「もりばー:第一の挑戦」




                                 −前書き−

 僕と友人Sは、7月も終わりに近づいたある暑い夏の日、いざ北海道と自転車にまた
がり、東北走破の後、道内をぐるりと回って、9月の初めに残暑と湿気に満ちた東京へ
帰ってきた。
 と、書くと大概の人は「この間の夏と言えば、自転車で日本縦断した小学生がいたね
え」などと、余計な事を思い出すかもしれない。さらに「それに比べたら随分楽かもし
れない」などとつい思ってしまったとしても、大丈夫、私は気にしない。
 実際、この旅は楽しかった。
 帰ってきてからの日常の方が大変に思えたぐらいだ。
 風邪はひきまくるし、覇気は失せるは、秘かに体力増強の成果があるのではと狙って
いた僕の野望はふしゅるふしゅると闇に消えた。
 もっとも、いくら楽しかったとは言っても「快適」であったわけでは勿論ない。
 早くも初日の朝一番から僕はそれを感じてしまったのである。




                                  −1−

 僕の家は品川区にあり、友人Sの家は中央区にある。
 北へ向かう以上、まず私は家を出発してからS宅へ向かわなくてはならなかった。
 その日の朝はちょっと曇気味で、うすら寒くもあったが運動するには丁度いいぐらい
だな、等と僕は呑気に構えていた。
 友人宅までの30分間はとりあえず何もなかった。勝手知ったる道である。かなりの
装備を運んでいる割には、ペダルもそう重くは感じない。
 快調だ。
 さて、Sと合流し、Sの母親と簡単な挨拶も済ませるといよいよ本番開始。
 不安そうなSの母。
 大丈夫ですよ、と心の中で僕は自信たっぷりに微笑む。
 さあ、出発だとばかり二人は走りだす。
 と、急に僕の心に不安がよぎった。
 「でがけにチェーンロックもってきたかな?」
 こういう時に限って下らない心配をするものなのだ。
 走りながら僕はサドルの下をチェーンの存在を確認するべく手を伸ばす。
 あ、ある、ある。
 ほっと気を抜いた次の瞬間、僕の体は突如、急激な衝撃をうけ、地面に激しく叩きつ
けられていた。
 『なぜに〜!?』
 なぜも、どうしてもない。
 油断した隙に自転車は、「駐車禁止」とかかれた金属製ポールに「勝手に」ぶつかっ
てしまっていたのだ。
 右膝がすりむけていた。
 Sはあきれた様子で僕を見下ろしている。
 苦笑いする僕の目の前には見事なまでにパンクした前輪がからからと情けない音をた
てて回っていた。
 「家に一旦もどろうか?」
 Sはそう言うが、ここですごすごとひきかえしてSの母と顔を合わせる事など、俺の
プライドにかけて許さない。
 Sは溜息をついてふりむいた。
 彼の住むマンションはここからもまだ見える。
 走行メーターは180メートルという憎らしい程正確な数値を冷静に僕等に伝えてい
た。




                                  −2−

 実を申せば僕は一月半もの自転車旅行を計画しておきながら、その準備というものを
殆ど何もしないでいた。
 装備の多くは前日に購入したものだし、パンク修理もそれまで一度もやった事がなか
った。それどころか、自転車すら4月に初めて買ったぐらいなもので「度」をつける程
のシロウトというのが私の正体であった。
 慣れない作業の結果か、その後チューブは何度も収縮を繰り返し、それから二日程、
自転車屋をみつけては空気入れを借りて入れなおす羽目におちいるのだった。
 ちなみに、携帯用空気入れは持参していたものの、塞がりきれていないチューブにた
いしてその効果は期待出来るものではなかった。それすらも、後に解ることなのでここ
ではそれをひとまず置いといて、初日の行動をさらに追ってみる事にする。
 既に一時間以上も「S宅より180メートル地点」で立ち往生していた僕等にもう余
裕の時間はありえなかった。
 途中、自転車屋により一応チューブに空気を貯え直した後、とりあえず清水公園を目
指す。そこから江戸川沿いに上流に向かってゆくルートを予定していたのだ。
 日が昇ってきていた。
 暑い。
 公園でひとやすみをする二人の前には、噴水で戯れる子供たちの姿があった。
 木陰でぼんやりとそれを眺める。
 暑い。
 江戸川の土手ぞいに走行再開。
 単調な道のり。
 暑い。
 それどころか、気持ちが悪い。
 おや、と思うまも無く私はふら、ふらっと体力が消耗していくのを感じていた。
 気がつくとSの自転車はもう遥かかなたに点のようになって消えてゆく。
 『ちょ、ちょっと、タンマ』
 僕の心の叫びは彼には届かない。
 自意識崩壊が目前に迫る。
 『なぜに〜?!』
 なぜにもどうしてもない。
 前日の僕は3時間と寝ていないのだ。いくら、直前に仕上げなければいけない用事が
あったとはいえ、今にして思えば不注意もはなはだしいことであった。
 薄れゆく意識をかろうじてくい止めながら、時速10キロぐらいのスピードで走り続
ける。
 やっとSが気付いたのか、立ちどまってこちらを見ているのがわかった。
 おいついたとたんに、私は殆ど気を失いかけており、近くのガード下までたどりつい
たとたん、力なくその身を横たわらせてしまう。
 典型的な熱射病の症状を示す僕にSは一つのアイテムを差し出した。
 それが、後に僕が秘かに「聖なる糧」と呼ぶことになる『カロリーメイト・ブロック
(フルール味)』との初めての出会いであった。
 「聖なる糧」、マナの威力は絶大な効果を私に授けてくれた。
 みるみる内に体力は回復し、30分後には以前にもまして快調なペダリングで先を急
ぐ事ができたのである。
 その後私は旅行中、常に数箱のカロリーメイトと携帯するに至るという「カロリーメ
イト・フリーク」に変身したことを一言述べておこう。




