その後のエヴァ日記(3)思い出

(1998/03/06)



「でも、僕の心にいる君たちは、何……?」

「希望、なのよ」


「鋼鉄のガールフレンド」の入手から、1997年末まで。
さよなら、そしてありがとう。


10月10/13 鋼鉄入手 10/14鋼鉄分解 10/17コミック4巻

11月11/1アスカ派vs.綾波派 11/525'話フィルムブック 11/17飲み 11/2526'話フィルムブック

12月12/11初エヴァ缶 12/14ウテナ 12/17ぴかちゅう 12/18元気 12/25詠む 12/26落つ 12/2712/29TV 12/31晦日

1997年10月13日 (月)

 昨日は、夕方から大学のゼミ関係の人と飲む。私を含め男3人のメンツは全員エヴァ者で、しかもネットユーザーであったりするから非常に濃い話で終始した。
 先輩であるU氏はアスカ派、後輩のO氏は綾波派であることもあり、いきなり「なぜどっちにひかれるか」についての語り合いになったりする。
 一応一般的には「格好悪い自分を認めて大開陳している姿は格好いい」と思う人は綾波よりに「そんな格好悪いのは分かっているのだからあえてそんな自分を見せるのは恥ずかしい」という人はアスカよりになる傾向がある、との私の持論をぶったりする。ちなみに私は一応アスカ派である。個人的には綾波派気質もあると思ってはいるのですが……。

***

 その後輩のO君から「鋼鉄のガールフレンド」を借りた。
 今日、さっそくやってみようとパッケージを見たところで凍った。必要なパコンのスペックとしてメモリが24MB以上も要求されているではありませんか。私のパソコンのメモリは16MBしかない。なんてこった。増設しなくてはいけないのか。
 涙を流しそうになりながらも、とりあえずはインストールすることにする。
 ハードディスクには80MB必要とある。しょうがないので、一太郎をアンイストールすることにした。まあ、使う時にはまたインストールしなおせばよい。

 そして起動。
 どきどきしながら画面を見つめる。
 動く。動いている。確かに画面の処理は時々もたつくし、CD−ROMからの読み込みにはいらいらさせられるが、とにかく動く。よかった。

 で、ゲームも進めるだが……極端に選択肢が少ない上、CD4枚組みの最後の2枚分など選択肢すらほとんど無い。しかも、ストーリーが動き始めると、一時停止も巻き戻しもできず、パソコンの前から離れることができなくなる。
 ラストだけ選択が3つあり、それぞれを試そうと思っても3枚目の頭の辺りが最後のセーブポイントなので、いかんせん最低1時間弱、また延々同じシーンを流さなくてはいけない。「電子紙芝居」であるのはいいとしても、「視聴」の不便さには閉口させられた。

 ストーリー的には、ヒロイン・マナの誘惑ぶりがなんだかなあという感じである。途中一緒に見ていた下の妹は「こんな女身近にいたら殴る」とまで申しておりました。でも字幕を見て一緒にセリフを唱和するのはやめようね。

 アスカは本当にシンジのことが好きでたまらないようだ。回りの人もかなり「いい人」になっちゃって……なんとなく、自分が書いた蘭間林さんの投稿小説のキャラクター設定に似ているな、と感じた。あれ読んだ人の中には「鋼鉄っぽいな」と思った人もきっといるだろう。

 26話の学園エヴァの綾波キャラを「霧島マナ」として復活して、本編設定の中で動かしてみたというのがコンセプトとしてあるよう。そう考えれば嫉妬深いアスカの行動も納得できる。
 まあ、ということは、あまりにもシンジのとって都合のよい世界、とも言えるわけですが。よくできた、同人ゲームだと思えば満足もできる。ただ定価1万4800円は高いよな……。

1997年10月14日 (火)

 鋼鉄、はやくも飽きてしまう。

 このゲーム、実に単純なシステムでうごいている。音声は全てwavファイル。
 画像は、bmp形式の一種であるbp2というファイルでできあがっており、ただそれを、一定の順番により流すというだけの処理をしている。従って、wavファイルとbp2を読むことのできるツールがあれば、ゲームせずして全部見れるのである。
 wavファイルはまあ大概の人が聞ける。bp2も、園部さんのページにツールがあったのを思いだし、ダウンロードして見た。そしてがしがし見ている内に飽きてしまったのである。まだ二日目なのに。
 分岐も少ないので、横道もたかがしれている。一つ一つのファイルのデータが大きいからCD4枚も使っているが、見てしまえばそれっきり。

