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「6月15日」

***

 恋をすると、私は、決まってこの昔の日記を取り出して読む。

 本棚の隅に無造作に積んだ、古いノートの束の、下から2番目。何のタイトルもついていない、赤い40枚綴りのコクヨCampusノートがそれだ。

 ふだんの私は日記をつけるような人間ではない。面倒くさがり屋だし、自分自身の事を書くというのはなかなか疲れる作業でもある。

 もう書きはじめは3年以上も前になるのに、そのノートの終わりは一向に姿を見せる気配がない。私がこのノートを開くのは、友達にも相談出来ないような悩みを持った時、つまり、大概は誰かを好きになってしまった時だけなのである。

 恋をしても、友達に相談しないってのは人によっては奇妙に思うかもしれない。事実、私の周りの友達は「だれだれのこと好きになった」とうれしそうに良く騒いでいる。

 別に、そういうのに反感を持っているわけじゃない。なんというか、友達から、からかわれる事に自分が耐えられないのだ。

 あれは中学校の2年の時。仲良くなった同じクラスの男の子に告白しようとしたら、返事を聞く前にそのことがクラス中に知れわたってしまい、ひどく私は慌てた。

 彼は皆のいる前で笑って言った。

 「なんで、俺がこんなやつと?」

 私も笑って言った。

 「ちょっと、それひどいんじゃない」

 放課後、私は友達が来るのを待つこともせず真っ直ぐ家に帰って、自分の部屋のベッドの上に倒れこんだ。何でも無いとさっきまで思っていたのに、一人になると急に、気分が高ぶって、涙と鼻水と少量とよだれの跡をつけながら、私はそのまま眠ってしまっていた。

 その時、私はこの日記を開いた。3年前の6月3日の事だ。12ページ前にその事が書いてある。あんまり、意識したことは無かったが、恋の話が苦手な私の性格はこの出来事に由来しているのかもしれない。

 そして今また、性懲りもなくある男の人を好きになってしまっている。

 こういう時、私はいつも思う。

 どうして好きになっちゃったんだろう、って。

 これって、逃げなのかもしれないけれど、いつもそういう方向に意識が向いてしまうのだ。

 あれこれ理由をつけて、私は現実から目をそらそうとする。

 昔知っていた人に似ていた。相手が優しいから勘違いしてるだけだ。勝手に空想して自分でもりあがってるだけ。

 そして、最期に決まって「わたしなんか好きになって貰えるはずがない」。

 中学の3年の卒業の時、なんともミーハーな行為だ、と思いつつも例の男の子の制服のボタンを貰おうと、最期の決心をして彼の姿を追った。

 「よお」

 ちょっと、緊張気味に、そのくせ平静を装って、ぽんと肩を卒業証書入れでたたくと、彼はちょっと意外そうな顔付きをして私の顔を見た。私は、はっとした。

 「おめでとう」

 私の口から出たのはそれだけだった。後は笑ってごまかすのみ。

 「うん」

 表面では愛想をつくっていたが、内心彼が困っていたのがはっきりと解った。ふ〜んそうか。それなら、こっちも自分の気持ちを無視してるあげる。

 それきり、彼とは会っていない。彼の事を意識しなくなるのに2年かかった。

 そして、今また別の人に恋をしている。今度こそ、はっきり言えるだろうか。

 なぜ、こんなに私は苦しまなくちゃいけないのか。

 私は……



***



 「『私は、女の子に生まれたかった』?」

 どきっとして私は横を振り向いた。

 「成瀬さん、こんなの書くんだ」

 隣の席の飯星くんがいつの間にか私のノートを覗き見をしていたらしい。

 「いいでしょ!」

 かあっと、全身が恥ずかしさで熱くなってくる。ノートを勢い良く閉じて、右前腕の下に慌てて隠す。げ〜っと心の奥で私は鳴いた。

 「こら、そこ! 仲が良すぎるぞ」

 教壇の先生の声に、教室中がどっと湧く。

 私は所在なげに眼鏡を外して、うつむいた。飯星くんは、大袈裟に肩をすくめて教科書を真っ直ぐ立てる。こういう風に慌てず事態を立て直す手腕はさすがだ。

 彼は、ノートに何かを書き付け私に見せた。

 『続きは?』

 無視していると、今度は、

 『いろいろあったんだね』

 と来た。

 私は、ノートを開き、さっきの次のページに、

 『作り話だって!』

 と書く。

 すると、飯星くんは、にやにやとして、

 『そ〜お〜』と書いて見せた。

 何かを隠そうとすると、どうも私は慌ててしまっていけない。どうやって、切り換えそうかと思っていると、また何か書いてよこしてきた。

 『結構おもしろいと思うよ』

 飯星くんの顔は妙に涼しげで、私の呼吸が一瞬、埃で飛ぶレコード針のように途絶えた。またしてもしてやられた。

 飯星くんは、黒板の方に向き直って、もう私の事など無視してしまっている。

 私も倣って黒板に視線を移す。

 胸から喉元にかけてが苦しくなってきた。心臓が飛び出すって比喩もまんざらでもないな。ノートに目を落とす。さっきの一文が私の心でリフレインする。

 『今度こそ、はっきり言えるだろうか』

 ちらりと盗み見した彼と、一瞬視線が合った。

 大丈夫、私は女の子に生まれたのだから。



<了>



Written by MORIVER

93-06-19

HTML modified in 1997-6-10



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