青猫・せいびょう
せいびょう
「青 猫」





 とある通りを歩く一組のカップルがいた。
 彼女の方がなにやら怒った調子で、男のほうにむかって何かを言っている。
 男は横目で女の方を見やった。
 「おまえなあ、しつこいぞ」
 「あなたが何も返事をしないからよ」
 「もう返事したんだから何も言うなよ」
 「答になってないじゃない!真剣に答えてよ」
 「じゃあ、言うけどな、俺は・・・・・・」
 そこで男は言葉を切った。ちょっと間を置いて深呼吸をする。そして、はっとそれをあきれた様子で吐き出すと、女の方をちらりとも見ず男はまた歩き始める。
 「なによ・・・・・・いいなさいよ!ねえ、黙ってないで言いなさいよ」
 「もう、いいよ」
 男は、頭を大袈裟なぐらいうなだれながら近くの電話ボックスに入った。
 扉をしめようとした所に、女はそれを止めて一緒に中に入り、また何か文句を言う。
 男はそれを無視する。そして、受話器を取って、電話機をちょっと眺め回す。
 「これカードつかえないや。小銭持ってない?」
 「ねえ、私の話し聞いているの?」
 「聞いてるってば・・・・・」
 そう言いながら男は自分のポケットを探り回す。
 「ねえ、やっぱ貸してくれない?」
 男の言葉に遂に怒り心頭する彼女。
 「もう!あんたなんてこの世からいなくなっちゃえばいいのよ!!!」

 その時だった。
 どこからともなくベルの音が成り響き、辺りは世界の終末を迎える夕べの様に赤く染まった。かと思うや否や、あたかも電灯が消えるかの如くふいに闇が訪れる。
 それは、一瞬のようにも長い時間のようにも思われた。
 ふと気がつくと辺りはまたいつものまぶしい午後の世界に戻っている。
 「ねえ、なに今の?」
 そう言いながら、傍らを見るとそこには力無くぶら下がった受話器があるだけで、男の姿は無かった。慌てて電話ボックスから飛び出し、通りに男の姿を求めきょろきょろ辺り見回す。
 「ねえ、どこ? ふざけないでよ? ねえったら・・・・・」
 男の姿はどこにも見えない。
 女は怒りをさらに、つのらせて見えない男に向かって雑言を吐く。
 「ねえ!わたし、本当に怖かったのよ!・・・・・・どこに隠れているの?出てきなさいよ!・・・・・・ねえ!!」
 しかし、結局彼女は男を見付けることが出来ずに、とぼとぼと一人妙な孤独感を味わいながら家路につくのであった。

 彼女は自分の家に戻るとすぐに、彼の家に電話を懸けた。
 数コールの後、がちゃりという音と共に回線がつながる。
 「杉本さんのお宅ですか?」
 「はいそうですが・・・・」
 女の声。しかし、彼女はそれが彼の母親の声だという事を知っていた。二人の仲はどちらの両親にも公認なのだ。
 「あの、恒信くんお願いします」
 そう言いながら彼女は、もし彼がでたらどんな事を言ってやろうかと、ひそかに頭をめぐらしていた。自分がどんなに頼りない思いをしたのか、そして彼がどんなに非情な態度を取っていたか・・・・・・しかし、最期にはやはりあなたが好きなのだという事を告げよう、そう決心した所で向こう何かを言っているのに気がついた。
 考えに意識をとらわれて彼女はつい聞きのがしてしまったのだ。
 彼女は受話器を強く耳に押し当ててその声が、何を伝えているかに集中する。
 「あの・・・・どちらさまです?」
 「牛島加代子です。あの、恒信くんもう帰ってきてるでしょうか?」
 「・・・・・・・・うちには恒信はおりませんが・・・・・・・・」
 彼女のアパートより、彼の家の方がずっとあの場所から近いはずだった。居留守を使っているのだろうか?それとも、何か急の用事を思いだして、それであんな急にいなくなってしまったのだろうか?・・・・そうだ、その方が可能性としては高い。だが、次に続く言葉に彼女は困惑をせずにはいられなかった。
 「・・・・・・あの、どこかとおかけ間違いになっていませんか?」
 「え?」
 「うちには、恒信という名前の者はいないのですが・・・・・」
 あのお母さん冗談をつくような人ではない。彼女は、再びあの電話ボックスの傍らで感じた孤独感を思い出し、不安になってきた。
 「杉本さんのお宅ですよね」
 「はい、杉本ですよ。しかし、うちの主人は『恒信』ではありませんし、うちには息子はおりませんから」
 「・・・・・・・・・・・・」
 どう答えればいいのだろう。ここで、これ以上問いつめて本当に間違いだったら恥をの上塗りをするだけだ。別段、見知らぬ人に対してどうでもいいではないかとも思われるかもしれないが、彼女は特にそういう事を気にしる質であった。
 「失礼しました」
 そう、ぼそりと言って、彼女はフックボタンを押した。
 「どういうことなんだろう」