1997年10月17日 (金)

 コミック版エヴァンゲリオン4巻、発売されていましたね。買ってしまいました。最初の2話は立ち読みでちらっと見ただけだったので、わりに新鮮に読めました。ケンスケがアスカに目をハートにさせていたのが印象的ですね。
 「あんな子に命令されたい」とつぶやいてもいましたし。シンジ=レイ、トウジ=委員長、ケンスケ=アスカ、でまとまれば結構平和なのかもなあ、と考えたりもして(^_^;

 せっかくのコミック発売記念なので、何か書こうかとも思ったのですが……どうも内なるパッションが沸いてきません。4巻を通読して思ったのは、「意外に普通な話だな」ということ。他人に認めらることを過剰に意識して、強気だけれども実は寂しさを感じている少女アスカが、主人公と打ち解けて行く話。結局これだけなのですね。
 度々言及していることですが、もう戦闘シーンなんてどうでもいいから、人間ドラマを中心に描いて欲しいものです。レイから思いがけず挨拶をされて顔を赤らめるシンジ、シンジに説教されてこっそりうつむくアスカ、など切なさを感じさせる描写はさすがうまいのですから。
(21:55)

1997年11月 1日 (土)

 インターネットにはまったそもそものきっかけであるエヴァンゲリオンについての熱も私の中では現在、沈静を保っている。エヴァページは今でもまだぽつぽつと生まれているが、今までにできた数多のページを越えるレベルのものは少ない。やはり全体的に見ても、「ピークは過ぎた」と考えてよいかと思う。
 ファンが一つの作品について楽しむ方法は様々あるであろうが、今後は、やはり「キャラクター中心」にした昔ながらのファン活動……画像や、パロ小説……などが続くのみになってゆくのであろう。
 エヴァの特殊性の一つとして、その衒学趣味的な部分に煽られ、様々な専門分野からのアプローチというスタイルが見られたが、現在この方向性を打ち出しているページはほとんど無い。オカルト、宗教、心理学、文学、生物学、軍事、サブカルチャー、映画、音楽……。ブームと共に全てはまた四散し、もはや「懐かしむ」状況になったと言える。

 こんな中で、未だにまだ私の頭にあるエヴァについての一つの問題は「綾波vsアスカ」の図式である。なぜか両者のファンの交わりは少ない。のめりこみ度が高くなれば高くなるほどその傾向が強い。おそらく、各人が綾波やアスカというキャラを通してみた、「理想の異性」の姿は、一つのタイプとして心の中に生涯残り続けてゆくのであろう。キャラにのめり込んだファン活動をしている人達は、その活動を通して、そうした内なる何かの「像」を追い求めているのだと考えると、その際限の無さに時折圧倒される。
 そんな、少なくとも「萌える」個人にとって、キャラは大切な存在である。彼女ら「綾波」や「アスカ」を通して、みんなは何を見ているのか。そして、その二人の差はどこにあるのか。これを考えて見ることは、全く無意味なことでは無いと思う。
 実際、この問題について幾つかの説もある。キーワードの一つは「母性」である。アジアは母性社会であり、この母性的なものにシンパシーを感じるものは綾波に惹かれ、それとは別の西洋的な母性を父性の下に置こうとする価値観にシンパシーを感じるものはアスカに惹かれるというものである(日刊アスカより)。
 しかし、各ファンが果たしてこのことにどの程度自覚的であるのかは分からないし、また、必ずしもこの図式に当てはまらない場合も多いであろう。恋は盲目とも言う。一度、好きだと思ってしまったら、そこにいろいろなイメージを重ねて行き、気がついたらオリジナルの姿とは似てもにつかない存在に恋愛していたということは、実にまま、あることである。
 ましてや、女性キャラだけ見ても「ミサト」「マヤ」などにも依然根強いファンはおり、この両者の対比もまた興味深い話題である。最近では「ユイ」のファンや、幼少時代のアスカやミサトと言った「変化球」に対する信奉も厚い。
 そして、以上は主に男性から女性に対するアプローチの問題ではあったが、逆に女性側からの「シンジ」「カヲル」「トウジ」「加持」に対するファンの声もまた、見逃せない。
 行き着く所は、人は一体どういうタイプの異性を求めるのか、その奥にはどういう心理がうごめいているのかにたいする関心、にいきつく。なぜ、アスカではなく綾波でなくては駄目なのか。なぜケンスケじゃなくシンジやカヲルがいいのか。これは、俗っぽい話題でありながらも実に奥の深い問題のように思える。
 そしてこれに対する明確な答えは未だ私には無い。予感のようなものがかろうじてあるだけである。これについては今後も折りをふれて語ることがあるやもしれない。

