03-Oct-98 掲載
さあ、出発だ! (14-Sep-98)
【準備編】 息子が生まれて約5ヶ月、9月14日から27日にかけて、じーちゃん・ばーちゃんへの顔見せ里帰りを挙行した。8月には泊りがけでちょっとした遠出をしたが、ヒコーキに乗るのもドイツ国外へ出るのもこれが最初である。日本の両親には早く見せてやりたいと思う反面、一応首がすわってからでないと何かと大変だという経験者諸氏のアドバイスに基づいて、この時期と相成った。 では、「準備編」ということで、ヒコーキの話から始めよう。 当地フランクフルトから成田まで、JAL、LH(ルフトハンザ)、ANAの3社が直行便を飛ばしている。我々の利用対象となる「格安チケット」の場合、ちょっと回り道をしての乗り換えを厭わなければ、安いやつは大人一人1100マルク(約9万円)くらいからあるようだが、今回ばかりは価格差にはちょっと目をつぶって、JALの直行便を使うことにした。「里帰り便」と称される種類の格安チケットで、大人運賃は、この時期で1800マルク(15万円弱)である。関空便を使うともう少し安くなるオファーもあるが、やはり最短時間で実家に辿り着きたかったので、今回はは避けた。なお、ぼくは別にJAL党でもなんでもないが、LHはかなり割高なのと、ANAは週3日運行で都合の良い日に飛んでいないため、選択の余地なくJALとなったわけである。 今回、何人かに乳児のヒコーキ運賃のことを聞かれたので、ここに書いておこう。いわゆる「正規運賃」では、2歳未満の子供には「乳児運賃」というのがあり、大人運賃の10%と決まっているらしい。この場合、基本的に子供には席はもらえず、ベビーベッド(別名バシネット:辞書によると「ゆりかご」との訳)の利用となる。それがどんなものかは、後のお楽しみ。実は我々も、その存在を知ってはいたが、どんなものだか見たことはなかった。さて我々は「格安チケット」で行くのだが、この場合も「乳児運賃」は存在し、我々が使ったJAL里帰り便の場合は250マルク(約2万円)であった。 ついでに書くと、このベビーベッド(バシネット)には、「体重23ポンド(10.5キロ)まで」という利用制限がある。だいたいの子供は、満一歳くらいでこの体重に達するから、それ以降で「乳児運賃」でヒコーキに乗ると、ずっと親のヒザの上で過ごす覚悟をせねばならない。(もちろん、席に余裕があるときは便宜を図ってもらえるではあろうが..)それがイヤなら、2歳未満でも「小児運賃」(2歳以上12歳未満に適用)を払って、一人前の切符を買うことになる。ちなみにこの「小児運賃」であるが、正規運賃では大人の半額らしいが、「里帰り便」でもだいたい大人の半額強となっていて、同時期のJALの場合は1000マルク(約8万円)であった。10.5キロを越えて2歳未満の子供連れでヒコーキに乗る場合は、この差額約6万円を払って「座席保証」を取るか、空席アリの期待を込めて「乳児運賃」でバクチにでるか、悩むことになるわけだ。
実は今回3人とも同じ便ではあるが、ちょっと訳あって、ぼくだけは母子とは別ルートでチケットを手配していた。だが、機内で別々の席では何かと大変だ。かと言って、格安券では座席の事前指定は出来ないのが原則である。よって、ぼくも母子のバシネット席の隣を確保すべく、出発4時間前にチェックインカウンターが開くと同時に、荷物を持ってチェックインした。といっても、そうでなくても長旅なのに、更に4時間前から子連れで空港で待つのは辛いので、まずはぼくが一人で全員のチケットとパスポートを持って車で空港へ向かい、チェックインをして再度家に戻り、今度は1時間前に全員でタクシーで空港へ向かったという次第。空港が近いことに感謝、感謝。 さて、前記の「乳児運賃」でもチケットは一人前に発行されるのだが、搭乗券はもらえない。(少なくともJALの場合。)どうなっているかというと、同行者(この場合は母親)の搭乗券に、こんな具合に「乳児あり」(* Infant *)と記載されるだけである。これは帰りの成田でも同様。他の航空会社でも同じなのかどうかは、ぼくの知るところではない。 かくして、自宅にておっぱいをあげて、オムツも交換して、いざ空港へ。待合室での母子の姿。搭乗の際は、乳児連れ客は他の客より先に入れてくれるので助かる。(少なくともJALの場合は。)機内に入ると早速スチュワーデスの人達が、「バシネットは離陸後にセットしますね!」とか、「オムツはMサイズでよろしかったでしょうか?」などと言ってくれる。オムツは用意してあった(サイズが合わなかったりしても困るので)ので、丁重にお断りする。冒頭の写真では息子も一丁前に椅子に座っているが、実はこの便も100%満席だったので、こののち上空に上がってバシネットをセットするまでの間は、ヒザの上で抱えていた。通路を通りかかる人達が「きゃっ、カワイイ!」なんて言うのを聞くのは、なかなか悪い気はしない....というのは、全くもって親ばか以外の何物でもない。
