ばら戦 争、という優雅な名がつけられている)それは30年もおさまらなかったとい う……。  ちなみにフランスでば、長い戦争のせいで貴族が疲弊。王室の力が強くな り、内乱を沈めるために虐殺を施すなどして、いわゆる絶対王政の時代に突入 する。フランス革命がおこる18世紀は、まだ300年も先、の話である。 【ジャンヌ・ダルク Janne d'Arc (1412〜31)】------------------------  百年戦争で危機に陥ったフランスを救った愛国の乙女。  反対派に捕らえられてイギリス軍にわたされ、魔女として火刑にされた。                     (詳説世界史 山川出版社より) ---------------------------------------------------------------------- (12/16 0:22)

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