***

 エヴァについての様々な「謎」についての関心は私にはほとんど無い。全体で感じるのはやはりこれは「監督」のつくった一種人工的な「夢」であり、人々はそこに片足をつっこみながら、また自らの「夢」を見る、という巧みな構造だけである。であるから、特に、キャラクターにのめり込み、そこに見る「異性」の姿は、他人からは時に奇異にも映るものの、たまたま、シンパシーを感じたならば、それは他の何ものよりも堅固なつながりと感じられるのであろう。

***

 以上は簡単な状況分析と共に、一つの問題提起でもある。このようにキャラクターを通して「個人的な夢」を見続けていることが本質であるならば、それは追求してゆけばゆくほど、その人自身の個性がわきあがり、結果として他人との「差」を自覚してゆくようになるだろう。つまり「俺の綾波」「俺のアスカ」と「あいつの綾波」「あいつのアスカ」はなんか違う、と次第に気付くようになる、ということだ。
 その時、人はどうするのであろうか。「俺の綾波」「俺のアスカ」を守るために、そのことを自分だけのものとして語るのをやめてしまうのか。それともファン同士で語り合い「俺達の綾波」「俺達のアスカ」を作りあげるのか。はたまた個人的に生んだ「俺の綾波」「俺のアスカ」像を他人に布教してゆき、仲間を増やすのか。
 こうした動きは現実のネット活動の中で、確実に生じている。絵を描いたり、小説を書くのはこうした流れの内に全てある。

 ここで、現実との乖離を問題点として指摘する人もいるかもしれない。理想の女性に勝手におぼれてゆくことは、単なる現実逃避では無いのか。それこそまさに「気持ち悪い」では無いのか、と。

 そうかもしれない。しかし、あえて私は言うが恋愛でも仕事でも趣味でも「本当に」熱中することは実は大変難しい。孤独を感じる人が多いと言われる現代ではあるが、また、逆に「完全に一人」になることができないのも事実である。その限りにおいて、やはり誰でも「社会」の中に生きているのであり、そんな状況で「熱中」するのは程度の差はあれどうやったって危険なことなのである。

 ここで単純にアニメのキャラに萌えることは安全な「熱中」であり奨励されるべきこと、などと言うつもりは無い。現実の危険なものに「熱中」してがんがん傷でも何でも作った方が結果としてよい場合がたくさんあるからである。実際、世界の歴史や社会を支えたのはそういう人たちである。

 私はおたくである。少なくとも中学以来他人にはそう見られ続けている。そしておたくでは無い友人はそんな私のことを時折「うらやましい」と言った。何がうらやましいかと聞くと「そんなに熱中できることがあってうらやましい」と言うのだ。もちろん、そうは言っても彼らも別にマンガやら何やらに熱中したいわけでは無く、ただ熱中できるというそのこと自体を望んでいるだけではある。
 だがしかし私は特に「熱中」しようと思って何かをしたわけでは無い。自分より熱中度の高い人は大勢いることを知っているし、それに比べればいかに自分が淡泊であるかを自覚してもいる。
 何より証拠に私のエヴァ熱はすっかり冷えている。グッズ集めにも興味が無い。はっきり言うとエヴァ小説を書く情熱もかなり弱い。どうでもよい、と思うこともある。