離陸してしばらく経ち、ベルト着用サインが消えるや否や、乗務員がやってきてバシネットをセットしてくれる。機中の所々にそういうものがあることは以前から知ってはいたが、実際にセットされたものを見るのは今回が始めてである。考えてみれば、そんな乳児を連れて11時間もかかるヒコーキに乗るなんてことは、ふつうはやらない。せいぜい駐在員家族や国際カップルの里帰りか、逆に里帰り出産した母子が在住先へ戻るときくらいのものだろう。だから、一度も見たことがなかったのも不思議ではないということか。....ということで、やはり一度も見たことがない方は、こちらをどうぞ。 このバシネット、なかなかスグレモノで、一旦これをセットしてしまえば我々の席の前にもそれなりのスペースが出来る。少々窮屈ではあるが、一応そのままで食事も出来るし、トイレに立つことも出来る。もっとも、奥側の人が立つときには、通路側の人が一旦出ないとどうにもならない。今回の帰省では、とにかく機内で息子が泣いたり騒いだりすることを一番懸念したが、とりあえずは疲れもあって(出発は夜の9時なので)か、おとなしく寝入ってくれた。 かくして、意外と難なく大人の食事を終えてしばらくしたころ、息子が目を覚ます。最後のおっぱいから6時間ほど経っているので、起きていればぼちぼちぐずり出す頃だ。その前に、とりあえずオムツ換え。当日の機材(B747−400)の場合、我々の席(35D、E)のすぐ前の、ビジネス席との境目の所にトイレが2つあり、そのうちの右側のやつにオムツ交換台がある。この回のオムツ換えは、妻に任せることにする。さて、次がちょっと問題のおっぱいタイムだ。経験者の同僚に聞いたら、「ウチは自分の席で堂々とやりましたよ」と言う。別の人からの話では、ギャレー(食事飲み物の準備室)の一角の、スッチーさん達が休憩にも使うコーナを、頼めば使わせてもらえるとも聞いた。後者は、客室からはカーテンで仕切られていて一見具合が良さそうな気もするが、通路を通りかかる人とはモロにハチ合わせとなる。結局、スッチーさんに声を掛けるのが面倒ということもあって、映画が始まって暗くなったころを見計らって、自分の席で授乳する。いやはや、「母は強し」である。 さて、この頃からだったろうか、息子は俄然目が覚めて、ハイな状態が続く。一つには、すぐ目の前の映画スクリーンがチラチラして気になるのであろうが、もう一つ、脇を通りかかるスッチーさんがその都度声をかけてくれるのが、嬉しくてたまらないのかもしれない。やれやれ、先が思いやられるなぁ。....といった具合で、その前数時間はとってもおとなしかったのだが、今はキャーキャー言って、こんな具合にはしゃいでいる。それでも、ヒコーキの中というのは、日頃思っている以上にエンジンや風の音でうるさいもので、少々騒いでも周囲の人はさほど気にならないようである。おかげで、ちょっぴり気が楽になった。 そうこうするうちに、こちらも疲れてくる(体内時計はもう朝方だからあたりまえ)のだが、なかなか寝つかれないまま時間が経つ。......と、ン???......何か臭うなぁ。そもそも妻は奥側の席で寝ぼけ眼だし、初回のオムツ換えは妻にやってもらったことでもあるので、とりあえずオムツセット一式をもってトイレへ向かう。と、「ぎゃあ!」。やってくれました。黄色いモノがオムツから溢れて、下着にもちょっぴり染み出しているじゃないですか。慌てて席に戻り、寝ぼけ眼の妻に換えの下着を持ってきてもらって、狭いトイレで2人がかりで(といっても、ホントに狭いので、後半はぼくは見ていただけだが..)オムツ換え+着換え。これでどっと疲れが出たか、その後少しばかり眠ったような気がする。 離陸から約9時間、着陸の約2時間前に、大人達は2回目の食事となる。