 彼女は、次の日学校に出掛けて男の姿を探した。しかし、無遅刻無欠席をモットーとする彼にもかかわらず、その日彼は授業になってもやってこない。
 同じクラスの何人かに聞いてみても、返事として却ってくるのは「そんな名前の人は知らない」という言葉だった。
 授業の終わりに教壇に近付き、ちょっと出席表を見てみるとそこに「杉本恒信」は無かった。あたかも、もともと存在していなかったかのように、彼の名前があるべき所にはなんの隙間も消した後もなかった。
 彼女は、混乱しながらも何かの冗談なのだ、と自分に言い聞かせ続けた。
 夕方、もう一度彼の家に電話を懸けた。
 しかし、結果は予想した通りのものだった。電話の向こうの母親は遂には怒りだし、警察に電話すると言いだす始末で、彼女は慌てて電話を切った。
 つまりは、彼は突然いなくなったのだ。
 それも、彼女以外その事を知るものはいない。
 狂ってしまいたかったが、彼女の心がそれをゆるさなかった。
 彼への思いだけがかつてない程に急速に高まってゆくのを自分でも感じられた。
 何故か、あれほど遣りあったというのに、思い出すのは楽しいことばかり。
 いや、これは正確な言い方ではなかろう。
 全てが楽しいものに感じられた、此が真実であった。
 最期のあの杉本に食ってかかったことだって、彼がそうした甘えを許してくれる、そう解っていたから出来たことなのだ。気の無い振りをするのだって、結局は照れていただけではなかったのか?
 私は甘えてばかりで何もしてこなかった。寒々とした思いが胸中を駆け巡り、彼女はあの瞬間を涙がこぼれ落ちそうになるほどあの最期の瞬間を思い出していた。
 『もう一度あそこに行こう』
 彼女はそう思いたつと、コートを羽織って秋風が吹きすさぶ中あの電話ボックスに向って飛び出していった。


 はたして、その電話ボックスはいまだその場にあった。そこは人通りも少ない裏通りで、よく考えて見れば場違いな感じすらあたえる存在だ。
 彼女は、ぎゅっと両手に力を込め、緊張した足取りでボックスに近付く。
 そして、その扉に手を懸けようかとしたその瞬間背後から甲高い声が聞こえてきた。
 「入らないで!!」
 ふり向くと一人の少年が息せききらして駆けよってくる。
 「ここに忘れてたのか」
 少年は小学校4、5年ぐらいであろうか、丸縁の眼鏡をかけた気の弱そうな男の子で彼女の姿を見るやちょっとすまなそうな表情をつくった。
 「ねえ、はやくはやく」
 後ろを向いて少年は叫ぶ。
 そして、『それ』は空中から現われた。
 『それ』は全体を殆ど青色につつまれ、その形は彼女に子供の頃に見たセルロイドの<おき上がりこぼし>を連想させた。
 『それ』の頭には小さなプロペラのようなものがついており、激しく回転を続けている。
 「ここにあったよ!」
 少年は『それ』に向かって言った。
 『それ』は大きな口をまるでバケツのように開いた。どうやら笑っているらしい。
 顔にはヒゲらしきものが6本あり、見ようによってはネコのようでもある。
 『それ』は彼女の前に降りたった。
 そして、「これだから君には危なくて道具を貸せないんだ」といいながら、電話ボックスをひょいともちあげる。
 「ま、待って!」
 彼女は声を上がる。
 「ねえ、どういことなの? これは何?」
 「《もしもボックス》」
 『それ』は言った。
 「受話器に向かって告げた通りの世界になるんだ」
 少年が後を継ぐ。
 そうか、それであの時・・・・・・。
 「ねえ、お願い。私の友達がきえちゃったの。私がうっかりへんな事いったせいで」
 彼女の言葉に、『それ』はボックスに入ってぶらさふがっている受話器を持ち上げた。そしてそれを一度フックにかけ、もう一度おもむろに取り、こう叫んだ。
 「もとにもどれ!!」
 再び、辺りは濃い赤黒い夕闇につつまれた。そして、ベルの音が・・・・・・・。


 彼は、むっつりとした表情で彼女を見下ろしていた。
 「なあ、加代子」
 「なに? 杉本くん」
 彼女はその名をこの上もない程の愛情を込めていった。そして、この喜びは自分にしか解らない、と思うとよけいそれは高まりを始める。
 戻ってきたんだ! なにもかも!
 今なら、はっきりと言える。あなたを愛してる、と。こんな言葉は嘘くさいと今まで他人が口に出す事さえ嫌だと思っていたが、これ以上の表現は彼女には見付からなかった。これが、真理なのよ! そして、いまその扉が開かれる・・・・。
 男が何かを言っていた。またしても、彼女は聞きのがしている。どうも悪い癖だな。
 彼女は涙を潤ませながら、せいいっぱいの笑みを浮かべた。
 男も少し笑みを浮かべた。
 「じゃあ、いいんだね」
 「なに?」
 今ならなんでもするわ。あなたの望むことならなんでも・・・。
 彼女は微笑を浮かべ男の言葉を待った。
 男が言う。
 「僕とわかれてくれる?」


 扉は早くも閉じられたのだった。



<了>
原案:GIO
作:MORIVER
初出 93-06-25
HTML化 98-01-15

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