列車の中で
列車の中で
夕暮れの列車の中で
僕は彼女を見た。
三年前とかわらぬその目と
すこし女びたその顔つきと、
押しだまったその表情が、
僕が彼女に話しかける事を心ならずもためらわした。
列車は夕暮れの中で
川にかかる鉄橋の上を走る。
記憶の中にある彼女の降車駅は、
すでに二駅前になっている。
つい先程まで満員だったこの車両も、
今はもうひどくまばらで、がらんとしている。
僕はドアの窓ガラスの外をみるふりをしながらも、
肩を少しずらして、右斜め前に座る彼女の顔を観察していた。
夕暮れの光の中で、僕は立ちつくしていた。
彼女はじっと座って足元の一点をみつめている。
彼女は変わった。
そんな思いが僕の頭をかけめぐる。
今彼女はどこに住んで、何をしているのか、
僕には何ひとつわからない。
僕の予定下車駅はすでに、十駅前になっている。
あと三駅で終点、他の線に接続となる。
列車は、次の駅でとまると、
僕のいるドアの反対側のドアを開いた。
彼女はたちあがりそのドアに向かってゆく。
「あっ」という声が僕の心の中で上がった。
反射的に、僕はかけ出す。
次の瞬間、目の前でドアがしまっていた。
彼女はふりむいて僕の顔をみた。
その目には、僕が何者か気がついていることがあらわれていた。
僕の頭の中で、羞恥心がかけめぐり、
顔が夕焼けの中でも赤くそまっていくのがわかる。
奇跡は突然起こった。
トビラは僕の念力に反応したかのように、スルスルと開き始めたのだ。
何かの間違いでないうちに
僕は慌ててとびだした。
彼女と僕は夕暮れのホームで向い会った。
言葉ははるか百万光年のかなたに消え去った。
列車の末尾の方で
車掌と、一人の乗客が話しているのが聞こえる。
彼の勇気あるカケコミ乗車の行動と、
それに反応した心ある車掌の連携プレイがこの奇跡を生んだらしい。
列車は何事もなかったかのように駅を離れていった。
ホームには僕と彼女の二人しかいない。
「久しぶり」
彼女がそう言った。
僕も同じ言葉をくりかえした。
僕は、何ともぎこちなく笑った。
彼女の方はもっと自然なほほ笑みを浮かべた。
心なしか、そのほほが赤くそまっている。
夕焼けのせいだろう。
僕は言い訳をした。
「君の姿が見えたから、声をかけようと思ったんだけど、自信が無くって………」
「何の?」
彼女がきき返す。
「……嫌がられているじゃないかなって……」
彼女は何も答えない。
「……じゃあ僕はこれで……」
そういって背中を向けると
彼女は後からついてくる。
僕はふり向いて、じっと彼女の目をみつめた。
彼女の目も僕の目をみつめた。
「出口はあっちだよ」
僕のその言葉に彼女はこう答える。
「私も向こうのホームに行くのよ」
そうして、二人は笑った。
夕闇のとばりもおしせまるホームの内で
今、僕らは列車がやってくるのを待っている。
初出 92-05-06
HTML化 98-01-15
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