 再び話題をキャラ萌え話に戻す。熱中がいいことかどうかは分からないが、そういうことは出来そうで出来ないことなのだから、何にせよ熱中しているなら、とりあえず熱中しておけ、というのが一応の私の結論である。
 もちろん、そこには「依存」という大きな問題が横たわっている。だが、依存が問題となるのは実は本人よりその回りの人である場合が多いので、とりあえずは保留にしておく。
 そんな私が今熱中しているのはよくも悪くも「人」であったりする。他人も自分も含めて何と言っても面白いのは人間である。これについて「分かった」と言った人は古今東西未だいない。どこかの宗教家は、何か言っているかもしれないが、すっかりすれっからしの私は、残念ながら信じられない。従って、これは底なしである。だが、だからこそ「面白い」。
 その流れの一つがやはりインターネットであったりする。インターネットの動きというのは人の心の動きを或る意味、目に見える形で現してくれている。私はエヴァには関心が無くなったくせにエヴァが好きな人、エヴァが好きだった人はまだ好きであったりする。これが今後どういう行動につながるのか、私にはさっぱり分からないのだが、まあ、考えながらまだ当分は続けるのだろう、とぼんやり感じでいる。その手がかりが最初に述べた「綾波・アスカ」問題では無いかと思いながら。
(23:33)

1997年11月5日 (水)

 結局エヴァの劇場版25話のフィルムブック、買ってしまった。発売日から大分経っており、正直どうでもいいとも思ったのだが。いつかは買ってしまいそうな気がしたので、やっぱり買ってしまった。
 しかし、やはりアクションシーンなどは実際に動いてなんぼだな、と思った。引き裂かれた弐号機、などは、画面では一瞬なので、今回じっくり見れたが……まんま人間の手足であり、内蔵なので異常にグロテスクだ。やはりこれがR指定もつかないのは不思議だ。
 ミサトとのエレベーター前でのシーンはあらためてよいと思った。ミサトのセリフが少々長くてくどいのを抜かせば人物の表情のつけかたなどには、下手なドラマ以上にリアルな感情がある。おそらく黄瀬作画監督の力だとは思うが、ここは掛け値無しにうまい。
 全体として新25話は、弐号機のアクションも含め、少々げっぷ気味ではあるものの作品としてまとまっているとは思う。
 しかし、もしかしてこの弐号機のシーン、実際に演技をビデオで撮って、それをアニメに起こしたのでは……? 妙に着ぐるみっぽいフォルムがそんなことを思わせてしかた無いのだが……。

1997年11月 17日 (月)

 昨夜はひさびさに会った大学時代の友人と飲みで夜をあかしていました。しかし結構みんなエヴァを見ていたのが意外ではあった。

1997年11月 25日 (火)

 エヴァンゲリオン映画版の最終26話「まごころを君に」のフィルムブックが売っていたので買ってきました。税抜き600円。
 で、家に帰ってから映画を思いだしながら読んでいたのですが。もうエロ・グロのオンパレードに頭がくらくらし、本当に「気持ち悪」くなってしまいました。
 今回、補完計画進行中でシンジが聞く女性の罵倒の声を初めてきちんと読むことができました。映画の中では声が重なりあっていてまともに聞き取れ無かったのですね。しかし……それは聞かなくて正解だったのかもしれません。 危険承知で、あえてその全文をここに書いてみますと。


『嫌い。あんたのこと好きになるハズないじゃない。
 さよなら。もう電話してこないで。
 しつこいわね。よりを戻すつもりは更々ないの。
 ごめんなさい。今更やり直せるわけないでしょ。
 バぁ〜カ、ホントにやってんじゃないわよ。
 ひょっとして、その気になってた? 身の程、考えなさいよ。
 やっぱり友達以上に思えないの。
 あんたなんて生まれてこなきゃよかったのよ!
 バイバイ、もう、さっさと死んじゃえばぁ?
 あんたさえ、いなけりゃいいのに。
 誰、この子? 知らない子ね。
 あんたなんて、いてもいなくても同じじゃない。
 ハッキリ云って迷惑なの。余計なお世話よ。
 これ以上つきまとわないで。もうダメなの。別れましょ。
 正直、苦手というより一番キライなタイプなのよ、あなたって。
 カン違いしないで。だぁれがあんたなんかと。
 もう……あっちへ行ってて。私の人生に何の関係もないわ。
 大っ嫌い。あなた、いらないもの』
 『いくじなし』


 だあああああああ。
 ……ちくしょう。

***

 えー冷静に戻りますと。
 まあ、文章にして見つめ直すと上の言葉も他人事のように見えます。しかし、人生においてこんな言葉を言われた日には、もう。ねえ。それでもって最後に言われるセリフが「気持ち悪い」、ですよ。最初に映画見た時の気持ちが蘇ります。また全身脱力気分です。ほんと、エヴァってきっついです。

1997年12月 11日 (木)