                                  −3−

 その日の晩の宿は「筑波山ユースホステル」と決めてあったので、何とか夕食(6時
)に間に会うように辿りつく必要があった。
 Sの計算によると、彼の自宅から筑波山まだおよそ60数キロ。
 一日100キロを目標としている計画の初日としてはまあかなり楽な行程となるはず
であった。
 私の種々のアクシデントを考慮に入れても、「必ず」時間には辿りつくと二人は確信
していた。
 しかし、ここまでの展開から予想される通り、そうは問屋はおろしてくれないという
現実が我々を待ちかまえていた。
 敗因の一つは地図であった。
 メインはあくまで北海道で本州はその通過地点に過ぎないとある程度割り切っていた
我々は無謀にも見開き県別全図のコピーしか持ち合わせていなかったのである。
 当然、ちょっと込み入った道に入るとたちまち我々は方向感覚を失い、僅かに見える
町名と、コンパスの磁石をたよりに進むしかなくなってしまった。
 下手に近道をしようとしたのもまずかったのかもしれない。
 我々は数度となくコンビニに立ち入り、地図を立ち読みするという手段にまで及ぶ。
半ズボンで、背中にザックを背負った妙な二人組は、明らかに周囲の目をひきつけてい
たの思われるが、それがどうした、みるならみろよ、ええ?!・・・・・とも強がれず、
「午後の紅茶(ストレート)・1.5リットル」を笑顔で購入する。
 とにかく、缶ジュースの量は馬鹿にできない程のもので、ペットボトルを二人で分け
る方が「おとく」と判断しての事だ。何故に「紅茶」かというと、以前読んだ「サバイ
バル」の本で「紅茶というのは意外にカロリーが高く、体力保全によい」とかいてあっ
たのをふと思い出したからであった。
 それはともかく、再び出発した我々であったが、どうにも不幸は何度もかさなるもの
で、私は今度は胃腸の様子がおかしくなりはじめていた。
 既に辺りはだだっぴろい田畑のひろがる「田舎ゾーン」に変わっており、トイレとい
っても公園など勿論ない。しかたなく、道ぞいにたっていたとある商店にお邪魔し、用
をたさせてもらうことにした。
 しかしここで、我々はあつかましくも筑波山ユースまでの道のりまでも尋ねることで
何とか目的地へ向かう「絵」を描くことが出来たのである。
 じつに丁寧に書いて頂いたメモを頼りに、我々は進む。
 が、予想以上にその距離は長く、車と自転車の意識の違いをはっきりと認識してしま
ったりした。
 しかも、山に向かっているので微妙な傾斜がついていて、非常にペダルに圧力がかか
る。ここで、ギアを落としてスピードをゆるめればよかったのだが、そこは初心者の二
人「まだまだ」とか言ってがんがん飛ばしまくり自爆した。
 さすがのSもグロッキーになり、私は胃の辺りに何か非常に重たいものを感じていた
。
 『さっき、胃腸薬飲んだのに・・・・・』
 原因は、先程購入した「午後ティー」にあったのだ。
 紅茶というのは異様に吸収率が悪いため、いつまでたっても胃の中でぽちゃんぽちゃ
んとゆれ続け、気持ち悪さを急激につのらせる。
 私は開きなおって、道端に全てを吐き出した。
 半ば無理やりだしたそれは、胃液と混じってちょっと薄まってはいたが、明らかにあ
の赤色の「午後ティー」であった。
 だが、この判断は正解であったらしく、体はいくらか軽さをとりもどしていた。

* 旅行後、私は友人達に「紅茶っていうのはあれだね、やっぱり優雅な暮らしを送る貴
族の飲み物だよ」といいふらし、ミルクティに溺れてゆく。まったく、懲りない自分で
ある。

 さあ、行くかと意気込み走りだすが、先に行っていたSは何故か僕より辛そうな顔
をしている。
 ケツが傷むというのだ。
 勿論、痔などではない。
 彼が今のっている自転車は実はほんの半月程前に購入したクロスバイクで、今までマ
マチャリのクッションのきいたサドルしか経験の無かった彼には、ケツが擦れて痛くて
たまらなかったのだ。なるほど、確かに彼は走りながら時々腰を浮かしてこいでいた事
が何度かあった。私は自分の事でせいいっぱいでそこまで気がつかなかったのだ。
 私は、もう数か月程乗ってそのあたりの苦労は克服してしまったていたが、確かに最
初はいたかった。しかもいきなり数十キロをめいいっぱい飛ばしてしまったのだ。
 我々は計画の甘さを痛感した。
 だが、行くしかない。