食事が片付けられる頃にはヒコーキはもう日本海上空を飛んでいて、程なく新潟上空へさしかかる。長くて窮屈な11時間のフライト(逆方向は12時間)も、ようやく終わりに近づく。が、まだ安心するのは早い。降下中の耳の痛みが心配だ。ぼくの場合普段はまず問題ないのだが、過去100回あまりのフライトの中には、とんでもない耳の痛みに襲われたことも2,3回はある。ものの本によると、赤ん坊は一般にこの気圧変化への対応がうまくできないという。対策としては、何か飲み食いをしていると比較的耳が「抜け」やすいので良いと書いてある。ということで、カバンの中から哺乳ビンとベビー用リンゴジュースのビンを取り出して、与える。 幸い耳は何ともなかったか、息子は特に泣き叫ぶでもなく、ヒコーキはどんどん成田に近づく。ちなみに、現在位置がスクリーンに表示されるあのシステム、今では当たり前になっているが、確か6年前のぼくの赴任の時のヒコーキ(B747-300)にはまだ付いていなかったように思う。窓から民家の一軒一軒が見えるようになる頃、まだまだ言葉を解さない息子に向かって、「おい、これが日本だよ、ニ・ホ・ン!」などとブツブツ言う。そうこうして....程なく着陸。「あ〜あ、長かった!」
6年前の赴任の時にはまだ無かった成田の第2ターミナルも、なんだかんだ言って年に数回のペースで日本出張のあるぼくには随分見なれた景色となった。ターミナルビル内の食品屋さんの配置や品揃えなんかは、きっと普通の日本在住の人よりはずっと頭に入っているのではないかと思う。妻も、前回の帰国からまだ1年と3ヶ月だから、そんなに「浦島太郎」という感じではないはずだ。息子は....まだ何も分かるはずがない。 まずは、ゲートのそばのトイレでオムツ換え。大人供も、ここでするべきことをして体調を整える。この先家へ着く前に具合が悪くなると大変なんでね。フランクフルトで作ったばかりの息子のパスポートには、当たり前ながら「出入国カード」の半券は付いていない。それと....去年の今頃パスポートをすられて再発行してもらった妻の方にも、その半ペラが無い。「どこにあるのかな」とキョロキョロ見渡すも、置いてあるのは「外国人用」のカードばかりである。仕方ないからそのまま窓口へ向かうと、その場で半券を渡され、書き込んで提出するようになっていた。そしていつものように荷物を受け取り、税関を出る。日本円の現金が乏しかったので、ATMで何がしかの金をおろす。ドイツマルクから両替して手数料を払うのも癪なんでね。そうして....今回はそのままタクシー乗り場へ。 今回、成田から妻の実家まで、どうやって行くか、結構迷った。妻の実家は千葉県の松戸にある。これが実は、成田と結ぶ交通機関の便がなかなかよろしくない。ちょっとローカルな話になるが....4年半前の最初の帰国の時は、京成で本八幡まで出てそこからタクシーに乗った。地図で見ると結構近いはずなのだが、ゴミゴミした道を通って、結構時間がかかった記憶がある。その次の時は、京成で津田沼まで出て、新京成に乗りかえて最寄駅まで行ったが、重いスーツケースを抱えての階段の昇り降りは当時でも十分辛かった。赤ん坊を連れた今回は、このルートは論外である。バスで箱崎か、電車で上野まで行って、そこからタクシーにすればとりあえず階段は避けられるが....えらい時間がかかりそうだし、その割には直接タクシーで向かうのと大差ない金がかかりそうだ。そんなことをあれこれ考えたが、結局、ヒコーキが成田に着く頃には、「ええい、直接タクシーを飛ばしちまえ!」と決めていたのであった。決して安くないタクシー代だが、2人でちょっといいスシ屋へ行くよりは安い。(変な理屈だね。) 高速道路で千葉北インターまで、すいすい走るタクシーは気持ち良かったが、景気良く上がって行くメーターはちょっと心臓に悪いくらいであった。だがそれもそこまで。下道(国道16号)に降りると、今度は運転手さんに申し訳ない気がするくらい、目的地までの道標の距離はなかなか減らないし、メーターの上がり方も元気が無さそうだ。成田から1時間ほどしたころ、ようやく妻にも見覚えのある地名が現れ、延べ1時間20分後に実家に到着する。電車やバスなら、まだ上野か箱崎に着いた頃だ。とりあえず、この選択は正解だったということにしておこう。
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