 この日、友人と渋谷に行った所、UCCの自動販売機があった。エヴァ缶を売っていた。アスカ缶のボタンを押したらシンジ缶がでてきた。友人はそれならばとシンジ缶を押した。するとアスカ缶が出てきた。頼んで交換してもらった。ちなみにエヴァ缶を買ったのはこれが初めてであった。
(12/12 12:45)

1997年12月 14日 (日)

 昨日、大学の時の友人の引っ越しの手伝いをする。彼の口から「少女革命ウテナ」は面白いと聞いたのは意外だった。
「音楽が寺山修司」しているとも言っていたが、どういうものなのだろう。

1997年12月 17日 (水)

 夕方から上京してきた大学のクラスの友人と飲みに行っていた。最近、わりに表に出ることが多い。

***

 朝刊とテレビで「ぴかちゅう、子供600人を襲撃」の事実を知る。テレビ東京のアニメ番組「ポケットモンスター」内でのぴかちゅうが電撃を発するシーンを見ていた子供が気分を悪くし病院に運ばれた、という報道だ。
 実は前日にこの番組、たまたま私も見ていた。もちろん、いつも見ているわけでは無く、本当に偶然に、初めて見たのである。本当である。
 とにかく、それで朝、騒いでいるのを見てちょっと興奮していた。ビデオに撮っておけばと後悔もした。テレビでも「あのポケモンが子供を襲ったんだぜ、うひゃひゃひゃ」というニュアンスが濃く漂っていた。ゲームキャラが現実の子供を襲うという構図は実に「おいしい」。

 初めてと言えば、6時から「少女革命ウテナ」を初めて見た。といってもほんの最初の15分ほどだけだが。画面は綺麗だし、編集はこっているし、音楽も確かに歌劇入っており、全体に耽美。人気があるのは少し分かった。しかし、今からはまるのはちょっと難しそうだ。
(12/18 9:19)

1997年12月 18日 (木)

 ポケモンのアニメはとりあえず来週分は中止らしい。やはり番組の作り手としてはイメージもあるし、問題を大きく受け止めたようだ。ちなみにワイドショーのコメンテーターによると、今回のポケモンはいつもよりサスペンス色の強い結構「面白い」回であったとか。はやくも幻の回になりそうな感じである。
 ちなみに私は元気である。
 明日は私の誕生日。

1997年12月 25日 (木)

 久々に徹夜でぷりちーさんの所でチャットをしていた。
 イブということもあり、なぜだか酒を飲みながらの人が多く、私もビールを一本だけ空けたりもしていた。さらに調子にのって歌まで詠んでみたりしていた。それなりに酔っていたのかもしれない。

  いぶくろに ワインのあつさ おぼえつつ あなたといたい きよしこの夜
  「飲め飲め」と シャンペン片手に 大暴走 ベッドに朝日 見知らぬ天井
  一人去り 二人三人去るチャット ジョッキをあおりつ 独りクリック

1997年12月 26日 (金)

 今月の月刊少年エース、エヴァンゲリオンの連載は「落ちて」いました。

1997年12月 27日 (土)

 クリスマスのチャットの時にぷりち〜さんからいただいた画像をどうしようかと悩んだ末、私自身の詩をつけて「Prichy♪'s Gallery」として公開することにしました。
 その詩を考えている最中はその世界に「はまって」いたのですが、書き上げ、hmtlで体裁と整えているうちに段々「これってエロ本のグラビアについてくるポエムじゃないか?」と覚めてゆきました。詩というのは難しいです。

1997年12月 29日 (月)

 朝方早く目が覚める。それにしても朝方は寒い。玄関から新聞を取りにドアから体を出すと肌がきゅうとしまる感覚を覚える。

 テレビではテレビ朝日で、早起きニュースがやっていた。この番組、たまに見るとオタク文化を紹介するとかでかなりマニアックな特集をしていて驚く。もしかしたら一部で有名になっているのかもしれないが。普通の人は金田伊功(有名なアニメーター)なんて知らないと思うが、平気でそんな名が画面を飾る。

1997年12月 31日 (水)

 ついに年越しです。
 では、みなさんよいお年を。


こうして、僕の「エヴァの年」が終わった。
それでも現実は続く。
これまでも。
これからも。

「全ては心の内に。今は、それでいい」



おしまい。

[mailto:moriver@geocities.co.jp]

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