                                  −4−

 しかし、再び我々は道に迷った。
 なんと、目指す筑波山YHはその山頂近くにあるというとんでもない事実に、その登
頂ルートを探し、しばしあちこち行ったりきたりをくりかえす事態におちいったのだ。
 近くの人に聞いても筑波山の近くには二つのユースホステルが存在するせいか、証言
が一致せず困惑はますばかり。
 しかたなく電話をして、道を尋ねてみた時にはもう日はかなり傾きかけていた。
 そして、遂にユースへと続くルートに辿りついた我々はさらに恐ろしい事実に愕然と
した思いを味わう。
 急斜がとんでもなく厳しいのだ。
 どれくらい厳しいかというと、ギアを一番ローにいれてもちょっと気合をぬいたらす
ぐにバック走行してしまうぐらい激しい坂だった。
 これでは、とても乗ってのぼることなど出来ない。
 Sも私も体力をひどく消耗してしまっている。
 からからと押しのぼってゆく二人にとってそれは地獄の行軍といっても過言ではなか
った。キャリアに荷物を山とつんだ自転車は異状に重たい。
 辺りは完全に闇にとざされ、自転車のライトだけが唯一の光源と変わった。
 暗闇のなか、二人の息遣いだけがむなしく響く。
 「おい、まだ?」
 「いったい何キロあんだよ」
 「今8号目、ここに標識がある」
 「マジ?」
 「おれ、ちょっと休んでる、先行っていいよ」
 「悪い」
 しかし、お互い疲れているのは同じだ。もう、何のためらいもなく二人は道に倒れ、
転がって体力回復を待つ。アスファルトの地面がひんやりとして気持ちがよかった。
 お互いに休んでは登り、休んでは登るが先はなかなか見えてこない。
 このルートに入る前に、近所に家で道順を聞いてはいたが、段々と自信もなくなり
 「まさか間違ってないだろうな」
 等と自問を繰り返すようにまでなった。
 ぽつぽつと小雨が振り出した。
 うらめしそうに天を仰ぐ二人。
 「なに、テントだってあるんだ。いざとなったら、野宿でもするさ」
 Sはそういいながらも前進を続ける。
 折角予約した宿や食事をふいにする積もりは我々にはない。
 突然Sが声を上げる。
 「水の音が聞こえる!」
 すばやく道をはずれ、彼はたちまちちょろちょろと流れる小川を発見した。
 生活廃水が混じっているとか、様々な可能性が私の頭によぎったが、その堪えなる水
を見るとと、たちまちそれらは無視された。
 ビタミンC入りラムネを噛み砕きながら飲んだその水は、意外にうまかった。
 おお、命の水よ。
 この事が原因かどうかは解らないが、その後二人は地方の名水と聞くとすぐにいそい
そ試す「にわか水評論家」と変身する。日光の名水を汲むのに大金を払ってしまう未来
の自分の姿を思い浮かべることなど、その時の二人には出来ようもなかった。
 水筒に水をいれ、またしても押し続ける。
 永遠とも思われるこの行軍に終わりの時が近付いていた。
 どこからともなく聞こえる声。
 「ほら、聞こえるよ」
 思わず声を上げる僕。
 明かりが見える。
 「おお、翼よあれがパリの灯だ!」
 想像力の乏しい僕の発言に、呆れた顔を向けるS。
 いいではないか。
 意気揚々と進む二人。
 しかし、その門はかたく閉ざされていた。
 向こうで中年の男が何か叫んでいる。
 謝りながら、中に入る二人であったが疲れの為、素直に主人の言う事に従う。
 食事の時間はとうに過ぎているのに、ちゃんと僕等の分を用意してくれてたのが、涙
がでるほどありがたく感じられた。
 時刻はすでに9時過ぎ。
 3時間近くもあの坂を登り続けていたのだ。
 走行距離メーターは100キロを越えていた。
 「どこが楽勝の計画だったんだ?」
 溜息をついてもしかたがない。
 この計画違いは当然後の行程にも当てはまり、地図と現実の違いを日々感じつづける
運命をその時確かに二人は予感した。そしてその予感は恐ろしい程あてはまるのだが、
その話しはまたこの次。




                                 −後書き−

 後に、Sはこの日の事を述懐しこう言っている。
 「いや、あれはあれで良かったんだよ。初日あれだけの事を経験したから、日常から
旅行の体制に切り換えることが出来たんだ。だって、初日はその後のトラブルの多くが
凝縮されていたでしょう?」
 僕には苦笑いする他なかった。トラブルの大半は僕の責任みたいなものだったから。
しかしSの言はまさにその通りで「あれにくらべれば」と言った感情が、その後二人を
支えてゆくのもまた事実であった。




                                                        WRITTEN BY MORIVER
                                                                 93-02-05 
                                                HTML modified in 97-06-10



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