救命救急士制度ができてから,時間がたちました。消防庁は徐々に救命率が上昇していると発表しています。しかし救命救急学会の要請にもかかわらず,正確な救命率の統計をとっていません。不思議な事です。救命の専門家から面白い話を聞きました。
役所は統計など絶対とる気はないのだそうです。学会,世論, マスコミの圧力で制度はできました。救命救急士ができても救命率が上がらないとしたら,制度は何のために作ったのかと役人の世界では責任を問われます。逆に,急激に救命率が上昇したとすれば,なぜ長い間,良い制度を作らなかったと世論から非難を受けます。役人の責任をとらずに済むのは,正確な統計を取らないことです。しかし,作った者のめんつもあるから,徐々に救命率が上昇すれば良いのです。それゆえ,最初に書いたような結論が役人にとって最も都合がよいのです。だれも責任を問われません。私のような愚かな人間には思いもつかない,見事なことです。
これも,伝聞です。インフルエンザ予防接種の制度を廃止したのは厚生省の1課長です。彼は東大法学部出身です。インフルエンザの副作用裁判で厚生省は負けました。当然の結果です。どちらの言い分にも正当性があり,実際被害が存在し,相手が国なら,被害者救済のため国が負けるのは当然です。そこから,東大法学部出の面目躍如です。最高裁の判断を尊重し,法律上正確を期すためにはインフルエンザの予防注射を廃止すべきであるとがんばったそうです。あまりの愚挙に,抗議にいった役人も多数いたようですが東大法学部の法律論争には勝てるはずがないということです。私は言ってやりました,「それなら,役人も政治もいらない。全部最高裁判所に判断してもらえばよい。」「そうなんですがねえ」 まったく,世界にも稀な愚挙はこうして決まったそうです。
インフルエンザで,老人ホームの死者がまた出ました。この事態に先の厚生省の課長の責任は「法的には」ないのでしょうか。えらい,法律家の人に教えてもらいたいものです。
厚生省では重要な政策決定は東大法学部と,東大理3出身でないといれてもらえないそうです。他学出身はかやの外です。
最近,インフルエンザ脳炎がしきりに報道されます。そんなことは何十年も前から解っていたことです。新しい検査法ができてはっきりしたのでもありません。しかも,普通こんなに頻回に報道されません。これは,法学部出身官僚に対する, 厚生省内部の造反側との確執で,報道機関を利用しているグループがあると考えられます。厚生省でも,まともな考えをもった人は多数います。予防注射再開推進派があるのです。世論の後押しがほしいのです。効果的なのは,国会で議員が厚生省の責任に言及すれば,すぐに改善するのですが......。
出身大学と公務員採用試験の序列で役人のランクが決まるようで,ランクの高い大蔵省には,ランクの低い厚生省は頭が上がらないのだという人もいます。
もうひとつの要因は,もちろん,予算を査定する大蔵省には,厚生省は頭が上がらないとのことです。報道では,効果のない脳代謝改善剤を保険適用からはずしたのは,ほとんど大蔵省でおこない,厚生省は出る幕がなかったそうです。 これにより,多額の財源が抑制されるからです。これ自体は非常に良いことだったと,私は評価しています。
ある元最高検察庁のトップは,法律家は社会のトップに立つべきではないといっています。現実の社会の進展はまったく未知の領域を切り開いていく人々によっています。交通整理をする警官が権力者として君臨しても,本当に社会に貢献したのは,車を大衆化したヘンリーフォードです。インターネットに法律が対応できないのは当然です。法律家は与えられた既存の枠組みのなかで,いかにうまく処理するか(または,抜け道を考える)という事しか考えられないのです。法律よりも重要な,世界のなかでどのような位置にあるかとか,先見性を発揮したり,大局を判断するようには訓練されていません。法律的には未解決でも,重要なことはたくさんあります。もちろん,厚生行政にもっとも重要な統計分析的な考え方は訓練されていません。できの悪い法律家は重箱の隅をつっつくような意見になります。国民の健康を守ることより,厚生省通達・行政の法的整合性を重視するから,インフルエンザ予防注射が廃止されるのです。
移植医療のとき,「じいさんと婆さんが,ほぼ同時に死んだとき,じいさん方に遺産がいくか,婆さん方に遺産がいくかは大問題である。生死の時間が2通りあるのなど,法律的には絶対許せない。」などと偉い法律家が議論していました。京大病院に見舞に行くことがありますが,実に好青年でおとなしそうな人が長いあいだ入院して肝移植を待っています。なんとかならないかと気の毒に思います。先の偉い法律家はこの青年の前で意見を発表すれば良いのにと思います。目の前の溺れかけの人を助けるのでなく,水に落ちた時点か,頭が沈んだ時点かで遺産の行方が違うと議論するのが法律家なのでしょうか。重箱の隅です。
もちろん法律は大事ですし,人権擁護も重要です。それでも,嫌味の一言もいいたくなります。東大法学部を出て中央官庁にいく人の考えは,国民の幸福追及という目標がなく,現実離れの保身だけなのでしょうか。東大では,行政も法律も国民の幸福のために存在するとは教えないのでしょうか。責任のがれと保身,天下りにきゅうきゅうとする役人しか作れないのでしょうか。福祉を食い物にする厚生省トップを出してくる大学とはなんなのでしょうか。法律よりも倫理教育を教えるのが必要でないでしょうか。エイズ資料を隠したのも厚生省です。役人君臨すれども,国民なし。日本をだめにしているのは東大法学部か? 私のような頭の悪い人間には理解できません。